どんぶりいっぱいの、この愛を

いさを

前編

『超爆盛り極辛煉獄ラーメン。三十分以内に完食した方には十万円進呈』


 今まで幾多の挑戦者を屠り、払い除けてきた、昇竜軒自慢の必殺メニューである。


 ――これは、私のすべて。


 すみれは出来上がったラーメンを手に厨房を出た。二十玉分の麺。クリスマスツリーの如く積み上げられた大量の具材。そして激しく煮立つ赤黒いスープを湛えた特注の巨大な丼は、さながら魔女の大釜を思わせる凄まじい様相だった。


 ――そう。これが、私のすべて。


「お待たせしました。ご注文の超爆盛り極辛煉獄ラーメンです」


 ――受け止めて。私のすべてを。





 昇竜軒はさびれた商店街の片隅にひっそりと佇む、一見何の変哲も無い昭和テイスト漂う小さな店。しかし、ある筋の間では知らぬ者のいない、超有名店である。

 その店主である菫は若くして両親に先立たれ、一人その細腕で店を切り盛りしているのだが、持ち前の勤勉さと父親譲りの腕前、そして母親譲りの愛嬌ある振る舞いで店は中々に繁盛していた。

「ありがとうございましたぁ!」

 その日も最後の客を送り出し、のれんを下げた菫はカウンター席に腰掛けると、厨房の隅に飾られた両親の遺影を優しく見詰めてそっと呟いた。

「お父さん、お母さん、今日もいっぱいお客さん来てくれたよ。この店は私が守るから、安心してね」

 一日の最後に、今は亡き両親に報告する。それは彼女にとって仕事を締め括る神聖な儀式なのだ。

 二人の写真は優しく微笑むばかりで何も語り掛けてはくれなかったが、菫にはそれで充分だった。

 もしも二人が生きていたなら、きっと今日の仕事振りを褒めてくれる。

 菫は本当に良くやってくれている、自慢の娘だ。お父さんはそう言ってくれるに違いない。そんなお父さんを見てお母さんは、あらあら本当に娘には甘いんだから、なんて呆れた顔で言うんだ。

 そんな他愛も無い事を考えながら壁の写真を眺めている時が、菫にとって最も心休まる時間なのである。

 しかし、そんな憩いの時間も長くは続かなかった。彼女のささやかな安息を遮ったのは、一本の電話。

「んもう、何よ?」

 神聖な儀式を邪魔されて、彼女はやや不機嫌な態度で受話器を取る。

「はい、昇竜軒です。申し訳ありません、本日はもう閉店なんですが……はい? ええ、ええ。明日ですか? ええ、当店は一向に構いませんが……」

 会話が進むにつれ、菫の瞳から先程までの優しい輝きが消え失せる。まるで別人の様な、獲物を見つけた野獣の様な形相へと変わって行った。

 電話を切った後、再び両親の遺影を見詰めて、呟く。

「お父さん、お母さん、また身の程知らずが来るよ。私頑張るから、見守っていてね」

 先程とは明らかに違う、何だか危険な目付きで語りかける。

 そんな娘を、写真の二人は変わらぬ微笑で見守っていた。



 翌朝。

 店先に『臨時休業』の札を出して、菫は準備に取り掛かった。

 寸胴鍋に水を張り、具材を入れて出汁を取る。

 前日から寝かせた生地を二十玉分製麺機に掛けて、伸ばした後に手で揉んで適度な縮れをつける。

 すり鉢に各種香辛料を投入して丹念に擦りあげる。

 明らかに普段と異なる特殊な仕込み。そしてそれを行う間、菫の瞳は妖しく熱っぽい輝きを放っていた。時折小さく「むふふっ」と、いやらしい笑い声まで漏らしている。

 その姿は普段の陽気で明るく愛らしい営業中の彼女とは、まるで懸け離れていた。それはもう、絶対友達になりたくないと思える程に危険な香りのする、恐ろしげな様相である。

 彼女には二つの顔があった。

 一つは美味くて安くてボリュームたっぷりの料理を作る、誰からも愛される庶民の味方としての天使の顔。

 もう一つは、並み居る挑戦者達を無慈悲に蹴散らし、さらに辛辣な言葉で止めまで刺して悦に入る、冷酷非情な悪魔の顔。


 昨日、閉店後にかかって来た一本の電話が彼女から悪魔の顔を引き出していた。



 ▽



「こんな形でこの町に戻って来るとはなぁ……」

 駅の改札口を出て、寂れた商店街を眺めながら匠は呟いた。

「来た事あるのか?」

「昔住んでたんですよ」

 匠がぶっきらぼうに答えると、同行の男は興味無さそうに「ふぅん」と頷く。

「明るい内に済ませるからな。ちゃっちゃと頼むぞ」

 まるで吐き捨てる様に言うと、男は返事も待たずに足早に歩いて行った。彼は匠なぞ使い捨ての道具としか見ていないので、当然扱いも軽い。もっとも、匠にしても男の事は『せいぜい利用出来る内に利用させてもらう存在』程度にしか考えていなかったから、これはこれでお互いの目的が一致した、ドライながらも理想的な関係と言えなくも無い。

 匠は以前より確実にさびれている商店街を一瞥。その片隅に佇む小さなラーメン屋に足を運びつつ、物思いに耽っていた。

(あれから十年か。よりによってこんな形で再会する事になるとはな……)



「おはようございまーす。昨日連絡した大日テレビの者ですがー」

 男は業界特有の厚かましい態度で挨拶を済ますと、「おお、やってますなぁ、今日はよろしくお願いしますねぇ」などと言いながらずけずけと厨房にまで入りこみ、あまつさえ「んー、いい匂いだ」とか呟きつつ勝手に寸胴鍋の蓋まで開けていた。 

(何度見ても嫌な連中)

 菫は瞳に浮かんだ軽蔑の色を隠そうともせず、それでも形だけは丁寧な受け答えをしながら、山本と名乗ったテレビ局の男と打ち合わせに入った。

 昇竜軒は元々安くてボリュームのある料理が売りの店だが、その極目付と言えるのが、先代である菫の父が始めた『チャレンジメニュー』と称する超大盛りの料理である。

 その中でも歴代最強のメニューと謳われているのが、菫の考案した超爆盛り極辛煉獄ラーメンだ。店のメニューに載って以来一年と八ヶ月、未だ食べ切った者は居ない。

 全国の有名フードファイターをことごとく払い除けてきたこの料理はやがてマスコミの眼に留まり、最近では月に一度位の割合でこういったオファーが来る様になっていた。

 菫にしてもテレビは店の宣伝になるし、何よりも憎きフードファイター達が苦しむ様を公共の電波に晒せるというのは、この上ない喜びであった。

「それで、今日挑戦する方はもう見えてるんですか?」

「ええ。すぐに来ますよ」

「そうですか」

 我知らず笑みを浮かべる菫。

(なるべく自信たっぷりの、いけ好かない奴が来るといいな。食べる前に頭悪そうなビックマウスを叩いてくれたりすると最高なんだけど。そういえば前回の男は傑作だったな。『俺の胃袋は銀河だから』とか言ってた割には三分の一も食べれなくて、最後は涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになってたもんなぁ)

 云々。歪んだ好奇心を胸に抱きつつ挑戦者を待っていた彼女は、しかし扉を開けた相手を見た瞬間、思考の全てを飛ばされてしまった。

「久しぶりだね、菫ちゃん」

「まさか……まさか、たっくん!?」

「あれ? 知り合いなんだ? ああ、そう言や匠は昔ここに住んでたんだっけ? すると何だ、幼馴染み? じゃあアレだ、『幼馴染み、運命の対決!』とかそんな感じのテロップなんか乗せちゃったりして。良いねぇ、盛り上がるねぇ」

 勝手に余計な演出などを言い出す山本には目もくれず、菫は呆けた様に匠の顔を凝視していた。

「いや、コレは今ウチの局で売り出し中の新人フードファイターなんですがね。いやこりゃあナイスな偶然だ、良いよぉ、数字取れそうじゃあないの」

「は、はあ」

 事情が判明した後になっても、菫は混乱から逃れる事は出来ない。むしろ余計に訳が分からなくなっていた。

 呆然としている菫の事などお構い無しに山本は一通りの段取りを決めると、撮影隊と打ち合わせをすると言って一旦店を去った。出汁ができ上がる二時間後にまた来て、その後撮影という段取りになっていたが、もはや彼女にとってそんな事はどうでも良くなっていた。


 たっくん。

 ちっちゃい頃から中学二年のあの日まで、いつも一緒だった、たっくん。

 どうして? 一体、なぜこんな事に?



 匠はかつて隣近所に住んでいた、菫の大好きな幼馴染だった。

 しかし無情にも彼の家は中学二年の冬、ある日突然引越してしまい、それ以来匠からは何の音沙汰も無かった。

 後になって、それはどうやら夜逃げだった事を知ったが、どうあれ大好きな匠を失った事実は変えようも無く、彼の記憶は心に深く刺さった棘となって彼女を苛んでいた。

 その匠が、十年の時を経て再び彼女の前に現れた。

 しかも、よりによって彼女が最も忌み嫌う最悪の存在となって。

(一体……どうして?)

 菫の思考を遮る様に、電話が鳴った。

「はい、昇竜軒ですが……たっくん!?」

 はたしてと言うべきか、電話の相手は匠だった。





「今から会えないかな? どうしても話しておきたい事があるんだ」

 彼の申し出に二つ返事で答えた菫は、逸る気持ちを抑えきれずに指定された駅前のコーヒーショップに向かった。

「たっくん、あの場所覚えててくれたんだ!」

 そこは二人が中学生だった頃、大人のカップルの様に振舞いたくてよく足を運んだ店だった。

 今となって見ては何の事も無い、全国チェーンのコーヒーショップ。しかし、そこで大人を気取って飲んだコーヒーの苦さや、匠がハマっていたやたらにマスタードの利いたホットドックの事、一杯で何時間粘っても文句一つ言わずにいてくれた店員のお姉さんの事などを、菫はまるで昨日の事の様に思い出せる。

 そして匠がその場所を指定してくれたという事は、彼にとってもあの頃の記憶が、自分と同じ様に忘れ難いものであるに違いない。その考えは菫にとってこの上なく嬉しい発見であり、仇敵であるフードファイターとなった彼に会う事へのわだかまりを急速に消し去っていった。

 目的の店に到着すると、匠はまるで十年前と同じ様に、懐かしいあの窓際の席でコーヒーを飲みながらホットドックを頬張っていた。あの頃と違うのはお互い十歳も年を取った事と、彼の食べているホットドックが三本から十二本に増えている事だけだった。

(そういえば、昔からいっぱい食べてたっけなぁ……)

 菫は心の中に暖かく、甘酸っぱい想いが広がって往くのを自覚しながら店の扉を開けた。


「おまたせ」

「ううん。俺も今来た所だから」

 テーブル上に散らかった皿や紙ナプキンを手早く片付けながら匠は言った。すでに平らげられたホットドック八本分の包装紙を見て、菫は(相変わらず嘘つくのが下手なんだから)と心の中で呟きつつも、「そう、よかった」と言葉を返した。

 カウンターで買って来たコーヒーを手に、菫は匠と向かいの席に腰を下ろした。

 改めて匠の顔を見据える。十年の年月は、たしかに彼を少年から青年へと変化させていた。しかし、中性的な作りの細い輪郭や如来像を思わせる優しい瞳は、幼い彼女が想いを寄せていた「たっくん」そのままだった。

「あの……」

 話し掛けようとして、菫は何故か言葉が詰まった。

 色々言いたい事、聞きたい事が有る筈なのに。

 菫は次の言葉を紡ぎ出す事が出来なかった。あれこれ悩んだ末、結局出てきた言葉は

「久しぶりだね」

 という、どうでも良い一言だった。

「うん」

 匠も、そう答えたきり、何も話せないでいる。彼もどこから話を切り出したものか、考えあぐねている様だった。

 二人の沈黙を遮る様に店の扉が開き、一組の客が入ってきた。

 近所の中学校の制服を着た、初々しいカップル。カウンターで飲み物を買うと、一番奥のテーブル席に座って他愛の無い話をしながら生意気にも二人だけの甘い世界を作り上げている。『若い』というよりも『幼い』という表現が似合うその二人は、まるで十年前の自分達を見せられている様だった。

 二人を見ていた菫の瞳から、不意に大粒の涙が溢れる。

「どうして……」

「菫ちゃん?」

「どうして何も言わないでいなくなっちゃったの? どうして連絡してくれなかったの? どうして、どうしてよりによってフードファイターなんかになって帰ってきたの!?」

 そのまま菫は泣き崩れた。

 今まで心の奥に溜め込んだ様々な想い。それら全てが涙となって、もの凄い勢いで溢れ出る。

 匠は、握り締めて嗚咽を堪えている彼女の拳に自分の手を重ねて一言、「ごめん」と呟いた。


 菫が落ち着くのを待って、匠は話し出した。

「十年前のあの日……家に帰ったら親から急に『これからすぐに引っ越すぞ』って言われて無理矢理車に押し込められた。親父は小さな会社を営んでいたんだけど、社運を賭けた事業で大損をして何もかも失ってしまった事を車の中で聞いたんだ。俺は、せめて菫ちゃんにだけは話をさせてくれって言ったんだけど、聞いてもらえなかった……ごめんね」

 菫は何も口に出来ず、俯く事しかできなかった。

「それからは酷い生活だったよ。事業に失敗した父は人が変ってしまった様に酒に溺れて、そんな親父を捨てて母は家を出て行ってしまったんだ。俺は高校にも行けず、町工場で働いた。正直つらい毎日だった。知らない町で友達もろくに出来なくて、仕事もきつかった」

「……そうだったんだ」

(たっくん、そんな酷い事になってたなんて……)

 例え知らなかったとはいえ、逆上して匠に非難めいた言葉を浴びせた事を、菫は激しく後悔した。

「何も楽しい事の無い毎日。その中で唯一の喜びは食べる事だけだった。でも小遣いなんて無い様なもんだったから、完食したらタダになる店とか、賞金がもらえる店とかを見つけてはチャレンジして。何年もそんな事を繰り返している内に、JFFAにスカウトされたんだ」

「JFFA?」

「そう。ジャパンフードファイターズアソシエーション。日本フードファイター協会の事だよ」

「そんな組織まであったんだ……あ、そういえば」

 以前、返り討ちにした奴が泣きながら『いつまでも協会が黙っていると思うなよ!』と捨て台詞を残して去って行った事を、唐突に菫は思い出した。

 あの時は、

「えーと、教会が何か文句言って来るのかしら? 『食べ物無駄にするな』とか言われちゃうのかな?」

 などと能天気な事を考えていたのだが、匠の話で全てを理解した。

(つまり、私はそのJなんとかに眼をつけられたのか。なんか、この頃妙に挑戦者が多いと思ってはいたけれど……)

「JFFAに入会した俺は二級FF、一級FFと順調に昇進して来た。昔から、どういう訳かいくらでも食べる事が出来たからね」

「はあ」

「次の昇進試験に合格すれば国際FFの資格をもらえて、本場アメリカのフードファイトリーグに参加できる、そんな時に君の噂を聞いたんだ。俺達フードファイターを異常なまでに敵視しているという、昇竜軒の女主人『激辛残虐女王』の噂を」

「私そんな仇名で呼ばれてるの!?」

 菫の問いに深く頷いた匠は、彼女の眼をまっすぐに見据えて語り掛けてきた。

「教えてくれ、菫ちゃん。一体何があったんだ? 何が君をそこまでさせるんだ?」

 匠の真摯な眼差しを見て、菫は直感した。


(この人は協会の手先として来たんじゃ無い。あの頃の、私の好きな「たっくん」のまま、私の身を案じて来てくれたんだ)


 匠は包み隠さずに、菫に全てを話した。おそらくは思い出したくも無いであろう自分の過去を。

(ならば……)

 菫は考える。

 自分も話さねばなるまい。己の心中に潜む醜い復讐鬼の事を。怒りと悲しみに満ちた、この想いを。



すっかり冷めたコーヒーを一口飲んで、菫は語り出した。

「私のお父さんとお母さんは、フードファイターに殺されたの」

「な!?」

「フードファイターは、両親の仇」

「一体……何が」

 菫の放った言葉に匠は言葉を失った。まるで金縛りに掛かったかの如く、一言も発する事が出来ずに居る。

 その様を、菫は哀しげな瞳で見詰めていた。


「たっくんも覚えてると思うけど、元々うちのチャレンジメニューはこんな料理じゃなかったの。お父さんが『学生さんや懐の寂しい若者達におなか一杯食べてもらいたいから』って始めた、サービスメニューみたいなものだったのよ。全部食べれたらタダ。食べ切れなかった時の値段も良心的で、儲けなんかは殆ど無かったけれど、みんな喜んでくれてた」

「うん。そうだったね」

「ところが、それに目を付けた連中が居たの。まるで豚の様に醜く食い散らかしては『全部食ったから当然タダだよな』なんて言って帰ってく、薄汚い奴等」

「それが、フードファイターだった?」

「少なくとも自分ではそう名乗ってたわ」

「…………」

 彼女の言葉を、無言で受け止めている匠。その表情は、まるで死刑判決を受けた被告の様に蒼白だった。

「そんな連中にいつまでもたかられたら店は成り立たない。悩んだお父さんはついに中国まで修行の旅に出たわ。四川省にある激辛料理の店に技を学びに。そして半年後、帰国したお父さんが編み出したのが、今のメニューの元になった『大盛り辛口地獄ラーメン』なの。さすがにそいつらも、お父さんが本場で得た技術を駆使して創ったあのラーメンを食べ切る事は出来なくて、店に来なくなったわ……でも」

「やがて、それをも完食する奴が現れた?」

「そう。そいつはテレビでも何度か見た事のある、有名なフードファイターだった。全部食べた後に、嫌味ったらしく『もう少し美味かったら、もっと早く食えたのにな』なんて捨て台詞まで吐いて行ったの」

 ぐしゃ、と鈍い水音に驚いた匠は菫の手元の視線を移す。彼女はコーヒーの紙コップを握りつぶしていた。

「お父さんは再び中国に旅立って、そしてついに帰って来なかった。崑崙山の麓で、お父さんの変わり果てた姿が発見されたのは半年後。死因は豆板醤の食べ過ぎだった」

「……そんな事が」

「その後、お母さんと私で店を続けたんだけど、元々体の弱かったお母さんは無理が祟って……三年前に……」

 大粒の涙を湛えた瞳を菫は気丈にも手の甲で拭い、小さな声で「ごめんね」と呟いた。

 匠はなにも答える事ができなかった。拳を握り締め、小さく頷く。

「お母さんの葬儀が済んでから、私も中国に向かったわ。お父さんのラーメンを完成させるため、そして二人の仇を取るために。死に物狂いで修行した」

「そうして出来上がったのが、超爆盛り極辛煉獄ラーメン。君が復讐のために作り上げた、必殺メニューという訳か」

「ええ。フードファイターは私にとって、憎むべき最大の敵」

 そして静かに、哀しげに、しかしはっきりとした口調で付け加えた。

「例え、たっくん。あなたでも」


(そうか。そんな事があったのか……)

 フードファイターを嫌悪する菫を、匠は否定する事が出来なかった。

 不必要なタダ食いで店に迷惑をかける事はフードファイターとして最も戒めるべき事なのだが、一部に未だそういう連中が存在する事を、彼も知っていたからである。

 匠は、自分の事を『敵』と言い切ったかつての恋人、その瞳を静かに見つめていた。

 強い決意を秘めた、菫の瞳。

 彼女に取って、フードファイターを倒す事は自らに課せられた崇高な使命。いや、今となっては生きる意味そのものですら、あるのだろう。

 それは哀しいほどに純粋で、それ故に強固な決意。

 しかし――

 彼女の想いを目の当たりにしても尚、匠の信念は揺るがなかった。

 そう。菫がフードファイターを倒す事に自分の全てを懸けている様に、匠もまた自分がフードファイターである事に、全てを懸けているからである。

「……ねえ、菫ちゃん」

 匠も明確な意思を湛えた瞳で、菫に語りかけた。

「俺は最初、文字通り食べる為にこの世界に入ったんだ。さっき話した通り、生きていくだけで精一杯な暮らしの中で突然現れた、これも文字通りおいしい話。協会にスカウトされた時、俺は一も二も無く飛びついたよ。『これでもう食うには困らないぞ』ってね。以来、協会主催のフードファイトリーグや各地のイベントとか今日みたいなテレビの収録とか、そりゃあもうがむしゃらに食いまくった。何も考える事無く、ただ獣みたいに」

 突然始まった匠の話に、菫は一瞬戸惑った表情を見せたが、それでも真摯に話を聞いていた。匠が自分の決意を語っている事を彼女も感じたのだろう。

「ところが。ただ食うだけの為にやっている事なのに、そんな俺を応援してくれる人達が現れ始めたんだ。『素晴しい食いっぷりだ』とか、『君の食べ方には魅力がある』とか、中には『あなたから勇気を貰いました』なんて泣きながら言ってくる人もいた」

「……そ、そうなの?」

 少し引いた顔で問いかけた菫に、しかし匠は力強く頷き返す。

「ああ。俺達がやってる事は所詮くだらないショーにすぎなくて、俺に至ってはそんな事すら考えもせずに、ただ食い散らかしてきたんだけれど……そういった人達を見て気付いたんだ。こんな俺でも人を喜ばせる事が出来るって事に。そして俺は誓った。ただいっぱい食べるだけじゃ無い、より強く、より速く、より美しく、観る人全てを楽しませる事の出来る、完璧なフードファイターになろうと! それこそが、ついに手に入れた俺の生き甲斐なんだと!」

 いつの間にかヒートアップ気味に話していた事に気付いた匠は、一旦話を切ってやや恥ずかしそうに菫の顔を覗いた。

 存外にも菫は真剣な顔で、匠の話を聞いていた。気を取り直して匠は続ける。

「君がフードファイターを憎む気持ちは良く分かる。恥ずかしい話だけど、実際そういった問題のある奴は未だに少なく無いから。だけど、それでも俺はフードファイターである事に誇りを持っている。この世界に入って、俺は初めて自分の生き甲斐を手に入れたんだ。だから、俺は食べる。そう、俺はフードファイター。フードファイターなんだ」


 自分はフードファイター。

 そう言い切る匠に、菫は嫌悪感を抱く事は出来なかった。それどころか、むしろ不思議な清々しさすら感じていた。

(そうね。私の知っているたっくんは、決して自分を曲げない人だもの……でも、それなら私だって……)

 フードファイターに全てを奪われた女と、フードファイターになる事で初めて自分を取り戻す事の出来た男。

 哀しくも残酷な運命に、それでも二人は目を背けず、互いの信ずる道を進む決意をその胸に抱いていた。

「俺は、仕事とか協会とかは一切関係無く、一人のフードファイターとして君に挑戦する。手加減はしないよ」

 迷いの消えた表情でそう言い放って、匠は左手を差し出す。

「私も、昇竜軒店主としてお受けします。たっくん、覚悟なさい」

 瞳を潤ませながらも不敵な笑みを浮かべて、菫は彼の手を強く握った。

「戦う前に、君と話が出来てよかった」

「私も」

 固い握手を交わして、二人は別れた。

 かつて愛し合った二人といえども。

 いや、かつて愛し合った二人なればこそ、この戦いはもはや不可避と言えた。

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