第48話「終息」
通報を受けた警察が次々と現場に駆け付け、藤川高校の前には数十台ものパトカーが停められる。凶悪犯を取り押さえる際に活躍する機動隊も駆け付け、校舎のあらゆる出入口を包囲する。
校舎外にいた生徒や一般客はすぐに保護され、正門の外に集まって校舎の窓を見上げる。あの中に殺人鬼がうろついており、今も校舎内に取り残された生徒達が命の危機に瀕していることを知り、恐怖で体を震わせる。
「浅野警部、お待ちしておりました」
「状況は?」
「ライフルを持った男が無差別に乱射し、校舎内を徘徊している模様です。既に犠牲者も出ているとの報告が上がっております」
パトカーから陽真が顔を出した。先に現場に到着していた部下から状況を伝えられる。上條は既に生徒を何人か射殺しており、今も標的を探して校舎内をうろついている。どうやら弾切れを起こした時のために、ライフル専用の銃弾を保持しているらしい。妙に銃の扱いに慣れている。事態は急を要するようだ。
「機動隊の突入準備、完了しております。いつでも出動できます」
「下手に突入したら犯人を刺激しかねない。説得に応じるか様子を見よう」
陽真は地面に落ちているチラシや看板を眺める。その中には、優樹のクラスが開催しているメイド喫茶のプラカードも落ちていた。元々仕事が忙しくて息子の文化祭に行く暇もなかったが、まさか事件現場として来ることになろうとは。しかも、外にいた生徒の中に優樹の姿はおらず、彼はまだ校舎内に残されている。陽真は唾を飲み込んで祈った。
「頼む……無事でいてくれ……」
* * * * * * *
上條のギロリと見開いた目は、確かに僕の姿を捉えていた。美術室の中を少々進み、テーブルの影に隠れていた僕の存在に気が付いたのだ。目と目が合った瞬間、僕は鳥肌が立った。もはや山中で熊に遭遇したとか、廃墟で亡霊に出くわしたとか、その程度の恐怖とは訳が違う。
「見ぃつけた……」
「あっ……あ……」
上條はニタリと笑った。その瞬間、僕は思い知らされた。この世で最も恐ろしい物は猛獣でも幽霊でもない。紛れもなく人間なのだと。
視界の隅で血まみれになって倒れている陽一君がいる。もはや彼は何も語ることなく朽ちていく屍と化している。僕も一瞬にしてああなってしまうかもしれない可能性が、今目の前で突き付けられようとしている。
「……!」
僕は一か八か、立ち上がって出入口へと駆け出した。上條は美術室を入り、正面から見て右側後方へと進んでいた。左側手前のテーブルに隠れていた僕は、残された希望の生存ルートへと足を踏み入れ、一目散に廊下を目指した。
「うひひひ……」
しかし、上條は僕に銃口を向ける。まずい……気付かれるのが早すぎた。この位置は余裕で射程距離に入っている。高速で飛んでくる銃弾を回避するなど不可能だ。
ヤバい……死ぬ……殺される……
待って……まだ……志乃さんに……
「優樹君!」
突如、扉から志乃さんが顔を出した。彼女は美術室に足を踏み入れた瞬間、手に握っていたものをこちらに全力で投げ付けてきた。それが何かを捉えようとする前に、僕はテーブルの影から飛び出し、腕を伸ばして掴んだ。
僕の両手に御守りが握られた。
「死ねぇ!!!」
ガッ
「なっ!?」
ドンッ!
「……っは!?」
轟音と共に放たれた銃弾は、僕の右頬を掠めて壁にめり込んだ。視界の隅で血が数滴宙を舞う。あと数センチほどズレていたら、一体どれほどの重傷を負っていただろう。僕は御守りを掴もうと飛び出した勢いで、バタリと床に倒れ込む。
倒れ込む直前、傾く視界で上手く捉えられなかったけど、上條も引き金を引く直前にバランスを崩した。彼の足元に落ちているひび割れたチーゴちゃんのキーホルダー……最初に美術室に入った時に、床に落ちているのを見つけた。上條はそれを踏んで手元と足元が狂い、銃弾の軌道がズレたのか。
“チーゴちゃんのキーホルダー、確か学校鞄に付けてあったはずやのに……どこ行ってまったんや……”
ふと、命拾いしてふわふわする頭に響く星羅さんの声。まだ彼女が志乃さんと友達になる前、どこかで失くしたと思っていたキーホルダー。それが今になってようやく見つかり、上條のバランスを崩すのに一役買った。
「……志乃さん、星羅さん、ありがとう」
「ええ」
僕は御守りを届けてくれた志乃さんと、数ヶ月前に助かるきっかけをくれた星羅さんに感謝した。御守りの力は本当に凄い。手に握った瞬間、数ヶ月前の何でもない出来事が巡りに巡り、今ピンチに見舞われた僕の命を救ってくれた。
「クソッ……ガキ共が……」
「はっ!?」
まずい、上條が起き上がった。彼は床に打ち付けた頭を抱えながら、鬼のような眼光を突き刺してくる。すぐさま体勢を立て直し、ライフルの銃口を真っ直ぐ向ける。僕の殺害を邪魔した志乃さんの方へ。
「や、やめろ!!!」
僕は志乃さんの前に立ち塞がり、両腕を左右に広げる。
「優樹君……」
「う、撃つなら僕を撃て! 彼女は撃たせない!」
上條は銃を構えたままこちらを睨み付ける。ここで彼が引き金を引いたら、僕は確実に銃弾で心臓を貫かれ、命を落とす。だが、僕が呪い殺されることはまだしも、志乃さんの命が危険に晒されることなど、何がなんでも起きてはならない。絶対に殺させはしない。この命に代えてでも守ってみせる。
「いいよ、お望み通りぶっ放してやる……死ね!!!」
バリンッ!
「え!?」
突如、廊下に面した窓ガラスが割れ、廊下から人影が飛び込んできた。丁度僕達と上條の間に割って入るように突っ込んできた。空中に舞う数多のガラスの破片で隠れて、姿をよく捉えることができなかった。窓ガラスが粉砕された音に怯み、次に目を開いた時に見た光景に、またもや度肝を抜かれた。
「グッ……今度は何d……」
「泰士君!?」
なんと、飛び込んできたのは泰士君だった。彼はいつぞやの勝負の時に着ていた剣道着を身に纏い、木刀を持って上條の方へ向かっていった。銃を向けている柄の悪い男に怯むことなく、勢いよく突進していく。
案の定、上條が引き金を引こうと指を引く前に、泰士君は瞬時に彼の背後に移動し、木刀を振り下ろしてうなじに強烈な一撃を与える。
「がぁっ……」
上條は意識を失い、床に倒れる。僕と志乃さんはあまりに素早い動きに圧倒し、その場に座り込む。
「優樹君、志乃、大丈夫?」
「ええ、ありがとう……」
泰士君は木刀を鞘に納め、優しい声でこちらに尋ねる。一瞬で危機を脱したことによる志乃さんの安堵の返事。
やっぱり彼には勝てないな……。泰士君が来てくれなかったら、僕は今頃射殺されていたかもしれない。その後、無防備になった志乃さんも巻き添えだ。命がかかっているからとはいえ、もう少し慎重に行動するべきだった。そもそも、志乃さんまで危機に晒されたのは、僕が御守りを忘れたからではないか。
「志乃さん、ごめん……」
改めて僕という人間がいかに無力な人間であるかを思い知らされた。
「優樹君も、ありがとう……私を守ってくれて」
「えっ……」
突然志乃さんが僕の右手に自分の右手を重ね、ぎゅっと優しく握ってきた。命を落としたかけた直後とは思えないほどの落ち着いた表情と、そして何より優しさのこもった綺麗な声で、僕は底知れない幸せに包まれる。こんな頼りない僕でも、志乃さんは恋人として認めてくれるんだ。
「う、うん……///」
「……」
僕は負けじと志乃さんの右手を握り返し、精一杯の笑顔を向ける。泰士君には申し訳ないけど、もう少しだけこの幸せを噛み締めていたいな。
「グッ……」
ふと、小さな呻き声のような声が聞こえた気がした。
「え?」
「危ない!!!」
ドンッ!
再び銃声が耳に飛び込んできた。鼓膜に強烈な痛みを感じ、耳を塞ぐ。次の瞬間に目に飛び込んできたのは、視界を覆い尽くすほどの大量の血渋きだった。そして、泰士君の白い剣道着が真っ赤に染まる。
「がっ……」
「泰士君!!!」
「いたぞ! 確保!」
泰士君が床に倒れると同時に、出入口から防弾盾や拳銃を持った大勢の警官が突入してきた。数名は僕達の回りを囲んで保護してくれて、残りの大半は上條の確保に向かった。彼が意識を取り戻し、振り絞った力で放った銃が蹴飛ばされ、美術室の隅に転がっていく。
「上條剛毅、強盗及び殺人の容疑で逮捕する」
「優樹、大丈夫か?」
上條は自力で立ち上がることができないようで、警官に腕を捕まれながら手錠をかけられた。父さんも美術室に到着し、床に座り込む僕に駆け寄る。父さん……来てくれてたんだ。僕と志乃さんは大丈夫。それより重傷なのは……。
「父さん! 泰士君が……」
「ああ、救急車が外に来ている。すぐに運ぼう」
「もう……手遅……れ……だ……」
すると、泰士君が苦しそうな声で僕達に告げる。泰士君は胸のど真ん中を銃弾で深く抉られていた。大量の血が溢れ出ており、目を背けたくなるほど痛々しい光景だった。
「私の……せいで……」
「違う……違うよ……」
血まみれの剣道着の上に志乃さんの涙が落ちる。いつの間にか泰士君の右手には、彼の御守りらしき黒い塊が握られていた。元の色が判別できないほどに黒ずんでいるということは、やはり効果が切れて志乃さんの呪いに囚われてしまったらしい。泰士君は自分を責める志乃さんを優しく諭す。
「俺が……勝手に……好きに……なった……だけ……だから……」
「でも……でも……」
だんだん弱々しくなっていく泰士君の息。この場にいる誰もがもう助からないと、今から救急車で病院に搬送しても手遅れだと悟っていた。まさかこんなタイミングで彼の死期が訪れてしまうなんて。諦めるしか選択肢が残されていない現実が非常に無慈悲だ。
「ああ……羨まし……な……優樹……君……君が……」
「泰士君……」
僕も志乃さんの隣に並び、彼の右手を握り返す。あれだけ志乃さんへの愛情を燃やしていた彼の手は、早くも凍り付いてしまったように冷たくなっていた。死という呪いが彼の体温を奪っていく中、無念だけをこの世に残していく。
「優樹……君………志乃……を……任せ……たよ……」
「ああ、分かってる。絶対に志乃さんを守るから」
泰士君は僕に微笑みかける。彼の志乃さんへの愛情も僕に負けないくらい強かったはずなんだ。一時期恋人という関係だったのだから。その関係を手放し、僕に後の使命を託す。どれほど辛く苦しい決断だっただろう。僕はその無念を強く受け止め、決意に満ちた心で返事した。
「志乃……優樹……君と……幸せに……ね……」
「泰士君……」
そして、泰士君はその笑顔を志乃さんの方へと向ける。志乃さんに負けないほどの大粒の涙が、彼の瞳の中で美しく泳いでいた。
「誰と……結ばれ……ても……ずっと……大好き……だよ……志……乃……」
その言葉を最後に、泰士君は息を引き取った。その死に顔はこの世で最大の幸せを手に入れたように、ため息が出てしまうほど非常に安らかだった。
「泰士君……ありがとう……ありがとう……」
志乃さんは嗚咽をこぼしながら涙を流した。ポトポトと溢れる涙が、泰士君の剣道着を湿らしていく。しかし、一度枯れた花は水をやっても咲くことはなかった。せめて、僕達は命尽きるまで全力で守ってくれたことへの感謝を伝えることしかできなかった。
こうして、突如発生した藤川高校銃乱射事件は、一人の心優しい青年の活躍によって静かに幕を下ろした。
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