第2話
その日の夜、俺は気が付けば、毎分のようにスマートフォンのメールアプリを確認していた。先程追加されたアカウント「陽菜」の文字が視界の大部分を収めている。
……だって気になるじゃん。先輩、陽菜さんからメール来ていたら直ぐに返したいじゃん。
今日帰り道でばったり出会った可愛くて、美人で優しくて、それに趣味であるオタク話もできて、もし陽菜さんが彼女だったら、きっと毎日が最高な学園生活を送ることができるんだろう。
俺じゃきっと陽菜さんとは釣り合わないよな……
目つきの悪いこんなただのオタクじゃ陽菜さんにあらぬ疑いをかけてしまうかもしれない。
「陽菜さん……」
陽菜さんの可愛いすぎた笑顔を思い出して思わず名前を口ずさんでしまう。
ピロン
刹那、携帯が振動して音が鳴った。慌てて確認すると通知欄に「陽菜」の文字が浮かんでいた。
き、きた!陽菜さんからだ!
興奮しすぎて落としそうになるスマホをなんとか掴んでメールを開いた。
『こんばんは、陽菜です。今日は本当にありがとう!、それでお礼のことなんだけど、今週の土曜日って空いてるかな?』
届いたのはお出かけのお誘いだった。もちろん、あくまでストラップを拾ったことのお礼だということはわかっているが、それでも陽菜さんとお出かけできるのはめちゃくちゃ嬉しい。
というか俺着ていく服とかわかんねぇよ。やべ、陽菜さんに引かれないようにしないと……
俺は思考を巡らせながら陽菜さんに返信する文面を打ち込もうとして。
そういや俺、女の子とメールのやり取りするの初めてじゃね?これで大丈夫だよな?
『土曜日ですね。大丈夫です。よろしくお願いします』
よろしくお願いしますって何か違うような……でもこれが一番無難だし、それに返信が遅くなってもダメだし。覚悟を決めろ、俺!
今年一番の気合を入れて、俺は送信ボタンを押した。かつてこんな力一杯スマホを握りしめたことがあっただろうか。てか、手汗もやばいことになってるし。
ピロン。
『よかった〜 ありがとう! それで、土曜日なんだけど、○○駅に11時集合でどうかな?』
すると、陽菜さんから返信が返ってきた。返信を待ってていてくれたのかもしれない。
『○○駅ですね!大丈夫です!』
ピロン
『おっけー、それじゃまた土曜日に○○駅でね!』
『はい!』
そうして、携帯の振動は一旦ストップした。本当はもうちょっと会話したかったけど、陽菜さんに迷惑はかけられない。
土曜日……楽しみだなぁ、……そういえばどこに行くんだろ?
具体的な目的は今のやり取りには出てこなかった。でも。
陽菜さんとお出かけるできるならどこだって楽しいよね。もうこんなに浮かれてるもん。土曜日が待ち遠しいなぁ
「……何にやけてんの?きもいんだけど?」
そんな浮かれていた俺を冷徹な声音が貫いた。
こ、この声は……
俺は慌ててスマホを後ろに隠しながら振り返る。
「……美桜」
見慣れた幼なじみ、早坂美桜が少し膨らんだ胸の上で腕を組み俺に軽蔑の眼差しを向けて立っていた。肩にかかる程の長さの薄めの茶髪と黒い瞳、シンプルなワンピースを着ており、見た目だけをいえば普通に可愛い女の子である。そう見た目だけは。
「何かいいことでもあった?彼女でも出来たの?ていうか、何隠してんの?」
冷たい、無機質さを感じさせる瞳を向けたまま、美桜が後ろに組んだ手を指摘してくる。
あ、相変わらず鋭い。しかし、別に俺と美桜はただの幼なじみだ。え?なんでただの幼なじみが家に勝手に上がってるかって?それはその……
「まぁ、どうでも良いけど、煮物、台所に置いておいたから。それじゃ」
「いつもありがとよ」
「……勘違いしなで、雪音さんに頼まれているだけだから」
そう言い残して、美桜が部屋を出て行った。
玄関が閉まる音がして、俺はソファに座り込んだ。
別にバレたらまずい訳でもないんだけど、なぜか隠してしまった。
今日は煮物を持ってきてくれたのか。いつも助かっているんだけど、いつも取り付く島が無いんだよなぁ
そう、俺は今一人暮らしをしている。親が俺の高校入学を機に海外へ長期出張に行ってしまったからである。元々このマンションにも家族で住んでいて、親が出発する前にお隣で付き合いの長い、早坂さんに俺の事を頼んだらしい。それで、こうして幼なじみの美桜からお裾分けを持ってきてもらっているんだが、見ての通りのあの態度である。
昔はもっと仲良かったんだけどなぁ
台所まで行き、煮物を確認する。にんじんや里芋、こんにゃくなどの野菜と鶏肉で構成されたシンプルな具材で構成された筑前煮だ。
なんだかんだこうして作ってくれるのが、美桜の優しくところである。
俺は食事を終えると、録画していたアニメを見る事にした。陽菜さんも見ているらしく、「面白い」を共有できた作品だ。
この作品は異世界の騎士をテーマにした作品であひ、今日は決戦前夜の一夜がテーマになっている。それぞれ戦いに向かうキャラクター達の心情が描かれている回だ。
陽菜さんはもう見たのかな、い、いや意識しすぎだぞ俺。
一度抱き続けると理想や妄想は止まる事を知らない。人間とは欲深い生き物である。
もうすぐ春休みが終わりそうで憂鬱だったはずなのに、陽菜さんとのお出かけを想像するだけで、そんな曇りきった感情は、 気づけば澄み切った程に晴れ晴れとしていたのだった。
陽菜さんと出逢ってから、三日後の夜、俺は買い物袋を引っ提げて歩いているとマンションの近くで、紙袋を持った見覚えのある女性と目が合った。暗かったこともあり、一瞬誰だか分からなかったが、軽く手を振りながら近づいて来た彼女の顔の輪郭が見えてようやくそれが陽菜さんで合ったことに気がついた。
「お疲れ様須郷君。買い物帰り?」
「お疲れ様です。先輩は散歩とかですか?」
「そんな感じかなー、そうだ須郷君、これよかったら受け取ってくれないかな?」
「これは……なつみかんですか?」
「うん、おばあちゃんが送って来てくれたんだけど全部食べ切れなくて……もしよかったらどうかなって」
「そういうことならありがたく頂きます」
「良かった〜ありがとう」
なつみかんを受け取り、それから少しだけ陽菜さんとお喋りをした。なんてことはないちょっとしたオタク話し、今まで誰かとすることはなかったこんな何気ない会話がこんなに楽しいものだとは思わなかった。
そういや陽菜さん、もしかしてずっと待っててくれてたのか……いやそれは考えすぎだよな、たまたま運良く鉢合わせたってだけで。
「私、そろそろ戻るね、それじゃ土曜日よろしくね」
「はい、俺も楽しみです」
そうして夜に紛れるようにマンションに消えていく陽菜さんを静かに見送った。
それから土曜日までの数日間、俺と陽菜さんはメールを交わした。内容はそう、なんてことないアニメの話だったり、ラノベの話だったり、唐突に訪れた幸せな日々が無機質だった俺の人生を鮮やかに彩り初めていた。
気がつけば金曜日の夜になっていた。今日もいつものように、陽菜さんとメールを交わしている。
『私は今年3年生だから、本当に私の方がまだ先輩だったんだね』
『はい、自分は来年2年生なんで、勉強とか不安です……」
『もし良かったら私が教えてあげようか?』
『いいんですか!?3年生なら受験とかあって大変そうなのに』
『良いよ、結構復習になったりするし、勉強教えるのって以外と楽しいんだよ?」
と、こんな感じでメールを交わしていると、リビングの扉が開く音がした、ハッとなって振り返る。
案の定、美桜がタッパーを持って立っていた。
「楽しそうね、顔に出ててるわよ、気持ち悪いくらいに」
「あ、いやこれは」
何故か美桜にはこのやり取りを見られてはいけない気がする。なんとなくだけど。
「ちょっと面白い動画を見てたんだよ」
そう言って、なんとなく誤魔化そうとする。美桜は心底興味なさそうに「あっそ」と吐き捨てた。
「……ねぇ、この前くらいから妙に顔色いいけど、なにかあったの?」
「急にどうしたんだよ?」
「別に」
俺そんなに顔に出てるのか?確かにちょっと嬉しくなってニヤついていたかも知れないけどさ。
「別に興味ないけど、変な事に巻き込まれないでよ」
「本当にどうしたんだ?美桜らしくないぞ?」
「チッ、死ね」
えぇ……?、なんで俺暴言吐かれてんの?
明らかに不機嫌になってしまった美桜がズカズカと地面を踏みつけて、リビングから出て行った。
「あ、ありが——」
何はともあれ、今日も彼女が惣菜を持ってきてくれたのは事実だ。だから感謝はしてるんだけど。
その言葉は、強く閉められたドアが壁となって届くことはなかった。
まじで何に怒ったんだ?思い当たる節がないんだけど。
美桜が出て行って数分後、俺は再び陽菜さんとのメールを見ていた。どうやら今度時間がある時に陽菜さんが勉強を見てくれるらしい。正直俺はあまり勉強が得意じゃないから本当にありがたい。
というもの俺は中学の時の成績はそれなりに良かった。それで親の意向もあり少し背伸びして偏差値のある高校に入学した。しかし、元から勉強が好きでなかった俺は受験勉強で離れざるおえなかったアニメを見まくったりラノベを読みまくったりしていて、完全に置いてきぼりにされていた。
当然友達もいないので、誰かに頼れるわけもなく、途方にくれていたのだ。
まぁ、一年の時は担任の小町先生に色々とお世話になりながら進級は出来たんだけど。
『そろそろ予習に戻らなと……また明日駅でね、楽しみにしてるからね』
と本日最後のメールを交わした。陽菜さんは3年生でそれもきっと努力家の人なのだろう。むしろそんな人が俺なんかに構ってくれて大丈夫なのだろうか?いやめちゃくちゃ嬉しいんだけどね?
「明日は陽菜さんとお出かけかーというか完全に陽菜さん呼びになってる、いきなり名前呼びは失礼だよな……」
そんなことを考えつつ俺はスマホの電源を落とした。時刻は夜の10時前、寝るには少し早い時間帯だ。
たまには勉強でもするか。
なんとなしに春休みの課題プリントを取り出した。一応やるにはやったが殆どが赤色で、見るに耐えないレベルだった。
ひでぇーなこれ……
自分で自分の答案に苦笑しつつシャーペンとノートを引っ張り出して、椅子に座る。勉強は好きではないが、学生である以上避けては通れないものである。
「たまには頑張るか……明日お出かけできるしな」
プリントとノートを交互に見つつ手を動かす。しかし、やる気だけでは解けないのも勉強の難しいところである。頭を捻りつつ、それでも問題を解こうとする。
「ダメだ……わかんね」
しかし、一年生の勉強を疎かにした代償はしっかりと払われていた。
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