第31話「不老不死」



「僕の名前は織田雄三おだ ゆうぞう。あ、これは偽名だけどね」

「えっと、初端から衝撃的なんですけど……」


 僕と志乃さんは親水公園のベンチに座り、男性の話を聞く。自己紹介を語るのに、初めに偽名を紹介する者がどこにいるだろうか。ここにいた。どうやら彼が自身を語るには、複雑な行程を踏まなければならない理由があるようだ。


「本名は日高六輔ひだか ろくすけっていうんだけど、もう長いこと使ってないからね」

「あの……織田さんって一体……」


 本名で呼ぶべきか偽名で呼ぶべきか迷ったが、迷う暇がないことは本能で察知できた。そもそも偽名を使うという非日常的な行為を必要とする生活から、彼が只者ではないことがすぐに分かる。きっと、これから更に理解不能な情報が明かされることだろう。小さなことで迷っている時間はなかった。




「僕は『不老不死ふろうふしやく』を受け継いでいる。つまり不死身の人間なんだ」

「ふ、不死身!?」


 思ったそばから、衝撃的なプロフィールが語られた。不老不死の厄。雄三さん曰く、志乃さんが持つ『被恋慕死別の呪縛』や、泉さんが持つ『肝要健忘の禍』と並び、四大呪詛よんだいじゅそとして語られている呪いの一つらしい。

 不老不死という言葉の意味は知っている。つまり、肉体が老いることも命が絶えることもなく、呪いを受け継いだ時の状態のまま、永遠の命を生きることを強いられる呪いだ。


「1902年頃だったかなぁ……確か24歳の時に呪われて、あれからもう124年くらい経ってるね。大体148歳くらいか」

「ひゃっ、148歳!?」


 僕は驚きのあまり鳥肌が立った。若々しい見た目と実年齢がまるで合っていない。不老不死という情報を除けば、大正時代から生きていると言っても信じがたいことだろう。どこをどう見ても、一般人男性にしか見えない。


「まあ、すぐには信じないか。でも、あんなに怪しい人達に近くで監視されてる一般人男性は、そうそういないだろ?」


 雄三さんが指差す先には、植木の影からこちらを覗くスーツ姿の男達がいた。先程の僕のようにこっそりと付けていた。サングラスをかけた強面がいかにも怪しく、通報されてもおかしくないほどの不審者だった。まるで、ハリウッドスターや政治家を護衛するボディーガードのような風体である。


「僕にも詳しくは知らないけど、不老不死の厄を管理する財団らしいよ。数百年に渡ってこの呪いを保持している人の一生を監視しているんだって」


 雄三さんが言うには、大学の卒業旅行で友人と熱海付近へ旅行に来た際に、繁華街から道を外れ、迷子になったことがあるという。人気のない森に建立されていた祠に偶然巡り着き、そこに供えられていた石に触れてしまったそうだ。

 数日後に命を落とすような大事故に襲われたが、瞬時に怪我は完治してしまった。何度か同じ経験を繰り返し、自分の体が不老不死になっていることに気付いたという。


「そしたら、自宅にあの強面の人達が押し掛けてきてね、僕の人生を監視するとか言い出したんだ。今はもう慣れてるけど、最初は驚いたなぁ」


 本人は呑気に語ってはいるが、自分の日常生活を途切れることなく監視されるなど、心が休まらないだろう。さらに一生死ぬことがないため、そんな窮屈な生活が永久に続くことになる。僕だったら精神的に耐えられない。まさに、人の心を生きたまま永遠に殺し続ける呪いだ。


「……って、僕の話ばかりしてもつまんないよね、ごめんごめん。早速行こうか」






 雄三さんは僕と志乃さんを連れ、バスで熱海駅へと向かう。市街は多くの観光客で溢れかえっており、大変賑わっていた。今日も駅前には旅館の送迎バスが停車しており、商店街には温泉まんじゅうや団子、煎餅などの和菓子の老舗が立ち並ぶ。各地から湯煙も上がっており、有数の温泉地であることを思わせる。


「せっかく熱海に来たんだ。色々案内するよ」

「あ、ありがとうございます……」


 バスを乗り継ぎ、僕は雄三さんの背中を追いかける。元々星羅さん達と巡るはずだった名所を、見ず知らずの男性と巡るという謎の旅が始まった。なんでこんなことになったんだろう……。

 志乃さんは一応知り合いではあるが、初対面の僕からすればちぐはぐな気分だ。「知らない人に付いていってはいけません」と注意していた小学校の担任の先生の顔が頭にちらつく。






「ここがアカオフォレスト……」

「熱海で有名なランドアートなんだけど、そこの草花がすごく綺麗なんだ」


 僕と志乃さんはチケット販売所の列に並びながら、雄三さんの説明を聞く。アカオフォレスト。東京ドーム約13個分の広大な敷地に、13種類のテーマ別の庭園が展開されている施設だ。

 僕らは園内バスで上まで上り、徒歩で下りながら各庭園の美しい草花を観賞する。本当は星羅さんと照也君も一緒に来るはずだったんだけどな……。


「凄い……」

「綺麗……」

「だろ? 熱海に来たらここは外せないよ」


 志乃さんはラベンダー畑に顔を近付け、芳醇な香りにうっとりする。その様がまるで絵画のような神秘性を持って、僕の瞳に映り込んでくる。余計な感情を抱かないように、僕も近くに咲いていた牡丹の香りを楽しもうと飛び付く。


「憂鬱な気分になった時は、やっぱり自然に触れるのが一番だよなぁ」

「憂鬱……」


 僕は雄三さんから何気なく放たれた言葉に反応する。彼の中では決して気軽に扱えない感情であろう。永遠の命など、一般的な感性からしてみれば夢のように思える。

 だが、自分だけがたった一人死ぬことも年老いることもなく、時の流れに置き去りにされたまま、永久に無気力に生きることを強いられるのだ。僕は彼の中の「憂鬱」を変に想像してしまう。


「ほら、あそこ、写真撮るといいよ」


 雄三さんが指差した先には、白く塗られた壁でできた小さな小屋が建っていた。中にはテーブルが置かれており、大小様々な大きさのキャンドルが並べられていた。開けられた小窓から木製の椅子や古時計、ランプなどの可愛らしい家具類が見え、自然の清涼感と一体化した内装に仕上がっていた。


「映えスポットってやつだね! 志乃さん入ってみなよ!」

「私?」


 僕はスマフォでカメラアプリを起動し、志乃さんに小屋に入るよう促す。志乃さんは小屋の中央に置かれた椅子に座り、小窓からスマフォを構える僕に顔を向ける。


「で、どうすればいいの?」

「何かポーズをとってみたら?」

「ポーズって?」

「えっと……」


 きょとんとした志乃さんの表情を前に、僕は返答に困る。彼女は写真を撮られる経験も少ないため、旅行の記念写真でどのようなポーズをとればよいかも想像する力がない。経験不足故に仕方ないかもしれないが、彼女を人並みに旅行を楽しむことができる人間として仕立て上げるのにも一苦労だ。


「とりあえずピースしてみて!」

「こう……?」


 僕はすかさずシャッターを切る。写真には、華やかな小屋の真ん中で一人、真顔でピースをする志乃さんが写っていた。まるで彼氏の趣味の旅行に、嫌々付き合わされた彼女の退屈さを表した一枚のように見えた。思い出の写真なのに笑顔が足りないよ。


「志乃ちゃんはもう少し愛想良くするとモテるのになぁ」

「モテてはいけませんから」

「それもそうか。ははっ」


 雄三さんが愉快に笑う。見た人の心を奪うことがないように、どこも知らぬ誰かの命を奪うことがないように、志乃さんは笑顔を見せることも許されない。その事実が実に気の毒で仕方なく、僕の中で彼女を憂鬱から解放させたい気持ちが次第に膨らんでいく。


 一体どうすれば彼女が大いに笑える日が来るのだろう……。




   * * * * * * *




「泉様、これから洗濯を致します」

「ありがとう、神野さん」


 その頃、尾崎村の泉の屋敷では、辰夫が今日もせっせと働いていた。新作の写真集を販売した泉も、しばらくまとまった休暇を取得することができ、自宅の落ち着いた空気を吸いながらのどかな休日を満喫していた。


「……あら?」


 辰夫が洗濯をしている間、泉は自室の掃除や物品整理を始めた。ふと、クローゼットから見知らぬ誰かの衣服を発見した。薄手の黒いジャケットだ。明らかに自分のものではない。若い男性が好んで着る代物だ。なぜか丁寧に畳まれて置かれていた。


「えっと……」


 ジャケットを手に取り、持ち主を想像する泉。頭の中で引っ掛かるものを感じる。先日、誰かが自宅に宿泊したような気がする。このジャケットの持ち主は、恐らくその宿泊客。一体誰が……。不鮮明な記憶が釣り針のように脳内に食い込み、言い知れぬもどかしさが喉に詰まる。


「ごめんくださーい、木原です」


 すると、玄関から村長である高信の声が聞こえた。泉はジャケットを再び畳み、ひとまずベッドの布団の上に置く。普段から来客は辰夫が対応しているが、彼は洗濯で手が離せない。泉は動きにくい着物姿のまま、小走りで玄関に向かう。


「えーっと……」

「忘れたんですか? 村長の木原高信です」

「すみません……」

「いいんですよ。この御守り、辰夫君に渡しておいてくれませんか?」


 泉は申し訳なさそうに頭を垂れる。肝要健忘の禍により、彼女は村長の存在さえも忘れてしまっていた。高信は笑って許すが、彼女は罪悪感を引きずる。


「はい……」


 高信は木箱に入った御守りを泉に手渡す。被恋慕死別の呪縛から身を守る御守りだ。志乃の呪いは彼女の美しい容姿を目の前で見ただけでなく、離れていても彼女の美しさを認知しているだけで発動する。故に、御守りは大量生産しなくてはならない。高信は日々御守りの生産に追われている。




「……村長、そろそろ俺のも新しいのを作っておいてくれませんか」

「ん?」


 ふと、高信の後ろから若い男性の声がした。新たな来客だ。




「……え、どうして……君が……」


 彼の姿を見た途端、高信は唖然とした。その日、尾崎村は衝撃的な出来事で騒ぎ立てることとなった。


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