蛸の街から

東雲聖

第1話

 仕事終わり、いつもの電車に揺られる帰り道。普段なら疲労感で吊革につかまる手がずり落ちてしまいそうになるこの時間だが、今日は違う。明日は有休を取得して地元に帰るのだ。それもただの帰郷ではない。一年に一回の大イベントが私を待っている。そのことを考えると、電車の窓から見える無機質な街並みも、ほんのりと暖かく色づいているようにさえ見えてくる。



 私の地元は、タコの生産地として全国的に知られている、北海道の八石(やついし)という街だ。八石の漁港はいつも活気に溢れ、毎日がお祭りのように人がごった返す。そしてその漁港の中心となっているのが、毎日数トンもの水揚げ量を誇るタコである。港に連れられてきたタコたちは、新鮮なまま市場に出荷され、その身を踊らす。新鮮で身のしまったタコの程よい弾力と甘みは、大胆ながら美しく繊細な芸術品と言っても過言ではなかろう。

 地元の人間はみな、そんなタコだけを食べて育ってきた。まさにタコ=ネイティブとも言うべき八石の人間のひとりである私であるが、進学を機に上京して食べたタコは、まるで異国の別の食べ物であった。東京のタコを否定するつもりは全くないが、それは根本的に違うものだった。居酒屋でなんだかよく分からないタコが出されると、ふと八石を恋しく思う。そんな瞬間がたびたびある。繰り返すが東京のタコを否定しているわけではない。八石のタコが特別で、唯一無二な存在、ただそれだけ。



 さて、私のタコに対する思いはひとまず置いておき、八石の一大イベント、今回の帰郷の目的について語らなくてはなるまい。タコの街・八石の最大のイベントは年に一度開催されるタコ祭りである。もう少し景気のいい名前を付けても良いとは思うのだが、昔からタコ祭りと言われているらしいので、タコ祭りはタコ祭りである。この祭りでは、広大な漁港の隅から隅までタコのグルメ屋台が作られる。タコを愛し、タコに愛された八石の人間が総出で屋台を運営する熱量たるや、日本全国のどんな祭りにも張り合えよう。趣向を凝らした唯一無二のタコ料理から王道のタコ焼きまで、様々な屋台が立ち並び、全国からやってくる何千人ものグルメを唸らせる。明日はそのビッグイベント、否が応にも気分は高揚する。

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