第43話「生き抜く覚悟」



「だから、安心して……志乃さん」

「優樹君……ありがとう……」


 志乃さんは安心して僕に身を寄せる。僕は彼女を永久に守り続ける決意を固めた。そして、それは同時に自分の命を守ることでもある。今でも何の根拠もない決意だけど、大切な命には自分の命を持って応える。泣きじゃくる志乃さんと僕を、静かすぎる曇り空が他人事のように見下ろしていた。






「二人共、危ない!!!」


 すると、どこからか悟さんの叫び声が聞こえた。その後だった。迫り来る乗用車のライトに気付くことができたのは。住宅街にも関わらず猛スピードで突っ込んでくる。街灯が少なく、僕達の姿が視界に映っていなかったのだろうか。


「あっ……」


 回避しようと足を動かすも、今から動いても間に合わないことを先に察知してしまった。ズボンのポケットに入ったままの御守りが、何だか鉛のように重たく感じられる。

 取り出して確認しなくても分かる。もう柄を判別できないほど、全体的に黒ずんでいることだろう。御守りの効果は完全に切れているはずだ。そこへ来ての迫り来る死の運命。僕の揺るぎない決意を徹底的に叩きのめそうとするように、車のライトが僕達に覆い被さる。


 そんな……僕はまだ……




「……!」


 すると、何者かが真横から僕達を抱き締め、そのまま歩道へと倒れ込む。間一髪のところで車は僕達の真横を通り過ぎ、住宅の塀に激突して失速する。塀は車の走力で粉々に粉砕されるが、勢いを殺して車を止める。泰士君との対決の時と同じく、居眠り運転をしていたようだ。車が塀に衝突したことに気付き、慌てて車外に飛び出す。


「ハァ……ハァ……間に合った……」


 僕達を助けたのは、一人の女性だった。彼女は背丈が低く、体も弱々しいほど痩せ細っていた。年寄りだろうか。それなのに僕達を庇い、危ないところを救ってくれた。

 起き上がろうと地面に手を突くと、僕はいつの間にか右手に御守りを握らされていることに気付いた。橙色の綺麗な袋に包まれた御守りだ。僕が尾崎村で作ってもらった御守りじゃない。それは今もズボンのポケットの中だ。


「あなたは……」


 助けてくれた彼女の白髪に、僕ははっきりと見覚えがあった。




「確か、君よね? 優樹君って人は」

「泉さん!」


 僕達を助けてくれたのは、宇累泉さんだった。尾崎村で僕達を泊めてくれた初老のお婆さんで、大切な記憶を失う代わりに、一族が永久に繁栄するほどの巨万の富を得る『肝要健忘の禍』を受け継いだ女性だ。なぜ彼女がここにいるのだろうか。


「どうしてあなたが……」

「新しい御守りを届けに来たのよ。それと、これもね……」


 泉さんは起き上がって僕達に微笑みかける。もしかして、僕が今握っているこの御守りは、彼女が持ってきてくれたものなのか。すると、彼女は肩にかけていたバッグから、布のようなものを取り出す。よく見ると、それは若い男性が好んで着そうな薄手の黒いジャケットだった。そのジャケットにも、僕は大変見覚えがあった。


「これって、僕の……」

「返せてよかった……ずっと忘れててごめんなさいね」


 やっぱり、これは僕のジャケットだ。二ヶ月前、志乃さんと一緒に尾崎村に行った時に、僕が着ていったことを今思い出した。あの頃は確かまだ熱い季節で、泉さんの呪いを知った衝撃でジャケットの存在をすっかり忘れて、宇累家へ置いていってしまっていた。いや、そんなことより、どうして泉さんは僕にわざわざ御守りを届けてくれたんだろう。


「いえ……でも、この御守りは……」




「宮脇さんから頼まれたの」

「宮脇さん?」

「志乃さんのお父さんがね、もうすぐ優樹君の御守りの効果が切れる頃だろうからって、高信さんに新しい御守りを作るよう連絡してたの」


 悟さん……そんなことを依頼していたのか。呪いを消去しようと奮闘する僕に、あんなに反対していたのに……。だがそれはそれとして、御守りを作るには爪や髪の毛などの僕の一部が必要になる。僕は新しく提供した覚えはないのに、どうして二つ目の御守りが完成しているんだろう。


「あなたがこれを残してくれたから、新しく作れたのよ」

「これって……ジャケットを?」

「あなたが村を出た後に、このジャケットを忘れていることに気付いたの。洗濯して返そうと思ってたんだけど、私ったら記憶を失くしちゃって、ずっと押し入れにしまいっぱなしになってたの」


 泉さんの呪いが働いたせいで、ずっと返しそびれてしまう羽目になったというわけか。僕や志乃さんを家に泊めた記憶も失ってしまっていたわけだか、誰のものかも分からない上着が家に置き忘れてあって、ある意味怖い思いをしたことだろう。でも、ジャケットを忘れてくれたおかげで新しい御守りが作れたって、一体どういうことだろうか。


「もしかして……」

「不潔に思うかもしれないけど、ジャケットにあなたの髪の毛が若干付いていたから、それを使わせてもらったの。洗濯する前に高信さんが気付いてくれて本当によかったわ」


 なんと、あの時の失敗というかミスというか、偶然が巡り巡って新しい御守りを作れる状況を生み出していたらしい。御守りの効果が完全に切れた今、わざわざ尾崎村に向かうのはリスクが大きい。道中で命を落としかねない。手間が省けてよかった。僕を救おうと動いてくれている多くの大人達に感謝を述べたい。


「ありがとうございます……泉さん」

「いえいえ」

「悟さんも、ありがとうございます」

「あっ、ああ……」


 すぐそばの曲がり角から、間が悪そうにこちらを覗いている悟さん。彼も急に飛び出した志乃さんが心配で追いかけてきたのだろう。志乃さんの呪いを解く方法はない。それは覆しようのない事実なんだろうけど、彼女がこれ以上苦しまないような手立てを探すべく、父親として奮闘しているのは確かだ。

 現に悟さんが依頼してくれなかったら、二個目の御守りが作られることはなかった。僕が元気に生き延びることが、ひいては志乃さんの幸せに繋がる。僕も彼の期待に応えなくてはならない。


「志乃……」

「お父さん……」


 志乃さんは悟さんを見上げる。奥さんの命を犠牲にしてまで、呪いを受け継がせようとする陰湿な思考を持った彼だけど、その心の奥底には、誰にも負けない親の愛情が隠されていた。結果的に志乃さんが苦しむ未来を招いてしまったわけだけど、今までそれを望んで行動してきたわけではないことは、今の志乃さんなら理解してくれるはずだ。


「志乃にばかり辛い思いをさせてすまない。お前のためだと言っておきながら、俺のせいでお前がこんなに苦しんでいることに気付けないなんて……父親失格だな」

「そんなことないよ……私の方こそ、お父さんが思い詰めてるのに気付けなくて、ごめんなさい……ずっと私のために頑張ってくれてたのに、私ったら……」

「いいんだ……もういいんだよ……」


 親子は瞳に涙をいっぱいに浮かべながら抱き締め合う。この世に呪いなんてものが存在しなければ……そう願ったとしても、呪いが志乃さんにとってある意味救いになっていたことを考えると、やはり難しい。物事には恩恵もあれば代償もある。いいとこ取りなんてできないのが、世の中の性というものだろう。


「優樹君も、色々すまなかったな……」

「いえ、僕の方こそ……。でも、志乃さんを救いたいのは本心です。頑張って生きて、彼女を守ってみせます。友達ではなく、恋人として……」


 僕は志乃さんを愛しい眼差しで見つめる。僕達はもう恋人なんてちんけな関係で括れるほど単純ではない。僕達は恋人なんだ。相手のことがどこまでも大切で、お互い愛情という絆で結ばれたかけがえのない存在なんだ。これからも僕は挫けたり諦めたりしない。死の運命から真っ正面にぶつかっていく。


「ありがとう……優樹君……」

「うん」


 大丈夫。僕達はいつかきっと、幸せになれるはずだ。


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