138 - 「サーズの集落」

 ひび割れた大地に、捲き上る砂塵。


 乾いた空気が細かい砂を運び、その地を歩く者の瞳に容赦なく飛び込んでくる。


 砂塵で視界が塞がれながらも、一同は目の前に聳え立つ空を喰らう大木ドオバブを目指し、黙々と歩き続けた。


 基本的に見晴らしの良い平地で、そこに身を隠すような場所は存在しない。


 あるのは、目の前に聳え立つ空を喰らう大木ドオバブのみ。


 こんな開けた場所で、空から竜種に襲われたらひとたまりもないだろう。


 その竜種もまた、空を喰らう大木ドオバブに捕食されてしまうらしいのだが。



「ノクトさん、なんでここ一帯だけ荒野なの? 少し南に行けば、すぐ森林地帯なのに」


「はい。噂程度でよければ聞いたことがあります」


「どんな噂?」


「はい。生命力の強い空を喰らう大木ドオバブが、大地の魔力マナを根こそぎ吸い上げているせいだと言われています」


「へぇ。まぁありえそうな話ではあるね」



 身体の大きさに比例して、その身体の維持に必要なエネルギーも大きくなるのは道理だ。



「しっかし、風強いな、ここ」


「はい。北部の山から吹き下ろす風が、空を喰らう大木ドオバブの生息地にぶつかることで二手に分かれ、丁度南の付近で合流している影響で、特にここ一帯の風は強いです」


「じゃあ、もう少し空を喰らう大木ドオバブに近付けば、風も弱まるのか」


「はい。もう少しの辛抱です」



 ノクトの言った通り、砂を舞い上げるくらいに強く吹き荒れていた風は、空を喰らう大木ドオバブに近付くにつれ、徐々に弱まっていった。


 空を喰らう大木ドオバブを、地球の生物に例えるのなら、それは北アフリカに生息し、その姿が「まるで悪魔が巨木を引き抜いて逆さまに突っ込んだ様だ」といわれているバオバブに近い。


 その大木を、地中からタコ足のように飛び出ている極太の根元付近から見上げる。



「根元から見上げたら見上げたで、また偉い化け物植物だなぁ。でかすぎるだろ、これ」


「はい。空を喰らう大木ドオバブは魔物の一種ですので、化け物という表現は間違っていません。ですが、この地に住む者達にとって、この魔物は外敵から守ってくれる防壁であり、生きるための恵みを分け与えてくれる、この地に住むものにとっての生命線でもあります」


「ほぉ、これがねぇ」



 超高層ビル並みに高く聳える空を喰らう大木ドオバブを見上げながら、これも魔物なのかとスケールの違いに自然と溜息が漏れた。


 空を喰らう大木ドオバブにしてみれば、人間などちっぽけ過ぎる存在なのだろう。


 となると、人間と共存しているというより、人間がこの魔物に寄生しているという表現の方が正しいのかもしれない。


 人間の存在などまるで気にしていないかのように雄々しく聳え立つ空を喰らう大木ドオバブの姿には、何処か神々しさすら感じてしまう程だ。


 すると、突然樹林の方から「コオオォ」という不気味な音が聞こえてきた。



「この音、何?」


「はい。風が地上に突き出た無数の根の間を通る時に鳴るようです。一説には、この音によって他の魔物が近付いてこないとも言われています」


「なるほどねぇ」



(生活の糧であり、外敵から身を守ってくれる防壁か…… これ、たとえ一本でも伐採許してくれんのかな……)



「そういえば、サーズの民って、遊牧民族じゃなかったっけ? どうやって居場所探すの?」


「はい。それは森の中心まで行けば分かります。各部族を束ねる固定の集落がありますから」


「なるほど。固定の場所が一応あるんだ」



 ノクトの話によると、空を喰らう大木ドオバブの群生地は円状に広がっており、サーズの民はその中心部に市場をおき、各部族がそれぞれの遊牧情報や必要物資を交換しているとのことだった。


 同じ場所に滞在できない遊牧民の知恵だろう。


 冒険者ギルドや商人ギルドこそ存在はしないものの、ローズヘイムからサーズへの物資輸送は度々依頼として出ているそうだ。



「オーリア、まだ歩けなそう?」



 市場へ向かって歩きながら、腕の中でお姫様抱っこされているオーリアへ話しかけると、オーリアがビクッと身体を震わせた。


 未だにオーリアは顔を両手で隠したままだ。


 時折、むずがるように脚を擦り合わせて身を少し捩ったりしていたが、その程度しか動いていない。



「す、すまない。も、もう大丈夫だ」


「まぁ、もしまだ駄目そうだったら、また抱っこしてあげるから」


「抱っ!? 大丈夫だと言ってるだろう! お、おろせ!」


「ばっ…… 暴れるなっつの!」



 何が気に触ったのか、途端に暴れ始めたオーリアを落とさないように地面におろしてあげると、少しふらつきながらも離れていく。


 依然として顔を両手で隠しながら、肩で息をするかのように息荒くこちらを振り返り、顔を隠した両手の指の隙間から、威嚇するような視線をこちらへ向けている。


 そんなオーリアへ、ノクトがいつものジト目で見つめながら呟いた。



「オーリア様、言葉遣い」


「す、すまない」


「いいえ。謝罪は私ではなく、陛下に」


「マサト…… 陛下、し、失言をお許しください……」


「身内だけの時は、いつも通りでいいよ」



(なんか是正される気がしないし……)



「身内……」


「はい。陛下がそうおっしゃるのであれば、私は問題ありません」


「すまない…… 助かる……」



 オーリアにも駄目だという自覚があるのか、顔を両手で隠したまま、気落ちしたように肩を落とす。


 すると、突如、真紅の亜竜ガルドラゴンがその大きな頭部を上げ、オーリアの方を見て低く唸り始めた。



「グルオォォ……」


「い、いきなりどうしたんだ!? わ、私に怒ったのか!?」


「お、おいガル。一体どうし…… あ」



 真紅の亜竜ガルドラゴンの感覚を知り得たその瞬間、オーリアの背後にあった木の幹――もとい、地上から出た極太の根の一部がモソモソと動き始めた。



「オーリア! 後ろ!!」


「な、何!?」


「落ち着いてください! 危害はありません! 攻撃しては駄目です!」



 木の根のように見えたその一部は、ゆっくりとした動きで左右に四歩ずつ生えた脚を動かしながら、その根を上へ上へと登っていく。


 すると、徐々に身体の色が黒色に変わり始めた。


 カブトムシのような見た目をしているが、頭部にはそれぞれ大きさの違う五本の角があり、前胸背板には黒背景に白色の模様が左右三対ある。


 だが、何よりも驚くべきは、その大きさだ。


 横幅だけで推定10mはある。


 体長も20mはあるだろう。


 その巨大なカブトムシが、空を喰らう大木ドオバブの根を這い上っていた。



「なんだあれ……」


巨人の盾甲虫ゴライアスオオツノです。こちらが危害を加えない限り、襲ってくるようなことはない大人しい魔物です。あれはまだ子供のようですが」


「あれで子供かよ…… まだデカくなるのか……」


「はい。成虫になると、あれの倍は大きくなり、背中の白い模様も金色へと変化します」


「それは凄いな…… 巨人の森に迷い込んだみたいな気分だ……」


「はい。集落には、この土地は別の世界から転移してきたという言い伝えも残っていますので、もしかしたら、この土地は巨人が住む世界からやってきた土地なのかもしれません」


「ありえそうな話だな…… はは……」



 MEにも、巨人族と呼ばれるモンスターは確かに存在した。


 召喚できれば心強いが、敵としてであれば厄介な存在になるだろう。


 できれば敵としては会いたくない。



 空を喰らう大木ドオバブの根を登っていく巨人の盾甲虫ゴライアスオオツノを見上げていると、落ち着きを取り戻したオーリアが、腕を組みながら会話に入ってきた。



「マサトのドラゴンがいる為に安心しきってしまっていたが、外敵がいない訳でもない。警戒は怠るな」


「今まで抱っこされてた奴の言葉とは思えないな……」


「はい。同意見です」


「う、煩い! いいから、先を急ぐぞ!」

 


 道無き道を、空を喰らう大木ドオバブの幹に刻まれた無数の傷を目印に移動すること数時間。


 ようやく目的の場所へ到着することができた。


 そこには、背の高い木の柵で周囲を囲んだ――立派な砦が存在していた。



「随分、立派な柵で囲われてるなぁ…… 空を喰らう大木ドオバブに守られているとはいえ、やっぱり外敵は存在するんだね」


「はい。ですが、大半の理由は、人族の居住地に、この土地に生息する生き物が侵入してこないようにという意味合いの方が強いです。先ほどの巨人の盾甲虫ゴライアスオオツノが空から落ちてきただけで、私達は潰れて死んでしまいますから」



 柵の奥からは、細い煙が立ち昇っており、お香のような臭いが漂ってきている。


 虫除けか何かだろう。


 すると、木の柵に設けられた矢窓が開いた。



「何者だ!」



 すかさず、ノクトが一歩前に進み出て、口上を述べた。



「私はノクト・アール! アール族の族長、ノード・アールの孫です!」


「ノード古老の孫……? 確かに古老であれば、孫娘の一人や二人、いてもおかしくないが…… 手形を見せろ!」



 ノクトが木で出来た板を掲げる。



「よし。だが、その巨大なトカゲは何だ? まさか、それもここに入れる気か?」



 トカゲ呼ばわりされた真紅の亜竜ガルドラゴンが、不満気にブフンと炎を漏らした。



「なっ!?」



 その炎に、見張り役の男が怯む。



「はい。あなたがトカゲと言った生き物はドラゴンです」


「そ、そんな馬鹿な…… な、なぜドラゴンが……」


「はい。このドラゴンは、マサト陛下が使役するドラゴンのうちの一頭です」


「使役…… だと……? ま、まて、他にもドラゴンがいるのか? 聞き間違いか……? いや、だが現に目の前に……」



 見張り役の男は、ノクトの言葉に理解が追いついていないようだったが、ノクトは構わず話を続けた。



「はい。数頭いるうちの一頭です。そして、こちらのお方が、ローズヘイムの新たな王、マサト陛下です」


「ローズヘイムの王……? どういうことだ……」



 矢窓からは多少距離はあるが、返答を受けた男の動揺が手に取るように伝わってきた。


 ここは、しっかりと使役できている様子をアピールすべきだろう。


 そう思い、真紅の亜竜ガルドラゴンへと念で指示を送る。



「ガル」



 俺が手を挙げると、真紅の亜竜ガルドラゴンが両翼を広げながら動き出し、俺が挙げた手に頭を擦り付け始めた。


 所謂、人懐っこさアピールだ。



「そ、そんな…… ドラゴンが…… 本当なのか……?」



 見張り役の男が狼狽する。


 反応は上々。


 だと思う。



「もう一人は、アローガンス王国の近衛騎士団クイーンズガード団長、オーリア様です。アローガンス王国の女王陛下の代理で同行していただきました。直ちに門を開け、総族長ナウイルとの面会を求めます」


「わ、分かった。暫しそこで待て!」



 結局、その場で小一時間待たされた後、ようやく中へと入れてもらえたのだが、その対応の遅さに、普段から感情を表に出さないノクトが怒りを露わにしていた。


 と言っても、表情の変化としては、少しムッとしている程度の変化ではあるが。


 オーリアは当然の如く、激昂中だ。


 何か揉め事を起こさないかと、見てるこっちがヒヤヒヤする。



 柵の中には、ログハウス風の建物が無数に存在していた。


 意外にも、木の上に家を建てるという訳ではなく、地面の上に普通に建ててある。


 というか、よくよく空を見上げれば、何故かこの一帯だけ空を喰らう大木ドオバブが生えていない。


 周囲の空を喰らう大木ドオバブがとてつもなく大きいので、一見ただ偶然空いた隙間のようにも思えなくもないが、それにしては綺麗に円形状の隙間が空いていた。



 集落の至る所に馬や羊――のような生き物がおり、すれ違う人達の服装は、皆、立衿で右肩と右脇についたボタンを留め、腰に色取り取りの帯を巻いた長衣を身に付けている。


 下はズボンとブーツだ。


 地球の衣装で例えるのであれば、モンゴルのデールのような衣装に近いだろうか。


 帯はファッションの一部なのか、肩から下げている者も多い。



「サーズの中央に位置するこの集落には、サーズに点在する部族が集まってきます。中には粗暴な部族もいますので、くれぐれも気を付けてください」


「お、おう。分かった」


「いいえ。陛下ではなく、オーリア様です」


「馬鹿にするな! それくらい弁えている!」


「本当かよ……」



 ノクトと一緒にオーリアをジト目で見つめる。


 オーリアは何か言いたげだったが、分が悪いと思ったのか、フンッと鼻息荒くそっぽを向いた。


 少しずつオーリアの扱いが分かってきたのかもしれない。



 総族長の屋敷へ向かって集落を歩いてはいるが、一頭だけ非現実的な存在が後ろを付いてきているため、その存在を見た者達は、総じて目を剥いて驚いていた。



「お、おい、あれドラゴンか?」


「でかい羽根つきトカゲじゃ…… ないのか?」


「お前、ドラゴン見たことあるのか?」


「見たことはないが…… ワイバーンにしては大きいぞ……」


「ハッ! 大きいと言っても巨人の盾甲虫ゴライアスオオツノに比べたら小せぇ小せぇ。所詮、ドラゴンもサーズじゃ狩られる側なんだよ」



 群がる野次馬を押し退けるように、体格の良い一人の男が俺たちの前に現れた。


 浅黒の肌に、焦げ茶色の短髪。


 両耳に金色のピアスが複数。


 首や腕にも金色のネックレスや腕輪がじゃらじゃらと付けられている。


 身体は相当鍛えているのか、大きく開いた胸元からは、適度に絞られた形の良い胸筋が覗いていた。


 とても、いい筋肉だ。


 言動も行動もそうだが、全身から自信が満ち溢れている感じが凄い。


 その証拠に、左右に女を侍らせている。


 肩を抱くように回した腕は、そのまま女の胸元に伸び、その服の中の膨らみを弄っていた。


 女の胸元がもぞもぞと動くたびに、女が悩ましい表情で喘ぐ。



(いやいやいやおかしいだろ。あいつなんであんな堂々と…… ありえん…… 公衆の面前で、乳揉んでるんだぞ? 揉まれてる方も、羞恥心とか皆無かよ……)



 頭のネジが数本ぶっ飛んでる奴の臭いがする。


 正直、一生関わり合いたくはない類いのタイプだ。


 そして、仄かに漂う酒の匂い。


 酔っ払っているのか、男も女も顔が赤かった。



「なんか凄い酔っ払いが出てきたけど…… って、ノクト?」



 普段から半目なノクトが、その男を見て目を大きく見開いていた。


 何だか只事ではない気配が漂う。



「グーノム……」



 ノクトの口から掠れた声が漏れる。


 その声を目敏く拾った男が、胡乱な目つきでノクトを見返した。



「あぁん? 誰だてめぇ……」


「はい…… ノクト…… です」


「ノクトぉ? そんな奴知ら……」



 男がそう言い捨てる前に、横にいた女が目を剥いて驚き、すぐさま胸元からグーノムの手を引き抜くと、慌てながらもグーノムの耳元へ何かを呟いた。


 その女の呟きを聞き終わったグーノムの瞳が、大きく見開かれる。



(まさか…… まじ……? あれって…… ノクトの……)



 嫌な予感が頭をよぎり、俺はノクトへと振り返る。


 ノクトの表情は硬く、顔色も悪い。


 そして、微かに唇が震えていた。


 俺は恐る恐るノクトに尋ねる。



「あの男がノクトの婚約者ってオチは…… まさか、ないよ、ね?」


「……いいえ。あの男が、私の婚約者です。名をグーノム・サーズ。総族長ナウイルの息子です」


「それは…… なんて言うか……」



 なんて言うか……


 御愁傷様?


 いやいや、違うだろ。


 まだ終わった訳じゃない。


 始まってもいない。


 もしかしたら、一夫多妻制かもしれないし?


 この状況、浮気現場に出くわしたみたいな修羅場だけど、まだ二人は婚約者同士だ。


 始まらずに終わるかもしれないが、政略結婚なら始まらないことはないだろう。


 多分。


 いや、実際はどうなのかはよくわからないが、この相手との結婚生活は、悲惨なものになりそうだっていうのは分かる。


 正直、ノクトにかける言葉が浮かばない。


 だが、グーノムは違かったようだ。



「あぁ! 思い出したぞ! ノクトって言やぁ、俺の婚約者じゃねぇか!」



 そう言うや否や、両脇に侍らせていた女を突き飛ばすようにして左右に追いやると、何事もなかったかのようにノクトへ近付いてきた。


 鼻をつくような濃い酒の匂いが漂う。



「前来たときはチビで根暗な奴だったから分からなかったぜ。なんだぁ…… ふーん。ちったぁ綺麗になったじゃねぇか。いいぜ、抱いてやる。付いて来い」


「い、いいえ……」



 グーノムが強引にノクトの腕を取り、連れて行こうとする。


 ノクトは抵抗するが、男の力は意外にも強いようだ。


 ズルズルと引きづられそうになっている。



(ノクトが抵抗してるってことは、これは止めてもいい案件だよな?)



 俺はノクトと、その婚約者である大男――グーノムへと近づくと、ノクトの腕を掴んでいるグーノムの腕を掴んだ。


 途端に、グーノムの動きがピタリと止まる。


 否、グーノムがノクトを強引に引っ張ろうと力を入れるので、俺も力を込めてその動きを止めたに過ぎない。



「てめぇ、何してんだ」



 胡乱な目つきを向けてくるグーノム。


 イラついているのだろう。


 額にいくつもの青筋が浮かんでいる。


 だが、俺は気にしない。


 淡々と事実を告げた。



「今、彼女を連れて行かれるのは困る」


「……何?」



 そう言いながらも、グーノムは腕を引っ張る力を緩めないどころか、全身の力を振り絞って掴まれた腕を引き剥がそうと動かしてくる。


 その力に比例するように、こちらも力を込めて、その動きを封じる。


 男二人の力比べだ。


 ネスの里のゴリラ――訂正、猿人のゴリに比べたら、目の前のグーノムなんて可愛いものだろう。


 全く力負けする気がしない。


 俺の握力により、グーノムの腕がミシミシと悲鳴を上げると、グーノムの顔が苦悶に歪んだ。



「……は、離しやがれ」


「お前がノクトの手を離せば、今すぐにでも離してあげよう」


「くそが!」



 腕を解放されたノクトが、掴まれた手を擦りながら、俺の背後へと下がった。



「陛下…… すみません。巻き込んでしまって……」



 ノクトの謝罪を背中越しに無言で受ける。



「離したぞ。いい加減その手を離せ」


「ああ、分かった」



 男の腕を離す。


 すると、その反動で、男が少しよろけた。


 俺の手から腕を引き抜こうと力を入れていたのだろう。


 俺に掴まれていた腕を触りながら、こちらを睨んでいる。


 だが、すぐさま視線を背後にいたノクトへと変えた。



「おいノクト! てめぇ、俺に何したのか分かってんだろうな!」



 ノクトは唇を噛み締めるように黙っている。


 ノクトとこの男にどんな事情があるのかは分からないが、あまり良いものではないのだろう。


 すると、そのやりとりを隣で見守っていたオーリアが突然吠えた。



「我はアローガンス王国の近衛騎士団クイーンズガード、団長オーリア・クトだ! 彼女は、女王陛下の勅命を受け、サーズの地を訪れた使者である! 無礼であろう!」


「……ちっ」



 イラついた表情のまま、舌打ちで返すグーノム。


 だが、オーリアは毅然とした態度で、グーノムへ睨み返している。


 ニ対一。


 さすがに分が悪いと思ったのか、グーノムは大きく溜息を吐くと、徐に両手を広げた。



「そうかよ。じゃあ好きにしろ。お前も、そいつも、その女もな」



 そう吐き捨てると、踵を返す訳でもなく、そのままノクトへ向かって歩き始めた。


 ノクトが身の危険を感じて後退る。



「おい、止まれ」



 グーノムの進路を、身体を割り込ませることで、無理矢理立ち止まらせる。


 グーノムは俺の顔を見て、にやついた笑いを顔に浮かべると、そのまま顔を近づけ、酒臭い息を吹きかけてきた。



「なんだぁ? 俺は帰ろうとしてただけだぜ?」


「嘘つけ。そんな見え透いた嘘が通じるとでも思ってんのか」


「はっ! とんだ言い掛かりだ! なぁノクト!?」



 グーノムが尚もしつこく絡んでくる様子を見せると、少し立ち直ったのか、ノクトがグーノムを見返し、そのまま言い返した。



「いいえ。あなたの態度は目に余ります。大人しく引き下がらなければ、総族長ナウイルへ全て報告します」



 ノクトの反撃に、グーノムは目を丸くし――


 次の瞬間、大声で馬鹿笑いし始めた。



「ハハッ! 困ったら告げ口か? こりゃ笑えるぜ!」


「おい、いい加減に……」



 さすがに鬱陶しくなり、目の前の男を止めようと警告すると――



「いい加減に、何だよ」



 突如、グーノムの拳が腹にめり込んできた。


 だが、その拳を、咄嗟に腹筋だけで受け止める。


 何となく、殴ってきそうな気がしていたので、力を込めるタイミングはドンピシャだった。


 痛みはない。


 予備動作に注意を払っていたのが功を成した。



「へ、陛下!? グーノム! あなた何てことを!!」


「マサト!? 大丈夫か!?」



 ノクトとオーリアが声をあげて近寄ってこようとしたので、手を出して制す。



「大丈夫。俺なら全く問題ないから」



 そう告げると、目の前のグーノムが、俺を殴った自分の拳を庇いながら、苦しそうに後ずさった。



「ぐ…… 岩かよ…… てめぇの腹は……」


「まぁ、俺も鍛えてるんでね。まだやるなら相手になる」


「ふざけやがって……」



 まだ戦意は折れてないらしい。


 だが、念のため、もう少し脅しておいた方が、今後も安心だろう。



「オーリア、ノクト。俺から離れて」


「一体何を…… いや、わ、分かった」


「は、はい」



 オーリアとノクトが下がったのを確認すると、俺は背中から炎の翼を生やした。


 ゴオオという炎の放射音とともに、炎の熱が周囲で見守っていた野次馬達の間を駆け巡る。


 その突然の熱を浴びて、野次馬達が悲鳴や驚きの声をあげた。


 グーノムは目を大きく見開くと、口を半開きにさせながら呆然とこちらを見つめている。


 俺はそのまま数メートル浮き上がると、炎の翼を更に大きく広げてみせた。


 緑と茶色の地面を朱色に照らし、太陽の光よりも激しく発光する、真紅の大翼。


 その大翼からは、大量の火の粉がパチパチと音を立てながら宙を舞っている。


 そこにいた誰もが、ただ呆然と口を開け、その光景に釘付けになっていた。


 それを確認した後、俺はガルに合図を送る。



「ガル、威嚇しろ」



 それまで行く末を背後で見守っていた真紅の亜竜ガルドラゴンが、四足の爪を地面に突き立てると、大きく息を吸い込み、上空へ向かってその息を吐き出した。



――ギャォオオオ!!



 真紅の亜竜ガルドラゴン飛竜の大咆哮バインドボイスが、地面を揺らす。


 グーノムは腰を抜かし、地面に尻もちをついた。


 だが、オーリアとノクトもまた、同じように尻もちをついていた。


 いや――、そこにいる他の全員が、腰を抜かしているのが見える。



「やば…… やりすぎたか…… ガルには控えめでって伝えたのに……」



 ゆっくりと地上へと降り立つ。


 逃げ惑う者もいれば、泣き喚く者、祈りを請い始める者もいた。


 そして、逃げる者もいれば、当然、問題を対処しようとやってくる者もいる訳で……



「な、何事だ!?」


「武器を捨てろ!!」


「動くな!!」



 俺はいつの間にか、武器をもった部族の戦士達に包囲されていたのだった。

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