74 - 「目の前の命か、先の保険か」

 暗闇の続く洞窟内は、魚の腐敗したような臭いで充満していた。恐らく土蛙人ゲノーモス・トードの体臭だろう。その悪臭の酷い洞窟を、マサト達は松明の灯りを頼りにゆっくりと進んでいく。


 道中、負傷して逃げ遅れたと思われる土蛙人ゲノーモス・トードにトドメを刺しながら進むこと小一時間、シュビラから思念が届いた。


 曰く、団体が先の通路を通るとのこと。


 マサトはレイアと相談し、その団体との合流地点付近で待ち伏せすることに。


 松明の火を消し、更に待つこと数分。

 何やら話し声が響いてきた――



「無能な人間! 早ぎゅ歩げ!」


「真っ暗で、な、何も見えないから仕方ないんだな…… い、痛い! ちゃ、ちゃんと歩くから、叩かないでほしいんだな」



 土蛙人ゲノーモス・トード特有のくぐもった声に続いて、人間の声が聞こえた気がした。



(人間? 誰か連行されてる? 村人に被害はなかったはず…… 誰だ……?)



 目の前を土蛙人ゲノーモス・トードらしき影が数体通り過ぎる。だが、土蛙人ゲノーモス・トード達は夜目がきく。通路の脇で身を屈めていただけのマサト達に気が付かない訳がなかった。


 マサト達に気が付いた1体が声をあげる。



「ゴブリンだぎゅ! 人間も居ぎゅ!!」



 その声を口火に、ゴブ郎とゴブ狂が斬りかかる。



「ゴブリン!? な、何が起きてるんだな!? み、見えないんだな!?」


「……え? 人間? た、助けが来たの!?」


「助けが来たのですか!? バラック! もう少しの辛抱です!」



 レイアは打ち合わせ通り、ミアの魔眼が相手に届くよう火魔法で周囲を照らす。すると、突然の明かりに土蛙人ゲノーモス・トード達が怯んだ。



「ミア! いけるか!?」


「やってみる!」



 ミアの眼が紅く光る、するとミアに向き合っていた土蛙人ゲノーモス・トードの1体が、振り上げていた両手をだらんと力無く下ろした。その眼はミアと同じように紅く光っている。



「あたしたちに加勢して!」


「ゲロ、ギュー」



 ミアの命令に、その土蛙人ゲノーモス・トードが承諾する。そしてすぐさま隣にいた仲間へ斬りかかった。



「ぎゅわっ!?」



 すると、その様子を見ていた皮膚の黒い土蛙人ゲノーモス・トードが警戒を促した。皮膚が真っ黒に変色した土蛙人ゲノーモス・トードの希少種、黒皮のブードだ。



「なぜラミアが居ぎゅ!? 奴の眼を見ぎゅな! 操られぎゅぞ!」


「ゲロ、ギュー!」



 ブードは素早い身のこなしでラミアの前に踊り出すと、突然口を膨らませた。


 土蛙人ゲノーモス・トードにとっても、ラミアは竜種に匹敵する程の脅威である。魔眼という力を持つラミアには、数で攻めることができない。魔眼によって洗脳されてしまうからだ。その危険性を知っていたブードの行動は、迅速で的確だったと言えよう。



「毒です! 気を付けてください!!」



 咄嗟にピレスが叫ぶ。


 ブードの視線の先には、ミアが。



「危ない!」



 考えるよりも先に身体が動く。


 ブードとミアを繋ぐ直線上に身体を割り込ませるのと、ブードが口から何かを放ったのはまさしく同時だった。


 背中に何か当たり、べちゃっと音がした。何となく服越しに濡れた感覚が伝わる。



「マサト!? 大丈夫か!?」



 レイアが叫んだが、マサトは背中に何かかけられた程度にしか感じていなかった。……いや、少しヒリヒリする程度には感じていたかもしれない。



「大丈夫! 今のところ何ともない!」


「ぎゅぎゅぎゅ、一人仕留めたぎゅ」



 一方で、ブードは既にマサトを仕留めたつもりになっていた。人間に毒が効くことはバラック達との一戦で実証済みだったからだ。


 だが、マサトは普通の人間とは違った――


 ブードへと向き直ったマサトは、宝剣の刀身を出現させ、そのまま一直線にブードへと駆け出した。


 洞窟内が光の刀身により明るく照らされる。


 ブードの目が開かれ、その瞳孔が縦に細く変化した。



「ぎゅぎゅっ!?」



 焦ったブードは、咄嗟に脇にいた蛙人フロッガーを掴むと、マサトの方へ放った。



「げ、げろっ!?」



 マサトは突然飛来した蛙人フロッガーを斬り落とそうとして――、失敗する。


 正しくは、斬ることには成功したが、斬れ味が良過ぎて飛んでくる蛙人フロッガーを叩き落とすことができなかった。飛んできた水の玉を、刀で斬り落とそうとするイメージが近いだろうか。


 当然の如く、真っ二つに切断された蛙人フロッガーは、勢いが弱まることなくマサトに衝突することになる。



「ゔっ!?」



 そのまま尻餅を着くマサト。顔や胸には蛙人フロッガーの血や内臓やらがべちゃあっと付着した。



「う、ゔぉぇええ……」



 余りの臭さとグロさに嘔吐く。それは排泄物やら青臭さやらを色々混ぜ込んだ悪臭だった。



(くっさくっさ! くっさぁああ! ゔぉぇっ、キモ臭ぃ何んだこれぇえ!?)



 その様子を見たブードは、毒が遅れて効いたのか安堵した。だが、マサトの持つ光の剣には依然として脅威を感じていた。それは光の届かない世界を好む者が、光に感じる本能的な畏怖に近いのかもしれない。人間が、暗闇に恐怖を感じるのと同じように。


 ブードは仲間へ新たな指示を出す。



「や、奴は危険だぎゅ! 早…… ぎゅ……」



 だが、その言葉は最後まで発声されなかった。


 ブードの瞳が紅く輝いている。



「仲間に攻撃を止めるように指示して!」


「今すぎゅ、攻撃を止めぎゅ…… 手を出ぎゅな……」


「げ、ゲロ?」


「攻撃を止めぎゅ……」



 ブードの突然の指示に混乱する土蛙人ゲノーモス・トード達。だが、その隙をつくように、ミアは次々と土蛙人ゲノーモス・トード達を魔眼にかけていく。その動きは蛇のように滑らかで、素早く、ラミア本来の戦闘力の高さを示しているようであった。


 全ての土蛙人ゲノーモス・トード蛙人フロッガーを魔眼にかけたミアを見て、アンハーが腰を抜かす。



「ひ、ひぃっ!? ラミアが、復讐に来たんだな! ぼ、ぼくは見世物小屋の連中とは関係ないんだな! ほ、本当なんだな!」


「な、何故ラミアがこんな場所に!? ゴブリンも…… それに……」



 ピレスの視線の先にはダークエルフのレイアが。暗がりで肌の色までははっきりと分からないが、エルフ特有の耳がピクピクと動いているのが見える。


 レイアの視線の先にはマサトが。



「マサト、その黒い蛙から毒を受けたようだが…… 本当に身体に不調はないのか?」


「あ、ああ…… え? 毒? もしかしてちょっと背中が痒いのは、毒くらったせい? ちょ、ちょい待ち……」



 顔に着いた蛙人フロッガーの血糊を、その悪臭にむせながら拭き取っていたマサトは、レイアの言葉を聞いてすかさずステータスを開いた。



<ステータス>

 Lv10

 ライフ 42/42

 *猛毒カウンター1

 攻撃力 99

 防御力 4

 マナ : (虹×2)(赤×337)(緑x100)

 装備 : 心繋きずなの宝剣 +99/+0

 召喚マナ限界突破7

 マナ喰らいの紋章「心臓」の加護

 自身の初期ライフ2倍、+1/+1の修整



 猛毒カウンターなるものが……

 確かこれは蓄積型の状態異常で、カウンターが5だったか10どっちか溜まると、何らかしらのデメリットが発動する仕様だったはず……



「猛毒くらってた…… 俺は大丈夫だけど、あ、そういえば君達は無事!?」



 マサトが、洞窟の端で状況を見守っていたピレス達に近付くと、マサトを人間の仲間として認識したピレス、アンハー、イルフェは、それぞれ瞳に涙を浮かべながら喜びの表情を浮かべた。



「私達を助けに来てくれたのですね!? よ、良かった……助かりました……」


「助かったんだな…… こ、これで家に帰れるんだな…… もう冒険は懲り懲りなんだな……」


「あ、ありがとうございます…… も、もうダメかと、思いました…… ぐずっ……」



 ピレスは、背に背負っていたバラックに声をかける。



「バラック、私達助かりましたよ…… 助けが来てくれました。きっとスフォーチが呼んで、きて…… バラック?」



 ピレスの呼び掛けに反応しないバラックに、アンハーがよろよろと近寄り、その身体を揺さぶった。



「う、嘘寝は良くないんだな。早く起きるんだな。ぼ、ぼくたち助かるんだな。だから、だから……」


「そ、そんな…… い、嫌だよ…… バラック…… ねぇ、起きてよ…… ねぇ!」



 力なく垂らしたその腕は紫色に変色しており、血管は黒く浮き出ていた。マサトには、一度の接触程度では然程の効果はなかったが、この世界に生きる一般人に対しては致死に至る猛毒だったようだ。


 その光景を見兼ねたマサトがミアに声をかける。



「な、なぁミア、この黒い蛙が毒を使うなら、解毒薬も持ってないかな? それを聞き出して貰える?」


「分かった。あなたは自分の毒の解毒薬を持ってる?」



 ミアの問いにブードが答える。



「無いぎゅ…… 解毒方法も知らなぎゅ……」



 その答えに、視線を下げ、力なく項垂れるピレス。イルフェは両手で顔を覆い、声を出して泣き始めた。アンハーだけが、ただ呆然と動かなくなったバラックを見つめていた。



(まだ…… 微かに脈はあるんだよな…… 今にも止まりそうな弱々しさだけど…… レイアも気付いてるはず…… どうする……? ここでレッドポーションを使うか……?)



 マサトは悩んでいた。


 どんな瀕死状態にあってもたちまち再生させてしまう魔法の薬が手元にある。しかし、その薬は残り1本しかない。今使ってしまえば、もし大切な仲間が瀕死になるような状況になったとき、自分は後悔するだろう。だが、今使わなければ、恐らくあの青年は死ぬ。


 それを見過ごして後悔はしないのか?


 いや、後悔するだろう。


 どちらにしても後悔はする。であれば、後悔のより強い方を回避させる方が賢明だ。迷うべきは、目の前のことは実際に起きているが、この先のことは不確定であるということにある。そして猛毒という状態異常に、このレッドポーションが、どのくらいの効果があるのかというのも分からない。最悪、使い損になることもありうるのだ。



「ど、どうする……」



 すると、苦しそうな顔をして悩むマサトを見兼ねたミアが、バラックの方へと移動した。



「あたしの水魔法で、なんとかなるかは分からないけど…… やるだけやってみるね」


「え? 水魔法?」



 マサトはミアが何を言っているのか一度では理解できなかったが、レイアは何かを理解したかのように頷いていた。



「水魔法か。延命措置くらいであれば可能かもしれないな」


「何かよく分からないけど、ミア頼んだ!」


「上手くいかなくても文句言わないでね」



 ピレスが背負っていたバラックを地面へと寝かせる。その顔は紫色に変色し、蜂に刺されたかのように瞼や唇がぱんぱんに膨らんでいた。


 ミアがバラックへ手をかざすと、その手から水色淡い光の粒子が溢れ出し、バラックを包み込む。



 ――だが、それだけだった。



「ごめん。ダメかも……」



 申し訳なさそうに視線を下げるミアに、アンハーが声をあげた。その顔は赤く、瞳には大粒の涙が溢れていた。



「や、やめないでほしいんだな。バラックを、バラックを助けてほしいんだな」


「アンハー……」



 ピレスには、バラックがもう助からないことは一目瞭然だった。解毒薬もなく、街の魔法院へも何時間かかるか分からない。そんな状況で、瀕死の、もしかしたらもう息をしていないかもしれない程に毒で衰弱した仲間を、どうやって助けることができようか。既にピレスの中で答えはでていた。だが、まだ諦めようとしないアンハーに何て声をかければいいのか分からなかった。


 イルフェのすすり泣く声が洞窟内に木霊する。


 その空気に耐えられなくなったマサトが、その重い口を開こうとし、レイアに遮られた。



「……後悔するぞ。それでもいいのか? こいつらのことまで背負える覚悟はあるのか?」


「うっ……」



 マサトの迷いを察したかのようなレイアの発言に、マサトは言葉を詰まらせた。


 だが、マサトには、何よりも目の前の事が放っておけなかった。先々のことまで考えられない単細胞だと言えばそれまでなのだが、それがマサトだった。


 レイアに頷きで返すと、レイアはもう何も言わなかった。やれやれとお馴染みの仕草をしただけだ。


 マサトは再び目の前の3人に向き直り、真剣な表情で話し始める。



「今から起きることは他言無用だ。話せば、俺たちの命は勿論、君達の命すら危うくなる。それは俺たちが君達の命を取るという脅しではなく、これから起きる事を知った貴族や国から、情報を聞き出すために拷問される可能性すらあるという意味だ。それが約束できるなら、最後の手段を使っても構わない。どうする?」



 マサトの言葉を聞いた3人の反応はそれぞれだった。


 ピレスはその言葉がどういう意味を持つのか、黙りながらもマサトの言葉の裏を必死に考えている。


 アンハーはそれがバラックを助けられる手段の話だと瞬時に察し、真っ先にその手段の行使を懇願した。


 イルフェは何を言われたのか分からず、ただ「バラック、助かるの?」とバラックの身だけを案じた。


 その反応を見て、マサトはレッドポーションの使用に踏み切ることに決めた。と言っても、この話を持ちかけたときから、使うことは決めておいたのだが。



「この秘薬は、1本5000万G相当の代物だ」



 そう言って、レッドポーションを取り出し、3人が見えるように掲げた。

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