【怪談】原因

巳ツ柳 海

原因

 Mさんから聞いた話。


 Mさんは、霊能力者、霊媒師と呼ばれるような人々が嫌いなのだと云う。

「もちろん、神主さんとかお坊さんとか、神父さんとかもなのかな。そういうお仕事として責任を持っている人達に対しては、特に悪感情とかはありません。職業差別をしているつもりもないです。ただ僕は、自称って言ったらいいのか……とにかく自ら、幽霊が見える、聞こえる、成仏させられるとか、無責任に言う人達が本当に嫌いです」

 Mさんの嫌悪は、ある患者さんの施術をしてから始まった。

 Mさんのご職業は整体師だ。ある日Mさんは、定期的に通院している常連とも云える方に、職場にいる知り合いが整体師を探していると相談を受けた。提示された日程はMさんの勤務日でもあったので、快く引き受けたと云う。

 当日、来院した患者さんはMさんに、右肩が痛いんですと訴えた。確かに歩く姿や立ち姿に、右肩を庇うような仕草があったそうだ。

 Mさんは施術を始める前に必ず問診を行う。痛む部分や、いつ頃から痛むのかだけではなく、職業や、仕事をしているときに一番多い姿勢、鞄を持つときの癖なども再現してもらうそうだ。そうすると痛みの原因を探ることができる。

 しかしすぐに、Mさんは患者さんの様子がおかしいことに気づいた。

「問診をしている間、何か隠していると言うか……何かを言いたがっているような気がしたんです。そわそわしているし、ちょっと半笑いだったし」

 そのためMさんは、個人的に心当たりがあることはありますか? と直接聞いてみた。

 患者さんは少し黙ったあと、実は……と切り出した。顔に待ってましたと書いてあるようだったと、Mさんは言った。

「先日、心霊スポットだと噂がある廃病院に行って来た、って言うんです」

 Mさんの口からは、はあ、と云う生返事が転がり出たそうだ。

 そうとしか返しようがなかったですよ、とMさんは困った顔をした。

「心霊スポットに行って、暫くしたら右肩が痛くなってきたんです、って。つまりこれは幽霊の、悪霊の仕業かもしれないんですって、そう言うんです」

 当然、その話にMさんは困惑した。

 打ち明けられた内容自体もそうだが、患者さんが怯えている様子がなかったことが一番不可解だったそうだ。

 Mさんは幽霊を見たことも、声やラップ現象などを聞いたこともない。心霊体験などは今まで一度も遭ったことがないし、ご友人に心霊体験をした方もいないと云う。ただこのような場合、もっと怯えたりするのではないか、と。

 それに、自身の不調がそう云った類――心霊現象によるものだと云うのであれば、幾ら知り合いの薦めとは云え整体院に来るのはおかしい。お寺とか、神社とか、そういう場所に行けばいいのに。そんなことを考えながら、Mさんはつい黙ってしまった。

 黙っているMさんを見た患者さんは、非科学的だって思うかもしれませんけど、科学だけじゃ説明や解明できないことって世の中にはあるんですよ。などと言いながら話を続けた。

「患者さんは、僕も百パーセント幽霊の仕業だって思ってるわけじゃないんです、だからこういう場所で施術してもらって、それで良くなるか確認しておきたいんです。とかなんとか言うんです。やけに得意気な様子でした」

 Mさんは話を聞きながら理解した。要はこの患者さんは、自慢がしたいのだろう、と。

 心霊スポットなんていう特殊な場所に行くこと、そこで特殊な現象に出会ったかもしれないこと、自分はそういった、特殊な出来事に繋がっている人間なんだぞ、と。

「僕にはよくわからない心理ですよ」

 Mさんは心霊現象に縁がない。そのため肯定も否定もしないし、特別な印象もない。だから、わざわざ周りに心霊現象を自慢する人の気持ちなんてわからないです、と首を振った。

「だいたいそれって、不法侵入じゃないんですか……って思いました」

 患者さんはまだ何か言いたげだったそうだが、一先ずMさんは、施術をしましょうと言ってベッドにうつ伏せに寝てもらった。いずれにしても施術をしないことには、痛みの原因は見つからない。見つからなければ、治すことなどできはしない。

 Mさんは早速、いつも行っているマッサージを開始した。

 確かに、右肩は凝っている。

 どうですかねえ、と患者さんのくぐもった声がした。うつ伏せ用の枕越しにも、得意気な様子が伺えたそうだ。

 凝ってますね、と曖昧な返事をしながら、Mさんは施術を続けた。

 揉み解されながら患者さんは、悪霊の仕業だったら整体師さんに悪いですねえ、などと笑った。

 厭なことを言う人だな、と思ったそうだ。

 けれど施術の途中、Mさんは気づいた。

「あ、これ、悪いの左側だな、って」

 背中の左側から左肩に向かって、筋肉が引っ張られているような、硬くなっているような感覚があったのだという。

 筋肉が引っ張られたことで周辺に余計な負荷がかかり、その状態を庇おうとして今度は右側に不要な負担がかかる。そんな悪循環の末、右肩に痛みが出ている可能性が高い。Mさんはそう診断した。

 Mさんの両手の下で、患者さんのくぐもった声がまた聞こえた。

――右肩、ひどいですよね?

 咄嗟に否定しかけて、Mさんは言葉を飲み込んだ。右肩が凝っているのは事実なのだ。それに患者さんは、右肩が悪いと言ってほしそうだった。ここで変に否定したことで右肩が無意識に――或いは、わざと――硬直してはいけない。Mさんは相槌を打ちながら、一通りマッサージを行った。

 ベッドから起き上がってもらう直前に、もう一度左側を点検した。

 やはり、妙な違和感があったそうだ。

 施術後にそれは伝えたのですか、と聞くと。

「もちろん伝えましたよ。確かに右肩は凝ってます。ただ、悪いのは右肩だけじゃないかもしれません。不調の原因をもう少し広い視野で探してみませんか、って。そしたらあの患者さん……」

 少し、嫌そうな顔をしたのだと云う。

「あの患者さん、やっぱり誰かに心霊現象を肯定してほしかったんでしょうね。ある種の自己顕示欲なのかな。でも僕が想像通りの返事をしなかったから、水を差されたような気持ちになったんでしょうね」

 本当にわからない。そう言って、Mさんは頭を振った。

 結局、患者さんは次の予約を取り付けると早々に整体院を後にした。来たときの上機嫌とは違い、Mさんに対して不信そうな目を向けていたそうだ。

 それから一週間程経った頃、電話が鳴った。Mさんが応対すると、受話器の向こうから例の患者さんの声が聞こえた。

 その日は、彼の予約日の前日だった。

「明日の予約、キャンセルさせてくださいって言うんです。もう施術してもらわなくって大丈夫になったので、って」

 なんとなく含みのある言い方だったとMさんは言う。

 しかし、言い方はともかく施術の必要がなくなったというのは、痛みが取れたということだろうか、ともMさんは思った。

 もしそうであれば、整体師としては喜ばしいことではある。

 念のため、痛みは取れたのですかと聞くと、患者さんは取れていませんよと笑いながら答えた。そして笑ったまま言葉を続けた。

「やっぱり専門家に頼ることにしました。同好の士に相談したら、評判の良い霊能力者にお祓いしてもらえることになったんです。とかなんとか言うんです」

 やけにはしゃいでいたそうだ。

 やっぱりMさんは、はあ、と生返事をするしかなかった。

 Mさんは心霊現象に対して肯定も否定もする気はない。これは心霊現象だと断言する当人を前に、かける言葉が思いつかなかった。何より通院するか否かは患者さんの意思だ。Mさんから通院を強制するわけにはいかない。

 しかし整体師としては、胡乱な理由で体の不調を放置しようとする患者さんは見過ごせない。という思いもあった。

「なので、定期的な通院をお勧めしました。彼を紹介してくれた常連さんも、月二回と決めて通ってる方なんです。メンテナンスというか、些細な不調を相談できる場所にしていただけたら、って。……でも電話の向こうで、今の営業トークですか? なんて笑いながら言われちゃって……。大人気ないとは思いましたけど僕もむっとしちゃったので、もう挨拶だけして切りました」

 Mさんとしてはなんとも歯切れの悪い、と云うよりも不愉快な一件だった。

 その数日後、彼を紹介した常連さんが、謝罪を兼ねて整体院を訪れた。

 常連さんは例の患者さん――彼にとっては同僚に、整体師さんはどうだったと聞いたところ事の顛末を知り、慌ててやって来たのだった。

 Mさんは何度も頭を下げる常連さんに、気に病まないでくださいと返した。不愉快だったことは事実だが、常連さんは同僚の事情を全て知っていたわけではない。良かれと思って紹介しただけで、その紹介だってMさんの腕を信頼してのことだ。Mさんもその辺りはわかっていたし、信頼されていることへの純粋な感謝もあった。

 結局、Mさんと問題の患者さんのやり取りは、この二回だけで終わった。

 そんな出来事があっては、いわゆる『霊能力者』と云った人々に嫌悪感や不信感を抱いてもおかしくはない。大変でしたね、と言うと、

「……違うんです」

 Mさんは呻くようにそう口にして、首を横に振った。

 それは一連の出来事から、二、三ヶ月程経ったある日のことだったそうだ。その日は常連さんの通院日だった。

 定期的に通っている方ともなると、問診も世間話めいたものになる。前回の施術から変わったところはないかという話から、日常の近況報告などを和気藹々としているとき、常連さんは何かを言いかけ、やめた。

 そして低い声で、やっぱり専門家に頼るのが一番ですよ、と言った。

 施術を始めてからも、なんとなく含みのあるその言葉が、Mさんは気になった。専門家。そのフレーズを何度か頭の中で繰り返し、ふと、思い当たった。

 あの患者さんも、専門家を頼る、と言っていなかったか。

 Mさんは少し迷った末、施術をしながら、そういえば同僚さんはどうされましたか? と尋ねた。

 心霊現象かどうかはわからないが、彼の体に不調があったのは間違いない。時間のおかげで怒りも少し和らぎ、Mさんの中で整体師としての心配が上回った頃でもあった。常連さんは少し唸ったあと、先程と同じような低い声で、

――バイクで事故って入院したんですよ。

 そう、言いづらそうに打ち明けた。

 Mさんが言葉に詰まっていると常連さんは、命に別状はないこと、一人でガードレールに突っ込んだだけなので誰も巻き込んではいないことを、慌てて続けた。

 あんだけ騒げれば、怪我以外は元気なものですよ、とも言ったそうだ。

 騒ぐとはどういうことか。痛みか何かで暴れているのだろうか。

 Mさんがそう聞くと常連さんは、逆ですねえ、と苦笑しながら教えてくれた。

――病院のベッドの上で、呪いだ祟りだ、って一人で震えてるんですよ。

――お祓いが利かなかった殺されるう、って。

 馬鹿馬鹿しいですよ、と常連さんは鼻で笑いながら言った。どうせ幽霊とかってのも、ただの気のせいに決まってます、と。

 その間、施術の手を止めないように気をつけつつ、Mさんは相槌を打っていた。

 何故か、とても厭な感じがしたそうだ。

 うつ伏せだった所為か、常連さんはMさんの様子には気づかずに話を続けた。

――でも、変なこと言ってて。幽霊が増えたとか移ったとか、なんとか。

 震えそうになる声を抑えながら、どういうことですか、とMさんは聞いた。

 常連さんは怪訝そうに答えた。

――事故の瞬間、体が左側に引っ張られたって。

「……それが事故の原因だって、あの患者さん、ずっと言ってるらしいんです」

 Mさんは。

 早く治ると良いですね、とだけ返した。

 それ以外になんとも返しようがなかった。

 そのあと常連さんから、患者さんの話は聞いていないと云う。ただ一度だけ、無事に退院しましたよ、とは教えてくれたそうだ。


 患者さんが本当に、幽霊にとり憑かれていたのかはわからない。そうだったとして、幽霊は今もとり憑いているのか、もう離れたのかもわからない。事故の原因が悪霊の祟りなのかどうかも、やはりわからないままだ。

 一度だけとは云え施術をしたMさんには、なんの事件も起きていない。Mさんは変わらず、幽霊などは見えないし聞こえない、心霊現象には縁がないままだ。

 ただ、Mさんにははっきりとわかっていることがある。

「彼は最初から、左側が悪かった、ってことです」

 そう言って、重たい溜息をついた。

 Mさんは暫く悩んだそうだ。最初の施術の日、もしくは電話がかかって来た日でも、もっと強く説明して引きとめておけば良かったかもしれない、と。

 しかし説明したところで、幽霊の所為にしたがっていた患者さんをどれだけ説得できただろうか、とも思うのだと云う。かえって妙な反発心が生まれて、もっと酷い事故になった可能性もある。下手に左側に意識が向いていなかったことが、不幸中の幸いだったかもしれない。

 一先ず、Mさんは自分にそう言い聞かせた。

「なんであれ僕は、霊能力者だとか霊媒師だとか、自分は成仏させられるとか、いい加減なことを言う人達が嫌いになりました。だって……」

 患者さんが出会った専門家だと云う人は、不調の原因は右側じゃないかもしれませんよ、とは言っていないようだから、と。

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