175 - 「蛙人討伐戦、前夜」


「もう行くのか?」



 ベッドの上で、毛布から半身を出したレイアが、俺を呼び止めるようにそう語りかけてくる。


 起き上がったレイアがそのまま前屈みになると、背に流していた銀色の美しい長髪が、肩から胸へとさらさらと滑り落ち、張りの良い胸へとかかった。


 どんな引き止めの言葉よりも、俺の足を止めさせる威力のある褐色の二つの膨らみが、その存在を主張するかのように視界へ飛び込んで来る。


 それを分かっているのか、レイアは挑発的な笑みを浮かべていた。



(くっ…… レイアは本当に男を垂らし込むのが上手いな…… ダメだダメだ…… これ以上ここにいたら蛙人フロッガー討伐に間に合わなくなる。そしたら、シルヴァー戦までに力が足りなくてバッドエンドになりかねない。それじゃダメだろ! 早くその胸から目を引き剥がせぇええ!!)



 錆びついた鉄細工がギシギシ音を立てながら動くように、首を少しずつレイアの方向からズラす。



「い、行くよ。フログ湿地帯までは、そこそこ時間がかかるからね」


「フッ、そうか。もう行くのか。残念だ」



 そう揶揄いながらも、レイアは俺への心配の言葉も忘れない。



「お前なら心配いらないだろうが、油断だけはするな」



 この緩急が狡い。


 きっと、俺がレイアの誘いを断らなかったら、レイアは怒って俺を送り出すだろう。


 つまり、最後のあれは罠で、俺を揶揄って遊んでいるだけなのだ。


 だから俺は、可能な限りレイアに未練がないように振る舞わないといけない。


 これ以上、女に溺れる男を見せるのはかっこ悪すぎる。



「あぁ、気を付ける」



 そう告げて部屋を後にする。


 結局、蒼鱗様を召喚した後、屋敷へと戻った俺は、朝までレイアとベッドを揺らしたのだった。


 オーリアとの一件は素直に白状した。


 当然、レイアの機嫌は悪くなったが、直前で手に入れた「マツザカ牛の最高級霜降り肉」が役に立った。


 きめの細かいサシ――霜降りに、口に入れた瞬間にトロける脂肪、そして舌触りの良い至極柔らかな肉質と、鼻を抜ける深みのある上品な香り。


 これらは、美味しく食べる為に品種改良され続けた家畜にしか存在し得ない究極の芸術作品だ。


 そんな家畜など、この世界には存在しない。


 故に、この肉を一口食べたレイアの驚きは、彼女を数秒間失神させる程の衝撃に達したのだった。


 気絶から復帰したレイアが、感動の涙を流しながらゆっくりと肉を堪能した後、それまでの不機嫌が嘘だったかのように上機嫌になったのは言うまでもなく――興奮したレイアに押し倒されるようにベッドへ雪崩れ込んだという展開だ。


 そのせいで寝る時間などほぼなかったが、心と性欲は十二分に満たされた。


 マツザカ牛の最高級霜降り肉は、[ライフ上限+1] の効果があるため、それを食べたレイアは、以前と比べて死ににくくなっているはず。


 これでレイアの加護は、[影の加護] [火の加護] [炎の翼ウィングス・オブ・フレイム] [ライフ上限+1] となった。


 [ライフ上限+1] は、加護扱いではないかもしれないが、それはそれで解呪ディスペルなどで解除されることのないメリットになるので良しとする。


 装備品は火走りの靴、火投げの手袋、起死回生の指輪。


 [火の加護] には、[装備補正+1/+1] の能力があるため、これでレイアは少なくとも+1/+2の加護を受けていることになる。


 出会った頃からレイアの身体能力は高かったので、[火の加護] を付与する前から1/1のサイズはあったはず。


 となると、2/3 サイズ。


 これだと、まだ少し心許ない。


 種族差もあるため、だからどうということはないのだが、こうやって現地の人間のサイズを考えていくと、どの程度の敵にまで通用するのか事前に想定しておくことができる。


 それと、何だかんだちょっと楽しかったりする。


 強化系バフのカードは、手元に残り二枚。



[C] 神聖な力ホーリーストレンクス (白) 

 [能力補正 +1/+2]

 [耐久Lv1]


 と、


[C] よじれた闇の意識ツイステッド・ダークネス (黒×2)  

 [能力補正 +3/-1]

 [耐久Lv2]


 だ。



 前者ならまだ良いが、後者はレイアが闇落ちしかねないので論外だろう。


  虹鳥の魔力マナが回復したら、神聖な力ホーリーストレンクスで強化してあげるのも悪くない。


 そうすれば、3/5 レイアの誕生だ。


 これなら安心できる。


 そう考え事をしながら屋敷の中を歩いていく。



「いや、どうせ強化するなら、[状態異常無効] というチート適性を保有しているベルの方が良いか?」



 屋敷の玄関から外へ出る間際、つい独り言を零すと、意外な人物から返答が返ってきた。



「え? わたし?」


「うおぉっ!? ベル?」



 屋敷の扉を開けると、扉のすぐ外にベルが立っていた。


 ショートカットの白髪に、空色スカイブルーの瞳。


 昔、この地を治めていた王族――ギガンティアの末裔である娘だ。


 ロサの村を訪れた時に窮地を救ってからは、竜語りドラゴンスピーカーのメンバーとして一緒に暮らしているのだが、後家蜘蛛ゴケグモとの抗争以降、何かとイベントが多くてちゃんと話す機会が少なかったように思う。



「朝早くからそこで何してたの?」


「えっと…… マサトを待ってた」


「俺を?」


「うん、早朝に蛙人フロッガー討伐に発つって聞いてたから……」


「そ、そう……」



 そうなら外で待たずに部屋まで呼びに来れば良かったのにと喉まで出かかったところで、部屋まで来られたらかなり気不味いことになってたなと思い直し、寸前まで出かかった言葉を飲み込む。


 いや、もしかしたら、部屋まで来たところで踵を返して外で待っていたのかもしれない。


 レイアは声をあまり出さないタイプだが、代わりに動きが激し過ぎて、ベッドの軋む音やら肌と肌がぶつかる音とかが部屋の外まで響いていた可能性がある。



(もしかして…… 聞かれてた?)



 かなり気不味いので、こちらから話題を振ることにする。



「あ、そう言えば、鷹のプレゼント、かなり助かったよ。あれがなかったら、闇の手エレボスハンドに襲われた時に結構ヤバかった」


「本当? 良かった。でも、一匹しか狩れなくてごめんね」


「いやいや、俺でも奇跡的に一匹狩れただけだし、むしろよく狩れたね」


「う、うん。わたしも運が良かっただけかも」


「まぁ、空を飛ぶ鷹は想像以上に素早いからね。あれは仕方ない」


「ふふ、そうだね。あれは反則だね」



 そう話しながら、お互いに笑い合う。


 共通の苦労話があるのは良いことだ。



「わたし、冒険者ランクCに上がったんだ。レベルも35になった。異例の早さだって」


「へぇー、それは凄いね。確かあの頃は、ベルはレベル1で、俺はレベル8だったね」



 俺のは紋章レベルだけど。



「今の俺はレベル30だから、いつの間にか抜かれちゃったか」


「マサトのレベルは、わたしのレベルとは違うよね? 古代語で書かれてたって知ってるよ。それ、マジックイーターとしてのレベルってことでしょ?」


「あー、バレたか。そう、そんなところだと思う。そういう俺も詳しく知らないんだけどね」


「そうなんだ。ふふ、変なの」



 クスクスと控えめに笑うベルの髪が、朝陽を浴びてキラキラと輝く。



「わたし、もっと頑張るね」



 そう宣言しながら、俺に抱きついてくるベル。



「ベ、ベル?」


「少しだけ、少しだけこのままで」



 ベルの囁きが耳に届き、仄かな花の香りが鼻をくすぐる。


 背中に回された手からは、少しずつ力が込められ、ベルの柔らかな胸の膨らみがぎゅうと押し付けられた気がした。



「頑張って、追い駆けるからね」


「え?」


「マサトがどんなに遠くに行っても、わたしは諦めないよ」


「お、おう」



 何で? なんて野暮なことは聞かない。


 ベルの何がそこまで突き動かしているのかは分からないが、美少女から純粋な好意を向けられて嬉しくない男などいないだろう。


 ハーレムに憧れはあったが、実際に複数の女性から好意を向けられると、やっぱりゲームや小説のように上手くはいかないか、と溜息が出そうになる。


 いっそのこと、全員側室にする! と宣言できるくらいの無神経さが自分にあれば良かったのだが……


 今の自分には、こう伝える事が精一杯だった。



「ベル」


「ん? なに?」


蛙人フロッガー討伐から戻って来たら、ベルにも新しい加護をあげるから、楽しみに待ってて」



 喜ばれると思って告げた言葉にベルが驚き、咄嗟に身体を離した。



「え? わたしに? い、いいよ。もう、これ以上、マサトから貰えないよ。わたしのことは気にしないで。わたしはわたしで頑張るから」



 何か負い目を感じているのだろうか?


 それとも別の何かが?



「そんな事言って、また無理してない? 俺はそんなベルが心配だよ」


「心配……」



 心配という言葉に、ベルの表情に影が落ちる。


 そう言えば、ベルは後家蜘蛛ゴケグモで囚われた時のことを酷く気にしていた気がする。


 もしかしたら、その日を境に、強くなろうと必死に努力しているのかもしれない。


 もしくは――



「これは俺の勘違いかもしれないけど、ベルが今のままでも、俺は決してベルを見捨てたりしないよ。もし、守られるだけの自分に負い目を感じてたり、居場所がないとか、生きている意味がないとか錯覚しているなら、それは全くの間違い。ベルは、俺にとってそこに居るだけで安心できる存在だから、あまり自分を追い詰めるようなことはしないでね」


「マサト……」



 頭が悪くて、要領もよくなくて、会社から必要とされていないとか、同僚の足を引っ張ってしまっていると考えた時、どうしようもなく不安になることが日本ではあった。


 ベルがそうとは限らないが、常に誰かに頼りにされたり、常に誰かに必要とされていないと不安になる人は多いはず。


 そういう人は共通して、盲目になれる程の趣味や目標、あるいは生き甲斐をもっていないとか、見つけられていないという共通する悩みがあると俺は考えている。


 ベルは物心ついた時からつい最近まで、呪いの古代魔導具アーティファクトのせいで、ロサの村という限られた狭い世界で生きていた。


 行動も交流も制限された世界だ。


 自分を縛っていた楔が突然なくなり、圧倒的な自由を感じたまでは良かったのかもしれない。


 だが、自由と孤独は紙一重だとも思う。


 依存のない、自由な世界で過ごしていくうちに、体験したことのない不安感に襲われたのだろう。


 その可能性は大いにある。


 ベルは見た目や言動こそ大人っぽいが、まだ12歳なのだから。


 自由を謳歌できるほど、まだ精神が成長しきっていなかったのかもしれない。


 誰かに褒められたい、認めてもらいたいという承認欲求も強いのだろう。



「まぁ、あまり無理するなって言っても、逆に不安になるだけかもしれないし、いっそのことこうしようか」



 だから、俺はベルに目標を与えることにした。



「俺がシルヴァーとの戦いに勝って、ベルが怪我をすることなく冒険者ランクBにまで昇格できたら、今度どこか旅に出ようか。この世界を知るための旅に」


「えっ、え!? ほ、本当!?」


「本当。まぁ最初はフログガーデンの南に行ったり、身近な場所からだけど。何人かでパーティ組んで……」


「やったぁああ! マサトありがとう! わたし、わたし頑張るね!!」


「う、うおっ!?」



 話の途中でベルが抱き着いてきたので、最後まで言えなかった。


 だが、まぁ大丈夫だろう。


 俺も紛争やら暗殺やらで疲れてきたので、何処かでのんびり旅行気分を味わいたいという本音はある。


 バカンスなんていう概念は、この世界に存在しないかもしれないが。



「いいか? 無理して怪我でもしたら行かないぞ?」


「うん! 大丈夫! わたし身体だけはずっと健康なままだし、すごく丈夫だから!」


「いや、だから、今までそうであったとしても……」


「よ〜し! すっごいやる気出てきたよ! マサトと旅かぁ…… 楽しみだなぁ……」



 俺の話を最後まで聞かずにトリップし始めるベル。


 余程嬉しかったのか。


 喜んでもらえたならそれで良いか?



「おーい、ベルちゃーん?」


「あっ! ごめん! 何か言ってた?」


「まぁいいさ。ほんと、無理だけはするなよ?」


「うん、無理しない。だから、マサトも無理しないでね?」


「そう来たか。そうだね。俺も無理しない程度に頑張るよ」


「うん! それならわたしも無理しない程度に頑張るね!」



 そう言って再び抱き付かれる。


 今度はすぐに離れたが、ベルの頬はほんのり赤く染まっていた。



「いってらっしゃい」


「おう! 行ってきます」



 炎の翼を広げ、空へと飛び立つ。


 地上ではベルが元気よく手を振っている。


 俺はベルへと手を振り返すと、並走してきた真紅の亜竜ガルドラゴンの背に飛び乗り、そのまま蛙人フロッガーの待つフログ湿地帯へと向かうのだった。


――――――――――――――――――――

▼おまけ

[UC] マツザカ牛の最高級霜降り肉 (0) 

 [ライフ上限+1]

 [耐久Lv1]

「私はマツザカ牛の為なら死ねる――肉に恋い焦がれるレイア」

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