出会い

「ごちそうさまでした。」

「はい!ま…いど…。」

 リュードは食器を片付けてやかましい食堂を後にした。そのままスタスタと宮殿を歩き北側の庭に出る。新人隊の寮はリュードたちがいた食堂とは真反対、宮殿の敷地内の東のはずれにある。

 宮殿内部や宮殿の正面から行くことも可能だが、北側にある庭を突っ切っていったほうが早いうえ、人が少ないのでリュードにとっては楽なのでる。

 北側の庭はさすがによく手入れされていた。宮殿に近いところには青々とした芝生によく映える白のテーブルとイスが等間隔で置かれ、宮殿からまた北側に少し離れた場所にはきっちりと切り揃えられた垣根から美しい季節の花々が顔を覗かせている。

 実はこの庭もっと北に続いているのだが、有事のためにこの垣根は迷路のように張り巡らされている。外からの敵はまず宮殿にたどり着く前にこの迷路で迎撃をされるのだ。

 そんな垣根を目にしてリュードは美しい花々よりもそのことに身が引き締まる思いだった。

 リュードが姿勢を正し、庭を横断しようと足を進めたその時。

「やめてください!」

 凛とした若い女性の声がリュードの耳に届いた。声がしたのは北側の垣根のほうからだ。辺りを見回しても人の気配は無い。大分中のほうにいるようだ。

 リュードはその瞬間に地面を蹴り、声のした方へと迷路の中に入っていった。

 随分前に見た資料の記憶と耳の経験を頼りに走る。しばらくすると諍い合っているような男女の声が聞こえてきた。「これは良し。」と耳に神経を集中させる。

 聞こえてくる声を頼りに何回か角を曲がると、現場の一歩手前に到着した。

 垣根の裏側に潜み、腰の剣の柄に手を掛ける。状況を整理すると聞こえてくる声は3つ。先ほど聞こえた女性の声と男の声が2つ。男たちのほうは偶然知り合ったという訳ではなさそうだ。声を聞く限り男たちは16、17くらいだろう。

「ほんっとお姉さんノリ悪いね!楽しいことしようって言ってるだけなのにさあ!」

「こんな古びた本読んでっからこんな陰気な所に一人なんだろう!俺たちと遊ぼうぜ!」

「やめてください、その本は脆いのです!返してください!」

「じゃあ、返す代わりになにしてくれる?」

「代わりも何もいたしません!それは私のものですし、そもそも人のものを乱雑に扱うような方々と誰も遊びたいとは思わないでしょう!」

「くそっ!生意気な女だな!」

 今だ。一気に垣根から現場に飛び出す。三人の立ち位置と場所の広さを確認、紙が芝生に散乱していることを確認。女性が男たちに腕を掴まれていることを確認。男たちはなぜか騎士団の制服を着ている。が今はどうでもいい。女性の安全を確保するのに一瞬の隙を突いて手を離させなければ。この間コンマ一秒ほど。

「ヴァルツ王国騎士団だ!その方から手を離せ!」

 威嚇の意味も込め、少々殺気を織り交ぜた名乗りを上げる。それだけで男たちは怯んでしまったようだ。一人は完全に女性から手を離して唖然とした表情で本を持ったままリュードを見つめ、もう一人はへっぴり腰になり上手く力が入らないのか女性の腕と男の手の間にわずかな隙間が出来た。

「失礼。」

 リュードはそう言ってその腕と手の隙間に手を入れ、女性に触れないように男の手を一気に引き剥がし、そのまま捻る。

「ぐっ!」

 腕を抑えながら後ずさった男を尻目に、本を持っている男と女性の間に割って入る。

「その本を返してください。こちらの方のものですよね?」

「ええ、ええ!はい、もちろん!どうぞ!」

 本を持っている男は左手でリュードに本を差し出した。

「どうも。」

 それを両手で受け取ろうとした刹那、男は本を引っ込め、リュードの顔目掛け勢いよく右手を繰り出したはずだった。

 今、男の目の前にいるのはこの国の防衛隊隊長だ。そんな小細工が通じるわけがない。

 現に男の拳は、リュードの手によって男の顔の隣で止まっている。

「え?」

 リュードはそのまま男の拳に力を込め、怯んだ隙に男の左手から本を抜き取る。

 男は今度は自由になった左手でリュードの鳩尾にパンチを決めようとするが、それより先にリュードが片手で男を引き倒しながら男の鳩尾に膝を決めた。

「うっっ!」

 腹を抑えながらうめく男は転がしておき、本を返そうと女性に向き直る。

「傷ついていないと良いのですが。」

「あ、ありがとうございます!大切なものだったんです。」

 リュードが本を渡すと、泣きそうになりながら優しく本を抱きしめる女性。その腕には男たちが握った跡が赤く残っていた。

「……っ!腕が、大丈夫でs」

 痛みはないか確認しようとすると後ろに気配が。腕を捻った男のほうが回復し、殴りかかってきたようだ。男がリュードを後ろから殴るよりも前にくるりと振り返って、がら空きな男の腹に拳を沈める。

「ふぐぅっ!」

 こちらも地面に倒れこんだ。二人ともそんなに深く決めていないので、やるべきことを先にやってもらおう。

「新人隊だな。自分の腹を抑える前に何かやらねばならぬことがあるんじゃないのか。」

「っはあ?なんだよやらねばならぬことって?」

「人を殴っておいて説教?正義の味方気取りかよ。」

「そうか…。この件はしっかり報告させてもらう。」

「あっは!報告できるわけないのに。よく言うね。」

「ふふっ、報告して俺たちに処罰が下ってもその倍お前を虐めてやるよ!」

「「報告できるものならしてみろよ!あははははは!」」

 どれだけ人を不快にすれば気が済むのだろうこの二人は。後ろの女性が怯えている。これ以上怯えさせるわけにはいかないが、この二人を静かにさせる方が先決だ。

「口を慎め。」

 リュードの口から飛び出したのは地を這うような低く、怒気を孕んだ声。

 周りの空気がピンと張りつめ、時間が止まってしまったかのようだ。

 男二人は完全に空気に飲まれ、口を閉じ冷や汗をかいている。

 その時強い風が吹き、芝生に散乱していた紙が舞い上がった。

「あ。」

 その声に振り返ると必死に舞い上がる紙を取ろうとする女性。緊張していたせいなのか膝が笑っているようでヨタヨタとしていて危なっかしい。転んでしまう前に声を掛ける。

「この紙たちはあなたの物ですか?」

「はい、私の薬草のスケッチです。」

 答えを確認するとリュードはあれよあれよという間にひらひらと舞う紙を集めてきてしまった。

「どうぞ。なくなってしまったものはございませんか?」

「ええ。大丈夫です。ありがとうございます。」

 女性はパラパラと手渡された紙の束を確認すると、安堵した様子で答えた。

 今度こそ女性の容体を確認する。

「あの、腕に痛みなどはありませんか。もし可能でしたら少し手首を回していただいて、痛むかどうか確かめていただきたいのですが…。無理にとは言いません。ただ、応急処置は早い方が良いのです。」

 女性は自分の腕を見て少し驚いた後、ゆっくりと手首を回して手首の動きを確認して答えた。

「大丈夫です。捻挫や打撲などはしていないと思います。心配していただくような怪我ではございません。軽い内出血かと。」

「…医学の心得がお有りで?」

「…薬学を修めるときに勉強した程度ですが…。」

「左様でございましたか。」

 毅然とした態度で答えてはいるがまだ少し足が震えているようだ。動こうとしない。周りを見渡すと大きめの鞄が置かれたベンチが目に入った。座ったほうが幾分か楽だろう。不自然にならないように誘導する。

「ご協力ありがとうございます。あちらのベンチにあるのはあなたの荷物ですか?」

「ええ。そうです。」

「後から腫れてくるということもありますので、腕は冷やした方がよろしいかと。何か冷やせるものを持って参りますので、それまであちらのベンチでお待ちいただけますか?」

「そこまでしていただくわけには、私は大丈夫ですので。」

 助けたとはいえ、リュードも騎士で男だ。いまいち信用しきれないのだろう。

「そうですか、出過ぎた真似を失礼いたしました。では私はこの者たちを連行いたします。この度は不快な思いと怖い思いをさせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。同じ騎士としてお詫び申し上げます。この者たちは責任を持ってしっかりと処分いたします。」

 だったらここから立ち去る方がこの女性の精神には良いかもしれない。

 リュードは女性に向かって勢いよく頭を下げた。

 しかし、ただ野放しにこの女性を一人にするわけにはいかない。

「気持ちが悪いかもしれませんが、こちらをお使いください。これを羽織っていれば変な者は寄り付かないと思います。羽織るのがお嫌でしたら、あちらのベンチの背もたれに掛けておいてください。同じような者たちに何か言われたら、この騎士がこの制服を忘れて行った、もうすぐ気付いて取りに来るだろう、と返していただければ大丈夫です。」

 そう言いながらリュードは式典用の制服の上着を軽く畳んで女性に差し出した。

 女性は少し驚いた顔をして受け取るのを躊躇っている。

 やはり、気味が悪いか。それか紅蓮の子だと分かってしまわれたか。リュードは必死に次の案を考え始めたが、相手の返答は思わぬものだった。

「あの、これは大切なものなのではありませんか?」

 女性は制服の胸にいくつか付いている階級のバッジと、リュードの顔を見てそう言った。

 式典用の服だと知っているのだろうか。

 気味が悪くて受け取れないという理由ではなく、ただ遠慮しているだけのようだ。

「ただの式典用の制服ですので、お気になさらず。では、こちらに置いておきます。待ち人の方がいらっしゃりましたら、制服はこのままここに置いといていただいて構いません。」

 リュードはベンチに制服を置いて、2人のことを連行した。

 女性はリュードの後ろ姿にぺこりとお辞儀をして、この件があまり大きくならないことを祈っていた。

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