第49・50話 素顔

 高い天井には極彩色のフレスコ画。足元はふかふかの毛の長いカーペットが敷かれていて、壁の至るところには金の装飾が飾られ、ぴかぴかのガラスの花瓶に豪奢な生花が活けてある。


「ここは」

「宮廷だ」

「きゅ」


 うてい。私は声にならない声で叫んだ。

「……あ、あはは。ご冗談を」

「冗談、じゃないのはヒイロ殿ならわかるだろう?」

「う」


 やーそんな事ないよ、と笑い飛ばしたかったけれど、残念ながら私は以前宮廷聖女のスカウトを受けた際に足を運んだことがあるので、言われてしまえばここが確かに宮廷だとはっきり分かってしまう。


「しかも……ここってもしかして」


 窓の外に見える巨大な尖塔、日差しの入射角。壁の色。

 それら全てが王宮のどこに今いるのかを如実に示している。


「そこの者!」


 磨き上げられた甲冑を纏った近衛騎士が集まってくる。


「誰だ!」


 怯える私の光輪を見て、近衛騎士さんたちが目を剥く。


「その小麦光輪ッ……!! お前は聖女ヒイロか!!!」

「あはは……王宮でも知られてるくらい、有名人だったんですね私……」


 思わず光輪を隠しながら苦笑いする。

 想像以上に食いつかれて困る。小麦の光輪だからって美味しくないよ。とげとげしてるから髪の毛絡んだら、結構取るの大変だし。

 慌てる私とは対照的に、シノビドスは落ち着いた佇まいで彼らを正視した。背筋まで伸びて威厳さえ感じる。


「この道を通ってくるのは私だけだと知らないのか」

「何を」

「王族を呼べ。私の名より……黒衣の不審者が友愛回廊に現れた、と言った方が通じるかもしれんな」


 続けたその声には少し、皮肉まじりなニュアンスが混じってる気がした。


「と、とにかく後は捕縛後に話を聞く、両手を上げろ……!」


 シノビドスの言葉の理解ができなかった近衛騎士は結局強硬手段に出ようとする。

 じゃらり。金属の嫌な音を立てて、剣が鞘から抜かれたその時。


「剣を納めよ!!」


 よく通る朗々たる声の貴公子が、奥からつかつかと鎧を鳴らしてやってくる。


「殿下!」


 近衛騎士団はざわつき、一斉に膝をついて首を垂れた。


「……『友愛回廊の名を知る、異国の名を持つ男。いつ何どき彼が現れようとも、王宮は彼を国王同等の待遇にて迎えよ』。まさか、本当に現れるとは」


 長く伸ばして結わえた輝く金髪に青い瞳。高貴な群青のマントに、鮮やかに染め抜かれた白い紋章。

 貴公子はそのまま、あろうことかシノビドスに片膝をついた。


「私は第一王子スレアード。玉座の間へご案内いたします。お連れの白銀聖女ヒイロ嬢もご一緒にお越しください」


 何があったの。

 何なの? え? 王子様? 王子様が膝をつくって???


 私が膝を折ろうとすると、シノビドスが「よい」と一言で制する。


「ヒイロ殿は賓客であり、拙者の友人。……なに。の言うままにしていれば、案ずる必要はない」


ーーー


 50人くらい肩車しても届かなそうな高い天井。

 100人くらい手を繋いでも届かなそうな長いカーペットの向こうに国王陛下がいらっしゃる。


 私が挨拶で膝を折ると、立つように許可された。

 その間、シノビドスは微動だにしない。


 私たちが玉座の間に到着するまでの間に集められたのだろう(休憩を挟むくらい、廊下は長〜かった)、国の偉い大臣や王族が勢揃いしていた。

 厳しい顔をしたり慌てて困惑した顔をしたり、眠たそうにしていたり。

 皆様一様に、いかにも「緊急招集されました!」という感じだ。

 待って。

 王家の皆さんを全員呼びつけられる尾藤志信シノビドスって、何者なの。


 国王陛下の上擦った声が聞こえた。


「……まさか、初代の遺言は真実だったとは」


 彼らはシノビドスを見下ろし、立ち上がって丁寧な辞儀をした。

 えっ、王家の方々が立ち上がるの!? シノビドスに!?


「初めてお会い申し上げる。私は第13代ルシディア国王、サディンだ」


 しかしシノビドスは、酷く冷淡な声で答えた。


「これが初対面となること自体が、私としては遺憾だ」

「なっ」


 国王陛下が言葉を失う。

 シノビドスは私を見て、そっと背をかがめて囁いた。


「ヒイロ殿、少し浮くからつかまっていてくれ」

「え、浮くって」

「失礼」


 断りを入れたシノビドスは私の腰に腕を回し、そのままーー浮いた。


「っ!?」


 ざわつく王侯貴族の皆さん。私は息を呑んで彼にしがみつく。

 シノビドスは背筋を伸ばし、国王陛下を真正面に見据えた。


「現国王、我が親友の末裔よ。私を玉座から見下ろす側になるとはいい身分になったものだ」

「……貴様、」

「国王よ」


 シノビドスは静かに、しかしよく通る声で話した。

 ーーなんだかこの声音、どこかで聞き覚えがある。


「私は今日、汝の意思を確かめに来た」


 シノビドスはそっと、仮面に手をかける。


「え」


 私は目を瞠る。長くて骨張ったシノビドスの手が仮面を覆いーー何があっても外さなかった仮面があっけなくパカ、と外れた。

 黒装束がふわっと広がり、視界を覆い尽くす。暴風だ。私も、他の王侯貴族の皆さんも、突風に顔を覆う。


「……ッ……」


 黒衣と一緒に、長い黒髪が夜空のようにしなやかに広がる。

 巻き上がる黒衣が落ち着き、彫りの深い美しい顔があらわになる。

 凛々しい眉、綺麗な稜線を描く鼻梁。黒衣から覗いた喉元や顎の骨、耳の形まで見覚えがある。幾度となく見上げてきた背の高い男の人。


「……魔王様…………」

「ああ」


 魔王様シノビドスは薄く微笑む。


 私の言葉を受けて、玉座の間にいる者全てが息を呑んだ気配がした。


「人身の王、我が親友の末裔」


 玉座をじっと見据え、魔王様の顔で、魔王様の言葉遣いで、魔王様の声で話すシノビドス。

 抱いていた違和感が雪のように溶けていくのを感じた。

 そうだ。声の調子は変えているけれど、確かに同じ声だ。


「私の問いに答えよ。王家はなぜ、初代国王アイツィヒト以来の約束を放棄した。ルシディア王家と魔王は友愛の契りを結び、戴冠式の後、必ず私に即位の挨拶をするのが約束だったはずだ」

「何を言っている」


 周囲がざわめくなか、国王陛下は魔王様シノビドスの視線をまっすぐ受け止める。陛下たるもの、いきなり出てきた黒装束の男の人が魔王様だと発覚しても落ち着いて対峙できるらしい。

 陛下は確かめるようにゆっくりと、魔王様シノビドスに問いかけた。


「初代国王の力により、旧神黒竜を従えた魔王を隷属させているのではないのか?」

「……やはり、伝承は絶えていたか。友愛回廊での扱いで薄々察してはいたが」


 魔王様シノビドスは唇を噛み、首を緩く横に振った。


「国王よ。私は隷属など初めからしていなかった。私と初代国王アイツィヒト殿は、志を一つにする親友だった」

「魔王が何をいう!」

「もうその話すら、王家に伝えられていないのだな……初代アイツィヒトの手記を読むことを怠るようになったのか?」

「……ッ!?」


 国王陛下は目を見張る。


「戴冠式の時しか触れない国宝の存在を、なぜ魔王が」

「形骸化しているのか。ならばカスダル・ストレリツィの如き貴族がいることも腑に落ちる」


 カスダルの名を呼ぶ彼は、明確な嫌悪感を露わにする。

 魔王様シノビドスは、すっと長い指を伸ばし、国王夫妻の奥を隠したカーテンを指差す。

 ざっと音を立て、魔力でカーテンが開かれる。

 その中から初代国王の肖像画が現れた。


「国王よ。これを貴殿はなんと見る」

「これは、戴冠式と建国記念日のみ公開される肖像画だが……」


 暗闇に座り、厳かに微笑む初代国王の姿だ。

 その肖像画は不自然に左側が空いているように、私には見えた。


「私の存在を消したか」


 魔王様シノビドスの眉間に皺が寄る。王様が早口で反論した。


「左側の黒い部分は闇、つまり魔王を示している。初代国王が邪教たる黒竜と魔王を支配し、睨みを効かせているという意味ではないのか」

「私はこれの本当の絵を知っている」

「本当……だと?」


 それまで怒りと厳しさに満ちていた魔王様シノビドスの眼差しに、僅かに憐れみの色が混じる。

 無知のまま玉座に据えられた国王陛下への憐憫だろうか。


「……知らされなかった末裔よ。本当の姿を見せてやろう」


 魔王様シノビドスが手を翳せば、絵の黒い絵の具が吸い取られるように消えていく。現れたのは光り輝く王宮の庭で、玉座に座った国王が黒髪の男と並んで前を見つめた絵になった。


 場がざわめく。

 その絵に描かれている男と、魔王様シノビドスは全く同じ姿をしていたからだ。


「一体……」

「これは……」


 貴族たちは騒めき、聖職者は顔を青ざめさせて笏を握る。

 国王 は青ざめながらも、己の知らされなかった真実を前に刮目して黙していた。魔王様シノビドスは、謁見の間に集まった全ての人々へ目を向け、手のひらを光らせた。


「お前たちに見せてやろう。……私と、初代国王との約束を」


 太陽が落ちたように、眩い光が迸る。

 頭の中に、一つの物語が流れ込んできた。

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