第49話「死なないで」



「歩けるか?」

「……」


 上條は無言を貫いたまま、警察に手を引かれてパトカーへと歩いていく。その背中は、生徒達のかけがえのない命を奪った極悪人とは思えないほど弱々しかった。この事件は最終的に死者13名、負傷者6名を出した。SNSでは既に「銃乱射」「藤川高校」などのワードがトレンドに上がっている。

 事件の概要を突き止めようと、正門前にはマスコミの報道陣が集まっており、何度もカメラのシャッターが眩しく切られる。彼らは考えもしないだろう。僕達がどれだけ図り知れない恐怖を体験したことか。

 

「優樹、怪我はしてないか?」

「……」

「念のため病院で診てもらった方がいい。救急車はあそこだ」


 父さんが僕の肩に手を乗せる。僕は右頬に掠り傷ができた程度で済んでいる。次々と担架で運ばれている多くの生徒達の遺体を、緊急で作られた避難所のテントで眺める。彼らの方が余程災難だ。あの泰士君も犠牲となってしまった。だからと言って志乃さんを責めるわけじゃないけど。


 僕は生きなければならない。彼らの死を無駄にしないために。


「じゃあ……行ってくるね、志乃さん」

「うん……」


 不安そうな志乃さんの表情。僕は彼女の頭にぽんと手を乗せてやる。確かにこの惨劇は志乃さんの呪いが引き起こしたことだけど、彼女自身に罪があるわけではない。これ以上彼女が自分を責めないために、僕が彼女の心を支えてやる責任がある。


「……」




「クソッ!!!」

「おいっ、上條!」

「暴れるな!」


 すると、上條を拘束していた警官が突然騒ぎ立てる。パトカーに乗り込む直前、上條は何かに取り憑かれた急に暴れ出す。あれだけ派手に人殺しを楽しんでおきながら、ここにきて逮捕されるのが怖くなったのだろうか。手錠をかけられながらも必死に腕を振り回し、警官の拘束から逃れようとする。


 バシッ


「お、おい!」

「待て!」


 上條は警官の腰に備え付けられていた何かを奪った。その何かがはっきり見えたわけではないけど、腰から抜き取った時点である程度察することができる。その事実を認識した途端、僕の背筋は一瞬にして凍り付いた。






 ドンッ!!!




「あっ……」


 もう聞き飽きたけたたましい轟音。しかし、僕の意識は呆れる余裕もなく、次第に遠退いていく。


「優樹君!!!」


 悲痛な表情を浮かべながら、志乃さんが僕に駆け寄ってくる。彼女の姿どころか、視界も狭まってきて何も見えなくなる。一体何が起こったのだろうか。息が苦しくなる。




 まさか……僕……撃たれ……




   * * * * * * *




 優樹は病院に搬送され、手術を受けることとなった。上條が警官から拳銃を奪い、がむしゃらに撃った銃弾が優樹の左胸に直撃した。すぐさま取り押さえられ、上條は署まで連行された。しかし、優樹の命は危険に晒されたままだ。


「ハァ……ハァ……」


 陽真から電話を受け、凛奈と優里は慌てて病院へ駆け付けた。到着した頃には手術の真っ最中であり、手術室の前で陽真が冷や汗をかきながら立っていた。手術中と記された赤く灯るランプが、まるで息子の血を溜めているようで動揺が収まらなかった。


「……」

「あれ、志乃ちゃん?」

「志乃ちゃん? ああ、優樹の彼女の……」


 優里と凛奈は手術室の前のベンチに座る志乃の姿に気が付く。息苦しそうな表情を浮かべながら、制服姿で静かに座っている。陽真の車で直接病院に乗せてもらっていたようだ。陽真も志乃の横で手術室の扉を静かに眺めている。


「あなた……優樹は……」

「まだ手術は終わっていない」


 陽真は高校で起きた出来事をありのままに伝えた。優樹が受けた銃弾は幸いにも心臓に直撃することはなかったが、すぐ隣で止まっているらしい。しかし、動脈を損傷したことによって血流が乱れ、かなり危険な状態であると医者から告げられている。早急に弾丸を摘出しなければ命を落とす可能性が高い。


「そんな……」

「とにかく今は手術が成功するのを祈るしかない」

「優樹……ああ……」


 優里は想像以上の事態の深刻さに動揺する。特に凛奈は死の可能性があると聞くだけで、自分自身が心臓を撃ち抜かれてしまったように激しく取り乱す。


“どうしたの? ゆうちゃん”


“ママァ……うぅぅ……”


“よしよし、何があったの? ママに話してごらん”


 脳裏に浮かぶのは、かつて幼子だった息子の泣きじゃくる姿。優樹は些細なことですぐ涙する弱虫な男児だった。事ある度に母親に泣き付き、凛奈はよしよしとあやしていた。瞳に涙をいっぱいに溜めて、母親の温もりを求める姿が実に可愛らしかった。弱々しく甘えられると、精一杯守ってあげたくなるのだ。


“お母さん、ごめん……”


“大丈夫、最初からできなくて当然だから。少しずつ頑張ればいいのよ”


 テストで平均点以下の点数を取り、落ち込む中学生の優樹。凛奈は彼の頭を優しく撫でる。学ランに袖を通してからグッと身長が伸びたが、かつての弱々しい面影がまだ残っている。上手く飛べない雛鳥のように落ち込む息子はいつまでも可愛らしく、眺めていて全く飽きなかった。


“母さん、具合どう?”


“うん、だいぶよくなったよ”


“よかった……ご飯作ってきたよ。食べれる?”


“ありがとう……本当にゆうちゃんは優しい子だね……”


 凛奈が風邪を引いて寝込んだ日、優樹は手厚く看病をしてくれた。家事全般が苦手であるにも関わらず、母親の健康のために手料理を振る舞った。焼き魚は派手に焦がしており、野菜は歪な形で刻まれており、炊いたご飯も水の分量を間違えてお粥のようになってしまっていた。しかし、凛奈は息子の優しさを一つ一つ味わった。


 たった数秒で息子とのかけがえのない思い出が、走馬灯のように頭を過る。あれだけ母親に泣き付いていた弱々しい息子が、いつの間にか自身の背丈を追い越し、たくましい男子に育ってくれた。


「優樹……優樹……」


 しかし、無慈悲にも程がある現実が、大切な息子の命を奪おうとしている。これまで母親として全力を注いで息子を守ってきた。だが、親の手を離れて立派に成長したと思った途端、かつて経験したことのない命の危機が訪れた。自分より大事な命が消え失せてしまうかもしれない絶望感に耐えられなくなる凛奈。


「神様! お願いします! 私が身代わりになるから! 私があの子の代わりに死ぬから! だから優樹は……優樹の命だけは助けてください! お願いします!」

「よせ凛奈、そんなこと言うな」

「だって! だって……うぅぅ……」


 凛奈はいたたまれなくなり、自分の命をなげうってでも優樹を助けてくれと懇願する。流石に動揺しすぎにも程があると、陽真は凛奈の肩を掴んで押さえ込もうとする。

 自分が願ったことと同じことを、優樹自身が望んでいるはずがない。凛奈もそれは重々承知ではあるが、何も成せず待つことしかできない自分の無力さに絶望し、自暴自棄になってしまっている。




「……ごめんなさい」


 志乃は静かに謝罪した。自分も成す術がなく、優樹の無事を祈ることしかできない。だが、母親の泣き叫ぶ声を間近で聞いて、事の深刻さを嫌というほど噛み締めさせられた。この時期で現世から命を手放すには、彼を大事に思う人が多すぎた。

 そもそも、優樹が命の危機に晒されているのは、自分の呪いのせいだ。今自分の手の中には、黒ずみ始めた優樹の御守りが握られている。先月作ってもらった二個目の御守りも、早くも効果が途切れてしまっているようだ。


「志乃ちゃんが謝ることはないよ」

「いいえ……全部私が悪いんです……」


 優しく諭そうとする陽真の言葉を遮り、志乃は謝罪を繰り返す。そして、勇気を出して自身の呪いの事情を打ち明けた。自分に恋心を抱いた者が近日中に死を遂げること。優樹が呪いの事情を知りながらも、自分のことをひたむきに愛してくれたこと。そのせいで彼の命を危険に晒してしまっていること。


 苦しい胸を必死で押さえ、志乃は自身が背負わされた運命を語った。




「……つまり、あなたのせいなのね」


 ガシッ

 全てを説明し終えた途端、優里が志乃の胸ぐらを乱暴に掴む。先程の凛奈以上に取り乱し、怒りに身を任せて志乃に顔を近付けて睨み付ける。


「あなたの呪いのせいで……どれだけの人が命を落としたか……優樹まで巻き込んで……今更いっちょまえに罪悪感抱いてんじゃないわよ!!!」

「優里! やめろ!」

「許さない……優樹を……私の弟をこんな目に遭わせて……絶対に許さないんだから!!!」


 優里がらしくなく志乃を怒鳴り散らす。陽真が背後から腕を押さえて拘束するが、制御の効かない暴れ牛のように志乃に突っかかろうとする。普段は冷静で優樹のことを軽くあしらう彼女だが、本心では弟のことを心の底から大切に思っていた。

 いくら故意ではないとはいえ、危険と分かっていながら優樹と関わり、恋仲を結び、最終的に死の危機へと陥れている。最初は彼がしつこく接してきたことに対して、自分も全力で拒んでいた。だが、彼は今まで出会った男性とは違うかもしれないと高を括り、友達としての関係を認め、遂には恋仲にまで発展した。それがこの様だ。


 全ては自分の愚かな判断が招いた最悪の結果ではないか。自分から優樹の優しさに甘えておいて、今更罪悪感を抱くなどおこがましいにも程がある。


「ごめん……ごめんなさい……」


 なぜ今まで気が付かなかったのだろう。呪いの存在を打ち明けられたら、今の優里のように返ってくるのが世間一般的な反応だろう。優樹に思い切って打ち明け、受け入れてもらったことで感覚が麻痺してしまっていたのかもしれない。常識的に考えて受け入れてもらえるはずがない。


 志乃は改めて思い知らされた。とんでもない相手を自分の呪われた運命に巻き込んでしまったと。


「優樹君……死なないで……お願い……」


 それでも、今の自分にできることは、祈ることだけだった。呪いを消去する術は存在しない。自分の力では大切な人を救うことはできない。底知れぬ無力感に襲われた志乃は、泣きじゃくりながら優樹の無事を懇願した。瞳から溢れ出る涙が、病院の廊下の冷たい床を小さく温めた。


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