カワイイ俺の下克上
冠つらら
1 真夏の地獄
名前だけは格好いいってよく言われてきた。
実際、俺もこの大層なことをやり遂げた偉人的響きを気に入っている。画数が多いから小さい時は苦労したし、小六くらいまでは名付けた親が恨めしかった。でもそこから十数年経った今の俺にとってみりゃ、この名前くらいしか人の関心を寄せるものはない。もし俺が誰かに自慢できることがあるとすれば、両親の名づけセンスくらいだろう。
しかしだからって名前だけで出世できるわけでも異性にモテるわけでもない。
そう思ったら、俺に残るものなんて本当に何もないんだろうな。
うだる暑さに気怠い頭を畳に下ろし、横になった俺は手探りでテレビのチャンネルを探す。
エアコンが壊れてもう三日。不運なことに今はお盆真っ盛り。ようはどこの業者も修理に来れないと口を揃える、一年に二回くらいしかない最悪なタイミング。エアコンは前の入居者の置き土産だから、大家も全く聞く耳を持たない。
ならば新しくエアコンを買えばいいじゃないって、簡単に思うかもしれない。
だがどんなに汗水たらして働いてもやっすい給料しかもらえないんだから、そんなことすぐにできるわけがない。
あ。いや。言い過ぎた。訂正訂正。
俺は別に汗水たらして働いてなんかいなかった。
職場は下請けの下請け企業で、貧相な工場の中で一日中働く機械もといロボットちゃんたちの面倒を見るだけ。
正直俺なんかよりもロボットちゃんが優秀だから俺の出る幕なんてないし、もはやロボットちゃんたちの部下みたいなもんだけど。
やつらが機嫌を損ねてバグっちゃったときに精一杯ロボットちゃんのお世話をするだけの、そんな仕事。
寂しい工場の中で、誰とも口をきかずに下を向いたまま。そんな墓場が俺の唯一の社交場だ。
テレビの電源を入れ、ぼんやりしてくる思考のままにザッピングをする。
俺だって別に、そんな人生を送りたいわけじゃなかった。
街を颯爽と歩く人種と同じように、俺だって働く会社での成功を夢見て向上心を持ってみたかった。
バリバリ働いて、ライバルたちと切磋琢磨しながらモチベーションってものを知りたかった。
畝原君、君には期待しているよ。なんて、冗談でもいいから言われてみたかった。
もう少し良い給料をもらって、趣味とか見つけてお金を注いでみたかった。
周りのことなんてどうでもよくなるような甘い恋だってしてみたかった。俺だって惚気てみたいんだ。
でもそんなのはすべて非現実的。
ちらりと視界に入った情けない腹を見下ろす。その下に続くダックスフンド並みの足は無駄につるつるで、覇気のない色をしている。もともと体毛が少ない体質も、俺のようなやつに合わさると気味が悪いだけ。
筋肉も全くないけど、どうせ鍛えたって誰に見せることもないし。
テレビ台のガラスに反射して映る自分と目が合って、俺は盛大なため息を吐いた。
そうだ。
俺がこんなに惨めな日々を送っているのも、全部この醜い容姿のせいだ。
自らの醜さに気づいた幼少期を思い出し、悲劇のヒロインの如く涙がこみ上げてくる。
こんなに辛いことってないけど、俺は俗にいう不細工。
中学生の時、クラスのパリピが勝手に盛り上がって俺を指差し、芸能人の誰に似てる? って女子たちに訊いたことがあった。彼女たちは真っ青な顔をしてブロブフィッシュかな? って返してきやがった。皆は「分かるー!」とか言って喜んでたが、それ芸能人じゃねぇし。深海魚だし。
まぁ当時の俺はもう自分の奇跡の醜さを自覚していたから笑って流してあげたけど。本当のところは心がズタズタどころかバラバラになるくらいキツかった。
思い返せばその頃の俺の方がまだ大人だったと思う。無邪気な狂気を笑って許してあげたんだからさ。
でもその後、カーストがハッキリとしてくる高校時代は本当に地獄だった。
クラスの皆は俺のことをいじってもいい奴って勝手に認定して、俺は奴らの思うままに道化を演じ続けた。
無事に大学に進学しても俺に興味を持つ女子なんて一人もいない。俺はただの透明人間となった。つまらない学生生活。最低限の単位だけは取るようにして、出来るだけ学校には顔を出さないよう心掛けながら四年間を過ごした。
容姿のせいか、就職試験だってかなり苦労した。多分、周りの奴らの十倍くらいは会社にエントリーしたと思う。でも結局、内定をくれたのは親戚のコネがあった今の職場だけ。
何をするにもブロブフィッシュ顔と、それを引き立てる無様な体型が障害となった。
つうか、そもそもブロブフィッシュだって深海にいたらあんなおっさんみたいな阿保面してねぇから。無理やり陸に引き上げられたから皮が溶けてどろどろになった悲痛な姿が有名になっちゃっただけだから。
残酷な実態を面白おかしくかわいいー、とか言ってるやつの気が知れない。きっと俺もブロブフィッシュと同じで陸の生活に向いてないってことだ。強制的に地上での生活を強いられちゃったからこんな醜い姿を晒すことになったんだ。そうに違いない。多分、他の世界に生まれていたら、俺はもっと普通だった。特上なんて望まない。並の並。並以下でも十分。とにかく、人権を得た人間扱いしてもらえるならどんな姿だって構わない。
普通に紛れて社会に馴染んでいけたなら。俺だって望んだ生活が送れていたはずだ。
窓から差し込むじりじりとした日差しに髪が燃えているくらいに熱くなってくる。これ、窓開けてたら熱風が入ってきてまさに地獄だろうな。
俺が窓の外の蜃気楼に目を向けると、テレビからやたらと甲高い笑い声が聞こえてきた。あまりの不快さに画面を睨みつける。
思った通り画面の中では最近メディア露出が増えた女芸人が映っていた。その隣には新人アイドル。もう一人はとんでもないスタイルの美人モデル。彼女たちは番組でどうにか傷跡を残そうと躍起になって話を盛り上げていた。
「はぁ……いいよなぁ女は」
意識もせずに濁った声が口から出て行った。
こいつらは容姿もタイプもバラバラだけど、共通してるのは女ってこと。
男と違って、女はいざとなれば稼げる手段の選択肢が多くていいよなってのは、前々から思っていたこと。
最悪、自分を売れば金になる。そうすれば食いっぱぐれることもないし、いざとなれば結婚相手を探せばいい。
やたらと声がでかいこの女芸人。特段面白くもないのに、ちょっと綺麗めの女芸人だからってだけで持ち上げられて実力以上の幸運をつかんでる。
それに超美人のこのモデルと、透明感全開のこのアイドル。こいつらが路頭に迷う確率なんてほぼゼロだし、人生ちょろいイージーモードでいいご身分だ。こいつらにしてみれば、俺なんて道に落ちてるゴミ以下の人間に見えてんだろうな。
だがこいつらがもてはやされてるのだって、容姿が良くて、女だからってだけ。イケメンも妬ましいけど、女の美人は輪をかけて恨めしい。俺だって美女に生まれてたら人生楽しくてしょうがなかったはずだ。まさにこの世の神気分を味わえたことだろう。
せめて女に生まれてればな。
奴らの顔を見ていたら吐き気がしてきておまけに眩暈がしてきた。
なんだか頭がくらくらして、脳がどんどん澱むような。
疲れてんのかな。
少し休もうと、俺はテレビを点けたまま脱力して瞼を閉じた。涼しくなる時間まで寝て誤魔化そう。
ぐわんぐわんと音が歪んでいく中、三人の笑い声が脳の中心まで響いていく。
ああ俺も。こいつらみたいに人生楽勝って高らかに笑ってみたかったよ。
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