生きたい俺は、死にたいお前に絆を残す
幽宮影人
ある日の出来事
「なぁ。奨学金返して、やりたいことだけやり終わったら早々に死のうと思うんだけど、どう思う?」
ベッドの上で上体を起こし、窓の向こうに目を細めている青年に尋ねかける。
そんな物騒なことを口にした青年はというと、ベッド横の丸椅子で足をプラプラと遊ばせながら、への字に口元を結んでいた。
「どうって、お前さぁ……」
尋ねられたベッドの青年は窓から視線を外すと、隣に座り込んでいる青年に目をやる。心底呆れたと、少し大げさに肩を落としながら。
「なぁんで俺にそんなこと聞くんだ?」
「なんでって、目の前にいたのが
「その賢人君は、ちょっと前に余命宣告をされたばっかりで、もう一年しか時間がないってのに?」
「……だって」
椅子の青年は拗ねた子供のように口をとがらせてそっぽを向く。子供よりも子供っぽしぐさは庇護欲を刺激されるものかもしれないが、あいにくと目の前の青年、
「だって、つまらないんだもん」
「つまらない?」
「そ、つまらない。そう思わない?」
「残念ながら全く」
子供のダダのように口をすぼめて言う。ソレに対し溝口は肩をすくめると、真っ向から否定の意を示した。
「生きたところでなんにもないじゃん。給料が出る訳でも、ご褒美がある訳でもないし。そのくせ死んだらなにもかも無くなって、生きてたことさえ消えちゃって。記憶も感情もどこにもなくて」
子供にしてはなんと悲惨なことを口ずさむのか。
もう子供の面影もない青年は、端正な顔を歪めてあまりにも悲しい事実を並べ立てる。
「なんだ。お前」
病床の溝口は、片眉を上げて尋ねかけた。
「死ぬことが怖いのか」
「え、怖かったら『死にたい』なんて言わなくない?」
「さっきのお前の言い分を聞く限り『死ぬことを怖がっている』風にしか聞こえないが?」
「う~ん? そうなの?」
「まぁいい。ところで、やりたいことってなんなんだ?」
「えっと、でっかいバケツプリン食べたい」
「ふぅ~ん。他には?」
「んぇ? 他、他かぁ……う~ん、思いつかない」
「じゃあこっちに来るの随分と早くなりそうだな」
「ダメ?」
「ダメだろ」
暗に早く死にたいという友人に眉を顰めると、間髪入れずその意見をした跳ね返した溝口。こてん、と首を傾げたままの
「え~? じゃあ『親孝行』」
「一番の親孝行は長生きじゃないのか?」
「旅行とか。これも立派な親孝行でしょ?」
「まぁ、そうだな」
「あとは、う~ん……」
「スカイダイビングとかは? 『人生で一度はやりたいこと』で一番聞くのはやっぱこれだろ」
「えぇ? 高いところ嫌ぁい」
「じゃあバンジージャンプ」
「一緒じゃんかぁ」
「ホエールウォッチングとかは?」
「う~ん、実は海も怖いんだよね」
「じゃあ海外旅行」
「ちょ、賢人。僕の英語の成績知ってるでしょ?」
「国内旅行」
「日本あんまり好きじゃないんだよね~」
「好き嫌い多すぎだろ」
「えへへ~」
「なにが『えへへ』だこの野郎」
「その代わり、食べ物の好き嫌いはほとんどないよ!」
「ほとんどだろ? 知ってるぞ、お前『土の味するから』って根野菜を嫌いなこと」
「まぁまぁまぁ。それは置いといて」
……――……
「……思いつかないもんだな、案外」
「でしょ?」
「ところで何年くらいかかる予定なんだ?」
「五年もかからないよ、多分」
「ふーん」
それからも二人は他愛もない会話で盛り上がった。
数分前まで繰り広げられていた『死ぬまでにやりたいこと』の話などなかったかのように、二人の会話は広がっていった。
同級生たちの恋愛事情だとか、サークルの話だとか。教授のくだらない笑い話だとか、講義でどんなことを学んでいるのだとか。バイトの愚痴だとか、一人暮らしのアレソレだとか。
時間を忘れるくらい、離れていた時間を埋めるように二人は言葉を繋いでいった。
やがて、空が橙に色付いてきたころ。耳を劈く烏の鳴き声に気づいた三波が、病院の外にそびえ立つ時計を遠目に口を開いた。
「あ、もうこんな時間じゃん」
「電車の時間大丈夫か?」
「いやー、ヤバいかも」
「おうおう、じゃあとっとと帰りやがれ」
「酷い、僕の事嫌いだったの?」
「いや、単純に帰れなくなるぞ」
「むぅ」
「ほら帰った帰った」
犬を追い払うようにしっしっと手を振る溝口は、しかし嫌そうな顔をしている訳ではなく。単純に友人の帰路を心配しているだけなのだろう。
「また、来るから」
「おう、待ってる」
「……うん、待ってて」
名残惜しそうに退出する三波を見送る溝口も、彼の姿が見えなくなるまでゆるりと手を振り続けていた。
「やっと帰ったか」
ようやく一人になれた。
溝口はふぅと息を吐くとそのまま体をベッドに沈ませる。ぎぃとスプリングが鳴き、その音の不快さゆえにか顔を顰めた彼は、やがてそっと瞼を閉ざし、その上に腕を乗っけて世界に蓋をした。
「……未来が欲しい俺は、もう長くはなくて」
細く囁くような声は誰に届くでもなく消えていく。なにごともなかったかのように、音も、声も、消えていく。
かぁぁあ かぁぁあ
遠くから聞こえる烏はなにを思って鳴いているのだろう。
餌を見つけたのだろうか。腹をすかせた子供の元へ急いでいるのだろうか。早く家に帰れと急かしているのだろうか。縄張り争いで威嚇しているのだろうか。
それとも。
生きることもままならない俺を、嗤っているのだろうか。
長きにわたる闘病生活で気が滅入っていたのだろう。ありもしない被害妄想に陥った彼は、なんてことのない景色にも息が詰まるようで。
暗い視界の中で太陽のように笑う友人の姿を思い浮かべた。
「未来を望まないお前の前には、長い長い道が続いていて」
そっと腕をずらして世界を見る。
彼の視界の先に広がるものと言えば、ここ最近はずっと清楚な白だけで、今日だってそれは変わりない。飽きたって何を思ったって、変わることなどありはしない。
真っ白な天井を睨みつける彼は、やがて諦めたようにふっと笑うと、腕を体の横に添えて大人しくその白を受け入れた。
「からす。なぜなくの」
覚束ない、ちょっと外れた調子で懐かしい童謡を口ずさむ。夕焼け空を背負って歩いた、幼き日々を思い浮かべながら。
「俺がなくのも、勝手だろう」
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