44 -「レイアの憂鬱」

「レイアか、久しいな。今日は何の用だ?」



 薄暗い地下の一室で、白い顔に瞳が黒く染まった死人しびとがレイアに語りかけた。



「オーチェ、今日は一人か?」


「いいや、ヴァゾルが棺で寝ている。他の者は仕事だ。魔獣からの脅威が減ると我々の仕事が増えるというのは、何とも滑稽な話だとは思わないか?」



 ここは暗殺ギルド「闇の手エレボスハンド」のローズヘイム支部の拠点であり、オーチェはこの支部のまとめ役だ。


 闇の手エレボスハンドは絶対神として、冥府の神エレボスを崇めている。


 冥府の神エレボスは、死後の世界そのものと言われており、生きるもの全てはいずれエレボスのもとへ帰るというのが、彼らの信仰だ。


 故に、彼ら闇の手エレボスハンドは、自分達を現世からエレボスのもとへ誘う手――殺して魂を捧げる使者であるとしている。



「そうだな。それよりも依頼だ。この素材を捌いてくれ」


「レイア、毎度言うが我々は買い取り業者ではないぞ?」


「そう言うな。いい稼ぎにはなってるだろ。オーチェが断っても、マリンかカジートあたりが喜んで請け負うと思うぞ?」


「全く…… 分かったから、早く素材を見せなさい」



 持参した素材を切り傷の多いテーブルに広げると、オーチェの顔から表情が消えた。



「お前が倒したのか?」


「まさか。私にそんな力はない。倒したのは…… 連れのマジックイーターだ」



 レイアの言葉に、オーチェが沈黙で答える。



「信じられないかもしれないが、きっとそのうち嫌でも知ることになるだろう。もう既に私の手には負えなくなってきている…… 私の忠告を全く聞かない奴だからな……」



 レイアは独り言のように話すと、ネスの里からの出来事を振り返った。




 ――――3日前。




 ローズヘイムへと向かう途中の森で、マサトが悲鳴を聞いて飛び出して行ったとき、私はその場で待つべきだった。


 愚かにもマサトの後を追いかけた私は、火傷蜂ヤケドバチの群れに襲われる致命的なミスを犯してしまう。


 必死に応戦したが、上下左右、更には木や葉に隠れた死角からの同時襲撃を、完全に防ぐことはできなかった。


 火傷蜂ヤケドバチに全身を刺され、熱した鉄板を押し当てられたような激しい痛みが私を襲った。


 朦朧とする意識の中で、私は死を覚悟し、願った。



 ――最後にマサトの顔が見たいと。



 死後の世界だと勘違いして目を覚ました私の前に、幼女と抱き合うマサトがいたときは、一瞬ここが地獄かと思った程だが、すぐにマサトに助けられたことだけは理解した。


 そして、意識を飛ばす前に見た光景も夢ではなかったのだと思い、少し心が躍った。


 私を見て泣きそうな顔をしてくれたマサトの顔は、今でもはっきり覚えている。



(マサトの嫁だと言い切るゴブリンには頭に来たが。なんなのだあのちんちくりんは……)



 それから行ったロサの村では、マサトがすれ違っただけの老人の頼みを聞くというありえない行動に出た。


 老人を全く疑うこともせずに、なのに私の忠告を聞かず、あまつさえ私を置いて人探しに行こうとしたことには、かなり腹が立った!


 だが、怒った私の言葉を聞いて悲しい顔をしたマサトに、私が先に折れてしまった。



(いつから私はこんなに弱くなったのだろうか……)



 目的の娘は、森の中にあった小屋の中にいた。


 そして娘を攫ったのは後家蜘蛛ゴケグモの連中だった。


 小屋への突入時、マサトが男の血でできた短剣を腕で防ごうとしたときはヒヤッとしたが、まさか短剣で傷付けられないくらい素肌を硬く強化できるとは予想外だった。


 そういうことは事前に言ってもらわないと困る。


 後でたっぷりと説教したが、私にも反省点は多かった。


 あろう事か捕らえた男を取り逃がしてしまったのだ。


 これは完全に私の失態だった。


 マサトが躊躇なく男の首をへし折って殺したことも意外だったが、それよりも殺した人間からも魔力マナを吸い取るその異能に気を取られてしまった……


 その不注意が原因で男の脱走を許してしまったのは完全に私の責任だ。



 もう同じ失敗はしない…… 絶対に。



 助けた娘はあろうことかギガンティアの末裔だった。


 これは何かの悪い冗談かとも思った。


 なぜこうもマサトには面倒事が舞い込むのだろうか……


 そしてマサトは、それが当然かのように戒めの像を壊そうと言い……


 これを聞いた私は、目の前が真っ白になった。



 色々な感情が溢れ、その感情に身を任せるように言葉を吐き出した。



 マサトはまた困ったような、悲しいような顔をしたが、「俺を信用できないか? 」と言われては否定できなかった。


 この時、私はマサトに惚れているんだと自覚した。


 だから強く言われると拒否できないんだと。



 ーーそれではダメだ。



 男に縋るだけの女ではダメなのだ。


 この世界はそんなに優しくはできていない。



 私はこの時決意した―― はずだった。



 マサトに対しての自分の気持ちを殺そうと。


 暗殺者として生きようと決意したあの時のように……




 マサトは戒めの像をいとも簡単に破壊した。


 そして当然のように、ギガンティアの娘を旅に同行させた。


 この辺りから、私はマサトが歴史に名を刻むような道を歩んでいくのだろうと考え始めていた。


 そしてその存在に惹かれるように、多くの者がマサトに近づいてくるのだろうとも。


 であれば、私はマサトに害なす者を影で排除するのみだ。



 そしてその役割はすぐやってきた。


 ローズヘイムに到着し、マサト達を宿で待っていると、マサトが不審な女を連れて帰ってきたのが分かった。


 その女は、ネスの “開発した” 隠匿魔法で姿を消し、我が物顔でマサトの後からついてきている。


 マサトとベルが気付いている様子はない。


 ならばと、私は部屋で待ち伏せした。


 案の定、その女は私に見破られているとも知らず、その無防備な背中を私に晒した。


 女の自信も当然だ。


 ネスから直接見破り方を教わった私には効かないが、大抵の者は検知すらできないほど強力な “禁術” なのだから。


 後家蜘蛛ゴケグモの時の失敗があったお陰で、現役の頃と同じ精度で女を束縛、尋問が行えたと思う。


 そして、マサトが冒険者ギルドから眼をつけられたばかりか、サブマスター直々に尾行されるような事態になっていることに目眩がしたが、これもマサトの進む道なのだろうと受け入れた。


 まさかBランクとCランクパーティを加入させたクランを作ってくるとは思わなかったが……



「おい、レイア。聞いているのか? いい加減戻ってこい!」



 オーチェが私の耳元で怒鳴る。



「きゃあっ!? な、なんだいきなり!!」


「相変わらず悲鳴は可愛い奴だな。お前が勝手に一人の世界に旅立つから呼び戻しただけだ。私に非はない」



 レイアは羞恥で頬を赤く染めたが、特に反論はしなかった。



「で、そのマジックイーターの名はマサトで合っているのか?」


「そうだ。その男とギガンティアの末裔であるベルには手出しするな。依頼料はこの素材の売却額の半分でいい」


「ほほぅ。この素材の半分とはまた豪気だな。ワイバーンの牙に爪に眼に心臓に…… これは剣牙獣の肝臓か? ……ククク、本当に希少部位だけよくぞここまで集めたな。中央大陸まで運べば数百万は軽くいきそうだぞ?」


「構わない。そしてこれは差し入れだ。死人しびとに効果があるかは分からないが、ダークエルフへの効果は実体験済みだ」


「干し肉か? その話し方だと、剣牙獣の肉だな?」


「そうだ。干し肉でも十分過ぎるほどの効果がある。もちろん、強精剤としてな。私が保証しよう」


「そうかそうか。ありがたく受け取っておこう。さっそく今日あたりヴァゾルにでも食べさせて効果を確認しなければな。ククク」


「あまりヴァゾルで遊んでやるな。奴が可哀想だ。では依頼したぞ」


「なんだ、もう帰るのか?」


「連れが今度はどんな厄介事を持って帰ってくるか分からないからな」


「ククク。あのレイアが大分ご執心と見える。妬けてしまうな」



 私は元々国に仕える奴隷暗殺者だったが、訳あってその国を去った。


 裏切り者の私に、国は多くの暗殺者を送ってきた。


 その中に闇の手エレボスハンドの刺客もいたが、私は運良くその刺客を返り討ちにすることができた。


 それがきっかけとなり、闇の手エレボスハンドの幹部に勧誘され、そのまま闇の手エレボスハンドに加入することとなる。


 その後、ネスの里に身を隠したが、ローズヘイム支部のまとめ役であるオーチェの計らいで、籍だけは闇の手エレボスハンドに残してもらっている。


 私が部屋から立ち去ろうとすると、足音なく蜥蜴人リザードマンの男が部屋に入ってきた。



「……懐かしい声がすると思えば、レイアか」


「テナーズ。元気そうだな」



 テナーズは蜥蜴人リザードマンの男性だ。


 物静かな性格で、読書が好きな人格者でもある。


 この支部では良きアドバイザーだ。



 闇の手エレボスハンドは完全なる実力主義のため、オーチェのような死人しびとから蜥蜴人リザードマン、私のようなダークエルフ等、所属している種族はかなり幅広い。


 因みにヴァゾルは吸血鬼で、千年の時を生きていると噂される。



「テナーズよ、何か進展はあったのか?」



 オーチェがテナーズに問いかけた。


 私はテナーズに手を挙げて挨拶しながら隣を通り過ぎ、



「……仕事の進展はないが。街にとんでもない化物が現れた」



 ーーー歩みを止めた。



「? それは魔獣の襲撃か何かか?」



 オーチェは、テナーズの発言と、その発言に立ち止まったレイアに首を傾げた。



「……いや、人だ。人の皮を被った、何か別のモノかもしれないが」


「人? それがなぜ化物だと?」


「……大通りのど真ん中で、ボンボ・ローズがまたバカをやっていてね、そのボンボの絡んだ相手がソイツだった。 ……御者が鞭を放ったことで、ソイツは怒ったんだが、その覇気が人のそれではなかった。馬や地龍トカゲはソイツに恐慌して暴れ狂い、大通りは大混乱だった」


「ほほぅ。大混乱か。それは見てみたかったな。で、そいつは具体的に何かしたのか?」


「……いや、ただ威圧しただけだ。情け無い話だが、オレも少し足が竦んだ。ソイツが標的になるようなら、オレは遠慮したい」


「ククク、テナーズが怖じ気付くほどの者か。面白い。勧誘も視野に入れよう。で、容姿の特徴は?」


「……黒髪の男だ。白髪の女を連れていた」



 私は頭を抱えた。

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