黄色いヒヨコのマスコット

月之影心

黄色いヒヨコのマスコット

 本当に地球は温暖化しているのかと思うくらいに寒い朝。

 それでも学校へは行かないといけないというのは何かの修行か?

 僕は所々雪の残った通学路を通って登校していた。




「おはよぉ~!」


「おはよう!」




 同じ方向に進む学生が挨拶を交わしながら僕を追い抜いて行くが、どれも僕に向けられた挨拶ではない。




「おはよう!朝から暗いねぇ。」




 聞き覚えのある声が背後から聞こえて後ろを伺う。




「あ~おはよう美緒みおぉ……暗いんじゃなくて眠いの……」


「まぁ朝は眠いよねぇ。」




 元気に声を出していたのは、向かいの家に住む幼馴染の七瀬ななせ美緒。

 当然ながらその声は僕に掛けられたものではなく、僕の後ろを歩いていた友達に向けられたものだ。


 美緒は物心が付いた時からいつも一緒に過ごしてきていた。

 アルバムを開けば僕と美緒が一緒に写っている写真が沢山あるが、それも小学生の頃まで。


 あの日を境に、僕と美緒が一緒に居る事は無くなった。




◇◇◇◇◇




「おいれん、お前、七瀬のこと好きなんだろ?」


「えっ!?そ、そそそんなことないよっ!」


「だったら七瀬が嫌いだってしょーめいしろよ!」


「な、なんでそんなことしなきゃいけないんだよ?」


「俺たちの仲間に女とちゃらちゃらしてるヤツは要らないんだよ!」




 『仲間』『要らない』という言葉。

 子供の僕にとっては恐怖でしかなかった。


(仲間外れにされたくない!)


 ただそれだけの思い。

 今思えば何ともちっぽけなことだ。




「み、美緒……ちゃん……」


「ん?蓮くんどうしたの?」




 自分が仲間外れにされたくないという理由だけで美緒を近くの公園に呼び出していた。

 公園の外からは友達が様子を伺っている。




「ぼ、僕は……」


「ん?」




 少し首を傾げて笑顔で僕の顔を見る美緒。

 僕が一番好きな美緒の笑顔を見た瞬間、僕は思っていたのとは逆の言葉を口にしていた。




「美緒ちゃんが好きですっ!」


「えっ?」


「ずっと前から……美緒ちゃんのことが好きでした……」




 美緒の笑顔は困惑の表情に変わり、そして……




「私も蓮くんのことは嫌いじゃないけど……ちょっと……ごめん……」




 語尾は不明瞭に細い声になっていったが、最後に小さく謝罪の言葉を残し、僕の前から走って去って行く美緒。

 入れ違いに公園の外から友達が近付いて来て僕を笑いながら取り囲む。




「なんだ!やっぱ七瀬のことが好きなんじゃんかよぉ!」


「しかもフラレてやんの!ダッセぇ!」


「こんなダセェやつ俺たちの仲間と思いたくねぇわ!」


「今からお前は仲間外れ決定な!」




 遠巻きに眺めていた友達が僕の所へ寄って来て、散々好き放題言って去った。


 僕は一人、その場に泣き崩れた。




◇◇◇◇◇




 それから6年が過ぎて高校生になったが、美緒とはあれ以来口をきいていない。

 相手にされていないと言った方が正しいのだろうか。

 しかも、あの時僕を仲間外れにした連中が周りに吹聴した僕の失恋話は、高校生になっても薄れる事無く伝わっていて、『失蓮シツレン』なんて呼ばれていた。


 不幸中の幸いと言うべきは、中学3年間と高校1年2年と、美緒とは別々のクラスになった事だ。


 僕は早く高校を卒業したかった。

 高校を卒業して実家を離れて遠くへ行けば、美緒とも、失恋話とも離れる事が出来るのだから。

 だから僕は必死になって勉強し、その甲斐あって3年では上位校進学組と呼ばれるクラスに入る事が出来た。


 さすがに進学組には連中も入れたやつは居なかったし、美緒もそこまで成績は良くなかったので、学校にさえ来ればひたすら勉強に打ち込む事が出来る。

 進学組のクラスメートも僕の過去になんか構っていられない感じで、大半は昼休みですら教科書や参考書を開いて自分の世界に入り込んでいる。




◇◇◇◇◇




 梅雨の晴れ間。

 一日の授業を終えて家への道を歩いていた。




(ん?)




 道端に手のひらに乗るくらいの黄色く丸いテニスボールのようなものが目に入った。

 それに近付くにつれ、それがキーホルダーか何かに付いていたマスコットではないかと気付いた。

 普段なら気にも留めず通り過ぎるのに、何故かを拾い上げてしげしげと眺めていた。




(ヒヨコのマスコット?誰かが落としたのかな?)




 これから歩いて行く方向、ここまで歩いて来た方向、それぞれを見渡してみたが僕以外の姿は見えない。

 幾分汚れてはいるのは、落として時間が経っているのか、それとも落としたのは最近だけどずっと鞄か何かに付けてあって汚れてしまっていたのか。

 そのマスコットにも別に名前が書いているわけでもなくそのまま元の位置に戻して立ち去っても良かったのだが、何となく可哀想に思えた僕は、一旦持って帰って洗ってやることにした。


 家までの道中、もしこの持ち主が探しに戻ってきて見付からないのは気の毒だと思い、手のひらの上にヒヨコのマスコットを乗せて周りから見えるようにしたまま歩いていたのは、傍から見たらおかしな人に見えたかもしれない。




◇◇◇◇◇




 家に帰ると、早速ヒヨコのマスコットを洗面台で洗って干した。


 乾いたら袋にでも入れて落ちていた場所の近くにでも戻しに行こう。

 持ち主が探しに来て綺麗になったこれを見たら喜んでくれるだろうな。


 そんな事を思いながら部屋に戻り、進学組らしくその日の授業の復習と明日の予習をしておこうと机に向かった。

 ちょっとでも気を抜けば、あっという間に取り残されてしまうのが進学組の怖いところだ。


 だが、今日はちょっと変だ。


 別に昨晩夜更かしをしたわけでも無く、今日もいつもと変わらない一日だった筈なのに、妙に眠気が来る。

 割と短い間隔で参考書やノートの何処を見ているのか分からなくなるくらいの眠気に襲われる。

 頭がぼーっとしているのだけは分かるが、それ以上の事は何も分からなくなっている。




『おい、大丈夫か?』




 何処かから声が聞こえてきた。

 声の出所を探そうとはするが、どうも体は動いていないようだ。




『儂の声が聞こえるか?』




 気遣うようなその声に聞き覚えは無かったが、どこか懐かしい感じのする声だ。




(誰?)




 喉から出た声ではなかった。

 頭で浮かんだ言葉がになっている気がする。




『さっきは世話になったのう。お陰でさっぱりしたわい。』


(さっき?何の話?)


『儂を拾って綺麗にしてくれたじゃろ。』




 人語を話すを拾った覚えは無いが……拾ったと言えば帰り道に落ちていたヒヨコのマスコットぐらい……




(ヒヨコの?)


『あぁそうじゃ。危うく野良猫の玩具になるところじゃった。』




 フェルトで出来ている薄汚れていたヒヨコのマスコットが人語を話す?

 有り得ないな。

 つまりこれは夢なんだな、と少し落ち着いてきた。




(うん……でも気にしなくていいよ。落とした人が探しに来るかもしれないから、後で元の所に届けるね。)


『あ~その必要は無いぞ。』


(え?でも落とした人、探して見付からなかったら悲しむんじゃない?)


『ほっほっほっ。心配いらんよ。』


(でも……)


『すぐに分かる。』




 『声』はそう言うと完全に気配が消え、それと同時に先程の眠気が嘘のように覚めていた。




◇◇◇◇◇





 僕は机の上に突っ伏していたようだ。

 参考書やノートが皺くちゃになったりなんて事は無かった事は幸い。




(さっきのは何だったんだろう?)




 ぼんやりと今見たを頭の中で反芻していた時、下の部屋でインターホンが鳴っているのに気付いた。




「はい。」




 インターホンをONにしてモニタを覗く。

 白黒のモニタに映っていたのは美緒だった。


 僕は玄関へ行ってドアを開けた。

 そこには、幼い頃よく一緒に遊んでいた当時と変わらない笑顔の美緒が立っていた。




「み、美緒……ちゃん……ど、どうしたの?」




 僕の心臓は今まで聞いた事が無いくらい大きな音を立てていたように感じる。




「突然ごめんねっ!えっと……ぴよ吉が蓮くんの所に居るって……」


「ぴ、ぴよ吉?」


「うん、ヒヨコのマスコットなんだけど。」


「あ……あれ、美緒ちゃんの……うん、あるよ。落ちてたから拾っておいたんだ。」


「良かったぁ!」




 美緒が僕を尋ねてうちに来たのは6年振りだと思うのだが、まるで毎日会っているかのような雰囲気には正直驚いていた。


 美緒は心底安堵した顔になっていた。

 僕は洗面所へ行って干してあった『ぴよ吉』を洗濯バサミから外して美緒の元へ持って行った。




「汚れてたから洗ったんだけど、まだ乾いてないや。」


「洗ってくれたの?」


「うん。何か……そのままにしておくのも可哀想だったから。」


「ありがとぉ……何から何まで……」




 そう言って嬉しそうに目尻を下げる美緒だが、その『ぴよ吉』が僕の家にある事を誰に聞いたのだろうか?




「この子……蓮くんから貰うの2回目だね。」


「え?」


「忘れちゃった?まぁ無理も無いか……8年も前の事だもの。」


「8年前?」


「そ。私たちが小学4年生の時に、一緒に行ったお祭りのくじ引きで蓮くんがぴよ吉を当てて。私が欲しそうにしてたら蓮くんがくれたの。」




◇◇◇◇◇




 それはまだ僕と美緒が仲の良い幼馴染で、初めて二人だけで行った秋祭りのこと。


 屋台の間を歩いていた時、美緒がくじ引き屋の前で立ち止まり、台の上に置かれていたヒヨコのマスコットをじっと見ていた。

 祭りのくじ引きなんてそうそう欲しい物が当たるものじゃないとは分かっていたけど、美緒の泣きそうな目を見て『小遣い全部使ってでも当ててやる』と思った当時の僕は、既に美緒の事が好きだったのだろう。

 子供にしてはちょっと高い300円を店のおじさんに渡し、箱の中に入った紙のくじを引いていた。


 『5等』


 紙を捲るとそう書かれてあった。

 どの景品が何等かすら分からないくじ引きだったが、おじさんが台の上の一角を指差して『この中から好きなもの持って行きな』と言った中に、美緒のじっと見ていたヒヨコのマスコットがあった。

 おじさんは驚く僕を見て優しい笑顔で頷いていた。

 僕は迷わずそれを手に取ると、そのまま美緒の目の前に差し出した。




「美緒ちゃんにあげる。」


「ホントに!?いいの!?」


「うん。美緒ちゃんの為にくじ引いたから。」




 そう言って美緒にヒヨコのマスコットを手渡すと、美緒は大事そうに胸の中に閉じ込めて『ありがとう!』『嬉しい!』を連呼していた。

 くじ引きで当たった(ハズレの?)景品を貰って喜ぶ美緒と、大きく頷くおじさんを見て、僕は少し誇らし気な気持ちになっていた。




◇◇◇◇◇




 完全に忘れていた。




「そう……か……そんな事もあったね……」


「あれは本当に嬉しかったな。」


「そ、そうだったん……だ。でも……美緒ちゃんはどうやって僕がそれを……ぴよ吉を拾ってるって知ったの?」




 美緒はすっと真顔になる。




「どうやってって……教えてもらったから……」


「誰に?」


「誰……ん?誰?……誰だろ?……あれ?」




 きょとんとした顔で僕を見る美緒。

 そんなに見られても僕には分からないし、何より恥ずかしくなってしまう。




「ま、まぁ……誰でもいいよ……ぴよ吉が戻ってきて……よかった……ね……」


「うん!ホントありがとう!」




 美緒は本当に嬉しそうな顔で僕を見ているのだけれど……




「え、えっと……まだ他に何か……あるのかな?」




 用事は済んだと思うんだけど、美緒は帰ろうとしない。




「あの……さ……」


「うん?」


「あの時の……返事……」


「あの時?」


「うん……小学生の時に……蓮くんが言ってくれた事への……返事……」




 僕は心臓がきゅっと締まる気がした。

 小学生の時に僕が美緒に言った事と言えばの事だろう。




「あ……うん……でもあの返事はもう……」




 あの時、美緒が『ごめん』と言った事で決着している筈。

 だが、僕の意に反して美緒の表情は不安気だ。




「もう……今更返事しても……ダメ?」


「い、いや……え?もう……って?」


「あの時はいきなりだったからすぐ返事出来なくて……だからもう少し大きくなるまで待って欲しいって言ったんだけど……」


「え?」




 肝心な部分が全く聞こえていなかった事と、その後陰から見ていた連中に『フラレた』と言われた事で、僕の中では完全に決着していると思い込んでいたようだ。




「それとも……まだ言わない方がいいかな?」


「そ、それは……」


「ふふっ……じゃあ言うね……」




 耳鳴りがしそうな程に緊張感が増していく。

 それを解き解していくような美緒の柔らかな笑顔が目の前にある。








「私も蓮くんの事好きだよ……」




 美緒の手の中のぴよ吉が微笑んだように見えた。

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