第2話 エゴイストと老人


「そうだ。高尾山、行こう」


 高校2年生のゴールデンウィーク最終日――を前日に控えた夜。自室のベッドに横になり、どはまりしているソシャゲのガチャに爆死した僕はそのままスマホを放り投げる。そしておもむろに立ち上がって1人で宣言した。つけっぱなしのテレビからは手軽に登山を楽しめる山として高尾山を紹介する番組が流れている。


「限られている貴重な青春時代、ゲームに消費するなんて間違っている。登山。うんっ。とっても健全な響きだ。そもそもソシャゲなんてクソなんだよ。何が基本プレイ無料だっ。課金制? 思いついたヤツは人間じゃないね。悪魔の所業だよ。こんなん」


 僕は床に落ちたスマホを睨みつける。

 ついつい限度額を超えてかなりの金額を課金してしまった。夢中になると自制が効かなくなる僕のスマホには、課金できないようにパスワードによるロックが掛けられている。が、そんなものは通用しない。管理している母もあくまで同じ人間であり、現代においてパスワードなんてものはどんな場所でも求められる。無数の異なる暗号など頭の中で管理するのは難しく、設定する人間のパスワードの法則きめかたくせを理解してしまえば突破は容易い。パスワード管理アプリ? 知らないよ。そんなの。


「いや、でも……流石に今回はスマホを取り上げられるかも。5万はまずいよね。もしかして、去年みたいに今年の小遣いも無くなる? …………ま、今更どうしようもない。悪いのはさっきまでの過去の僕だ。健全な趣味に目覚めた今を生きる僕には関係無い。誤魔化して無関係を貫こう。それより明日の登山について考えよっと」


 見える場所にスマホが置いてあるとよくない事を考えそうなので、机の奥深くに厳重に封印して代わりにパソコンを立ち上げる。『高尾山』で検索すれば有名なだけあって様々な情報が目に飛び込んできた。


(へぇ。世界一登山客が多いって言われてるんだ。屋台も意外とあってお祭りみたいだ。すぐ近くには温泉まであるし至れり尽くせりだね)


 低い標高に舗装された道。並んだ出店に楽しそうな観光客と見晴らしの良い景色。登山など今の今までまったく興味のなかったが、目に映るポジティブで新鮮な情報にいやが上にも期待が高まっていく。

 次々に表示されるページに熱中した僕は、スマホの料金の事などすっかり忘れて明け方までただ綺麗なだけのネットの海に浸っていた。



 そして翌日。天気は快晴。時刻は昼過ぎの高尾山1号路にて。

 登山口でたまたま一緒になり、内心勝手にライバル視していた明らかに還暦をこえていそうなシワの目立つお爺さんが涼しい顔で僕を追い越していく。


「はぁ……はぁ……マジかよぉ」


 しっかり舗装されたアスファルトの道を登り始めてまだ30分もたっていない。しかしお爺さんに気力をごっそり持っていかれ思わず膝に手を突く。夜更かし気味で登る前から知らぬ内に体力を削っていた僕は、既にここに来たことを後悔し始めていた。


 最初は本当に良かった。動きやすい格好とスニーカーで電車に乗り込み移動する。都会の街並みからどんどん緑が増えていく様子は都会っ子でコンクリートの世界に慣れた僕には楽しかったし、降り立った高尾山口駅は特徴的なデザインで期待で胸も膨らんだ。

 駅からの道も迷わず楽なものだ。小さい子連れや老夫婦などが談笑しながら進んでいく流れに逆らわず何食わね顔でそれらについていけば、辿り着いたのは人でごった返した清滝駅前広場。


(よしっ。現地に到着。スマホの事は考えたくないから置いてきちゃって少し不安だったけど、まったく問題なかったな。にしても、だ。人が滅茶苦茶いる。本当にお祭りみたい。テンション上がってきたっ)


 繁盛している出店と楽しそうな人達の様子に心が躍る。清滝駅。高尾山にはケーブルカーとエコーリフトという便利なショートカットが存在していて、それが高齢者や子供など幅広い年齢層にも楽しめる一助となっていた。

 そして視線を広場の少し右側にスライドさせれば、最もポピュラーな登山コースである1号路の入り口がある。

 僕は迷わずそちらに足を進めた。


(600メートルもない大した事のない山だし、もちろん僕は自力一択。体力には自信がある。それに僕はあくまで登山に来たんだ。軟弱なケーブルカーなんて使ったらただの観光。それじゃ来た意味がなくなるもんね)


 かなり混雑している清滝駅と比べ、1号路の入り口はちょうど良い塩梅あんばいの人通りである。大きく一度深呼吸をしてみれば胸いっぱいに山の香りが広がった。

 

(――――ん? あのお爺さんは……)


 人混みの中、僕の目に周囲から少しだけ浮いた老人の姿が目に入った――よっぽど登山が好きだったのだろう。脇目も振らず一心不乱に1号路の道を進んでいる。


「――――うん。決めたっ。とりあえあず前を進むあのガチ勢っぽいお爺さんに現代の若者の力をみせてやるとするかっ」


 目の前をしっかりとした足取りで進む高齢者の姿を見つけ意気を上げスタートダッシュをかます。定期的にジョギングをして体力作りをしている自分の足を見せてやろう。

 僕は談笑する人々の間をくぐり抜け勢いよくお爺さんを追い抜いた。



「ちくしょう。こんなはずじゃ」


 足が重い。まるで水中で足踏みしているようだ。ふくらはぎが張っているのが自分でも分かる。坂道と平地の違いを完全に侮っていた。徐々に遠くなっていく老人の背中に必死に食らいつく。舗装されているとはいえ予想外の急斜面と特に見所のない同じような背の高い木が続く道のり。たまに休憩できそうなベンチを見かけるが大抵の場合……


「うわー。思ったよりきっついね」

「ヤバいヤバい。ここで休憩しよ」

「あっ。写真撮ろう」


「……」


 ベンチでワイワイと楽しそうにしている大学生のグループにメンタルもガリガリ削られる。ふと冷静になりその場で立ち止まってしまった。自分は貴重な連休の最終日にひとりでいったい何をしているんだろう。


(あの人達はきっと辛くても良い思い出になるんだろう――なのに僕ときたらひとりで話した事もないお爺さんに粘着して。人生で一度っきりの高2のゴールデンウィーク最終日を棒に振ってる……バカかな? むなしい。考えるのやめよ)


 自分の頬を張り気合いを入れる。ここで立ち止まっていても登山は終わらない。理由は何であれ自分でやると決めた事はやり抜くと決めている。自分の意思で関わる事を決めたのだ。そして僕は負けず嫌いだ。

 深く息を吐き出し気持ちを整え足を進める。重くなった足を意思の力で強引に持ち上げずっと遠くにボンヤリ見える老人に向かってラストスパートをかけた。疲労に抗い、風に逆らう不格好なストライドはとても見られたものではない。しかしその有り余るスタミナのおかげでみるみるうちに距離がつまり、その姿がはっきり目に映る。僕は一言、あの人に言ってやらなければ気が済まない事があった。


 荒くなる呼吸に構わず一気に追い越して彼の正面に立ち塞がる。どこか目の焦点のあっていないうっすら青白い輪郭を持つ老人の目を見つめ、大げさな身振り手振りを交えながら僕は話しかけた。


「はぁっ。はぁっ……ふぅっっっ。あのっ。こんにちはっ。今日は良い天気ですよね。絶好の登山日和だ。それにしても、いやぁ。しっかし凄いですね。実は僕、入り口から貴方の姿を見かけてここまで勝手に競争していたんですけど、負けました。完敗ですっ」


 目の焦点が僕に定まる。ここまで一度の休憩も挟まず異様なハイペースをを維持し、ただただ無感動に登り続ける機械に成り下がっていた老人の足が止まった。よく見れば彼の呼吸は一切乱れていない……まるで、生き物の生命活動に必須のその行為自体がもはや彼には必要がないように。


「これでもクラスで1番早いんですよ? 僕。いくら登山初心者とはいえその僕に勝つんですから……よっぽど好きんですよね? 登山。ベテランっぽいし。それともこの山、高尾山が好きだったのかな?」


 老人は何かを話そうとして口を開く。次の瞬間、彼の目が大きく見開かれた。恐らくもう言葉を発する事が出来ないのだろう。

 遠い昔、母に聞いた話を思い出した。


『ただ、ね。よっぽどの事情を抱えた人でない限り――――忘れていっちゃうの。良い事も。悪い事も。大切な人の事も……自分自身の事さえも』


 パクパクと開閉する口が自身に起こった異常事態に動転している様子を如実に伝えてくれる。きっと彼は人として生きていた時に当たり前に行っていた言葉の話し方を忘れてしまったのだ。

 助けを求めるように僕の目を彼は見た。自分自身の事だから彼が僕の瞳に何を見たのかは知らない。見つめ合っていた時間は本当に刹那の時間。動揺していた老人の動きが止まる。そして全てを思い出したかのように息を吐き出す仕草をした後――――先ほどの僕の言葉に対してだろう、一度だけ大きく頷く事で言葉を返した。


「まぁ、僕以外に見えてる人いないみたいだったんで。まだ青白いだしよく観察しないと普通の人とまったく区別がつかないから会話くらいは出来ると思っていたんですけど……ちょっとだけ残念です。思い出せたみたいで良かったですね。何があったのかは知らないですけど、次は迷わないで下さいね? 貴方はかえれるんですから。来世なんてものがもし仮にあったなら――その時は、僕に登山の事教えて下さい」


 僕の言葉を最後まで聞き届け、老人は笑顔で頷きを返した後まるで宙に消えるようにその姿を消した。


 この行動は完全なる自己満足だ。十中八九の確率であの老人は明日以降もこの高尾山で登山を繰り返す。

 霊能力者ではないただの高校生の僕は成仏させてあげたり、時間をかけて見ず知らずの老人の未練を取り払ってあげる事なんてできない。自分に出来るのは者に対して教えてあげる事。しかも言葉の通じそうな死んだばかりの者に限り、効果もほとんど無いときた。


 でも……たとえそうだったとしても。僕は彼を見つけた。そして行動を起せば、彼が正しいに戻れる可能性はゼロではなくなる。


 1%でも状況が良くなる可能性がありその場にいる自分にしか出来ない事があるならば――見て見ぬ振りをして知らない顔なんてできない。そんなのは胸がモヤモヤするし、何よりらしくない。

 もちろん僕は善人などではない。この行動はあくまで自己満足で傲慢なエゴ。自分らしく僕らしく。今後の人生、胸を張って気持ちよく生きていくために僕は自分の都合でお爺さんに関わる事を決めたのだ。


「うん?」


 シンと静まり返った周辺の様子に疑問を覚え、辺りを軽く確認してみれば遠巻きに頭のおかしい不審者を見るような通行人の視線が僕に突き刺さった。


「あ……こんにちはっ。良い天気ですねっ」


 手を上げて挨拶をしてみるが彼等は僕の言葉を完全に無視し、なるべく目を合わせないようにした足早にその場を立ち去った。見えない彼等からしてみれば僕は1人で虚空に向かって大きなアクションをとって話しかけている気狂い以外の何者でもない。


(やっぱり、スマホとワイヤレスイヤホンは必須だなぁ。アレがあればまだ電話中みたいに誤魔化せるのに)


「まぁ……これで急ぐ理由も無くなったし。のんびり景色を楽しみながら行こっと」


 一度だけ大きくため息をついて気持ちを整える。万が一にも先ほどの人達に追いついて気まずい雰囲気にならないように十分に間隔を空けた後、僕は再び登山を再開した。




 

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