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ウィルバードは昔から妙な癖がある。
それは法で裁けないような相手への報復を考えている人に協力するという、妙な癖だ。
彼がいったい何を考えているのかラビットにはわからない。ラビットがウィルバードを酔狂というもう一つの理由がこれだった。
「やっぱり危ないことするんだ」
「危なくはないよ」
「失敗しても?」
「それはちょっと危ないかな」
アザリーが帰ったあと、ラビットがぷくっと頬を膨らませて言えば、ウィルバードは面白がるようにその頬をつつく。
「俺のリトル・ラビットは何が心配? 俺が失敗すること?」
「違うよ。ロードが心配」
頬をつつかれながらラビットが言えば、ウィルバードにぎゅうっと抱きしめられる。ラビットはちょっぴり怒っているのに、ウィルバードはなんだか嬉しそうでもっと腹が立つ。
「大丈夫だよラビット。別に人を殺そうって言うんじゃない」
ラビットはたとえウィルバードが人を殺しても、彼を嫌いにならない自信はあるが、そういうことを言いたいのではない。
むむむと口をへの字に曲げていると、ウィルバードは「ラビットにもちょっとだけ協力を頼みたいんだ」という。
なんだろうと首をひねると、ウィルバードは人の悪い笑みを浮かべて、こそこそと彼女に耳打ちした。
ラビットは真っ赤な目を半眼にして、
「ロードは、悪いこと考えることにかけては、天才的だと思うっ」
ぷんすか怒りながら言ってやったのに、ウィルバードはにっこりと微笑んだ。
「ありがとう」
ほめてないし!
半月後、ウィルバードはソイトレイグ公爵家の主催するパーティーに出席していた。
今夜のパートナーはラビットではなくアザリーである。
アザリーはナターリアが死んでからはじめて黒いドレスを脱いだ。ナターリアが好んだ黄色のドレスを身に着けている。
ソイトレイグ公爵の今日のパーティーの主な目的は、娘のミリアーネの婚約発表だ。相手は言わずもがな、ポールマー伯爵である。
ポールマー伯爵の元婚約者であるアザリーがパーティーに出席していることに眉を顰めるものもあるが、ウィルバードの手前誰も表立っては何も言わなかった。
ウィルバードがソイトレイグ公爵に挨拶に向かえば、ウィルバーよりも五歳年上の彼は、隣のアザリーを見た後で、「こういっては何だけどね」と息を吐いた。
「同じ伯爵でも、君がミリアーネの婚約者だったらよかったのにね」
現王の妹であるソイトレイグ公爵の妻とアザリーは従姉妹同士にあたる。公爵もいろいろ思うところがあるのだろうが、娘に甘い彼は最後には根負けしたようで、本心はこの婚約には反対のようだ。
周囲に聞こえないように声を落としているが、彼の表情を見れば、婚約に賛成でないことは一目瞭然だろう。
「俺とミリアーネ嬢は十六歳差ですよ」
「ポールマー伯爵とも十三歳差だ。ほとんど変わらん」
いやいや来年三十路と二十代半ばでは、十代の少女からすればだいぶ違うだろう。
離れたところにいるミリアーネはポールマー伯爵と腕を組んで幸せそうだ。ウィルバードはこれからしようとしていることを考えて少し胸が痛んだが、ひいては彼女のためにもなるはずだ。あんなろくでなしと結婚しなくてすむのだから。
「公爵はポールマー伯爵をよく思われていないんですね」
「当たり前だろう! あっさり女を捨てるような男だぞ! あ……いや」
その捨てられた女であるアザリーの前でうっかり口を滑らせたソイトレイグ公爵が、バツの悪そうにもごもごと口ごもる。アザリーは小さく笑った。
「別にかまいませんわ、おじさま」
「いや、その……、すまない」
「だから気にしてないって言うのに」
そもそもアザリーとポールマー伯爵の婚約は偽造だった。ポールマー伯爵の思惑はどうであれ、アザリーはそのつもりだったのだ。もちろんソイトレイグ公爵はそうとは知らないから、彼の目には自分の娘がアザリーの婚約者を奪ったように映っているのかもしれない。そう思いつつも婚約に反対できなかった彼は、娘に甘すぎる。
ソイトレイグ公爵との話を終えて給仕からドリンクを受け取ったとき、ウィルバードは誰かに見られているような気がして顔を上げた。彼はしばしば注目を集める体質だが、いつものそれとどうも違うと周囲を見渡せば、こちらを見つめているポールマー伯爵の姿を見つけた。アザリーも気がついたらしく、彼女がじっと彼を見返すと、伯爵はバツが悪そうに視線を逸らす。そのかわりに、ポールマー伯爵の隣にいたミリアーネがアザリーに気付いて近づいてきた。
ミリアーネはピンク色のドレスを着て、まるで花の妖精のように愛らしい。
「お姉様!」
アザリーのそばまでやって来たミリアーネは、アザリーの手を取って嬉しそうだ。
アザリーによると、ポールマー伯爵はミリアーネに、アザリーとの婚約については偽造だったと告げているらしい。ただし、その背景は伯爵に都合のいいように脚色されており、親から結婚をせっつかれた伯爵が、旧知の仲であるアザリーに頼んで、偽の婚約者になってもらったというものだった。ミリアーネからその話を聞かされたとき、アザリーはあきれたが、アザリーに真実を伝えるわけにもいかないので黙っていたらしい。
ウィルバードはポールマー伯爵はずいぶんと厚顔な男だと思ったが、貴族というものは多かれ少なかれそういうものだ。矜持と自己保身と権力や資産に対する執着。こういったものでできている。もちろん、ウィルバードもこれらの欲はゼロではない。人よりは少ないかもしれないが。
ミリアーネについてやってきたポールマー伯爵は、さきほどからアザリーを見ようとはしない。けれども確実に彼女を気にしている。
(ここまでは計画通りかな)
ウィルバードはポールマー伯爵に気付かれないように小さくアザリーに目配せする。アザリーは瞬きを二回して頷くとミリアーネに言った。
「ごめんなさいね、ミリアーネ。わたくし、少し疲れてしまったから別室で休ませてもらうわ。そうそう、パーティーが終わったあとで少し話せるかしら? 大事な話があるの。とてもとても大事な話よ」
アザリーの視線が、ちらりとポールマーに向く。彼は一瞬、鋭くアザリーを睨みつけたが、すぐにその表情は笑顔に隠れた。
「それはいけないね。人に酔ってしまったのかな。来客が多いから。ミリアーネ、客室で休んでいただいたらどうだろう? 人がいると落ち着かないだろうから、静かなところがいいかもしれないね」
「そうね。お姉様、あいている客室に案内させるわ。ゆっくりできるように人払いもしておくわね」
「ありがとう、ミリアーネ。少ししたら落ち着くと思うから。ヴィラーゼル伯爵、ちょっと休んでくるわね」
「ああ、気をつけて。ゆっくりしてきていいよ」
アザリーが使用人に連れられて会場から出ていくと、ウィルバードは酒に酔ったふりをして一人でバルコニーへ向かった。
ミリアーネは得意なアップテンポなワルツが流れはじめたのを聞くと、ポールマー伯爵とともにダンスの輪に加わった。
ウィルバードは横目でその様子を観察しながら、バルコニーの奥――、ちょうどカーテンの影になっているあたりに移動して、
「おそらくだが、曲が終われば動くだろう。頼んだよ」
バルコニーでシャンパングラスを傾けていた『彼女』は、くすりと小さく笑った。
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