スライムさんは温泉にはいりたい

志雄崎あおい

第1話 スライムさんは温泉にはいりたい

「ここが日本。おじいちゃんの生まれた国なんだ」


 成田空港。日本を代表する国際空港であり空の玄関口に降り立ったわたしは感動に包まれていた。


 わたしの名前はモモ。丸っこいゼリー状の体が示すとおりスライムである。

 体の色がピンク色だったので日本語でピンクを意味する桃色からモモと名付けられた。そう、名前からもわかる通りわたしには日本スライムの血が入っている。


 アメリカ生まれのアメリカ育ち。しかし祖父が日本の生まれなので、わたしは日系アメリカスライムという事になる。


 わたしは今大学の夏休みを利用して祖父の故郷である日本を訪れていた。


「すみません、立ち止まらないでください」


 空港の職員のお姉さんに遠慮がちに声を掛けられてわたしは慌ててノソノソと歩き出す。いくら感動的と言っても到着ゲートで立ち止まっていたら迷惑だ。


 わたしはすぐに荷物の受け取り所に向かうと流れてきたトランクを受け取る、というか覆いかぶさるようにガバッと体を広げて体内に取り込むと到着ロビーを後にする。


 とりあえず目的地へのアクセスを確認する為に案内板などを確認してみるものの、来る前にシミュレートしていたのと実際に来てみるのではかなり勝手が違う。


 わたしがうーむと考え込んでいると、


「何かお困りですか?」

「駄目です、取材NGですっ」

「はい?」

「あ、いや……」


 思わずたじろぐ。てっきりテレビ局の取材かと思ってしまった。昨今の日本では外国人に何をしにきたのかを訊ねる番組などが流行っていると噂に聞いていたものでつい。


 よくよく見ればそんな事はなく声を掛けてきたのは先ほどの空港の職員のお姉さんだった。

 わたしが困っている様子だったので声を掛けてくれたらしい。


「スライムのお客様は非常に珍しいのでちょっと気になってしまって」


 プラス物珍しさからだった。

 そう言えば空港を見回してみてもわたし以外のスライムの姿が見られない。

 通り過ぎる人達の中にもわたしの事をチラチラと見る人もいるし、先ほど荷物を取り込んだ時になどは周りの人達はまるでモンスターでも見るかのように死ぬほど驚いていた。


 日本は世界の中でも有数のスライム不毛の地と聞いていたけどその話の通りのようだった。そもそも住んでいるスライムがほとんどいないしスライムが選ぶ行きたい観光地ランキングでもぶっちぎりのワースト。


 わたし達スライムが生まれたのはおよそ百年前。


 その時は世界全体に均等に分布していて日本にもスライムが居たが、その後のスライム大移動でスライムが暮らしやすい環境の国にスライム達が次々に移民していった結果日本にはスライムがほとんどいなくなってしまった。


 ちなみに、わたしの祖父も日本で生まれてスライム大移動でアメリカに移住したスライム移民である。


 スライムは湿気に弱い。

 特に温度の高い湿気の中にいると体がどんどんぶよぶよになっていき丸い形を保つのに苦労する。高温多湿な環境がスライムを遠ざけるのに加えて、スライムにとって魅力的な観光資源も乏しい日本はいつの間にかスライムに優しくない国という風評が広がりスライムがほとんどいない国になってしまったのだ。


 実際は高温多湿と言っても体が溶けてしまう程ではないし、空調設備もスライム大移動の頃に比べてしっかりとしているのでどこで暮らそうが特に問題はなくなっている。


 しかし一度ついてしまったイメージはなかなか払拭するのは難しいのだろう。

 わたしが祖父から聞かされた日本の話はどれも素敵なものばかりだったけど。


「それで、どこに行くつもりなんですか?」


 空港のお姉さんに訊ねられてわたしは思考を引き戻す。ネットで調べたホームページをプリントした紙を体内から取り出すとそれを見せながら言った。


「群馬県の葛湯温泉という所に行きたいんです」

「葛湯温泉?」

「はい、日本には温泉に入りに来たんです」


 そこは祖父の話に何度も出てきた場所だった。祖父が日本に居た時に暮らしていた場所。豊かな温泉郷でそこで祖父はそこでよく温泉に入っていたものだと懐かしげに話していた。


 まだ小さかったわたしは祖父の話に目をキラキラと輝かせていた。しかし、わたしがその事を話すと周りの大人たちもみんな祖父が嘘を言っているのだと決め付けていた。


 それもそのはずでスライムはお風呂に入れない。


 先ほども言った通りスライムは湿気に弱い。特に高温の湿気に弱く。熱いお湯に浸かるなど論外。温泉になど浸かろうものならきっとスライムはドロドロになって体の形を保つ事すら出来ないだろう。


 なのでスライムの入浴と言えば冷たい水を使った水浴びを行うのが常識だった。だから今ならあの大人達の反応も理解できる。


 しかし、でもという思いはずっと消えなかった。

 それは祖父が亡くなった今もずっと心の中に残っていた。もし、祖父の話がもし本当ならばスライムにも入る事が出来る温泉があるという事だ。


 お風呂に入るのは全スライムの夢といってもいい。


 ふとその話を思い出してから、わたしは居ても立ってもいられなくなってついに日本まで来てしまった。

 さぞや有名な温泉地なのだと思っていたのだけど。


「ちょっと聞いた事がありませんね。草津温泉じゃなくて?」


 空港のお姉さんはちょっと困った顔をする。わたしが改めて「葛湯温泉です」と伝えると、


「ちょっと待ってくださいね。同僚に群馬出身の子がいるのでちょっと訊いてみますから」


 そう言うとインカムでしばらく会話をした後、再びわたしに向き直った。


「あの、どうでしたか?」

「はい、葛湯温泉という温泉地は確かにあるみたいです」


 ちゃんと葛湯温泉は実在するらしい。わたしがその事にほっとしていると、


「ただ――」


 言葉尻にそう付け加えると空港のお姉さんは表情を曇らせる。


「ただ?」


 わたしが怪訝に体を傾けると空港のお姉さんは言いづらそうに言った。


「もう大分前から温泉が出なくなって、葛湯温泉は温泉地としてはすっかり寂れてしまっているみたいです」

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