173 - 「恋は人を変える」


 トレン、ロイと別れた俺は、フロン達が住んでいる旧領主館へと向ったのだが、道中でちょっとしたトラブルに巻き込まれたせいで、日が傾いてきてしまっていた。


 

「思いの外、時間食われたな……」



 少しだけ街の様子を見て回ろうと、人通りの多い路地に出たのがいけなかった。


 俺に気付いた誰かが叫び、あれよあれよと言う間に人だかりが出来、その人の輪から抜け出すのに相当時間がかかったのだ。


 路地には見なくなって久しい露店が再び並び、公国からの客を迎える準備は整いつつあった。


 待ち望んだ交易再開に、街全体がお祭りのように活気に溢れている。


 その中へ、その活気を取り戻すきっかけを作った渦中のヒーローが現れたとあれば、当然皆が放っておく訳がない。


 とはいえ、仮にも俺は王族の身分となった。


 常識として礼儀を弁えているのかと思いきや、そういう訳でもなかった。


 少なくとも、最初は皆畏れ多いと距離を置いていたのだが、酔っ払いが皆の心理障壁を壊し、俺がその酔っ払い相手に「しょーがねぇな、このおっさんは」みたいな感じで親しく接したもんだから、一人、また一人と俺に絡む奴が増え、身動きが取れなくなる状況を作ってしまった。


 反省はしている。


 皆に揉みくちゃにされた挙句、色んな食べ物を持たされ、食わされ、飲まされ、胴上げされたり、担ぎ上げられたり、それはもう大変だったが、皆が喜んでいる様を間近で感じ取れたのは良かった。


 フロンへの手土産も大量にゲットできたし、結果オーライだと思っておこう。

 

 手土産にしては異常な量の手荷物を持った俺に門兵が気が付き、焦って門を開ける。



「マ、マサト王!? よ、ようこそいらっしゃいました! わ、私がフロン様のお部屋までご案内いたします!!」


「あ、ああ。頼む」



 門兵へと案内され、フロンの待つ応接間まで通される。


 てっきりまたいつもの三人で居るのかと思ったが、意外にも今日はフロン一人だった。


 急いで身嗜みを整えたであろうフロンが、何事もなかったかのように話を切り出した。



「ようやく顔を出したわね…… って、何? その大荷物」


「ん? ああ、これ? フロンへのお土産。ここに置いておくよ」


「あ、ありがとう」



 フロンが呆気に取られている。


 だが、すぐ頭を振って気を取り直すと、再び眉間に皺を寄せて声を荒げた。



「そ、そうじゃなくて! 今の今まで一度も顔を出さないなんて、一体何を考えているの? 今日も顔を出さないのかと思ったのよ?」



 肩にかかっていたブロンド髪を後ろへと振り払う。


 その顔は赤く、よくよく見れば、髪を振り払った手の指先は微かに震えていた。



「悪い。黒死病ペストが治ったと思えば、闇の手エレボスハンドに襲われたりと、色々立て込んでたんだ。その後、公国へ殴り込みにも行ったし」


「そう! それよ!」



 フロンが腰に手を当てながら、指をビシッと差し向ける。



「ん…… どれ?」


「公国へ行ったこと! 私へ相談もなしに公国と国交を結ぶなんて……」


「あー、駄目だった?」


「駄目じゃないけど…… この国の王はあなただし…… でも…… 相談くらい……」



 フロンが何か言いたそうに顔を歪ませながらも、喉元まで出かかった言葉を必死に堪えている。



「もうっ! もういいわ! 何でもない!」



 子供が拗ねるようにそっぽを向くフロン。


 暫く見ないうちに、言動がより幼くなったように思えるのは気のせいだろうか?



「そういえば、今日はフロン一人なの? 護衛は?」



 そう聞いた直後、ドアのノック音が部屋に響いた。



「マサト様、姫様、紅茶をお持ちしました」


「いいわよ。入ってきて」


「はい」



 フロンの専属メイドかつ秘書かつ護衛のレティセが、アンティークのティーポットとコップを載せたワゴンを押して現れる。


 慣れた手付きで紅茶を入れ、机の上へと差し出すと、フロンの言葉を待たずにレティセが俺の質問に答えた。



「本日は、マサト陛下と姫様のお二人で話し合うことがあると伺っておりますので、オーリア様には退出していただきました」


「お、おう」



 そう告げたレティセだったが、自身に至っては退出する素振りすら見せず、フロンの斜め後方の定位置へ移動したままこちらの様子を伺い始めた。



「ん…… ん? あの……」


「私のことはどうかお気になさらずに」


「いや…… 気にするなというのは無理が……」



 俺の訴え虚しく、レティセは澄まし顔でスルー。



「無駄よ。レティセは頑固だから」


「姫様程ではありません。マサト陛下がお見えにならなくなってから、毎日呼び札コールプレートを眺めては、まだ何も来ない、まだ何も来ないとずっとブツブツ呟いていたの、私が知らないとでも思っていましたか?」


「ちょっ、わぁー! わぁあああ! な、なななに言ってるの!? レティセ!!」



 フロンが顔を真っ赤にさせ、あたふたしながらレティセに抗議を入れる。


 だが当人のレティセは、フロンの訴えも何処吹く風で、暴露を続けた。



「マサト陛下が黒死病ペストにかかったと聞けば、半べそをかきながら寝間着のまま外へ飛び出して行こうとしましたし、感染するから駄目だと何度もお伝えしたのに、夜な夜な領主館から抜け出そうともしましたね。マサト陛下の療養場所が何処かも知らされていないというのに、外へ出て何処に行くつもりだったのでしょうか」


「わぁあぁあ!? レ、レティセ!?」


「サーズから届けられた空を喰らう大木ドオバブで作ったパンを食べる度、マサト陛下が今どうしているのかと溜息を吐かれる私の身にもなってください」


「や、やめて! お願いだからそれ以上言わないで!」


「あのポンコツ…… 失礼…… オーリア様がマサト陛下に手篭めにされたと聞いた時は、一日中部屋に篭って啜り泣いていたのも、知っているんですよ。初夜すら迎えてない本妻の私を差し置いて、先に側近のオーリアを抱くなんて! 私なんて死んだ方がいいんだわ!って」


「な、泣いたのは事実だけど、そんな事一言も言ってない! じゃなくて! ねぇ!? レティセ、私の言葉聞いてる!? 無視しないで!?」



 レティセの猛攻に、とうとうフロンが涙ぐみ始める。


 なんだか…… 色々聞いてて辛い。



「その…… ごめん……」


「なっ!? なんであなたが謝るのよ!」


「いや色々と……」


「うぅ…… 謝らないでよ…… 余計に惨めになるじゃない……」



 とうとうフロンの瞳から涙が溢れ落ちた。


 それでも必死に泣かまいと堪えている姿を見て、心が少し揺れ動く。



「マサト陛下、オーリア様を抱くのはお止めしません。陛下も男ですし、一時の気の迷いもあることでしょう。でも、これだけはご理解ください――」



 レティセが一呼吸あけ、俺の目を真っ直ぐ見つめてくる。



「マサト様のいない間、フロン様は常にマサト様の身を案じておりました。国や立場関係なく、一人の人族として、マサト様の身を。その気持ちに嘘偽りはございません」



 そして、懇願するような声で訴えた。



「どうか、マサト様のお子様を最初に授かる権利は、本妻であるフロン様にお譲りくださいませ」



 そう告げ、深々とお辞儀するレティセ。


 そんな事を言われるとは思ってもみなかった俺は、咄嗟のことで言葉を失う。


 頭を上げたレティセと再び目が合い、レティセの「よろしいですか?」の駄目押しに、つい「分かった」と返事を返してしまう。



「ありがとうございます」



 レティセがにっこり微笑む。


 俺の言葉に、鼻の頭を赤くしたフロンは目を丸くしていた。



「ほ、本当……?」


「え? あ…… えっと……」



 今更、言い間違いとは言えない雰囲気……



「ありが、とう……」


「あ……」



 そう涙ぐみながらお礼を告げたフロンは、触れたら壊れてしまうような儚さを含んだ、とても繊細で、美しい笑みを浮かべた。


 紛れも無い美少女の涙の微笑みに、俺は息をするのも忘れるほどに魅入ってしまっていたのだった。




◇◇◇




「姫様、良かったですね」


「……え? あ、うん……」



 マサト陛下が退出された後、姫様はずっとこの調子。


 心ここに在らず。


 でも、今回は少しだけその余韻に浸る権利があります。


 何より、私が計画した『泣き落とし作戦』が成功したのですから。


 押して駄目なら引いてみよ。


 素晴らしい格言です。


 マサト陛下は女の涙に弱いという情報は本当だったみたいですね。


 今回の姫様は、一国の姫という名に相応しい魅力を前面に出せていたので、当然の結果かもしれませんが。


 素の姫様は、本当に美しく、可愛らしいお方なのです。


 蛙人フロッガーの王と環境のせいで、少し…… いや、かなり性格が歪んでしまいましたが。


 しかし、マサト陛下は少しチョロ過ぎますね。


 これは落とし子対策をしっかりしないと、後の権力抗争問題に発展する恐れがあります。


 私が引き続き目を光らせておく必要があるでしょう。



「姫様、マサト陛下が持参してくださったお土産、私の方で仕分けておきますね」


「……え? あ、うん……」



 可愛らしい姫様。


 このように純粋無垢な姫様を見るのはいつ振りでしょうか。


 誰も引き出せなかった姫様の魅力を引き出したのは、紛れもなくマサト陛下です。


 良い殿方に巡り会えましたね。


 私、レティセは、姫様の恋が成就できるよう、陰ながら応援していきますよ。



「それでは、私はオーリア様の様子を伺って参ります」


「……うん」



 フロン様のいる部屋から退出した私は、オーリア様が待機している隣の部屋へと移動し、ドアの前で入室の許可を求めました。



「オーリア様、レティセです」


「あ、ああ! 入っていいぞ!」



 意を決したかのような返事。


 姿を見なくとも、その緊張が手に取るように分かります。


 情けない。


 ドアを開けると、顔を真っ赤にさせた状態で、ソファーの上に正座しているポンコツが目に入りました。



「はぁ……」


「な、なんでいきなり溜息!?」



 私は、この大きな娘をどうするかについても、作戦を考えなければならないのが、頭の痛いところです。


 いっそのこと妊娠していてくれてれば楽なのですが、そうなると第一子が姫様ではなくなりますし……



「さて、どうしましょうか」



 怯えるポンコツを目の前に、私は王国再建に向けて頭をフル回転させるのでした。

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