第二十六章 熱唱

懐かしいナンバーがビートのきいた演奏で続いていた。

観客は総立ちになって興奮している。


雪子はライブハウスの隅の壁にもたれ、しんみりと聞いていた。

みんな伸男がいた頃の曲ばかりであった。


観客もこの一時期、若者達を熱狂させていたバンドを一目見ようと集まったファンばかりであった。

ひとしきり演奏が終わると、小野がマイクをとって言った。


「みんな今日はどうもありがとう・・・。

俺もすごくうれしいよ。


今日はすてきなゲストを呼んであるんだ。

すまないけど席についてくれ。

とてもすてきなバラードを聞かせてくれるから」


観客は素直に従い、各自の席についた。 

バンドのメンバーが降りてきて、一番前のテーブルに雪子を連れていった。


「ゲストを紹介するよ。

『六月の星座』を歌います。

Mr・グラント・・・」


舞台のそでから、ギターを持った男が歩いてきた。 


Mrグラントであった。

サングラスをかけている。


「どうして・・Mrグラント・・・?」 

 

雪子が驚きの目で見つめていると、男は静かに椅子に座った。


足を組んでギターの音を合わせている。

小野は微笑みながら舞台から降り、雪子の隣に座った。


雪子は何か言いたげに小野を見たが、小野は人差し指を唇にあてて制した。


二人は舞台に視線を移した。


男のギターがゆるやかに音を奏でていく。

バラードを歌い始めた。


印象とは反して透き通る声に、観客は息をのんだ。


※※※※※※※※※※※※

  

悲しみの雨が降り続いている。

君はため息でそれを隠す


くもりガラスには何も写らない

それは君が一番知っていることさ


いつのまにか失ってしまった愛を


探してはみても

そこには何も残っていない


ただテーブルに落とした

君の涙が小さく揺れて


やがて流れ出すなら

僕はいつも君を見ている


君には見えない

どこか遠くから


※※※※※※※※※※※※


伸男の声であった。


いや、正確に言えばかなり低い声ではあったが、歌にして聞くと雪子の記憶の中にいる愛する男そのものに感じた。


(もしかすると・・・)

雪子の胸は高鳴った。


伸男は去ってしまうMrグラントの事を知り、最後に雪子に別れを告げに来たのだろうか。


だとしたらMrグラントには今、伸男の魂が乗り移っているはずである。


グラントの身体は、大丈夫なのだろうか。

様々な想いが雪子の頭の中を交錯する。


(だけど、それでも・・・)

由紀子は願った。


今、この時間だけ。

せめてこの曲が終わるまで、伸男の声を聞いていたい。


両手を握り締め神に祈る。

雪子の為に伸男が作ってくれた詩や曲であった。


雪子の頬に熱い涙が伝わってくる。

小野は気遣いながら、雪子の顔を見つめていた。


男はやがてリズムを軽快なストリングスに換え、ギターを奏でていく。


サングラス越しに雪子を見つめている。

男には両手を頬にあてて、涙をあふれさせている天使しか視界にはいってはいない。


心を込めて再び男は唄い出した。

  

※※※※※※※※※※※※


君を見守る六月の星座

空を見上げる瞳に僕は映らない


降りしきる雨は僕の涙

君を悲しみに濡らす事しかできない


もしも戻れるのなら

もう一度


ぺガサスの翼を探して

しまいこんでいた愛を君に届けたい


間に合うだろうか 


消え去った二人の時間が

砂時計の底によどんでいる


ちっぽけな僕の力で

見つける事ができるのなら


ぺガサスよ

僕に勇気をおくれ


※※※※※※※※※※※※

 

雪子には何も見えなかった。

涙が視界を嵐にうたれる窓ガラスのようにさえぎる。


もう会えないかもしれない。


男にも。

伸男にも。


もう二度と・・・。


以前にはまだ希望があった。

夢があった。


だけど、これからはそれすら許されなくなるのだ。


もう戻れない。

二度と会えなくなる。


自分で選んだ別れだった。


(それでも・・・)

雪子は願う。


行かないでほしい。

そばにいてほしい。


我がままでもいい。

自分勝手でもいい。


このまま、そう・・このまま時間が止まってほしい。


出来るなら、全て落ちてしまう前の砂時計を逆にして時間を戻したい。


(神様・・・生まれて初めて・・・

いえ、二度目です。

お願いです・・二人を・・・

私から奪わないで下さい・・・)


愛する人が泣いている。

涙が頬を伝いテーブルに落ちていく。


男は唄いあげる。

ただ一人の天使の為に。


もしかすると、これが永遠の別れになるかしれない。

二度とあの柔らかい頬に触れる事も、いい匂いのする髪を撫でる事もできない。

 

飛んでいって抱きしめてやりたい。


僕は伸男だ。

だけどグラントでもある。


愛している、ユキ。

ずっと届かなかった愛を今、全ての力をふりしぼって君にあげる。


だから、がんばって聞いていておくれ。

僕の天使、泣き虫の・・可愛い子猫ちゃん。


男は又、激しくギターのストロークを強めていった。

しぼり出すような声で熱唱していく。


場内の観客はかたずをのんで聞いている。 

小野は雪子の隣で聞きながら、鳥肌が立つのを感じた。


(伸男だ・・伸男がそこにいる・・・。

か、帰ってきたんだ・・・)


※※※※※※※※※※※※


もしも戻れるのなら


もう一度

ぺガサスの翼を探して


しまいこんでいた愛を君に届けたい


間に合うだろうか 

消え去った二人の時間が砂時計の底によどんでいる


ちっぽけな僕の力で

見つける事ができるのなら


ぺガサスよ

僕に勇気をおくれ


※※※※※※※※※※※※


「うぅっ・・うううぅっー・・・」 

雪子は声に出して泣いていた。


「伸ちゃん・・ジョージ・・・。

いやっ・・離れたくない・・・。


いかないでぇ・・・。 

伸ちゃん・・ああっ・・うううー・・・」


男はギターのストロークを止めた。

静まり返った会場に、エンディングを唄う透き通る声がアカペラで響いていく。

 

※※※※※※※※※※※※


ぺガサスよ・・・


僕に・・勇気を・・おくれぇ・・・


※※※※※※※※※※※※


一瞬の静寂の後、万雷の拍手が鳴り響いた。


みんな立ち上がっている。

雪子だけ一人、両手で顔覆い泣きじゃくっていた。


小野が心配そうに肩に手を置いている。

男は立ち上がると、雪子を見つめたままマイクを握り締めた。


「ユキ、ユキ・・・。

顔を上げておくれ・・・。

本当に、泣き虫なんだから・・・。

愛しているよ・・・・。

ユキ・・僕を見るんだ・・・」


雪子は泣きはらした瞳を男に向けた。

歪んだ口元が震えている。


「ユキ・・・愛している。

見てくれ・・・。

僕だよ・・・」


男はゆっくりとサングラスをとった。

涙でにじんだ視界がボンヤリと焦点があってくる。


「ジョージ・・・伸・・ちゃん・・・?」

目を何度もまばたかせて、よく男の目を見た。


そこにはブルーの瞳はなかった。

黒く、どこまでも澄んだ瞳があった。


伸男の瞳であった。


再び、視界がぼやけていった。

雪子は崩れるように気を失った。


小野が細い肩を支えた。

男は立ちつくしたまま、雪子を見ている。


観客の拍手がまだ、続いていた・・・。


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