「一体どういうことだろう」

 澤田君が呟いたけど、私も全く同じことを思っていた。

 私は婦人服の店も試しに入ろうとした。そこにもやっぱり見えない壁があって、どうしてもぶち当たって先に進めない。

「ええ、嘘! やっぱりこっちもダメだ」

 澤田君は反対側へとひょっこひょこしながら小走りする。

 向かいは地元の人で集まりそうなお好み屋がある。暖簾が掛かって、店は営業している雰囲気だ。まずは鼻をひくひくとさせて匂いを嗅ぎだした。

「なんか微かに鉄板で焼いているお好み焼きの匂いがする」

 そういって慎重に一歩近づき、引き戸に向かって手をかけようと延ばせば、それははじかれるようにぶつかり、澤田君は痛みを感じて顔を歪ませた。

「付き指したみたい」

 泣き笑いな顔を私に見せていた。

 その隣も飲食店で焼肉の看板が出ていた。お好み焼き屋よりも小さくて入り口が狭い。精肉店と隣り合わせになっているところをみると、直営のお店なのかもしれない。

 念のため澤田君はそこも確かめようと手を伸ばせば、同じように見えない壁にぶち当たっていた。

「ここもダメか」

 がっかりするため息が聞こえた。

 私はどうしてもまだこの状況が飲み込めない。路地に戻って、来た道を引き返そうとしたとき、そこも見えない壁で塞がれていた。

「ダメだ、戻れない。ここから入ってきたのにどうして……」

 私が混乱していると、澤田君は「あっ!」と叫んでいた。

「どうしたの」

「店に入れないだけじゃない。ここから先へも行けないんだ」

 焼肉屋の隣の精肉店に澤田君は行こうとするのだけど、初代ドラゴンクエストのキャラクターのように、先に進めなくてその場でつかえたキャラクターみたいになっている。手で探りながら見えない壁を辿るように私のいる反対側まで来た。

「これってかなり狭い空間に私たちは閉じ込められているってことなの?」

 私が不安になっていると、澤田君はそれを確かめようとして、ペタペタと見えない壁を触って全体の大きさを確認している。それを目で追っていると四角い部屋があるように見えた。

「僕たちが入ってきた路地の辺りを軸として向こう側の商店街へは行けない。それぞれ向かい合っている四つの店に挟まれた大きさの中に僕たちは閉じ込められた様子だ。届かないけど、きっと頭上も同じ状態なのだろう」

 私たちは頭上を見上げた。

「ちょっと確かめてみましょうよ。もしかしたら開いていて出られるかも」

 私は手をあげたまま何度もジャンプしてみた。

「梯子がないと上はどこまで続いているのか確かめようがないと思うよ」

「じゃあ、肩車してみて」

「えっ、僕が?」

「他に誰がいるのよ。それとも私が澤田君を肩車しろと?」

「わ、わかったよ」

 澤田君は片方の膝だけを地に着けてしゃがんだ。

 私は澤田君に近づいて彼の肩に乗ろうとする。

「もう少し、低くして、首を前に屈めて」

「ちょっと待って、これ以上は苦しくて」

 お互い「あっ」「おっ」と声を出し合い、ようやく私が肩に乗れた。

「それじゃ、立って」

 私の掛け声で澤田君は踏ん張って立ち上がろうとするが、どうも上手く立ち上がれない。

 大きく澤田君が動いた時、バランスが上手く取れなくて気がつけば前のめりになって私は倒れこんでいた。

「あー、ちょっと危ないじゃない」

 慌てて澤田君から離れる。

「ごめん。上手く行かなくて」

 澤田君はぎこちなく立ち上がり、ヘラヘラとして笑っていた。

 澤田君だけを責められない。私も重かったかもしれない。でも男の子だからちょっと私より力があって支えてくれると期待した。

「もう、仕方ないな。あっ、そうだ」

 ふと閃いて、ポケットからコインを取り出した。五百円玉だ。それを力強く天井に向けて放り投げた。それは途中で強く何かに当たり、パーンとはじけて地面に落ちた。天井にも見えない壁がある事がこれで証明された。

「あーあ」

 悔しさの声が虚しく漏れた。落ちたコインを回収し、澤田君にちらりと視線を向けた。

「見えないけどもこれで完全にキューブの中に僕たちは居ると考えられる」

 澤田君は冷静に分析していた。

「どうしてこんな事が」

「僕にもわからない」

「どうやったらここから出られるの?」

 パニックになりそうな気分をかろうじて私は押さえ込む。叫んだところでどうしようもないけど、澤田君が意外にも落ち着いていたお陰でなんとかそれに見習った。

 頼りない印象だった澤田君は気を確かに持って辺りを見ていた。

「こんな状況でも、匂いが入ってくるってどういうことだろう。あっちは微かにお好み焼きの匂いがするんだ」

 澤田君はもう一度確かめようとお好み焼き屋に近づいて鼻をひくひくさせた。私も釣られて側に寄って匂いを嗅ぎ取る。

「本当だ、お好み焼きを焼いてる匂いがする」

 鉄板の上に焼かれているお好みを想像し、ソースを刷毛でぬりこんで、そこからこぼれたじゅーっと焼ける音が聞こえてくるようなそんな気もした。

 想像すると無性にお腹がすいてきた。

「でも隣の焼肉屋は何も匂わない」

 澤田君は犬のように激しくクンクンしていた。

「焼肉の方が匂いはきついのに、こっちは匂わないね。なぜなんだろう」

 私がそういうと澤田君はズボンのポケットからスマホを取り出した。操作を繰り返しながら、何かを考え込んでいた。

「ネットはやっぱりできない。電話も掛けられない。だけど、時計はそのまま動いている。今は十一時八分になっている」

 私もスマホを確かめたかったけど、家に置いてきてしまった。財布すら持たず、お金を無造作にポケットに突っ込んできただけだ。

「時は普通に動いているってことなの?」

「多分だけど、僕たちは時空のポケットにはまり込んだのかもしれない。この世界は見えてるけど、実際そこに居なくて、別の空間にいるってことなのかも」

 澤田君はある程度把握したようだけど、私には分かったようで分からない。

「元に戻れるの?」

 不安な面持ちで訊いてしまう。

「わからない。だけど、入り込んだんだから、出る事だってできるんじゃないかな。匂いが伝わってくるということはきっと何かそこにヒントがあるはずだ。お好み焼きの匂いを感じるのも、今実際に現実で起こっていることなんだと思う。焼肉屋が匂わないのは、営業が夕方からだからまだ開いてないと考えたら辻褄があう。それとも定休日ってことも考えられるけど」

「なるほど。そういえば、焼肉屋の暖簾が入り口にでてないね」

「服屋も和菓子屋も店は開いている。ここから先にはいけないけど精肉屋も営業している。ほら、ショーケースの中を注意深く見てごらん」

 澤田君の見ている方向を暫く見れば、ショーケースの中でパッとお肉が一部消えた気がした。

「あっ、なんか動いた」

「あれは、お客が来て、売ったんだと思う。秤もデジタルの数字が動いてたんだ」

 お客からも見えるように置かれた秤の数字が一瞬現れた。

「ほんとだ。よく見たら何か変化してる。現実の微かな動きを少し感じ取れるってことなんだ」

「急に人が消えたのは、僕たちが見えなくなっただけで、きっと周りには人がいっぱいいるんだと思う」

「だったらぶつかってもいいのに」

「それが同じ空間にいないってことなんだと思う。でもきっといつかぶつかる時が突然来るんじゃないかな。気まぐれに現れた空間なら、また気まぐれに消えるかもしれない。人が確認できれば同じ空間に居るということになる。そしてこのキューブから出られる」

「じゃあ、どうすれば人がまた現れるようになるの?」

「それよりも僕はなぜこんな状況になったのか、知りたい。ここはもしかしたら霊的な空間で、その、栗原さんはもしかして幽霊とか、成仏しきれてない存在だったりする?」

「はぁ?」

 思わず顔が歪んだ。こんな状況で何を言うんだと耳を疑ってしまう。

「いや、なんていうのか、ちょっと確かめたくて」

「それなら、澤田君はどうなの? そっちこそ幽霊じゃないの。たまたま見えた私を道連れにしようとしているんじゃないの。そうじゃなかったら超能力者とか、宇宙人とか?」

 精一杯にやり返すも、とっぴな言葉過ぎてなんだか馬鹿馬鹿しくて虚しい。それが恥ずかしくなって私はプイッとそっぽを向いた。私の気分を損ねた態度に気がついた澤田君はぎこちなくなって少し動揺気味だ。ちらっと様子を見たら彼の目が泳いでいる。

 お互いどうしていいかわからなくなって暫く私たちは黙り込んでしまった。

 また変化がないか、目を凝らし、見える範囲で店の様子を窺う。暫く沈黙が続くと気まずい思いがどんどん膨らんでいった。

 この状況が異常なのに、プライドの問題で上手く接する事ができず、それぞれ別々に何度もこのキューブの壁に触れながら無意味に辺りをぐるぐると回っていた。

 時々、私を気にする澤田君の視線を感じる。幽霊って勝手に殺された設定にちょっと気分を害したけど、ずっとこのままでもいられない。私が心許せばまた歩み寄れるような気がした。

 私は考える。澤田君は私を初恋の人に似てるとか言い出し、何か魂胆を持って私に近づいたと仮定して、澤田君がこの状況を作った原因になったんじゃないだろうか。

「ねぇ、澤田君。やっぱり澤田君が無意識にこの状態にしたんじゃないの?」

「そんなこと出来るわけないよ。僕はどこにでもいるような目立たない普通の高校生だよ」

「それじゃ、どこの高校よ」

常盤台ときわだい学園だけど」

「ちょっと待って、嘘、私も常盤台学園よ。もしかして三年生?」

 急に先輩かもしれないと思うと、緊張してしまう。

「これから二年になるけど」

「えっ、同じ学年?」

「栗原さんも二年生なの?」

 お互い同じ高校の同じ学年と知ってびっくりしてしまう。

「澤田君は一年の時、何組だったの?」

「六組。栗原さんは?」

「私は一組」

 ちょうど一組から六組ある中で、教室も四組以降は私のクラスがある校舎から向かいの校舎になって分かれていた。同じ学年内では知らない人もまだいる。

 でも同じ高校だから、お互い知らなくても廊下ですれ違ったりして無意識に顔を見ていたとも考えられる。だから澤田君を見たとき、知らないけども初めて会った気もしなかったのかもしれない。

「すごい偶然だね。まさか同じ学校だったとは」

 そのとき、私は突起物に触れたようなピリッとした違和感を覚えた。それを口にしようとしたとき、澤田君は「猫!」と突然叫んだ。

「あそこ、見て、猫が歩いてる」

 私たちが入り込めない向こう側の世界で確かに猫がテケテケと商店街を横切って歩いていた。

「あれ、キジトラだよね。何色に見える?」

 私は色を気にして訊いていた。

「キジトラ? 僕には黒っぽい、それでいて真っ黒じゃない猫に見える」

 遠目にみたら、全体的にそう見えることもないけれど、あの模様はキジトラにしかみえなかった。ただ色がはっきりとわからない。

「もしかして、澤田君って視力悪い?」

「普通だと思うけど、普段からめがねかけてないし。でも遠くはぼやけるかな」

 なるほどあの距離ならぼやけて、なかなかはっきりと見えないのだろう。

「あの猫、こっちにこないかな。ねえ、猫! おいで、こっちにおいで」

 私は叫んでみた。猫は素知らぬ顔でまたどこかの店入り込んだように消えていった。

「ああ、行っちゃった」

 私はがっかりしてその場にへたり込んだ。

「もしあの猫がここにきたら、この空間にはいれるような気がしたのに。そしたら穴が開いて風船がはじけるようにこのキューブもなくなるように思えた」

 独り言のように呟いた。

 その後、思うように行かなかったイラついた感情が沸々と心の中の不満を大きくしていった。

 この空間の存在は、澤田君も原因かもしれないけど、もしかしたら猫も原因の一つなのかもしれない。猫なんか追いかけなければこんなことにならなかった。こんな状況、絶対に猫と澤田君のせいだ。

 私はただ歩いていて猫に気を取られて迷い込んでしまった。それがトラップで、出れなくなった。もし澤田君が声を掛けないで私を引き止めなかったら、私はすぐに路地に戻って家に帰っていたはずだ。こんなことにはならなかった。

 澤田君をちらりとみれば、黙々とまだこのキューブの中を調べている。

 見知らぬ男の子とこんな狭い中に閉じ込められて、これからどうなってしまうのだろう。

 そういえば、こんな状況の映画がなかったっけ。タイトルも確かキューブとかいう……あっ、ホラー映画だ。怖い映画は観る気がしなくて内容は知らないけど、ホラーだから閉じ込められた人たちは殺されて行くんじゃなかっただろうか。

 ふと私は嫌な気持ちになった。まさか、このキューブがさらに縮んで私たちは最後圧縮されて潰されるんじゃ……そこまで考えた時、ぞっとせずにはいられない。私はうずくまって怖くて悲観的になってしまった。涙がじわっと目から染み出てくる。

 私の落ち込んだ肩に澤田君の手が触れて、びくっとした。

「栗原さん、大丈夫? どこか具合悪いの?」

「具合が悪いですって!? 当たり前じゃない。こんなところに閉じ込められて正気でいられるわけがないじゃない」

 澤田君が優しいことを利用して私は八つ当たってしまう。

「大丈夫だよ、きっと出られるよ」

「どうしてそんな平気でいられるのよ」

 泣き叫んでいる私の顔を見て澤田君はにこっと微笑んだ。

「もしかして、栗原さん、なんか悪い方向に考えてない? 例えば、この空間がもっと狭くなって最後に押し潰されるとか」

 図星だからうっと喉の奥で声がつまった。

「やっぱり。不安を抱いちゃ全てが悪い方向へ行っちゃうよ。そんなの損するよ」

「だったら、早くここから出してよ」

 私の叫びに澤田君の眉が下がって困った表情になった。でもすぐに気を取り直し、私のネガティブな言葉に流されず微笑む事を忘れない。

「隣に座っていいかな」

 隣も何も、私たちは商店街のど真ん中にいる。見えないキューブの中にいるとはいえ、視界だけは広がってこんな場所の地べたにふたり並んで座るのも変な感じがした。

「好きにしたらいいじゃない」

 素直になれない私は、まだ会って半時間も経ってない人に気持ちをぶつけている。こんなことすべきじゃないと頭ではわかってるんだけど、不安が自分の心を狭くする。

 澤田君は私の横に並んで座り、見えない壁に背をもたせかけ両足を伸ばした。真横でみればそれは不思議な気分だった。何もないから澤田君が演技でもたれるふりをしているのではと思ってしまう。

 澤田君はそのまま動かないでじっと前を向いていた。その沈黙が私には居心地が悪くて、自分が澤田君に向けた態度に罪悪感を抱いてしまう。澤田君は全く悪くない。でも私は一度あげた拳を下ろせないように素直になれなくてひとりでいじけて背中を丸めた。

 なんで澤田君はこんなにも私に優しいのだろうと思ったとき、私ははっとした。

「澤田君、私の顔は似てるかもしれないけど、澤田君の初恋の相手ではないから、彼女がこんな態度をとると誤解しないであげてね」

「えっ?」

「だから、初恋の人に私が似ていても、中身は全く違うってことだから。澤田君の初恋の相手の思い出を私は壊したくないの」

 澤田君が私に優しいのは持って生まれた穏やかな性格のせいでもあるのだろうけど、元はと言えば、私が『初恋の君』に似てるから感情をごっちゃにさせているのかもしれない。

 好きな人に似ている人が目の前にいれば、錯覚を起こすことだってある。

 私だって、澤田君が私の憧れている人に似ていたら、こんなにも感情をむき出しにしなかったはずだ。

 澤田君は暫く私の言葉の意味を思案していたけど、先ほどよりももっと明るくなったように表情が晴れ晴れとしていた。

「ありがとう」

 私に向かって言った。

 突然の感謝の気持ちに私は戸惑った。

「お礼言われることじゃないと思うんだけど」

「違うんだ。僕の初恋の人だけど、僕は彼女に関して何も知らないんだ。ただ見かけて、僕が勝手に好きになっただけだった。声を掛ける勇気もなかった。一体どんな女の子なんだろうって、想像はしたけど、僕、女の子とあまり話した事がなくて全然イメージが湧かなかったんだ。だから却って栗原さんと接して、知り合って間もないのに本音を僕にぶちまけてくれたから、感情のぶつかり合いが青春してるなって思えて、そんなに悪くないんだ。頼りない僕に腹を立てながら、僕を気遣ってくれる栗原さんが嬉しかった」

「嬉しいって気持ちはよくわからないけど……」そんな風に言われたらこっちが益々自己嫌悪になってしまう。「……ごめん」思わず気持ちが溢れた。

「どうして栗原さんが謝るの?」

「だって、我がままな事を言ったから。澤田君に八つ当たったから」

 あまりにも澤田君がピュアすぎて、私は自責の念に駆られた。

「僕は何も気にしてないよ。謝ることなんてないんだから」

 手をひらひらと振りながら、澤田君は慌てて否定している。どこまでも澤田君は優しい男の子だ。今時こんな男の子はめずらしいかも。

 自分のことよりも人の事を気にする澤田君。好感度が増していった。澤田君は全くすれてなくて、こんな純粋に人懐っこくつきまとうのって、何かに似ている。存在自体が無条件に好きになってしまうもの。それは犬だ。しかも忠実に主人を慕う犬。そんなのが側にいたら誰だって気に入ってしまう。

 頼りない風貌じゃなくて、竹のようにしなやかでそれでいて芯が強い。澤田君はそういう男の子だ。

「もし澤田君が初恋の人に声をかけていたら、きっとその女の子は澤田君のこと好きになっていたような気がする」

 そんな言葉がポロッとでたのも、私自身が澤田君のこと気に入ったからだと思う。

「えっ、そ、そうかな」

 澤田君は照れた仕草をしたけど、その瞳はどこか悲しそうであんまり喜んでない。過去の事をそんな風に言われても、もう遅いだけに虚しさの方が強くなるのかもしれない。たらればでそんな風に肯定にいったところで褒め言葉でも何でもなかった。たらればはあくまでも仮定だ。それに私がいうことでもなかった。架空のことじゃなくて現実の事を言わなければ。また変な雰囲気になりたくなくて、私は思い切って言ってしまう。

「だって、私、澤田君のことかなりポイント高いもん。ちょっといいなって正直思ったよ」

 自分を引き合いにだしてさっきの言葉を上書きしようとしたけど、自分でも大胆すぎて、なんかかっと体が熱くなって恥ずかしい。

「えっ?」

 突然のことに澤田君はきょとんとしている。鈍感なのか、伝わらないのも悔しくなる。ここまで言ったからにはあとにはひけなくて、つるっと口からまた言葉が飛び出す。

「あのさ、ここから抜け出したらさ、お祝いに私とデートしない?」

 何を言っているんだ、私は。逆ナンパか。でも初恋の人に似てるって言われて、どこかで澤田君に好かれてるんじゃないかって自惚れたし、澤田君みたいなタイプは嫌いじゃないし、春だし、今私の中のピンクの蕾が突然開いたような気がした。

 澤田君は口を開けて言葉を失っている。それはどういう意味なの、澤田君。拒否、それともまだ伝わらないの?

「だから、絶対にここから抜け出して、それで二人で楽しいところに行こうっていってるの。何か楽しみがあったら意地でもここからでようと思うじゃない」

 私の顔が熱くなる。言い訳がましいながらも、精一杯のアプローチ。こんな台詞を私が言うなんて自分でも信じられない。それ以上に澤田君は状況が飲めなくてただ私を見つめていた。

「顔は似てても私だとやっぱりダメ?」

 モジモジとしながら澤田君と目を合わせた。

「えっ、その、えっと、えーっ!!」

 澤田君はどう返事をしていいのか分からず、しどろもどろだ。そして一度大きく息を吸ってから吐き出すと同時に言った。

「うん。それいい。行きたい。絶対行こう!」

 突然誘われたことに最初澤田君は驚きすぎたみたいだ。ちょっと鈍感なのかもしれない。落ち着いた時、思いっきり喜んでいた。

 顔を合わせてお互い笑った。何だか照れくさい。先ほどの不安がうそのように払拭されていく。悲観になるよりもずっと気分が楽になった。ここから絶対に出られる。今はそう思う事が一番大事なんだ。

 隣で澤田君は嬉しそうに顔を綻ばしながら、勢いづいて見えない壁に背中をもたれさせる。その時「うわーっ」と澤田君がびっくりして後ろに倒れこんでいた。

「澤田君、大丈夫?」

 一瞬何が起こったのかわからなかった。

 だけど私もまさかと思って手を伸ばすと、さっきまでそこにあった壁がなくなっていることに気がついた。


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