第6話 神隠しの証拠
(どうしてこうなった? もう滅茶苦茶だ。いったい僕の順風満帆な人生はこれからどうなってしまうのだろう?)
ゴールデンウィークにノリで高尾山に遊びに来たら天狗にさらわれてしまった。僕は基本的に後悔はしない主義だ。長いと錯覚しそうだが人生は短い。
そんな貴重な時間を、過ぎ去ってしまい解決しようもない事についてウダウダ悩み浪費するなんて愚か者か、人生を持て余している者がする事だ。もちろん極めて優秀な僕はそのどちらでもない。
自分の人生を振り返り昔の事を懐かしむのは
(マジでこなきゃよかった……どんだけ運が悪いんだよ)
しかし、今その固い決意と掲げた理想が揺らぎつつある。恥ずかしい事に鋼の信念を曲げここに来た事を後悔している自分がいる。全て目の前の化け物が悪い。
「
(ふざけんなっ。こんな訳わかんない事になって、口に出してもない心を読まれ、挙げ句の果てに小馬鹿にされる――こんな理不尽な事ってある? 早く家に帰ってお腹いっぱい唐揚げと照り焼きチキンを食べて全部悪い夢として笑い話にしたい。ああ。無性に鶏肉を食べたい気分なんだよ。僕はっ)
内心のストレスがついに許容値を超えもれ出た思いが口をついて出る。
「あまり僕を舐めない方がいい。僕が敵わない相手に素直に泣き寝入りを決める性格だと思うなよ……僕は殴られたら必ず殴り返す男だ。それにあなたはひとつ勘違いしてる。自覚が無い? まさかっ! 僕は自分の事が大好きだ!」
「尚、悪いわ。見苦しいっ。少しやる気になった儂の前に立っている事すら出来んくせに。大言を吐くのもいい加減にせい。こっちが恥ずかしいわっ」
正論を言われ一旦僕は黙るしかない。彼は言葉を続ける。
「それにお主が活躍出来たのは極々少数のあくまで貧弱な人間の中での話だろう? 今のお主じゃ儂は
そう言って愛宕は集落の中で放し飼いされている例の野良犬? を
彼の言葉を否定するため大きくあくびしている犬に向かって僕は、意気揚々と上下関係を仕込もうと肩を回しながら近づこうとした――――瞬間。
ぐりんっと首を回したその犬が僕を見た。不自然な沈黙。真っ赤な目を持つ犬と数秒見つめ合い僕は本能で悟った。あ。これ、無理だ。
(ど、どういう事だっ。足が
すぐに興味を失った犬がふいっと顔を背ける姿を呆然と見つめる。大切に育ててきたプライドが
「自分の立場という物が分かったか?」
「……鍛練もしていない者に対して
ニヤニヤしている愛宕と鳥人間の言葉で我に返る。
「とっ、とにかく。もう僕の事放っておいてくださいよっ」
「それは出来ん。儂はお主を死なせたくない。何も知らぬ
「死ぬとか意味が分かりません。なんか
「違う」
「じゃあ、どうして」
「……お主が帰れんのは門が閉じてしまったからだ。ここはお主が知っている人の世界ではない」
(門? 人の世界じゃない? いったい何を言ってるんだ……非常識だろ……)
実は予感があった。意識して考えないようにしていた事だ。
遠くから聞こえる巨大な複数の滝の音。無造作に群生している樹齢千年越えの大樹。時代から取り残されたような異形と天狗が暮らす集落。そして……消えてしまった人間とその
頭の中で見たくなかった現実の破片がチラつく。そして気づいた。今、僕はあれだけ毛嫌いしていた常識に
「すぐには認めん、か。まぁそうだろうな。分かった。この世界が違うという証拠をみせる。実際見た方が良かろう。うむ? だがまた少し山を登る事になるな……お主も色々あって疲れたのではないか? 明日にするか。儂はいつでもいいが――」
「……今、すぐに行きます」
僕は自分の弱さに気づいてしまった。そして自覚してしまったからには、もう逃げたくはない。僕の返事に対し愛宕のおっさんは少しだけ嬉しそうな表情で頷きを返した。
里で外せない用事があるという鳥人間に別れを告げ、愛宕が示す証拠を確認するために再び3人で山を登る。飯綱は別に来なくても良かったのだがなぜかついてきた。里には娯楽が無さそうだったので暇だったのかもしれない。
「次郎坊は剣術に秀でる
精神的にも肉体的にも疲労で口数が少なくなってきた僕を気遣うように山登りの道中、愛宕はよく喋った。
内容は門については一切触れず、彼等天狗についてである。おかげで僕は天狗博士にでもなれそうだ。
何ものにも縛られず自由気ままに暮らすイメージがあった天狗にも階級があるらしい。彼の説明によると愛宕達のように紅い瞳を持ち人間と変わらぬ姿を持つ大天狗を頂点として、小天狗の一種である烏天狗、犬……というか狼の姿を持つ狗賓と続くそうだ。
「また見つけた」
「……綺麗だね。ありがと」
急に目の前に現れた飯綱が手に持った青い花を僕に自慢する。先ほど……まだ事の重大性を理解する前にあまり見かけない花に
お礼を言えばその花を手に持ったままパタパタと走ってまた獣道を外れ何処かへ行ってしまった。愛宕も止めないので彼女にとっての危険は無いのだろう。根は優しい子なのだろうがやはりちょっと変わっていて不思議な子である。
そんな落ち着きのない彼女も実は他の大天狗の娘。愛宕との関係性は彼の
というのも彼等天狗は不老の存在で年を数える文化がない。身体の成長もある程度までは人間と同じスピードで育つそうだが一定まで育ってしまえば成長も止まり老化もしないそうだ。「うらやましい」と僕が
愛宕自身は僕と同じくらいの息子がひとりいるそうだが、それは極めて
現在、彼の里には飯綱とその息子くらいしか子供がいないのだと仕切りに
「と、見えてきたな。この場所は儂ら天狗が鍛練で使っている場所のひとつでの。登った先は崖になっていて見晴らしがとても良い。あそこに立って見ろ」
そんな話をしていればいつの間にか登山は
「……行ってきます」
愛宕が見せる証拠というものがこの世界の景色、全景である事は登山の途中でなんとなく察していた。開けた場所を避けるように進んできた事に加えやたら
そうだ。彼は僕が気づいている事にも構わず意図して少しでも見晴らしの良い場所を避けてこの場所を目指した。心を的確に読み一発で全てを理解させるために。
僕は「世界が違う」と他人に諭されて信じられる人間ではない。きっと相手が神さまであろうと自分の目で確かめない限り信じる事は無いだろう。
『自分の事は自分で決める』
付き合いは短いくせにこの天狗は僕の事を誰よりも深く理解していた。
だから僕はその思惑に乗る。彼の意をくみとり意識して周りを見ないよう、ただ目の前にそびえ立つ壁に集中した。この山登り、最初から彼と僕の利害は一致している。
(……ふぅ)
黙って足を動かし最後の難関を踏破する。よくみれば足場になりそうな場所は多く存在しているが登山の補助輪になりそうな人工物は何も無いため危険な事には変わりない。しかし、誰に問わずとも自分の求める答えがこの先に広がっている。ならば自分の足、自分の目、自分の心でその答えをつかみ取る。
たとえソレが自分の望むものでないという予感があろうとも――僕という生き物はそういう風にしか生きられないのだから。
1歩1歩。歩みは遅いといえど進めば必ず終わりがくる。疲労と緊張で汗だくになりながらも僕は最後に気力を振り絞り、その場所に立った。視界が開ける。
(――――ああ)
百聞は一見にしかず。頭でぼんやり捉えていた言葉の意味を、僕はこの日嫌というほど理解した。
目に映るのは現代の日本では見慣れない地平線の果て。光化学スモッグでぼやけた都心の空ではない。生き物の限界、視力の限り見渡せる
そしてそれら全て……世界の全てを覆うように広がった一面の緑。当たり前のように自然が支配する原初の風景。
現代では必ず目についた近代的な人工物など欠片も見当たらない。文明人が生きた証やその痕跡がここには存在しない。無意識に深く息を吸い込めば、汚染とは無縁な大自然の息吹が胸いっぱいに広がる。
僕は頭ではなく心で悟った。この世界の支配者は人間ではない。
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