124 - 「後家蜘蛛抗争9」


 紅い瞳を血走らせた女が、無数の顔が蠢く真紅の大鎌を振り回して走ってくる。



(お、おお、お、怖い怖い怖い、来んな来んな来んな!?)



 駆け寄ってくる恐怖に、永遠の蜃気楼エターナル・ドラゴンどこ行ったんだよ!? と愚痴をこぼす暇もなく、ほぼ条件反射で火魔法を撃ち込む。


 突き出した掌から、こちらへ走ってくる女に向けて、真っ直線に放たれる火の玉。


 だが、マサトの手から放たれた火の玉は、女の素早い身のこなしによって、ギリギリのところで回避されてしまう。



(この距離であれ避けるのかよ!?)



 この世界の人間の身体能力の高さに、改めて驚く。



(くっ!? 直撃が無理ならっ!!)



 すかさず手前の足元へ向けて二発目を放つ。


 女の前方の足元へと着弾した火の玉は、女の姿が一瞬見えなくなる程の爆発をあげた。


 その爆発に吹き飛ばされるように横へ飛ぶ女。


 だが、次の瞬間には、流れるような動作で受け身を取り、すぐ様体勢を立て直してこちらへ向けて走り出していた。



(げっ!? 効いてない!?)



 すると、視界の端から無数の何かが迫ってくる気配を感じた。



(なっ…… うぉおっ!?)



 すかさずその場から上体を逸らして飛び退く。


 その様子は、さながらマトリックス避けに背面跳びを掛け合わせたような姿勢だ。



(ぃ、ぃでぇええ!?)



 声は上げず、心の中で苦悶の叫びをあげるマサト。


 何とか大半の飛来物を避けることに成功はしたが、それでも脇腹や足に何発かもらってしまった。


 当たった箇所に、雷が走ったような衝撃と、肉を削ぎ落とされたかのような激痛が同時に走る。


 すると、視界が赤く滲んだ。



(な、なんだ!?)



 だが、ステータスを確認している暇はない。


 バク転するように地面を手で突き放し、難なく着地。


 急いで前方を確認すると、すぐ目の前に、大鎌女と鞭女達が迫ってきていた。


 マサトの眼が赤く充血したことに気が付いた黒崖クロガケが、高らかに笑う。



「ハハハッ! 毒が効かないわけではないのか! 貴様もここで終わりのようだ!」



(これ毒のせいか!? もしや猛毒カウンター溜まり過ぎた!? や、やばい!!)



 間近に迫る大鎌女。


 その女が鎌を振り上げる。



(ちっ! だが、この距離なら!!)



 掌の向きで、魔法の軌道がバレると回避されてしまうかもしれない。だが、それなら軌道が分からないような体勢で、更には回避不能な高速攻撃魔法を打ち込めばいいだけだ。


 身体よりも背後で両手の掌を開いたマサトは、そこから大鎌女へ掌を向け、最も使い慣れた魔法を放った。



「《 ショックボルト 》!!」




◇◇◇




「黒ちゃん、本当に大丈夫かしらぁん……」



 灰色のローブに身を包んだ集団が、薄暗い通路を走る。


 ターゲットである竜語りドラゴンスピーカーのクランリーダーが強敵であることは、土蛙人ゲノーモス・トードとの戦争で事前に把握していた。


 その上で、黒崖クロガケが最大限の力を発揮できる場所へ、マサト一人を誘い込めば勝てると見込んだのだ。


 だが、その目論見も、マサトがドラゴンを召喚して見せたことで雲行きが怪しくなった。



「大丈夫だと思うけどぉ、この胸騒ぎは何かしらぁん……」



 胸につかえる一抹の不安に顔を顰める灰色ハイイロ


 すると、そんな灰色ハイイロの進路を遮るように、何者かが先の通路から姿を現した。



灰色ハイイロさん、少しよろしいですか?」


「……パークス? 何故あなたがここに」


「いえ、そのローブにしまったものを返してもらおうと思いまして」


「……何のことかしらぁん?」


「惚けてもダメですよ。あなたが、マサトさんの私物を盗んだのをしっかりと見ていたのですから。盗みはいけません。ちゃんと持ち主に返して、盗んだことを謝りましょう」



(この子、どこまで本気なのかしらぁん? マサトに洗脳された影響? どんな洗脳をすれば、こんな鬱陶しい男になるのかしら…… すごく興味深いわぁん)



「いいわぁん。でも、盗んだんじゃないの。後でちゃぁんと、マサトに届けるつもりだったのよぉん? 信じてぇん?」



 灰色ハイイロの言葉に、パークスが笑顔を見せた。



「そうでしたか。勘違いしてすみません。では、代わりに私が届けておきますので」


「助かるわぁん」



(なぁにこの男。ちょろ過ぎはしないかしらぁん? それに、パークスちゃんもちゃんと笑えるのねぇ。初めて見たわぁん。パークスちゃんの笑った顔)



 心繋きずなの宝剣を懐から取り出すと、パークスが手を伸ばしながら歩み寄り始めた。



(無警戒ねぇ、可愛いわぁん。食べちゃいたくなっちゃう)



 近寄るパークス。


 心繋きずなの宝剣を差し出す灰色ハイイロ


 だが、お互いの距離がゼロに近付いた瞬間、灰色ハイイロが急に身を乗り出し、驚くパークスの顔へと、自身の顔を寄せた。



「油断大敵よぉん?」




◇◇◇




 目の前にいる灰色ハイイロから、青い光の異物が身体に侵入してくる。


 とても不快だ。


 人生で一度も味わったことがない程、心晴れやかになったというのに。


 この得難い気持ちを、汚さないで欲しい。


 抵抗したいが、身体は依然としていうことを聞かない。


 何も出来ない。


 されるがままに、目や鼻、口や耳から入り込んでくる青い侵入者を受け入れるしかなかった。


 せっかく、自分が生まれ変わったような気がしたのに。



 本当に、残念だ――



 その時、目の中で白い何かが弾けた。


 それは私の身体に侵入してきた青い光を外に追い出し、そのまま目の前にいた灰色ハイイロをも弾き飛ばした。


 それと同時に、意識が急速に覚醒していく。


 先程まで夢を見ていたかのような感覚だ。


 夢の中で、私は平和を説く理想論者だった。


 暗殺者に平和を説き、武器を奪った者を追いかけては、盗みはダメだと諭す。


 思い返しただけでも反吐が出る。


 だが、悪くない感覚でもあった。


 自身の信じる理想を、一切の迷いもなく追い求め、行動に移すという行為自体は、悪くない体験だった。


 それは素直に認めよう。



「まずは礼を言っておきましょう。あなたにそのつもりはなかったのだと思いますが、結果だけ見れば、私をマサトの洗脳から解いてくれたことに変わりはありません」



 弾き飛ばされた灰色ハイイロが、部下に支えられながら立ち上がる。



「そ、そうかしらぁん。正気に戻って何よりねぇ」


「ええ。お陰様で。今は何か憑き物が落ちたような、とても清々しい気分です」


「そう……」



 すると、灰色ハイイロが部下を下がらせ、私を見据えながら本題を切り出した。



「今のあなたは、どっちの味方なのかしらぁん?」

 


 私は笑った。


 こういう顔を意図的に作れるようになったことに、正直、自分でも驚きはある。



「何が可笑しいのかしらぁん? 返答によっては、生かしてはおけないわよん?」


「くく、ははは」



 笑えた。


 自分でも何がそんなに可笑しいのか分からない。


 だが、急に黒崖クロガケや、目の前の灰色ハイイロが滑稽に見えたのだ。


 私の笑いに、灰色ハイイロとその部下が殺気立つ。



「それが、あなたの答えかしらぁん?」


「そう受け取ってもらっても構いませんが…… あなた達では、私に勝てませんよ」


「大した自信かしらぁん。この場所がどこか、忘れたわけじゃないわよねぇ?」


「ええ。黒崖クロガケ創造空間内テリトリーだというのは理解しています」


「じゃあ何故……」


「それでも、あなた達が束になっても、私には勝てません。そして、黒崖クロガケは助けに来ません。いや、来れないと言った方が正しいでしょう。黒崖クロガケも、マサトには勝てません」




◇◇◇




 パークスの断言に、灰色ハイイロが目を見開いて驚いた。


 戦闘専門ではない灰色ハイイロと部下達が、後家蜘蛛ゴケグモの戦闘構成員最強のパークスに勝てないのは理解できる。


 だが、そのパークスでも、黒崖クロガケの特殊な能力は把握しているはず。


 力を手に入れたパークスが、灰色ハイイロの洗脳もなしに後家蜘蛛ゴケグモに在籍しているのも、黒崖クロガケの異常な強さがあってこそなのだ。



「この空間――異空間創造サブディメンションの中なら、黒崖クロガケが死ぬことはないのよぉん。それでも黒崖クロガケが負けると言うのかしらぁん?」


「それでも、黒崖クロガケが負け、マサトが勝つでしょうね」


「あなた…… 一体何を知っているのかしらぁん?」



 パークスは答えない。


 ただ微笑むだけだ。


 マサトに心を支配されたことで、パークスが新しく知り得た情報。


 それは、マサトの思考の残滓だった。



「マサトは、まだ本気を出していません。常に自分の力を制限セーブして、最小限の力で勝とうとしています」



 その言葉に、灰色ハイイロが訝しげな表情を見せたが、パークスは構わず続けた。



「マサトが本気になれば、ここ一帯を一瞬で灰に変えることもできるでしょう。大地を抉ることも、その大地に生きる者だけを全て消し去ることも、彼の意のままです」



 流石に気が触れたのかと疑った灰色ハイイロが、その根拠を問う。


 するとパークスは、心底楽しそうな表情で、信じられない言葉を口にしたのだった。



「マサトは、古の時代、世界を支配していた最強の超越者――マジックイーターそのものです」


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