18 敬礼を添えて
待ち合わせ場所に行くと、すでにラーシャと他に三人の男子生徒が待っていた。
「お待たせ! ラーシャ」
「ゾーイ、ジア。今日はありがとう。ごめんね。急なお願いで」
手を振ればラーシャもにこやかに振り返してくれる。ジアもささやかに手を上げた。
「君たちがゾーイとジアか! 手伝いを申し出てくれてほんと助かるよ!」
ラーシャの隣で柵に腰を掛けていた一人の男子が立ち上がる。
「こいつがダーシー。校内の緑化計画を密かに企んでいる張本人だよ」
「よろしくねダーシー」
ラーシャが紹介してくれた彼に向かって軽く挨拶をすれば、ダーシーはニッと歯を見せて笑う。
赤毛の前髪が風に押され、アンバーの瞳がキラリと輝いたように見えた。人懐っこそうな人相だ。
ラーシャは二人の後ろにいた他の生徒にも声をかけ、計六人で早速作業に取り掛かる。
学校側から貰えた場所は校舎裏から少し坂道を登った先にある空間だった。木に囲まれていて、雑草や花なんかが無造作に生えている。ほかの場所からはちょっと隔離されているような位置にあるからか、秘密の憩いの場としては最適な広場だ。日当たりも悪くない。
「もう花壇を作る場所は決めてあるんだ」
ダーシーはそう言いながら長方形の目印をつけた地面の土を示す。長い方の線はゾーイの身長くらいなら横になって眠れそうな幅があった。
「花壇はまず二つ作るつもり。道具や材料はさっき知り合いの業者に運んでもらったから、必要なものは揃ってる」
彼の言う通り、広場の奥にはスコップやツルハシ、プールのような大きな容器、バケツ、レンガなどが固まって置いてあるのが見える。
「これは何?」
見慣れない機械が気になった俺は小さな大砲のような形のそれを指差す。
「ミキサーだよ。これでモルタルを作る」
「もるたる?」
「レンガを積み上げるための糊みたいなものだよ」
「へぇ」
ダーシーは四角い大きな容器にホースから水を入れるよう友人に指示を出しながら俺の質問に答えてくれた。
「まずはレンガを水に浸けるから、その間に基礎部分を掘ろう」
「Yes, sir!」
ダーシーにスコップを渡され、言われるがままに彼の後について行く。
「ジア。君はレンガを水に入れてくれる?」
何をすればいいのか分からずきょろきょろとしていたジアに対し、ラーシャがレンガを一つ手渡す。
「水に浸すだけでいいんだよね?」
「うん。俺も一緒にやるね」
不安そうな表情をしていたジアは、ラーシャの申し出に嬉しそうに頷いた。
レンガは二人に任せるとして、残る四人は基礎部分を作るために土を溝状に掘る。
「ダーシーはこういうことに慣れてるの?」
作業をしながら訊いてみる。そもそも業者に運んでもらったって言ってたし、それも彼が自分で頼んだりしたのかな。
「そうだなぁ。俺は土いじりばっかしてるから、慣れてる方かも。知り合いの業者に学校の緑化計画の話をしたら、力を貸すよって言ってくれて。で、ミキサーとかも貸してくれたんだ」
「へぇ。やっぱりそうなんだ」
「俺、土いじってそうに見える?」
「あ。いやそうじゃなくて。へへへ。すごいね、自分から業者にも呼びかけちゃうなんて」
土を掘っていたダーシーが上目で首を傾げてくるから、俺はまた脈が乱れることを恐れて慌てて首を横に振った。駄目だ駄目だ。今は作業に集中しないと。よく分からん感情にうつつを抜かしている場合ではない。
「緑化計画って、何をするつもりなの?」
気まずくならないように話題を変えてしまおう。溝がしっかりと分かるように入念に土を固めながら彼に尋ねる。
「まぁ普通に。自然の良さというか、大切さを生徒の皆にもしっかり意識してもらいたくて。景観って大事だし。緑は心身を安らかにするだけじゃなくて景色の見栄えも良くなるからさ。意識も高まりやすいんだ。ほら、結構ゴミとか落ちてたりするだろ? そういうのも減らしたいし。花とか野菜を育てることで、自然との共存は他人事じゃないってことを広めていきたいんだ」
「はは。野菜を育てるのも大変だもんね」
「うん。でも楽しいよ。だから、皆にももっと緑化活動について興味を持ってもらいたくて。サークル活動として本格化させたいんだ」
「意外にもそういうサークルってないんだね」
「まぁ面倒っちゃ面倒だし。昔はあったらしいんだけどね……」
「じゃあダーシーが復活させるってことか!」
「うん。立ち上げが上手くいくといいな」
「きっとうまくいくよ! わたしは今、サークルに入る暇がなくてそこは力になれないんだけど……でも、他に出来ることが何かあったらまた手伝わせてねっ」
「いいの? ありがとうゾーイ。しっかり覚えておくからな」
溝を作り終えたダーシーは、丸めていた背中を伸ばしてわざと意地悪く笑う。もう一つの花壇を担当していた二人も溝を掘り終えたようだ。ジアとラーシャはいつの間にかミキサーを使ってモルタルを練っている。
「よっし。じゃあそろそろレンガを積んでくぞ」
「Yes, sir!」
「こらこら。命令してるわけじゃないのに」
「あ。ごめんごめん」
つい力強い返事をしてしまった。でもダーシーもカラカラと楽しそうに笑っているし、まぁいいかな。
レンガを積むためにはジアたちが用意してくれたモルタルを挟みながら重ねていかなければならないらしい。
ダーシーによればこの作業は簡単なようでコツがいるそうで、なかなか難しいとのこと。花壇そのものの見栄えにも繋がるし、なんかそう言われると妙に緊張してしまう。プレッシャーだな。
積んだレンガを断面図として見た時、モルタルの横目地がレンガより奥に引っ込んでいるのが理想だそうで、モルタルがはみ出さないようにするのが肝だ。でもそんなの、職人でもないし器用にやれる気がしない。加えて前に自分で言った通り、この花壇はダーシーが目指すサークルの礎となるわけで……。
カチコチした動きで鏝を手に取る俺を気遣ってくれたのか、ラーシャが傍に来て声をかけてくる。
「はい。ゾーイのモルタル」
モルタルが入ったバケツを差し出し、優しく微笑む。ああ。なんて眩しい。
「ありがとう。……うまくできると思う?」
「ははっ。俺に訊くの?」
「うっ……。だって不安で……。下手くそな花壇にしたら、例え綺麗な花を植えたとしても魅力を損ねちゃいそうだし」
植えるのは野菜だけど。
ラーシャは弱気な俺にこっそり顔を近づける。内緒話をするように声を顰め、彼は恥ずかしそうにはにかんだ。
「実は俺も手先は器用じゃないんだ。器用そうなのにねってよく言われるから、なんだか期待を裏切っているようで気まずいよ」
「それはラーシャのせいでもないでしょ」
「うん。そうなんだけどね……。でも、少しだけコンプレックスなんだ」
こんなに完璧に見える人間にも、やっぱり自分の気に食わない面はあるようだ。俺が藤四郎だったら、ただの嫌味にしか聞こえないって言って一蹴していただろう。けど今は、彼のことをそんな風には思わない。
「だけど俺には秘密兵器があるんだ」
「秘密兵器?」
突然声色が子どものように無邪気になった。俺はきょとんとして首を傾げる。
「じゃーん。型枠。これを使えば、モルタルを上手いこと調整していけるはずだよ」
ラーシャが背中に回した手からお披露目したのは、細長い木枠だった。額縁のように真ん中には何もなくて、ただ細い木片で長方形を作っているだけの型。
「……これを、どうするの?」
俺の質問を受け、ラーシャは勿体ぶるようにしてダーシーが作った一段目のレンガの前に立つ。
「この型枠をレンガの上に乗せて、枠の中にモルタルを入れる。それで、こうやって型枠の天端に合わせて高さを均せば……」
鏝でモルタルの塊をお菓子を作るように均等に平らにしたラーシャが型枠を外す。
「わぁ!」
つい感嘆の声が出る。ラーシャは俺を見て少し得意げに笑った。
型枠が外れたモルタルの塊は、まさに羊羹の如く綺麗な真四角でレンガの上に佇んでいる。
「ほら、ここにレンガを乗せてもモルタルがはみ出てこないだろ?」
鏝の柄で積んだレンガを軽く叩いてモルタルを馴染ませるラーシャ。俺は思わず拍手をする。
「すごい! 職人技みたい!」
「ははは。ゾーイは褒めるのが上手だなぁ」
「ううん! 本当にそう思うから!」
「ありがとう。型枠はいくつか用意したから、ゾーイも使う? これを使えば作業も効率的だし」
「ぜひそうしたい!」
目を輝かせて答えれば、ラーシャは俺に使っていた型枠を渡してくれた。
「素敵な花壇を作ろうね!」
「ああ。もちろん」
ラーシャはこくりと頷き、予備の型枠を取りに資材が置いてある方向へと離れていく。
秘密兵器を手に入れたからにはもう大丈夫だ。すっかり軽くなった心のままに踵を返せば、鼻がくっつきそうなほど目の前にジアがいた。
「うわぁっ!」
驚きのあまりバケツを持ったままひっくり返りそうになった。だがジアはたじろぐ俺のことを吟味するように見てくる。
「ねぇ! ゾーイ、ちょっと訊いてもいい?」
「な、何?」
ジアに腕を掴まれ、ダーシーやラーシャたちからは少し離れた場所まで引っ張られた。ぐいぐいと引っ張るもんだから、ちょっとだけつまずきそうになる。
「どうしたのジア?」
「どうしたのじゃないよゾーイ。ねぇ、もう大丈夫なの? ラーシャのこと。退院してからのゾーイ、なんだかラーシャとすごく自然に話してるじゃない。い、一応、入院することになった原因は彼なのに。辛かったり、しない?」
「えぇっ?」
的確な指摘にギクリと顔が強張ってしまう。するとジアの瞼が半分下りてきた。これは明らかに怪しんでいる。確かにジアにしてみればゾーイが明るくラーシャと会話しているのは違和感だろう。ちょっと忘れかけていたけど、ゾーイの勘違いとはいえ彼の行動を見て彼女は傷ついたのだから。
「だっ、大丈夫大丈夫! もうなんの問題もないよ!」
どうにか誤魔化そうとして、俺は勢いよく両手を振って彼女の疑念を払おうとした。
「えっとね。ラーシャと話していても、もう何も感じないの。最初、彼を見た時はちょっと不安になった。でも、今は大丈夫。何の問題もない。普通に友だちとして話せるというか……なんか、自然と会話が出来ちゃうんだ」
「そうなの?」
ジアの瞳が開く。
「うんっ。なんかね、もう恋心も感じないの。多分、なんだけど……。ミゼルは妹だった。でも、わたし的には一回ラーシャに失恋した。だからかな? 彼に対する色んな気持ちは落ち着いたみたい。勘違いってのも、ちょっと拍子抜けだったしね。ドラマチックになりすぎて、冷静になったというか」
ジアに対して今のゾーイの心境を伝える。
実際、ラーシャと話していても何も感じない。本当にただの友だちと話している感覚というか。
むしろ、ユキやダーシーと話している方が緊張してしまうくらいだ。
ゾーイの本音は俺には分からない。一語一句間違いなく彼女の言葉だとは言い切れないだろう。
でも、俺の心の奥底から聞こえてくる感情であることに間違いはない。
勝手な俺の解釈だろうか。
尋ねてもゾーイが答えてくれるわけもなく。俺はただ、思考と感情の分析でそう告げた。
「……そっか」
ぽとりと雫が落ちるような静かな声がジアから漏れる。
「良かった……。ゾーイが無理をしてたらどうしようって思って。でも、違うみたいだね」
「うん。いつも心配させちゃってごめんね。はは……自分でもよく分かってなくて。でも、大丈夫ってことは確実なの」
「ふふ。うん。分かった」
ジアはほっとしたように胸を撫で下ろして朗らかに笑う。
俺はいつまでこの子を心配させてしまうんだろ。
起きてしまった過去はもう巻き戻せない。だからこれからの時間をかけて、彼女を心から安心させたい。例えこの望みが俺の独りよがりだとしても。
「じゃあ、作業に戻ろうか」
まだまだ花壇の完成までは遠い。ジアはモルタルのバケツを手に持ちダーシーの作業を手伝いに向かった。
「ごめんね、ジア……」
彼女の心の傷が、今を生きるゾーイの姿を見せることでどうか癒されますように。我儘でもいい。つい、そう願ってしまうんだ。
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