高嶺の花と紅蓮の子
西園寺司
プロローグ
ここは緑豊かな国、ヴァルツ王国。30年前周辺国が巻き起こした戦では中立の立場を貫き、領土を拡げることを目的とせず、自衛に徹したことにより、大きな被害は免れた。
その宮殿で間の抜けた声が響いた。
「たいちょー、待ってくださいよー!」
声の主はエミリオ・ザルク。この国を守るヴァルツ王国騎士団に属する一人だ。
呼びかけられた男は振り返らずそのまま歩き続けながら応える。
「エミリオ、宮殿での仕事は終わった。早く私たちの駐屯所に帰るぞ。それに今日使用するように言われた宮殿の食堂も混んでしまう。」
エミリオは男の半歩後ろに追いつくと、胸のあたりにある顔の右半分を覗き込むようにして言い返した。
「お昼時までまだ全然あるじゃないですか!急がなくても平気ですって!」
スピードを緩めることなく2人は歩き続ける。
「前に一度来たことがあるが、うちとは比べものにならないほどに混んでいた。」
「そりゃあ、母数が違うじゃないですか!ここは僕らみたいな騎士だけじゃなく下級貴族や使用人たちも利用するんですから。それに宮殿の騎士はここの食堂タダですからねー。」
威張り散らしているだけなのに。とエミリオは口を尖らせた。
先を歩く男は「真面目に仕事をしている方もいらっしゃる。」とエミリオを窘めた。
「はーい。」と口を尖らせたまま返事をすると、
先を歩く男は歩みを止めるとエミリオのほうを振り返った。
黒い髪の毛に黒い眼。左眼のあたりを騎士団の紋様が入った黒い布で覆い隠している。
男の名はリュード・ヴァンホーク。
エミリオと同じくヴァルツ王国騎士団の一人であり、現在の一番隊・二番隊隊長である。剣術の腕も騎士団一と言っても過言ではないが、格闘術において彼の右に出るものはこの国のどこを探しても見つからないだろう。そんな彼に着いたあだ名は
“紅蓮の子”
「お前の働きはよくわかっているつもりだ。」
とリュードは軽くエミリオの肩を叩いた。
「昼時の食堂はただでさえ混んでいるんだ。そこにいつも利用しない騎士が増えるのは迷惑だろう。」
リュードはまるで自分に言い聞かせるようにそう言った。
「えー、そーですかねー?」
エミリオは軽口を叩いてみせたが、長年リュードのことを慕っているのだ。リュードの陰に気付いていないわけがなかった。だが、それをリュードから剝がすのは骨が折れることだった。
そしてエミリオはあることに気付く。
「隊長、この廊下さっきも通りませんでした?」
「ん?」
「あの壁に掛けてある絵、生けてある花、全部同じだと思うんですけど。」
「確かに、花の枯れ具合まで同じだ。」
「隊長?」
「エミリオ、すまない、迷った。」
「ええええええええーーー!」
「いや、本当にすまない。」
「全然大丈夫です!隊長!」
「おまえ…」
「じゃあここからは俺が隊長を案内します!」
「ん?」
「今まで隊長に任せて歩いてきたんで、何にも考えてなかったんですけど。一応僕貴族の出なんで食堂の場所ならなんとなく分かりますよ!っま、貴族って言っても下級貴族ですけどね!」
「ありがとう、エミリオ。頼んでもいいか?」
「はい!もちろんです!こっちです、隊長!」
リュードの役に立つことが出来て嬉しそうに前を歩くエミリオを見て、なぜそんなに嬉しそうなのか分からないリュードだったがエミリオが嬉しそうならばよいかと思いながら、制帽を深く被り直してその後を追った。
今日は宮殿で半年に一回の王への謁見と報告会があったのだ。リュードは一番隊兼二番隊隊長としてそれに呼ばれていた。ヴァルツ王国騎士団は第六番隊まであり、隊によって業務内容が違う。
一番隊・二番隊
通称、防衛隊。争乱や戦争が起これば一番に飛んでいき、最前線で戦う。最近の業務はもっぱら国境の警備。
三番隊・四番隊
通称、警備隊。宮殿の敷地に常駐し、要人の警護や国内の治安維持が主な業務。
五番隊・六番隊
通称、新人隊。新人の育成を目的とする。通常業務にあたることは無いが、国内のフェスティバルの警備で人手が足りない時に駆り出される。防衛隊に駆り出されることはない。
今は国王が病に臥せっているため、第一王子への謁見だった。第一王子は身体が弱いとのことで、カーテン越しでの謁見で顔は見えなかったが。報告会は特に変わらず、政を行う者たちに報告をするだけだ。
平民の出であるリュードは宮殿というところにいまいち慣れることが出来ず、宮殿内で迷子にならないようにと貴族の出身であるエミリオを連れてきたのだった。何故忘れていたのか、わざわざ窮屈な式典用の白い軍服を着て、白い制帽も被ってきたというのに。左眼の当て布も正直邪魔である。
「うっわー、やっぱ混んでますねー。」
迷ったこともあってちょうど昼時にかち合ってしまい、食堂はごった返していた。
「外で食べるしかないか。」
「俺そんなにお金持ってないですよ。」
「ん?お前は払う必要ないが。」
「ええっ!何でですか?僕そんな顔広くないですよ!ツケとかも出来ませんよ!」
「万が一のために少し多めにお金を持ってきてよかった。」
「まさか、隊長の奢りとか言いませんよね?」
「食堂に着くのが遅れてしまったのは私に非g」
「絶対だめですからね!隊長はもっと自分にお金を使ってください。」
「いや、しかし。」
「あ、ちょうど注文列空きましたよ!ほら、行きましょう!隊長!」
リュードはエミリオにぐいぐいと腕を引っ張られ、2人は注文の列の中に消えていった。リュードは引っ張られていないほうの腕でもう一度制帽を目深に被り直したのだった。
注文を終え食事を受け取ると、ちょうど2席分空いていたのでエミリオに促され二人はそこへ座った。少し窮屈だったが座ってしまえば食事をとるのに問題はなかった。
「いやー、もっと売り切れが多いかと思いました!それに席もラッキーでしたね!」
「ああ、そうだな。」
「僕、お腹ペコペコです!あ、そうだ!これ食べて駐屯所に帰ったら僕と手合わせしてくれません?」
キラキラした瞳でエミリオに言われれば断る理由などなかった。
「いいぞ。」
「やった!約束ですよ!じゃあ、いただきまーす!」
確かに、リュードには最近は配属されたばかりの者たちの訓練をつきっきりで見たり、山賊の報告や通報が相次ぎエミリオの相手をしている暇がなかった。
リュードは嬉しそうに食事を始めたエミリオを見て、最近任務続きだったから休みも取らせなければと思いながら、いただきますと手を合わせて自分自身も食事を開始した。
「ねえ、あれって紅蓮の子じゃない?」
「いやだ!なんで宮殿の食堂にいるのよ。」
「しっ!見たらだめよ。目が合った瞬間殺されるわ。」
「どうして人殺しがここにいるんだ。」
「人殺しじゃない、殺人鬼だよ。よくこんな場所で飯が食えるな。」
「あの騎士団の紋様が入った布の下は、それはそれは醜いらしいわよ。」
「自分が殺した人たちの目玉をくり抜いて、自分の義眼に使っているんですって。」
「あの顔の傷は殺した兵士の奥さんにつけられたものらしいわ」
「その奥さんも問答無用で殺したそうよ。」
「いやあ、こわいこわい。」
「人を殺さないと気が済まない狂人が。」
「怖いわ、早く出て行ってくれないかしら。」
いくら食堂が賑わっていても、こういった陰口は聞こえてきてしまうものだ。それに加え、陰口を言わずとも全員がこちらをチラチラ見てくる。
二人の普段の仕事は国境の警備だ。山の中や荒野で仲間たちと連携を取り合い、五感を研ぎ澄まして警備にあたる。聞こえないわけがない。
「エミリオ、早く食べないとせっかくの食事が冷めてしまうぞ。」
リュードはエミリオが動く前に釘を刺し、自分自身は構わず食事を続けた。
エミリオは関節が白くなるほど手を握りしめ、怒りに打ち震えていた。
「なんで…!隊長のこと何も知らないくせに…!」
「エミリオ。」
リュードは諭すようにエミリオの名前を呼んだ。
こんなことは慣れている、だからいいんだ、エミリオ。
「あることないこと言って、国境の安全を保っているのは誰だとおm」
「エミリオ、お前が気にすることじゃない。」
「でも、隊長は、隊長は!」
その時、2人の後ろに影が差した。
「おやおや、これはまあ。野蛮な防衛隊隊長殿ではありませんか。奇遇ですね、リュード・ヴァンホーク隊長。」
全体的に青みがかった髪に青い眼、リュード達と同じように白い式典服を着た青年。
「こんにちは。アイガス・カロランテ警備隊大隊長。」
リュードが挨拶を返すと、アイガスは人の良さそうな笑みを浮かべて優しい声でこう言い放った。
「馬子にも衣裳とはよく言ったものですねぇ。ああ、間違えた。猿にも衣裳ですかね。」
クスクスとアイガスの周りの部下たちも笑っている。
「その当て布も大層上等なものに見えますが…。」
「隊長に任じられた際、陛下より賜りました。」
「そうでしたか、お優しい陛下のことです。その醜い傷痕を見たくないと遠回しに伝えたかったのですね。」
「なんだt「そうかもしれませんね。」」
立ち上がりそうなエミリオを制してリュードが答えた。
「通りすがりでお見かけしたものですから。にしてもよく目立ちますねぇ、背丈と言い顔と言い、そこまで勘の鈍くない方だと思っていたのですが…。」
アイガスは食堂の人達を見回しながらそう言った。どうやら通りすがりというのは本当らしく、手には食事の持った盆を持っていた。
「食事を済ませたらすぐに帰りますよ。ここから防衛隊の駐屯所までは距離がありますから。」
リュードはいたって冷静だった。
「そうですか。ならば良いのですよ。ここにいらっしゃる方々が安心してお食事できませんから。」
アイガスは食堂の喧騒の中でも聞こえるように少し声を張り上げてそう言うと、周囲の人々ににこりと笑いかけた。
そしてリュードの耳元で
「貴方はあくまで隊長だ。図に乗らないでくださいね、殺人鬼さん。」
と囁くと、部下数人を引き連れて去っていった。
リュードは何事もなかったかのように食事を再開した。が、エミリオはそうもいかなかったらしい。
「なんで何も言い返さないんですか!」
立ち上がってそう言うと、堰を切ったようにしゃべり始めた。
「隊長が隊長なのは、それだけ努力をしたからなのに!叩き上げでここまできた!隊長は最高の上司ですよ、真面目で訓練には厳しいけど、でも本当に優しくて、本当は誰よりも人のこと考えてて、自分に非があったらちゃんと認めて部下に対してでも謝れて、それからそれから…」
「エミリオ、私のことを評価してくれるのは嬉しいがここは公共の場だぞ。」
リュードが努めて優しい声音で言うと、エミリオは少しシュンとして「すみません。」と呟きながら座った。
「でも、でも、全部本当のことです。俺、隊長のこと本当に尊敬してるんです。」
リュードのことをここまで慕い、くっついて回っているのはエミリオぐらいなものだ。
防衛隊に配属された騎士であれば、リュードのことを慕っているものは少なくない。だが、リュードの異名とその風貌から皆関わろうとしないのだ。
「その念に恥じぬようもっと精進しないとな。」
リュードがくしゃっとエミリオの頭を撫でると、エミリオは元気を取り戻したのか普段の調子に戻って喋り始めた。
「あいつら、隊長がすごいからって妬んでるんですよ。それに自分の地位が危うくなるかもしれないから。ん?でも防衛隊を当時の隊長に押し付けたのもあいつら貴族ですよね?ん?あれれ?」
大隊長になれるのは貴族出身者のみだ。平民の出であるリュードはどう足掻いても大隊長にはなれない。そして今の防衛隊に大隊長はいない。命のやり取りをする隊だ。自分の判断一つで部下の命を左右する。誰も責任を負いたくないし、危険な任務だってしたくない。平和になった国では誰しもそういうことを考える。大隊長がいないのはそういうことだ。
リュードは空になった盆を持って立ち上がると、エミリオに向かって言った。
「ゆっくり食べるといい。私は新人隊のルペル・グレード大隊長に用があるから、それを済ませてくる。何だったら先に帰ってても構わない。」
そう言うと、制帽を目深に被り直してスタスタと歩いて行ってしまった。
その言葉の裏にリュードの気遣いがあることをエミリオは知っている。エミリオが貴族出身であることを考慮し、自分と関わることでエミリオの家やエミリオの未来に余計な迷惑を掛けないためだ。
紅蓮の子
左眼のあたりにある大きな火傷跡と、13年前の事件でリュードについたあだ名である。13年前、当時9歳だったリュードが他国の兵を大量に殺したと。
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