あなたまで350キロ

@_naranuhoka_

子供のままで


まこっちゃん、と呼ばれていることに気づいた時から誠のことは絶対に渾名でも下の名前でも呼びたくないなと思った。わたしはひねくれているので、「そうやって誠に媚びている女どもと一緒だと思われてたまるか」と思ったのだった。

初めて行った飲み会で、誠はすでに女に囲まれていた。矢沢あいが描くマンガの男の子のような、前髪がちょんちょんすぎるけど大きな黒い目が愛くるしくてちょっと猿っぽい感じ。たぶん小中が一番もてたんだろうな、と思った。

けれど、誠いわく「いや、いつでもいまがマックス。高校の時も大学の時も『ここがマックス』って思ってたけど、全然俄然いまだわ」とのことだ。

その誠が個人ラインで「飲もう」と言うので、当時勤めていた新宿三丁目を指定したら激安のチェーン店に連れられた。そのときに、そう言って快活に笑ってみせたのだった。

「あなたみたいなのがいっちばん、嫌い」と睨むと、「**ちゃんは敵だらけだなあ」と鷹揚に笑った。とろっと垂れた目尻は、いかにも女にきゃあきゃあ言われそうなまろやかな曲線を描いていた。

「でも俺明るそうとか言われるけど、本当は超根暗だよ? 失恋したらすげーいつまででも落ち込むし」

「ばかじゃないの、そういうのが一番もてるんだよ」

「まあそのへんは確かに否定はできないけど、言うほどじゃないよ。だって俺童貞だもん」

思わず顔を上げると、誠は真面目な顔で「いや、ほんとよコレ」と串焼きを横にしていーっと口で抜き取った。トウモロコシのようにずらりと歯が並んでいる。 「うそでしょ?彼女いたことないってこと?」

「あるけどいつもするところまでいかないねえ」

「ばっ」かじゃないのと言おうとして止める。「それもう言ってるからね。ばかって」と誠が丁寧に拾う。

「意外すぎるギャップっしょ?言っとくけどあんまり人に言ってないからね、これ」

あんたのルックスだったらむしろ売りにできるのに、と喉まで出かかっていたけれどすんでで言わなかった。

「ふうん。本当に意外。たぶんみんな信じないね」

「むしろ遊んでるふうに見られることの方が多いからね、俺。マジで損だわ〜」 ケラケラ笑って今度はうずらの串を口で取る。連れてこられたのが鳥貴族だったので「あ、この人わたしに気がないんだな」と解釈していたけれど、今になって「本当に、恋愛のセオリーとか知らない人なのかもしれないな」と思った。

「**ちゃん、誰とでも遊ぶ方?」誠がふいに正面からわたしの目を捉える。 「うん」

「ふうん。童貞としたことある?」

「うん」

「彼氏?彼氏じゃない人?」

「まあ色々」

「今日家行っていい?」

「は?」

「俺、実家暮らしなんだよね。終電、普通に早い。あと40分くらい」

普通にあきれた。確かに自分の終業時間に合わせて「21時スタートで」と指定したのはわたしだけど、それならそれで休日にするとか向こうの実家寄りの場所にするとかいくらでも融通は聞かせられたのに。

「ごめん」

「こういう手口で、いつも女の子の家行って、結局してるんじゃないの」

すっかり疑心暗鬼になっているわたしは勘定を済ませようと端末に触れようとした。

「違うって。ごめん、本当そういうつもりはないんだけど、嫌なら俺、ホテルとるから」

「なにそれ。何なの。意味わかんないよ……」

女子人気ナンバーワンの「まこっちゃん」直々に「サシで飲もうよ」と誘われて多少浮かれて出てきて、顛末がこれなのか、と思うとがっかりした。これ、あのコミュニティの中でわたしが最初とも限らないな、と思うとますます気が滅入った。絶対帰る、と思った。それに今日は平日だった。

「ごめん」

誠はすっかりうなだれ、しょぼくれていた。

「家行っていい、って『やらせて』以外にどう解釈したらいいの」

「『屋根貸して』?」

ばっかじゃないのと思ったものの、聞くと彼の家は和光市にあって確かに帰るのは若干気だるい距離だった。

「うち、引くほど寒いよ。暖房、全部天井行くから」

「うん」

「あと客用布団ないからラグで寝て」

「うん」

「寒いから一緒で寝ようっていう手口はすでに散々断ってきたから諦めて」 「うん」

さして利便性に富んでいるわけでもないうちの最寄りへ向かい、シャワーを貸し、歯ブラシを与え、薄い毛布を渡して自分はロフトに上がった。暖房は気持ち強目につけてはいるものの、床にじかに引いたラグで寝ていたらこたえるだろうなと思った。

「**ちゃん」

「何」

話しかけられ、嫌な予感がするな、と思った。はしごに登ってこられたら、本当にかったるい。この人としたいしたくないという問題ではなく、普通に勤務で疲労していた。

「怖い?」

「え」

なんか不穏なんだけど、と言うと、笑う気配がした。

「ごめん。女子からしたら、童貞だとしても、怖いは怖いよな。無理に泊まってごめん」

「いいよ。さっさと寝よう」

んだね、と誠が押し黙る。

「ごめん。人恋しくて家、ついてきた。そういうこと目的で来たわけじゃないから、本当に」

「女の子みたいだね。そういうときあるよ」

 そして、思い切って続けた。

「今日、わたしじゃなくても良かったんでしょう?」

 誠は何も言わなかった。沈黙は正解だ。いつだって。 「別に怒ってはないよ。がっかりはしてるけど。でも、誰も好きな人がいないときって、自分の軸がないみたいで、不安定な気持ちになるよね。わたしもそういうのあるよ」

「……**ちゃんって、おとなだね」

「誠よりは遊んでたから」

「だろうね。正直、羨ましいよ。今日声かけたのも、下心って言うよりもやっかみの気持ちが強かったかも」

みんなに愛されている人は自分を見ていない人間をこっちに向かせようとするからね。そう言おうとして、口をつぐむ。

誠は5時半に帰って行った。「ごめん、ありがとう 助かった」と書きつけたレシートが置いてあり、わたしはそれを紙飛行機に折ったあと、飛ばさずに捨てた。 誠が来るのがわかっているから、それからは飲み会に参加していない。  

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