第3話 放課後、ガラスの靴的な


 朝起きて枕に突っ伏しながら、ベッドを両手でボスボスと叩くユウ。


――婚約の話で吹っ飛んだけど、脱退の話がメインだった!


 なんとなく再度は言い出しにくい雰囲気になってしまったし、やっとメンバーが全員揃ったところで脱退というのは空気を読んでない気もして、とても言いづらくなったのは間違いない。ユウは生粋の日本人気質なので協調性がありすぎるのである。


 騙されたとはいえ、宇宙法的にはこの婚約は合法らしく、キスまでしちゃってたらねえ……とピチュピチュとさえずりながらアルフォンスが言っていた。どれだけ吹き出しまくっているのか。普段、野太い声のくせに、「ピチュ」だけはしっかり普通の小鳥の声というギャップが如何ともしがたい。


 さてそんな感じで爽やかさの対局の目覚めを迎えたユウではあるが、それなりにテキパキと学校に行く準備を整えると、母にポイラッテを投げ与える。ぎりぎりまで学校に連れて行って欲しいとゴネていたが、揉むと更に柔らかなくなるらしいと母に伝えておいた。これぐらいの復讐は許容されるべきだと思う。あれはユウにとっての記念すべきファーストキスだったのだから。

 思い出すと何となく腹が立ってきたので、ほっぺをグニーと引っ張るとよく笑うようになるというのも追加で言っておけば良かったと思う。そんな取り留めのない事を考えながら、いつも通りにバスを使って一人で登校する。妖バグさえ出なければ平和なものである。


* * *


 クラスメイトに軽く朝の挨拶をして担任の大塚のおしゃべりがメインのホームルームも無事に終わり、一限目までの休憩時間に隣の席の鈴木が小声て話しかけて来た。


「なあ、さっきの気づいた?」

「さっきのって?」

「先生の左手の薬指」

「知らない、何かあったのか」

「あれ婚約指輪じゃないかな」

「すごく目敏いな。俺は気づかなかった」

「はぁ‥‥…あのたわわなメロンもついに人の物か」

「先生に対してそれは失礼だろう」

「多田は真面目だなあ。でもそんな事言って、ショックを受けているんじゃないのか? おまえ巨乳ちゃん大好きだろ」

「そ、そんな事ないぞ」


 頬を赤らめて目を逸らすが、実際にユウはそれほどショックは受けていない。その証拠に忍法さしすせその術は微塵も乱れなかった。

 そりゃあ胸が大きいのは大変魅力的ではあるが、それは健全な男子高校生の嗜好のひとつであって、そういう部分に魅了されるのもやむを得ないといったところ。だからといって先生の恋人になってあれを独り占めしたいとか、堂々と毎日触れる存在になりたいとか、妄想で一度も考えた事が無いと言ったらウソになるが、ショックを受ける程でもない。

 そもそも生徒と教師である。彼女からしても、自分は目立たない生徒の一人でしかないだろう。


* * *

 

 「平和っていいなあ」と外を眺めていたら、この日の授業は全部終わっていた。妖バグのニュースが出ない日々を自分が作ったのだと思うと誇らしい気持ちでいっぱいである。

 しっかり授業を聞いていなかったので、おそらく次のテストも思わしくない結果が出るであろうが、あまり成績についてとやかく言われる家庭でもないためこの日はぼんやり妄想メインで過ごしてしまった。

 ただあまりにも順位が下だと悪目立ちするので、密やかに過ごしたいユウとしては中の下ぐらいを維持したい。勉強が嫌いなのではない、あくまで高校生活を目立たずに過ごすためである! と言う事にして己を納得させる。でも明日はちゃんと授業を聞こうと決意もした。


 クラスメイトの帰宅の波が落ち着くのを待ってから鞄を持ち、廊下を歩いていると、空き教室から担任の大塚の声がしたような気がして、そっと隙間から覗いてみる。

 彼女は耳元に当てていた手を下ろすところだった。


――大塚先生、こんなところで私用電話……?


 そのまま静かに窓の外の景色を見る姿は、やや哀愁を湛えており大人の色香を漂わせる。普段は快活で、男子学生を軽くあしらう担任の、普段は見かける事のない愁いを帯びた表情をのぞき見してしまった事に、なぜだか罪悪感が沸く。

 ユウに見られている事に気付かない大塚は、思い立ったように静かに左手を口元に添えると、薬指に口づけた。

 そこには指輪が見える。


――ああ、鈴木が言っていた婚約指輪ってあれか。

 とは思いつつも、それは婚約指輪らしからぬ黒い色をしている気がする。


「はぁ……ブラックアイパッチ様……次はいつお会いできるのかしら」


――ブラックアイパッチ?


 人名としては耳馴染のない。ストレートに黒い眼帯をしている人、という事にしてもネーミングセンスが壊滅的であると、ユウは過去の己を棚に上げた。今の彼ならそういう人物に二つ名を与えるとすると”黒眼帯の稲妻”や”隻眼のカラス”というように捻りを加え、あえて漢字のままにするであろう。


 ドアの隙間から顔を離すと、鞄の中からユウは自分の眼帯を取り出した。顔を隠すためのアイテムとして使う事になるからと持ち歩いてはいるが、使う機会が一向に思いつかない。でもこれを装備するとカッコよくて気分はとても上がる。海賊みたいなアウトロー感がたまらないのだ。正義の味方だけどアウトロー。グッとくる。時代はダークヒーローではないかとも思ったりもして。

 そんな事を考えながらわずかに身じろぎをしたとき、ゴム底の上履きがキュッと高い音を立てた。


「……っ誰かいるの!?」


 眼帯を手に妄想に耽りかけていたユウは「忍法:隠密の術(足音がしないように上履きを脱ぐ)」をし忘れていたことに気付くと、慌てて眼帯をポケットに押し込み……そこねて廊下に落としたのも気づかず、その教室の前から走り去る。脳内で「忍法:逃げ足の術!」と唱えると、自然と足音を立てずにシュタタタと軽やかに走る事が出来るのだ。不思議だが、多田家忍法だからこそ出来る技である。


 大塚が教室の扉を開けた時、廊下には一切の人の気配はなく、夕焼けの光線が窓枠に切り取られるシルエットの羅列が長々と続くだけ。


「気のせいかしら……でも確かに誰かいた気がするのだけど……?」


 数歩、前に出た所で何かが足に触れた。

 濃い影の中に溶け込んで危うく見落としていたそれは、黒い眼帯。


「こ、これはブラックアイパッチ様の……!?」


 手入れされた美しい爪の指をすっと伸ばして拾い上げる。


「まさか彼はこの学校の生徒」


 驚愕の真実に大きな衝撃を受けた大塚の頭部に、地球人に擬態して隠していたはずの二本の触覚がぴょこんと飛び出して揺れた。


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