96 - 「それぞれの思い」

 七色に輝く “それ” が、上空に浮かんでいる。



「……太陽の……神」



 誰かがそう呟いた。


 ボーッとする重い頭をゆっくりと動かし、周囲を見渡す。


 いつの間にか雨が止んでいた。


 ――違う。


 上空を覆うように張り巡らされた光の樹冠が、降り注ぐ雨を蒸発させているだけだ。



(何が…… 何だか……)



 腕の中に重みを感じる。


 目線を下げると、フロン様の寝顔があった。


 その愛らしい整ったお顔は、細かい泥が跳ねて汚れてしまっていた。


 フロン様の身体の重みを感じ、ホッと胸をなでおろす。


 夢から覚めた気がした。


 地に足が着いた。


 そんな心境だった。


 強張った頬が、フロン様の重みを感じ、その愛おしいお顔を見たお陰で、過度な緊張状態から解放されて少し緩む。


 そして次に悔しさが込み上げてきた。


 理解し難い出来事の連続によって、腕の中にいるフロン様の存在を忘れてしまった事実に、ぶつけどころのない怒りを覚える。



(私としたことが…… フロン様を一瞬でも忘れるなど…… )



 腹の底から怒りが沸々と湧いてくる。


 視線を上げると、背中から大きな炎の翼を広げ、空中に浮いている男が見える。


 その男は、右手に光の剣を持ち、左手からは光り輝く巨大な大樹を生やしていた。



(こいつが……)



 その男が、私達よりも遥かに超越した力の持ち主であることは一目瞭然だった。


 絶望的な状況を、文字通り圧倒的な力で強引にひっくり返した。


 きっと他の者に伝えても誰も信じようとしないだろう。


 それだけの奇跡をこの男は起こした。


 その神がかり的な力をこの者は持っている。


 だが、私はそんな目の前の男が許せなかった。


 私から一瞬でもフロン様の存在を掻き消したこの男の存在が。


 誰もが神を崇めるような、神に救いを求めるような表情を向ける中、私だけは眉間に皺を寄せて、ジッとその男を睨み付けていた。




 ◇◇◇




 城壁の東。


 気が付けば、街には巨大な光の大樹が生え、街の上空を覆うように広がっていた。


 空は暗雲とした雨雲で埋め尽くされたままだ。


 雨も勢いが衰えることなく地上へ降り注いでいる。


 大樹は雨を蒸発させ、その樹冠からは白い蒸気がゆらゆらと漂っていた。


 その神々しい光景に、その場で状況を見守っていた兵士達が、突然膝を折り始める。


 そして祈り始めた。


 私も祈った。


 両手を力強く握りしめ、祈った。


 自分達の窮地に具現化した神の奇跡に縋るように、必死に助けを求めた。



 ドラゴンが襲来して以降、城壁を上ってくる土蛙人ゲノーモス・トードはいない。


 襲来した二匹のドラゴンを恐れたのだろう。


 お陰で私たち防衛塔の守備隊は全滅せずに済んだ。


 助かった。


 助かったのだ。


 だが、またいつ土蛙人ゲノーモス・トード達が襲ってくるかわからない。


 今はまだ現場を離れる訳にはいかない。


 だが、街の中へ残した家族や友人達の安否も気掛かりなのも事実。


 だから祈った。


 祈るしかなかった。



 この激戦で生き残った守備隊は少ない。


 戦闘前は二百人以上いた東の守備隊も、今では隊長である私を含めたった十八名のみ。


 北の守備隊はほぼ全滅。


 一番敵の攻勢が緩かった南の守備隊ですら、半数がやられたと聞いた。


 西の状況は分からないが、恐らく私達、東の守備隊と同じような状況だろう。


 ここに居る誰もが満身創痍で、とても街の中へ討って出る気力も、体力もなかった。


 仮に体力が残っていたとしても、戦争が終結しない限り、防衛塔の守備は放棄することができない。


 それが私達に与えられた任務なのだから。



 私は立ち上がり、街を見下ろした。


 ローズヘイムの外へ逃げた土蛙人ゲノーモス・トードは、森や川へと逃げていった。


 だが、ローズヘイムの街内へと侵入した土蛙人ゲノーモス・トードは、空に突如現れた光の大樹を見て、ただただボーッとしていた。


 そして暫くすると、光の大樹が生えた場所まで忙しなく移動し始めたのだった。


 まるで光に誘き寄せられる羽虫のように。



「戦いが…… 終わる……」



 理由は分からないが、そういう気持ちになった。


 黄金色に発熱する光の大樹に、その根元で七色に輝く “何か” を、ただただぼんやり眺めながら、私達は家族や仲間の無事を必死に祈り続けた。




 ◇◇◇




「な、なに…… あれ…… ね、ねぇトレンってば……」



 窓ガラスの無くなった窓枠から外を眺めていたおれへ、マーチェがおれの袖を引っ張りながら頻りに話し掛けていた。



「…………」



 おれは言葉が中々出てこなかった。


 まだ耳がキーンとなっていて、頭が多少混乱していたというのもあったが……


 何て答えればいいのか迷っていたせいだ。


 恐らくおとぎ話に出てくるような戦乙女ヴァルキリー…… いや、大天使アークエンジェルのような…… 違うな…… よく分からない超人染みた存在が、おれたちのボス――マサトだと言うのは何となく分かる。


 ボスはマジックイーターだ。


 嘘のような本当の話。


 大昔に忽然と消えたとされる超越者であり、伝説の魔法使い。


 木蛇ツリーボアを一人で倒し、モンスター災害の一つでもある鋼鉄虫スチールバグの大群をも殲滅する程の力を――いや、それだけじゃない。殺した鋼鉄虫スチールバグを召喚できるという異質過ぎる力もある。


 異常に強いゴブリンを召喚できる古代魔導具アーティファクトを所持し、それを簡単に手離したことからも、その程度のものとしか認識していないことが窺える。


 一度はただの阿呆なのかと勘ぐったが、今では本物の超越者なのだと実感している。


 いや、そう認識していたはずだったのだが、実際はそれでも認識が甘かったようだ。


 災害級のモンスターとして認定されているドラゴン種であっても、この通り従えてしまう。恐らくあれも召喚したのだろう。


 あり得ない話だが、何とかそこまでは想像できる。


 許容範囲内だ。


 ギリギリだが、本当にギリギリ納得できる瀬戸際だが…… 想定内ということにしておこう。


 だが、あれは何だ?


 背中から炎の翼?


 それで空を飛んで?


 で、伝説級レジェンド――いや、神器級ゴッズくらいの価値がありそうな光の剣を持ち?


 あろうことか、その光の剣すら霞むくらいの “何か得体の知れないモノ” を左手から生やしている。


 光り輝く大樹?


 上空一面に無数に広がる光の幹?


 花吹雪の如く舞う火花?


 もう意味が分からない。


 何なのだろうか。


 あんな大魔法見たことも聞いたこともない。


 そもそもあれは魔法なのだろうか?


 もしかしてあれはモンスターで、それをボスが召喚してみせたとか……


 もはや自分が何を考えているのかすら分からなくなる程に意味が分からない。


 そう思わせるだけでも十分な光景だったのに……


 極めつけは、その更に上空を流れる――流星群のように光り輝く “また別の何か” だった。


 元々、流星は凶報を告げる災いの兆候とされている。天変地異の前触れだとも。


 だが、目の前の光景は、その常識を覆すくらいの神々しさがあった。


 少しでも気を抜くと、本能がすぐ思考を放棄しようとしてしまう。


 それくらい衝撃的で、魅惑的で、幻想的な光景だった。


 その光景を作り出しているのが、ついこの間まで一緒に話をしていたボスだというのだから、目の前の光景とボスの存在を結び付けられなくても仕方ないだろう、と意味のない言い訳を自分に言い聞かせていた。



「ねぇ! トレン!? 聞いてんの!?」



 マーチェが充血して真っ赤になった眼を見開きながら、おれの耳元でキャンキャンと叫んでいる。



「聞こえてる。耳元で怒鳴るな」


「あれ! あ、あれ!」



 マーチェが興奮しながらボスを指差して説明を求めている。


 興奮し過ぎて言葉足らずになっている。


 マーチェも気が動転しているのだろう。


 おれだってそうだ。


 自分の気持ちを落ち着かせるため、軽く一呼吸つくと、また耳元で騒ぎそうなマーチェへゆっくりと説明し始めた。



「あれは…… ボスだ。おれ達のボス。竜語りドラゴンスピーカーのクランリーダー、マサトだ」


「うそ……」


「嘘のような本当の話」


「だ、だってあれ…… え? じ、人族なの?」


「ああ。あの見た目はもはや人を辞めてるように見えるが、紛れも無い人族だ。いや、人族の括りに入れていいのかどうかは正直微妙なところだな」


「あれが…… あたいらのボス……」


「そうだ。前に確か言っただろ? 規格外だって」


「そんなようなことを聞いたような聞いてないような……」


「まぁ…… あれには流石のおれも驚きを通り越して理解不能だが…… 間違いなくこれから忙しくなるぞ」


「えっ…… 戦いが終わって、また平和な日常に戻れるんじゃないの? 違うの? ど、どうなっちゃうの?」


「さぁどうなるかな。土蛙人ゲノーモス・トードは大人しくなったようだから、一先ず窮地は去った。とは言える。だが…… なぁ……」


「なぁって…… な、なに? まだ何かあるの?」


「いや…… どうかな。だがまぁこれだけは言える。ボスに付いていけば間違いないってことはな」


「わ、分かった。肝に銘じとく」



 おれ達の会話を聞いて少し警戒が緩んだのか、部屋の奥で隠れていた老人や子供達が様子を見に部屋から出て来ていた。



「なんじゃ…… あれは……」


「おお…… 神よ……」


「おじいちゃん、あれキレーだね」


「あたたかーい」


「怖い蛙もういない? 居なくなった?」


「ねぇねぇ、お兄ちゃん達がやっつけてくれたの?」



 一人の女の子がおれのズボンを引っ張りながら聞いた。



「いや。おれ達じゃない。あの空に浮いている人が倒したんだよ」


「へぇー、あれは天使様? 天使様がやっつけてくれたの?」


「はは。あれは天使様じゃないな。多分。あの人はおれ達のクラン――竜語りドラゴンスピーカーのクランリーダーだよ。名前はマサト。皆に教えてあげな」


「マサト様! うん! 分かった!」



 そう言うと女の子は窓際に集まっていた人達に先程の話をし始めた。



「トレン、また何か悪い事考えてるでしょ」


「人聞きの悪いことを言うな。おれは竜語りドラゴンスピーカーの先の事を考えてるだけだ」


「先の事? どんな?」


「少しは自分で考えろ」


「ちぇ、はーい」



 口を尖らせるマーチェ。


 まぁいつもの調子が戻ってきたのは良かった。


 再び外を眺める。


 すると突然、ボスの身体が眩い程の光を放ち始めた。



「うっ!?」


「ま、眩しい!? な、何!? 今度は何!?」



 光が少し落ち着くと、そこには七色に輝くボスの姿が。



「あれは…… 天使というより、もはや神か何かだな……」



 少し隣に目をやると、マーチェは口をポカーンと開けながら言葉を失っているようだった。


 すると、視線の先にいた老人達が天を仰ぐように手をあわあわと仰ぎ始めた。そのまま膝をつく者や、涙を流しながら祈り始める者もいる。



「か、神様……」


「天使様…… 天使様……」


「おお、神よ……」


「ど、どうか私達をお救いくだされぇ……」



(ボスは…… 本当は神なのか……?)



 その異常な光景と雰囲気に当てられ、マサトを知っているトレンですら、マサトが何者なのか分からなくなりかけていた。



(い、いや違うだろ。ボスはマジックイーターだ。マジックイーターがそもそも異常な存在なんだ。おれまでボスを神と崇めてどうする。正気を保て!)



 引っ張られる思考を振り払うように頭を振ると、一度大きく深呼吸をし、努めて冷静に周囲を見渡した。



「あの光景を見た奴は、大抵同じような反応か。まぁそうだよな。あんなの見せられたら、神か天使の類だと言われなくてもそう信じてしまう。信じない方が難しい。普通は逆なんだが、な……」



 これからのおれたちには、少しでも味方が多い方がいい。そう考えて、ボスにプラスに働く情報を少しでも多く流しておこうと思った。だが、それすらも不要かも知れないなと乾いた笑いが溢れた。


 再び隣に目をやると、マーチェが涙と鼻水を大量に流しながら、「がみじゃまぁー!」と空に浮かぶボスを拝み倒していた。



「……これは、逆に刺激が強過ぎたんじゃないか?」



 空に浮かぶボスの後ろ姿を見ながら、おれはこの先に起こるであろう騒動と、その事前準備を考え始めていた。


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