祈卒

lampsprout

祈卒

 僕は今日、人間を卒業するんだ。

 とうとう僕は、望んできたヒトになる。


 この社会では、ある程度の年齢になれば生身であるかどうかを選択する権利が与えられる。政府は機械のカラダ、俗にいう『ヒト』を推奨しており、脆弱な人間を卒業するのだというキャッチコピーを大々的に打ち出してきていた。そのほうが政府には都合がいいのだろう。

 機械のカラダを手に入れれば、老いる速度は途方もなく遅くなり、病気にも罹らなくなる。そして何より、プログラムに基づいた合理的な思考回路が優先されるようになる。

 僕は何年も前から、この年になればそうすることを決めていた。

 正しくあろうとして捻じ曲がっていくような、不合理なことを辞めたかった。


 脳を改造移植して、新しいカラダを手に入れる。僕がそう告げたとき、親友の彼女は何も言わなかった。……いや、『そう』という返事はしていた。でもそれだけだった。

 昨日最後に会ったときも、あっさりした会話しかしてくれなかった。少し気取った話をしたがった僕のことなんて気にもしていなかったみたいだ。


 ずっと前、何度も何度も話しているうちに、突然親友になろうと持ちかけられた。まあ僕としては、既にそんなつもりだったけれど。ちゃんと軽く了承してその日は別れたはずだ。

 あれから一度も、彼女からあの話はされない。……忘れているのだろうけど、結局ずっと親しくいられた。


 じゃあね、と軽く手を上げた、いつも以上に聞き分けの良かった彼女。昨日のあの様子に、今もほんの少し後ろ髪を引かれる。

 引き留めないの、と聞きたくなった。だけど、それはあんまりに意地が悪い気がして、止めてしまった。


 カラダに乗り換える僕の信念とは逆の考えが彼女にあることは知っていた。彼女の夢は、いつか遠い星へ旅することだ。そのためなら、孤独も冷凍状態も厭わないと言っていた。僕はこんな星でも彼女がいるのならずっと暮らしたいけれど、彼女は違うらしい。


 これほど科学技術が発展しても、僕たちは未だ太陽系外へ移住することができていない。何万光年、何億光年という距離を解決するほどの発明が成されていない。だけど、カラダなら何とかなるのでは、という仮説も多く提唱され始めている。僕も概ね賛成だ。

 それでも、彼女は自分の肉体に拘った。何より電脳化することを嫌っていた。強靭なカラダは便利だろうけど、脳までも切り替える気は起きないそうだ。……ただ残念ながら、僕には感覚の理解が追いつかない。


 簡素な病衣に着替え、担当のロボットたちに誘導されながらカプセルに入る。恐らく麻酔装置だろう。そして、寝心地なんて露も考えられていない、固く薄手のマットレスに横たわる。

 煌々と輝き出した明かりに、瞼の裏まで焼かれている感覚。最早目を閉じているのかどうかも分からないほどだ。徐々に意識が揺らぎ始める。


 再び目を覚ました僕は、きっと、いや確実に将来の彼女を引き留めない。

 それが今の僕でもわかる、人間を卒業した僕にとっての合理的な結論なのだから。



 ◇◇◇◇



 私はいつか、この星の住人を卒業する。この夢は、彼にはきちんと話していないはずだ。


 カラダを手に入れる、彼の夢を邪魔しようとは思えなかった。親友なら笑って送り出すべきだ。それが合理的で正しい判断だ。

 私なんかに、彼の貴重な計算資源を割いてはいけない。そんな余裕があるのなら、もっと大切な何かを考えてほしかった。私なんか、蔑ろになって当然のはずだった。昔の私がした、荒唐無稽な頼みごと。


 彼からすれば、大勢と会話する一環だったのに突然見当違いなことを言われて、いい迷惑だったはずだ。良い人ならまだしも、友達などいた試しのないこんな偏屈者。

 だというのに、なんだかんだと10年近く親しくしている。1番旧い親友になってしまった。勿論それ自体の後悔はしていない。

 ……そんな私でも、おめでとうとは言えなかった。もっと別のことなら、嘘でも祝福してあげられたのに。


 この世の中では、彼と同じ選択をする人も珍しくない。ただ、私の夢と違っているだけだ。か弱い人間を卒業する、そう銘打たれた行為は私には理解できないものだから。

 だけど、私が独り凍りついてさえ他の星を見てみたいことも、大多数には理解されないだろう。それほど価値観は多様化してしまった。


 薄情な私は実在する他人の考えを深く聞こうと思わない。自分の趣味も普遍的なものであるほど共有しない。どういう感覚が存在するのかを学ぶことは好きだけど、そこに現実は介在させたくない。当然冷たくて視野の狭いろくでなしだと罵られるのだろう。

 ……共有に微かな嫌悪感を覚える側がおかしいのだろうか。嫌悪感というより、怯えているのだと称されたけど。


 とにかく私が卒業するのなら、人間ではなくてこの星だ。昔から少しずつ議論が進んでいた、人間を凍結して何億光年も先へ送り出す話。卵や胎児の状態で送るか、成人にするか。ずっと議論が紛糾してきたけれど、ようやく話が纏まりそうなのだ。


 昨日旅立っていった彼。今頃医療機関で処置が始まっているはずだ。私はヒトになる手順を知らないから、何日かかるのかも分からない。手続きなどの事後処理もどれほどあるのか計り知れない。

 ……だけど明日、もしくは数カ月。そんなずっと先、彼が彼でなくなっても、私はきっと変わらず迎え入れるだろう。

 そんなどこか不合理なことも、私の脳は弾き出すはずだから。



 ◇◇◇◇



 たとえ目指す方向が違っても。

 どんな卒業でも、君のためになるのなら。

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