217 - 「会心の一撃」


 右手の指三本を床に付け、目の前の双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルを見据えながら、背後にいる囚人達へ声をかける。



「俺の背後に立つな。焼け死ぬぞ」



 その言葉に、最初は何を言われたのか分からなかった囚人達も、俺の背中から火花があがるのを見て、慌てて退避した。



「ふぅ……」



 一度呼吸を整える。



(俺はまだ甘いな…… だが、これで集中できる)



 足の裏と背中にマナを溜めつつ、右足を一歩後ろに下げ、スタートの合図を呟く――



「――セット」



 頭は上げたまま、目の前の双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルをまっすぐと見据える。


 双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルは、二つの頭部を持ち上げたまま、こちらを警戒しているだけだ。



(ここで俺を攻撃しないお前も馬鹿だが、甲羅で身を固めるお前に全力で突っ込もうとしてる俺も馬鹿だな)



 自嘲の笑みを浮かべながら、俺はありったけの力でその一歩を踏み出す。



「――ハット!!」



 後ろに引いた右足からスタートを切ると同時に、背中から特大のジェット噴射をぶっ放す。


 ゴゴゴゴォオオオと音とともに、背中から特大の火柱が発生し、足の裏に込めたマナを放出しながら強く蹴り出すと、その瞬間に地面が爆発。


 炎と大量の土を後方に撒き散らした。


 炎の翼ウィングス・オブ・フレイムと足に込めたマナによって得た推進力で一瞬で加速した俺は、ミサイルが如く一直線に双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルへと突っ込んでいく。


 標的は、その巨大な甲羅の正面中央。


 そこへ、勢いをつけたまま、マナを込めた右拳を放つ。


 紅色の炎を纏いつつ、黄金色に輝いた右拳が、甲羅に接触しようとしたその瞬間、今度は拳に纏わせていたマナを解放した。


 拳が眩いばかりの白い閃光を放つと、強固そうな甲羅は円形に陥没し、そのクレーターから発生した亀裂が甲羅全体へと複数走った。


 その衝撃の勢いは止まらず、俺に殴打された双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルは、衝撃に押されて前足を浮かせ、そのまま後方の壁へと仰向けに転がるように吹き飛ぶ。



――クゥゥオオオオ

――――クゥゥオオオオ



 双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルの断末魔が木霊すると同時に、吹き飛んだ双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルが壁に衝突した衝撃で部屋全体が揺れた。


 壁が軋み、天井からはパラパラと欠けた壁面の粉が舞い落ち、地面からは再び土煙が舞い上がる。


 ショーを楽しもうと集まり、マサト達を見て騒いでいた乗組員達は、あまりの出来事に言葉を失った。


 いつの間にか、場は沈黙が支配し、マサトの足が砂を踏む音だけが響く。



(案外呆気なかったな)



 割れた甲羅から臓器を垂れ流し、首を力無く垂らして動かなくなった双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルを見つめる。


 ここへ辿り着くまでに看守共を殺して手に入れた無色マナは全て使った。


 出し惜しみせずに戦った結果だ。


 だが、無色マナでも、それがマナであれば強力な武器となる手応えは掴めた。


 この亀のマナが例え無色でも使い道はあるが、有色であれば、今後の選択肢はかなり増えるだろう。



(マナよ……)



 淡く、青い光の粒子が双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルの亡骸から溢れ出す。


 俺はそれを、マナ喰らいの紋章の刻印された胸へと取り込んだ。




◇◇◇




「う、嘘…… 双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルが殺られた? それもたった一撃で!?」



 ヴァルト帝国南部の海域を独占する奴隷商ギルド――海亀ウミガメのNo.3、巨大奴隷船オサガメの船長であるプセリィ・フォルスが、目の前で起きたことが信じられないといった様子で呟く。


 だが、それはそこに居合わせた乗組員全員が抱いた感想と同じだった。


 誰も双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルが倒されるなど露ほどにも考えていなかったのだ。


 ましてや、たった一撃で倒されるなど――



「一体何がどうなってるっていうの!? 双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルの甲羅を人族が素手で殴り割る!? わたくしは悪い夢でも見てるの!?」



 取り乱したプセリィが、近くにいた乗組員に掴みかかる。



「いいえ! あの奴隷は背中から炎を出していましたわ! 強力な加護に違いないですわ! じゃあなんであの奴隷は加護を使っているのかしら!? 倦怠の印マークトーパーはどうなってるの!? あなた! 答えなさい!!」


「ハ、ハッ! 倦怠の印マークトーパーは、け、健在であります!」


「ならどうしてあの奴隷は炎を纏っているの!? 説明なさい!!」


「そ、それは…… 分かりません……」


「チッ! 使えないわね!!」



 苛立ったプセリィが説明した乗組員の頬を引っ叩き、別の者へ聞き直す。



「あの奴隷は何者!? 誰か知ってる者はいないの!?」


「あ、あれは確か、西部に打ち上げられていた漂流者かと」


「漂流者?」


「は、はい、例の津波に巻き込まれたうちの一人です。ずっと意識を覚まさなかったようなのですが、身体がとにかく頑丈で、大抵の傷は次の日には治る特殊な加護をもっているらしく、そこに興味をもたれたララ様がご購入された奴隷です。ただ、ご購入された後も、あまりに目を覚まさないので、最近は放置されていたようで……」


「ララ…… またあの子の。分かったわ。今すぐララを呼びなさい」


「はっ!」


「呼ばれなくとも、もうここにいるかしら」



 皆が声のした方向に視線を下げると、そこには子供くらいの身長の幼女がちょこんと立っていた。


 目はくりくりとしていて大きく、ボブに切り揃えた髪を、後ろでちょこんと束ねている。



「ララ、あなたいつの間に」


「ララは最初からずっとここにいたかしら。おまえたちが気付かなかっただけなのよ。プンスコ」


「口に気を付けなさい。船長のわたくしに向かっておまえとはなんですの?」


「おまえも口に気を付けるかしら。倦怠の印マークトーパーを刻印できるのは、アクランド家のララだけなのよ。忘れたのかしら。こんな薄汚いちっぽけな船の船長と、最上位支援魔法師ハイ・エンチャンターのララでは、比較対象にすらならないのよ。勿論、ララの圧勝かしら」


「う、薄汚い…… な、なんですって!?」


「そんな事より、あいつ相当ヤバいかしら。早く何とかするのよ」



 ララが指を指した方向に皆の視線が戻る。



「あれは、何をしているの……?」



 プセリィの瞳に、息絶えた双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルの亡骸から、水色に輝く淡い粒子を吸い取っている奴隷が映る。


 プセリィの問いには、ララが答えた。



「目に見える程に濃厚な魔力マナを、あいつが殺した亀から吸収しようとしてるかしら。厄介そうな加護なのよ」


「相手の魔力マナを吸収!? どういうこと!? 倦怠の印マークトーパーの効果範囲内ではないの!?」


「そんなに怒鳴っても、ララも知らないかしら。倦怠の印マークトーパーは確かに発動しているのよ」


「知らない!? そんないい加減な回答で納得できると思って!? 一体何の加護なの!? ララ! 教えなさい!!」


「だから知らないって言ってるのよ! 耳だけじゃなく頭までイカれたのかしら。あいつの事はララも何も知らないのよ。何も知らないし、何も分からなかったから購入したかしら。加護写しの水晶トレースクリスタルでも加護が解読できなかった人族は初めてなのよ」


「なっ!?」


「早く何とかするかしら。あいつの用が終わったら、次はこっちが狙われる番なのよ。ララが怪我したら、本土にいるアリス・・・が黙ってないかしら」


「キ、キィイイッ! どいつもこいつもッ! いいわ! わたくしが行きます!!」



 不遜な態度を取るララに憤るも、名家に属するアクランド家の継承者であり、最上位支援魔法師ハイ・エンチャンターであるララが、船長である自分よりも重宝される存在であることを理解しているプセリィは、歯を食いしばりながら一通り奇声をあげた後、その場を後にした。


 そんなプセリィを気にも留めていないララは、双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルの亡骸の前で前を向いてボーっと立ち尽くす男と、その後方で、双頭の噛み付き亀トゥーへデッド・タートルを倒してみせた男のことを、喜びを抑えきれんばかりの笑顔で見守る金髪の男を見ながら、溜息混じりに呟く。



「あの馬鹿はあそこで何してるかしら。念の為、見張りを頼んでおいたことを忘れて、完全に楽しんでる顔なのよ。まったく。どうする気かしら」

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