冷然と佳人

第1話

人を狂わせるほどの冷酷な美貌のみが、私が愛するものなのです。



 私、更科カレンが最も愛するものは、美貌です。男女問わず、美しい容貌を持つ者は、たとえその内が性悪なものであってもかまいません。

 ですが私にも好みの美貌というものがあり、優しい微笑みの、周囲に溢れんばかりの花が咲き誇るような清廉な美しさよりも、周りの者たちが凍りつくような、冷酷なまでの恐ろしさを感じる美しさが何より好きでした。


 私が衝撃を受けたのは十四になる年の日のことでした。海の向こうの国で人気となった、吸血鬼という化け物を主題とした恋愛映画を観たのです。そのときの私の胸の高鳴りはどんなだったでしょう。

 優雅で冷たく、洗練された美貌を持つ吸血鬼の美丈夫が、美しい少女を同族へと誘い込むと言った内容でした。

 吸血鬼の男は、栗色の髪こそ柔らかそうではあるけれど、吊り上がった目尻と、琥珀色の瞳、それを囲む数多の睫毛、そして軽薄そうな唇から滲む嘲笑がとても印象的でした。

 それはまさに私が愛してやまない、冷酷な美貌そのものを持った怪物だったのです。その吸血鬼を一目見たときから私はもう、彼の虜でした。

 

 その恋愛映画の吸血鬼は結局、少女のことを心の底から愛してはいませんでした。ただ少女がとても美しかったから、吸血鬼は彼女を同族へと迎え入れただけだったのです。

 でも私にはその方が都合が良かった。恐ろしいまでに美しい吸血鬼が、恋愛などという凡庸なものに飲み込まれるほど、興醒めすることはないからです。吸血鬼の彼は、残酷なほどに周囲に心動かされることなく、ただの人間など暇つぶしに相手どることが、その美貌に見合っていると、私は思うのです。

 

 そしてこのときから私の、吸血鬼の彼に対する情熱的なまでの激しい恋情が始まりました。彼は、私にとっての唯一無二の美貌であり、崇めるべきものとなったのです。




 映画の中の彼を見つめ続け、その姿に胸を高鳴らせていた中学時代を過ごし、私は晴れて高校生となりました。

 新しい教室に足を踏み入れたとき、あの映画を観たとき以来の衝撃が胸を貫いたのです。窓際、一番後ろの席、その隣が私の席でした。私の左隣に座り読書をしている男の子は、私が恋する吸血鬼の彼と同じ、凍てつくような美貌を持っていたのです。

 私の気配に気がついた男の子はゆっくりと、その美しい顔をこちらに向けました。

 真っ黒な猫っ毛の髪、長い睫毛に縁取られた切れ長の目、そこから覗く鳶色の瞳の威力。極めつけは病的なほどの色の白さ。そう、その透き通るほどの肌の白さは、映画の中の彼ととてもよく似通っていました。

 

 自分の席に着いた私と、こちらを見た男の子の視線は、どれくらいの間交差していたのだろう。私はもう何も考えることができませんでした。美しい顔というのは何故こんなにも視線を惹きつけるのでしょう。私の目は、男の子の顔から少しも逸らすことができませんでした。

 目があったままの私に、冷めたような視線を送った彼は、呆れたように口角を上げると、また本の世界に浸ってしまいました。

 きっと、その美貌のせいで、老若男女問わず何人もの人間が、私と同じように惚けたような視線を彼に送ったのでしょう。彼が読書に戻ってからも私は、しばらくそのまま、彼のあまりにも整いすぎた横顔を見つめることしかできませんでした。


 この美貌の男の子は、名前を月島泪と言いました。月島さんはこの高校生活で数多の女の子たちから、熱烈な好意を向けられることになりますが、彼はその冷酷な見た目通り潔癖で、たとえ同性の一人さえ、触れるような距離まで近づけさせることはありませんでした。


 私と月島さんは隣の席でしたが、会話をしたことはほとんどなく、目を合わせたのも初日だけでした。でも私はそれに焦ることもなく、むしろ彼が見た目通りその内も冷たい人間であることが分かり、とても、嬉しかったのです。月島さんはあの吸血鬼の彼と、見た目のみならず、性格までまるで似通っていました。



 毎日、隣の席の月島さんの美しい横顔を盗み見ながら時は過ぎて、気がつけば入学から三ヶ月の月日が経っていました。

 初夏の日のこと、私は熱さに体調を崩し、体育の授業を休み、保健室で自習をしていました。保健室の先生は不在で、しんと静まり返った部屋に私一人、ぽつんと座っていました。扉を開ける音がしたかと思うと、月島さんが、片手にノートを抱えて保健室に入ってきました。彼と私の目が合ったのは一瞬で、月島さんは保健室の奥に備えられているベッドの方へと向かいました。

「体調が悪いのですか」

それはすらりと私の口からこぼれました。

「夏の日差しは苦手で、体育がある日はここにいるんだ」

月島さんは私に視線をよこしてこたえました。


「まるで、ほんとに、吸血鬼みたいだわ」


思わずぽろりと漏れてしまった言葉に、私は慌てて口を閉ざしました。ですが、この静かな空間に私の声は響いたらしく、月島さんは厳しい視線をこちらに寄越しました。

「あの、ごめんなさい。気を悪くされたでしょう。忘れてください」

私は焦りながら言いました。

痛いほどの沈黙が彼との間に流れます。月島さんは私を見つめたまま、ゆっくりとこちらに近づいてきました。お互いの吐息がかかるほどの距離にまで来たとき、彼はゆっくりと問いかけました。

「僕が、吸血鬼だと思ったのは何故」

優しい口調でしたがその言葉からは、理由を言うまでは解放してくれないであろう、拘束力を感じました。私は観念して、月島さんが映画の中の吸血鬼とまるで似ていること、日光に弱いから体育には出られないことも吸血鬼の特徴と一致していることなどを、すべて話してしまいました。

 しかし、懺悔のように彼に話しをしている中、私はもしかしたら月島さんは本当に吸血鬼なのかもしれないと思い始めていました。どうして同じクラスの誰一人として気がつかないのでしょう。恐ろしいまでの美貌、洗練された動き、奏でる声の心地よいこと、そして透けるような白い肌、彼が吸血鬼でないはずがない。私の考えを人は馬鹿馬鹿しいと思うでしょう、しかしこの時の私は確信に近い思いで、彼が吸血鬼であると決めかかっていたのです。

 

 私の吐露を全て聞いた月島さんはやがて愉快そうに、軽薄な笑みを見せると、唇が触れそうなくらい、顔を近づけて言いました。


「君は美しいね。美しい人は大好きだよ」


 そしてより笑みを深めると、私からパッと距離をとり、保健室から出て行ってしまいました。一人残された私は混乱の中にいました。

だって、彼の今の言葉は、


 映画の中の吸血鬼が、美しい少女の心を自身に向けさせるために吐いた、口先だけのセリフなのですから。




 あの出来事から幾分か経ち、私は恐ろしいほど冷静になって、あの日の言葉を恥じました。容貌こそ特異であれ、月島さんはどう見ても人間であり、そんな彼に化け物として名高い吸血鬼のようだなどと言ってしまっては、彼が気分を害するのも当然のことです。きっと、最後に言った言葉は、彼もあの映画を観たことがあり、有名なセリフだったため、混乱状況にある私を怖がらせるために言ったことだったのでしょう。

 しかし月島さんはあの日から何一つ態度を変えることなく、日常を過ごしていました。といっても私たちの間には元々会話などはなかったので、お互いの時間がそれぞれ流れていくだけでした。



 どんどん季節が流れて、あと一ヶ月で進級になるといったとき、校内でも類稀な事件が起きました。クラスメイトの女子が月島さんに告白をして振られたのち、彼女の恋は憎しみへと変貌を遂げ、カッターナイフで月島さんに襲い掛かったのです。人気のない教室で彼女に二度目の呼び出しを受けた直後に、月島さんは襲い掛かられました。咄嗟の出来事で、カッターナイフは月島さんの唇の端をえぐり、思いの他の出血に怖気付いた彼女は、短い悲鳴とともに教室を出ていきました。

 たまたま一部始終を目撃していた私は、すぐに月島さんの手当てにかかろうと、彼の側まで行きました。

 そのときの月島さんの姿を、私は一生忘れないでしょう。

 底冷えするような仄暗い瞳、いつもよりも青白い肌、不快そうに歪められた唇の、横から流れ出る赤い血。

 それはまさしく、美しい少女の血を吸った後の、あの吸血鬼そのものでした。

 何ヶ月も、何ヶ月も胸の内のとどめていた、あのときからの疑問。それがまた確信となって私の胸を躍らせました。

 やはり、月島さんは吸血鬼に違いない。その瞬間、私のなかで、月島さんは私が焦がれていたあの吸血鬼に、私は彼に魅入られた美しい少女に、変貌を遂げました。残酷な吸血鬼に血を吸われることこそこの世の史上、私は彼に願いました。

「私の首筋を噛んで」

 一瞬瞳孔を開かせた彼の表情は、すぐに怪しい笑みに変わり、血の滴るその唇を、私の首筋に近づけると、

思いっきり牙を突き立てた。




 

 恥ずかしいことに、私はあまりの興奮により、失神してしまい、その後のことは覚えておりません。

 しかし翌日、女子生徒の自首により、彼女は退学処分、月島さんは数日間の自宅療養ののち、他校へと転学していきました。

 それから、月島さんは私の鮮明な記憶の中のみで存在し続けました。








 背丈の倍以上の巨大な鏡の中に、真っ白なウェディングドレスを着た、美しい花嫁が映し出されている。これは紛れもなく私の姿であり、この容貌は学生時代からまるで変化がない。首筋の傷跡も消えることなく、残っている。

 そう、もう二十五になった私の顔には、皺や黒子の一つも増えることがなかった。まだ二十五だし、そのうちこの顔にも老化が訪れる日が来るのだろうか。

 この花嫁の控室で、私は一人ため息をつく。新郎の男は気さくで良い人であり、欠点というのはいまだ見つからないほどである。あいにく、容貌にも優れた彼の美貌は、光り輝く太陽のようで私の好みではなかったが。親の決めた結婚である、新郎のことは嫌いではなかったが、到底喜べるものではなかった。この先、数年後くらいには子どもを産んで、暖かい家庭を築いていかなければならないのだろうか。私は暖かい家庭など、別に望んではいなかった。私が望むのはそれよりももっと、冷え冷えとしていて、残酷さに溢れているようなーーーー


 懐かしい思い出に耽っているとき、控室のドアが開く音がした。振り返るとそこには、あの日と何一つ変わらない、月島泪が立っていた。彼の冷酷な美貌は今でも脳裏に焼き付いている。だって毎日彼の横顔を盗み見ていたのだから。強烈な美しさは学生時代となんら変わりはない。視線は彼の美しさに捕らえられたまま、私の頭の冷静な部分が、彼はやはり吸血鬼だったのだと安堵させた。彼はゆっくりと近づき、私の正面まで来ると片手をこちらへ差し出した。

 私を見つめるその表情は冷え冷えとしていて、愛情などはまるで感じられない。だけど、十年もの長い間を経て、私を奪い去りに来たということは、私に対して価値を感じてくれていたと言うことでしょう。きっと、あの映画の少女も、不幸になると分かっていながら、それでも吸血鬼の魅惑に抗えなかったのだろう。

 月島泪、その冷たい美貌と吸血鬼の残酷さで、私を破滅させてみて。

 うっとりとし、彼の手を取った。

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冷然と佳人 @kagami-rose

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