21 ねぇ

 次の時間は選択授業。音楽室へ向かうために教科書を詰めた鞄を手に取る。ジアは造形クラスを選択しているから途中の廊下で別れた。もう何度かこの音楽の授業には出ているけど、同じ学年の生徒がごちゃ混ぜになって集まる教室の中で俺はまだ誰ともまともに会話したことがない。ラーシャも違うクラスを取っているし、ユキやヤクモのような知った顔もいない。ダレンという知り合いが増えても、やはり彼も教室にはいない。まぁ、ただ先生の指示に従って歌えばいいだけだから支障はないんだけど。


 続々と生徒が集まってくる教室の指定席に腰を掛けて、俺は扉の方向を見やる。ぼーっと見ていると、誰が誰だか分からないくらいに視界が歪んできた。こうやってわざと瞬きをせずに世界をくらますのがなんとなく好きなんだ。

 でも、ある生徒が姿を現した時、限界を迎えた俺の瞼が瞬きをする。

 リンエ・ルー。彼女も同じ音楽のクラスを取っていた。前から知ってはいたけど、やっぱり彼女は背が高くて、全てを俯瞰して見ているような余裕を纏っている。長く美しい髪の鞭を揺らして、彼女もまた誰と会話するわけでもなく席につく。


「イェスズさん、クラスメイトに聞いたんだけど、ハルのメイクモデルを引き受けたって本当?」


 頬杖をついたままリンエから目を離さずにいると、隣の席の生徒が視界にカットインしてきた。


「え? うん。本当だよ」


 C組の彼女が声をかけてきたのはこれが初めてだった。新学年が始まってからずっと隣の席で週に一度は強制的に会っていたのに、彼女は一度たりともこちらを向くことがなかったからだ。


「やっぱり本当なんだ! ねぇねぇ。この前は何のメイクをしたの?」

「えっ……と」


 朗らかな様子で会話を続けようとする彼女のペースに置いていかれそうになりながらも、俺は視線をリンエから隣の彼女へと移す。


「魔法使い、だよ。あ、よかったら、写真、見る?」

「見たい見たい!」


 俺は携帯電話を取り出そうと鞄を漁る。彼女はワクワクとした瞳をこちらに向け、興味津々に画面を覗き込む。


「わぁっ! やっぱりハルって器用なんだね。イェスズさんって分からないなこれ」

「そう、だよね?」


 彼女が賑やかな声を出せば、後ろの生徒二人も身体を乗り出して「何があったの?」と尋ねてくる。

 それから先生が教室に入ってくるまで、俺たちは魔法使いになった俺の姿を見ながらしばしの会話を楽しんだ。

 授業が終わると、別の教室から出てきたダーシーが俺の姿を見つけて駆け寄ってきた。


「ゾーイ! 今、ちょっと話せる?」


 彼が取っていたのは絵画のクラスのようだった。指先に少しだけ絵の具らしきものがついた跡がある。


「大丈夫だよ」


 返事をした俺の傍を、ダーシーと同じ教室にいたダレンが通り過ぎていった。思わず黒目で追いかけてしまった俺に、ダレンは微かに笑いかけてくれた。


「あっ。で、何だろう?」


 ダレンが廊下の角を曲がったので、俺は気を取り直してダーシーの話を聞く体勢に入る。


「前に緑化サークルについての話をしたと思うんだけど」

「うん! もちろん覚えてるよ! ちゃんと野菜の世話はしてる?」

「もちろんだよ。今は授業よりもそっちのために学校来てる。それはいいとして、そのサークルなんだけど、申請を通すために、学校から要望があってさ」

「え? サークル立ち上げるのってそんなにハードル高いの?」


 ダーシーは苦そうな顔をした後で参ったように笑い、「そんなことはないんだけどねぇ」と頭を掻く。


「普通は人数さえ集めれば問題ないんだ。でも今回は、緑化っていう学校全体に関わるようなテーマだからね。雑に言ってしまえば、全校生徒、教師たちを巻き込むのと同じことだ。だからそういう活動を校内でやっても問題ないか、同意の署名を集めて提出してくれって言われちゃってさ」

「き、厳しい……」

「俺が色んなことやりたいって言ったせいでもあるんだけど。でも、やるからには全力を尽くしたくて」

「なるほど。ダーシーの自然への愛は本物なんだね」

「ははは。皆がゾーイみたいなことを言ってくれればいいんだけどなぁ」


 ダーシーは照れくさそうにはにかむ。次の授業も迫っているため、俺たちは廊下を歩きながら話を続けた。


「署名って、期間決まってたりするの? いつまでに集めろーとか」

「特にないよ。栽培とか、花壇の手入れとか、そういうことは許可とかなく進められるんだけど、大々的に動きたいなら署名を集めてからって感じで」

「じゃあ今は、準サークルってこと?」

「俺が掲げた目標に満たしてないから、そういうことになるかな」

「もう署名は集めてるの?」

「ぼちぼちね。同じクラスの奴に書いてもらったり、友だちの友だちに頼んでもらったり。……でも、まだ足りなくて。できれば夏休みに入る前に集めちゃいたいんだけどな」

「どれくらい?」

「全校生徒の七割もあれば認めてもらえるかな?」

「七割かぁ……」


 意外とハードルが高い。この学校はそれなりに生徒数もいるし、地道に声を掛けていくにはなかなか道のりが遠く感じてしまう。


「だからこれから休み時間には、署名運動のために走り回らないとな」


 ダーシーは親指を立ててニヤリと笑った。


「……ねぇダーシー。それ、わたしも手伝っていいかな?」

「え? また? 花壇も作ってもらったのに?」

「うん。あれはあれで楽しかった。自分たちで緑を広げていくのってすごく心地いい。だから、わたしもダーシーのサークルを応援したくて」

「でも、花壇づくりより根気がいるし、多分大変だよ? 休み時間も潰れちゃうし」

「大丈夫! わたし、いい方法を思いついたから! パパッとやって、夏休みにはサークル活動に専念できるようにしちゃおうよ」


「……そうだな?」


 俺が意気揚々と声を弾ませると、まだピンと来ていないダーシーは疑問を残しながらも同意をする。

 近づいてきた自分のクラスの教室。ちょうど中へ入っていく真っ直ぐな髪の束がなびいた。

 俺は彼女のそのきらめきを瞳に映し、気合いを入れて大きく息を吸い込んだ。

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