242 - 「プロトステガ攻城戦1―前哨戦」


 ワンダーガーデン南部、港都市コーカスの北に位置する牧草地帯。


 普段は、夜風に靡く草花が月明かりに照らされ、幻想的な光景が広がるその場所は、巨大な浮島プロトテスガによって月明かりが遮られ、今は辺り一面暗闇に包まれている。


 一方で、その浮島の上、桃色に輝く夢見草が咲き乱れる中に聳え立つ城は、空からの月明かりを独占し、見る者を感動させるほどの美しさを放っていた。


 だが、その美しい城の中で日夜行われている行為は、とても悍ましいものだった――


 夜な夜な王の寝室から響く声は、ヘイヤ・ヘイヤの狂った奇声と、女の喘ぎ声、悲鳴、そして断末魔の叫びだ。


 寝室から発せられた助けを求める叫びが消えると、次に聞こえてくるのは、ボリボリ、くちゃくちゃという咀嚼音。


 その咀嚼音ですら消えると、目が真っ黒に染まった部下が新たな女を連れて王の寝室へと現れる。


 「ヘイヤ王の晩餐」と呼ばれるその行為は、ヘイヤ・ヘイヤの底なしの性欲と食欲を同時に満たす神聖な儀式であると、ヘイヤ・ヘイヤの狂信者達は信じて疑わない。


 平時では陽が昇るまで粛々と繰り返される儀式だが、今宵の生贄は、今までとは一味違かった。


 紅いマントに鋼の鎧を身に纏った女騎士――金色の鷲獅子騎士団グライフスヴァルトの一人が、颯爽とヘイヤ・ヘイヤ不在の王の間へと現れる。



「ヘイヤ・ヘイヤ卿がおられないようだが」



 女は背後に控えるローブ姿の男に話しかけると、男は頭を下げたまま返答した。



「そろそろ参られるはずです。そのままお待ちください」


「了解した」



(気味の悪い男だ。城はこんなにも美しいというのに。しかし、なぜネメシス団長はここへの立ち入りを禁じていたのか。最近は不可解な事が多過ぎる。私が必ず明らかに――)



 そう意気込むのは、後ろで縛った空色の長髪と、凛とした佇まいが美しい女騎士のアネスティーだ。


 プロトテスガ、強いては夢見城への立ち入りは、金色の鷲獅子騎士団グライフスヴァルト団長であるネメシスの命により、固く禁じられている。


 だが、何万人もの鷲獅子騎士グリフォンライダーで構成されている金色の鷲獅子騎士団グライフスヴァルトの中には、アネスティーのような正義感の強い者も多かった。


 そこへ、口元を血で真っ赤に染めたヘイヤ・ヘイヤが現れる。



「あひゃひゃ。今日の食事は豪華なんだひゃ」


「なっ!?」



 アネスティーが後退る。


 血塗れのヘイヤ・ヘイヤは全裸で、その手には、人の足と思われるモノが握られており、ヘイヤ・ヘイヤは手に握ったそれをまるで骨付き肉に噛り付く感覚で食べていたからだ。



「き、気が狂ったか! ヘイヤ・ヘイヤ卿!!」


「おひょひょ? 腹が減ったら喰らう。これは自然なことだひ」


「ふざけるな! それは人の足だろう!?」


「そうだひゃ。中でも女は、肉が柔らかくて絶品だひゃひゃ!」


「し、信じられない…… 人族の肉を喰らうなど…… 禁忌を犯した貴様を、見逃す訳にはいかない! この件はしっかりと団長に報告させて貰うぞ!!」


「あひゃ、おひょひょ」



 アネスティーの言葉にも動じず、ヘイヤ・ヘイヤはただただ笑っていた。


 その間も、血の様に真っ赤な縦長の瞳孔と、常闇の様に濃い黒一色で染まった眼球がキョロキョロと忙しなく動き回っている。



「正気じゃない…… 一刻も早くこの事を――」



 アネスティーが踵を返すと、その進路を頭を下げたままの男が遮った。



「邪魔だ! そこを退け!」


「お断りいたします」



 そう告げながら上を向いた男の、真っ黒に染まった瞳がこぼれ落ちそうな程に見開き、口が狂気的につり上がる。



「くっ! まさか……」



 アネスティーは、そこでようやく自身が捕食対象として狙われていることに気付いた。



「貴様達、これがどういうことか分かっているのか!?」


「あひゃひゃ。予定より少し早くなったけど仕方なひ。パーティの為の味見も必要な工程だひゃ」


「味見だとッ!?」


「そうでございます。あなた様はヘイヤ王の晩餐に招待された幸運な人なのですよ。大人しく贄になりなさい」


「ふ、ふざけるなッ!!」



 ローブ姿の男が両手を広げて一歩踏み出したその刹那――


 アネスティーは鞘から空色の刀身が美しい剣を抜き、退路に立ち塞がっていた男へと一閃。


 その太刀筋に迷いはなく、男はアネスティーによって斬り捨てられるものと思われた。


 だが、青い剣線は空を斬っただけだった。


 アネスティーの太刀筋を読んでいたローブ姿の男は、黒い靄とともに後方へと回避してみせたのだ。



「おやおや、これはどうして。アネスティー殿、ご乱心されましたか?」


「闇魔法使いか! だが」



 アネスティーが左手を突き出すと、その手から光の玉が発生。


 周囲を激しい光で照らす。



「神聖なる光の輝きで、卑しき闇を打ち払わん! 浄化のクレンジング――」


「ぬわぁーーーーーーん」



 詠唱の最中、背後に濃厚な殺気と気配を感じたアネスティーが、咄嗟に横へ飛び退く。


 直後、ガチンッと金属が打ち合わされたような音が響いた。


 アネスティーが先ほどまで立っていた場所には、顔のサイズが数十倍もの大きさに膨らんだヘイヤ・ヘイヤが、歯をむき出しにして止まっている。


 コンマ数秒でも反応が遅れていれば、その巨大な口で頭から齧りつかれていたであろう状況に、アネスティーは戦慄した。



「き、貴様…… 誰だ!? ヘイヤ・ヘイヤ卿の皮を被ったバケモノめッ!」


「おひょおひょ。威勢が良い女だひゃ」


「ヘイヤ・ヘイヤ様、このまま狩りをお楽しみになりますか?」


「あひゃひゃ。偶には狩りも良いかひゃ」


「では仰せの通りに。どうぞごゆるりとお楽しみくださいませ」



 男が頭を下げたまま退がり、ヘイヤ・ヘイヤが顔だけアネスティーへと向けると、長い耳を起用に折り曲げ、おいでおいでと手招きしてみせた。



(くっ…… 舐めた真似を! だが、今、奴と戦うのは危険だ。奴はまだ何か隠している。どうにかして外に残してきた仲間と連絡を――)



 ちらりと出口を窺う。


 闇魔法使いの男は本当に退出した様で、出口に護衛らしき人影は一切感じられなかった。



(今なら――!!)



浄化の閃光クレンジングライト!!」



 瞬時に手を翳し、ヘイヤ・ヘイヤへ向けて強引に闇を打ち払う光魔法を行使。


 手から放たれた閃光が、先ほどからずっと同じ体勢でアネスティーを見つめていたヘイヤ・ヘイヤを白く照らすと、身体から黒い焦げのような煙が一斉に立ち昇り始めた。



(よし! 当たりだ! 奴も闇魔法使い! このまま全ての魔力マナを打ち消し、皮と骨だけのミイラにしてやる!)



「あひゃひゃひゃひゃ」



 だが、ヘイヤ・ヘイヤは大きく眼を見開きながら、大口を開けて笑っていた。


 その様子にアネスティーが憤る。



(退避するまでの時間稼ぎになればよいと考えていたが、まさかこのまま受けるつもりか? それならばこちらにも考えがある!!)



 アネスティーが行使している浄化の閃光クレンジングライトは、対象の闇魔法や闇の魔力マナを打ち消す光の魔法だ。


 この光を浴びれば、相手は相応の魔力マナを失うことになる。



「このまま悪しき貴様を浄化する! 覚悟しろ! はぁああああ!!」



 手に込めた魔力マナの力を増やす。


 ここで相手を無力化できれば、この城から脱出するまでの危険は格段に減る。


 脱出する必要すらなくなるかもしれない。


 だが、浄化の光を浴びたヘイヤ・ヘイヤは、身体から掻き消された闇の魔力マナを無尽蔵に垂れ流しつつも、ずっと楽しそうに笑い続けるだけだった。


 そして数分が経過――


 アネスティーの手から放たれる光の出力が落ち始めた。



「ば、バカな!? 一体どれだけの闇の魔力マナを貯め込んでいるというのだ!?」



 ヘイヤ・ヘイヤから流れる魔力マナは一向に減る様子が見えない。


 ずっと奇声をあげて笑っているだけだ。


 一方で、アネスティーの疲労の色はみるみるうちに濃くなっていた。



(こ、このままでは不味い…… 先に私の魔力マナが底を付く)



 アネスティーは、浄化の閃光クレンジングライトを維持したまま、出口へ向けて駆ける。



「おひょひょ? もう終わりかひゃ? せっかく気持ちの良い日光浴だったのに残念だひゃ。あひゃひゃ」


「バケモノめ!!」



 アネスティーが王の間の出口に差し掛かったその時――


 茶色い何かがぼとぼとと床に降り注いだ。



「な、なんだ!?」



 床へ落ちた茶色い――ネズミが、アネスティーへと走る。



「ネズミだと!? ええい! 邪魔だ!!」



 剣で斬り払うも、その数は一向に減る気配なく、むしろどんどん増えていった。


 そして、アネスティーのすぐ真横にも茶色いネズミが落ちてきたのをきっかけに、アネスティーの脳裏に嫌な予感が過った。



「ま、まさか!」



 咄嗟に天井を見上げる。


 そこには、壁やシャンデリアに沿って蠢く茶色いネズミで埋め尽くされていたのだ。



「うっ……」



 唖然とするアネスティーの視界が歪み、一瞬ふらつく。



「あひゃひゃひゃ。こいつらは全て眠りネズミだひ。触れたら深い深い眠りに誘われるだひゃ」


「くっ…… 剣技――雷蛇の舞ボルトスネイク!!」



 姿勢を低くしたアネスティーが、右足を軸に回転しながら剣で敵を薙ぎ払う。


 すると、剣線の発生から遅れるようにして、青い稲妻が走り、更に遅れて雷柱が床を穿つように複数発生。


 アネスティーに纏わりついていたネズミ達を一掃した。



「はぁ…… はぁ……」


「おひょおひょ。見事な剣技だひゃ」



 ふらつくアネスティーに、浄化による影響など微塵も感じさせないヘイヤ・ヘイヤがゆっくりと歩み寄る。



「止まれ! それ以上近付けば容赦しない!!」


「あひゃひゃ」



 剣を差し向けてそう叫ぶも、もはやそこに抑止力など存在しない。


 アネスティー自身も、絶体絶命の状況まで追い込まれたということは自覚していた。



(やむを得ないか――!)



 決意したアネスティーが首から下げていたペンダント風の笛を取り出し、吹き鳴らした。



――ピィィィィイイイイ



 超高周波の音が王の間に鳴り響く。


 だが、次のヘイヤ・ヘイヤの発言が、アネスティーの顔を青ざめさせた。



「おひょ? ようやくお肉を呼んでくれたのかひゃ? あひゃひゃ」


「ま、まさか…… 初めから目的はホーネストか!!」



 ホーネストとは、アネスティーの相棒である鷲獅子グリフォンの名だ。


 そして、鷲獅子騎士グリフォンライダーにはそれぞれ相棒を呼ぶための笛を所持しているというのは有名な話だった。


 だが、呼べるということは当然――



「させなひ」



 迷うアネスティーへ、ヘイヤ・ヘイヤが一瞬で距離を詰める。


 瞬きの間に、目の前数センチのところに現れたヘイヤ・ヘイヤに、アネスティーが驚きで目を見開き――


 次の瞬間、声を上げる暇もなく蹴り飛ばされた。


 強烈な一撃で腹部の鎧が砕け、壁へめり込んで止まる。



「ぐはッ――」


「かひゃひゃ。この笛は預かっておくだひゃ」


「き、貴様……」



 壁から落ちたアネスティーは、床に倒れる寸前で膝をつき、何とか堪える。


 その周りには眠りネズミが囲み、主人であるヘイヤ・ヘイヤの指示を待っていた。



「おひょひょ。心配しなくとも、後でたっぷり堪能してあげんだひゃ。あひゃひゃ」


「くっ……」



(こうなってしまっては、後の頼みは新しく入ったあの三人に――)



 ドーンと爆発音とともに城が揺れる。



(ふ…… やはり信頼すべきは国でも団長でもなく、背中を預けられる身近な仲間だな……)



 アネスティーが血で濡れた唇を曲げて笑みを浮かべる。


 すると、王の間の入り口から続々と黒いローブを身に纏った者達が雪崩れ込み、床に群がる眠りネズミを一斉に駆逐し始めた。



「あひゃ?」



 その直後、王の間の壁が爆発し、崩落した壁から一際大きな体格の黒毛の鷲獅子グリフォンと、三匹の鷲獅子グリフォンが降り立った。



「ホーネスト!!」



 アネスティーが叫び、そのうちの一匹がアネスティーの元へと駆け寄る。



「クゥウウン」


「すまない…… 油断した」



 満身創痍の身体に鞭を打ち、何とかホーネストへと跨る。



「クロ、アカ姉妹、助かった。礼を言う」



 アネスティーの礼に、黒毛の鷲獅子グリフォンに跨る黒いローブに身を包んだ女が答える。



「礼は不要だ。それよりも、お前はこの事をいち早く仲間へ伝えろ。だが、団長もグルかもしれないことを忘れるな」


「ああ、分かっている。死ぬなよ。絶対に」


「誰に口を聞いている。無駄口を叩く暇があるなら早くいけ。事は一刻を争う」


「分かった」



 ホーネストが翼を広げて羽ばたこうとすると、そうはさせまいとヘイヤ・ヘイヤが動いた。


 再び一瞬で距離を詰める。



「なっ!?」


「おひょお…… ひょ?」



 アネスティーが驚愕するも、ヘイヤ・ヘイヤも驚いていた。



「私に背を向けるとは、余裕だな。だが、それが命取りとなることを学ぶといい」



 クロと呼ばれた女がヘイヤ・ヘイヤへと手を翳している。


 それだけで、ヘイヤ・ヘイヤは身体の自由を奪われていた。



「今のうちに行け」


「すまない!」



 ホーネストが床を蹴り、大きな翼を広げて、壁に空いた大穴から外へ飛び立つ。


 その穴の前には、大きな体格の黒毛の鷲獅子グリフォンが仁王立ちするように悠々と立ち、その左右を守るように、茶色の鷲獅子グリフォンに跨った、背中に赤い模様の入ったローブを身に纏った女が、背骨のような武器を抜刀し、ヘイヤ・ヘイヤの様子を窺っていた。



「人知れず海へ落とすなど手緩い。私なら、敵で敵の戦力を削る。その為に、あの駒を殺させる訳にはいかないんだよ」



 そう告げた女は、金色の鷲獅子騎士団グライフスヴァルトへ潜入した、後家蜘蛛ゴケグモ黒崖クロガケだった。



「あひゃひゃ!」



 ヘイヤ・ヘイヤが大きな声をあげ嘲笑すると、黒崖クロガケの手が弾かれた。


 同時に、ヘイヤ・ヘイヤの拘束が解かれる。



「ふん。少しは楽しめそうだな」


「あひゃひゃ、あひゃひゃ」



 床に降り立ったヘイヤ・ヘイヤは、カチカチと前歯を嚙み鳴らすと、手から鋭い爪を生やし、涎を垂れ流しながらこう告げた。



「極上の、特大のお肉がやってきひゃぁぁあああ!!」



 同時に天井から大量の眠りネズミが一斉に降り注ぐ。



「来るぞッ! 迎え撃てぇぇえええッ!!」



 黒崖クロガケの命を受け、左右にいる鷲獅子グリフォンに跨った背赤セアカと、王の間へ侵入した構成員達が一斉に構える。


 こうして、マサトの思惑とは違うところで、プロトステガ攻城戦の火蓋が切られたのだった。


――――――――――――――――――――

▼おまけ


【UC】 浄化の閃光クレンジングライト、(白)(X)、「インスタント」、[黒魔法打ち消しLvX] [黒マナ打ち消しLvX]

「天使が悪魔を浄化させるのは敵だからではない。闇に堕ち、悪魔へと姿を変えた天使達をあるべき場所へと帰すためだ――カタリナの大天使」

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