ゾンビになれない彼女と嘘つきな私

サトウ・レン

前編

 死んだらゾンビになれるかな、



 と、なんの脈絡もなく、囁くように届いた言葉は、私の耳に入って、いまも流れていくこともなく、記憶という形で、残ったままだ。


 私が殺したひとは、短い命を散らしたあとも、美しいままだった。だけど死んでから、新たに動き出すことはなく、時を止めた肉体は、そのまま焼かれて、骨になってしまった。私は火葬場には同行しなかったので、バラバラになった骨は見ていない。別に見たかったわけじゃないが、もしも目にしていたら何かが変わっていたかもしれない。そんな気持ちも、どこかにはある。


 高校に入学してすぐの頃、私たちは知り合った。理由はどこまでも単純で、そこに運命を感じさせるものはなく、ただのクラスメートだった、それだけだ。


 凛としたその横顔は、幼さの抜けない教室の中で、どこか異彩を放っていた。男子生徒からも人気があったけれど、それ以上に、彼女は同性からこっそりと好意を向けられることが多かった。大人びた、周囲の雰囲気に流されない彼女は、女の子たちの憧れだったのかもしれない。


「このクラスに、好きな子いるでしょ? それも女の子だ」


 私の心を透かすように、彼女がそう言ったのは、会話もまだ、ほとんどしていなかった頃だ。意味ありげなほほ笑みを浮かべていた。


「そんなわけないから。私は女の子に興味なんてない。……仮に、女の子を好きになることがあったとしても、それは絶対にあなたじゃないから、安心して」

「嘘つきだね。そして、臆病者だ。まぁ、そういう人間だから、小説なんて書いているんだろうけど」

 どきり、とした。嘘つき、とか、臆病者、とか、そんな言葉に対して、心が音を鳴らしたわけではない。小説を書いている、と彼女が言ったからだ。


「なんで、私が小説を書いている、って知っているの?」

「教えてもらった。ホラー小説、書いてるんでしょ?」

「誰に?」


 私が小説を書いている、と知っている友人のうちで、彼女と仲の良い人間を思い浮かべようとしたが、特に思い付かない。ごくわずかしかいないからこそ、その中の誰かが彼女にそんな話をした、というのが、本当に不思議だった。


「守秘義務があるから、教えません」

 と冗談めかした口調で、彼女が言った。


 長い間、彼女にそんな話をした人物は分からないままだったのだけれど、そのおかげと言ってしまって良いのか、このやりとり以降、私と彼女の関わりは増えていった。ふたりで一緒に行動している姿を見て、羨ましがるクラスメートはすくなくなかった。だから彼女と会話をする時は、自然と人目を避けるようになった。


「こうやって、こそこそしたりするほうが、やましい気持ちがあるみたいだよ」


 くすくす、と私の行動を笑っていた彼女は、本当にずるいと思う。


「自分がどれだけモテているか自覚していないほうが悪い。男だろうが女だろうが、恋に歪んだ心、ってのは怖いんだから。刺されても知らないよ」

「恋愛のことなんてよく知らないくせに、偉そうに。もうすこし知っていたら、まともな恋愛小説も書けるんだろうけど、ね」

「読んだこともないくせに。それに、別に現実を知らなくても、小説は書ける。たとえば――」

「読まなくても分かるよ。きみの小説なんて。あぁそうやって、何か特別な例を挙げて、反抗的な態度を取るのは、きみの、すごく悪いくせだ。すくなくともきみは、恋愛のことをよく分かっていないから、屈折した愛を描くことで、まっとうな愛から逃げている」

「まっとうな愛って、何?」

「たとえば、きみの私への想いを小説の形にして、素直に綴ってみたら?」


 あの頃、彼女の投げ掛ける言葉はすべて、私を馬鹿にするためのものとしか思っていなかった。ただ、いまになって、すこしだけ冷静になって考えてみると、もっと別の意味が含まれていたのかもしれない。だけどあの頃の私は、彼女との日々にどこか浮き足立っていたのかもしれない。


 彼女と話していると、私はおかしくなる。

 認めたくはないけれど、その理由にも気付いている。


 彼女の存在は、私が小説を書きはじめたきっかけを、いつも喚起させるのだ。かつて私には憧れのひとがいて、見た目はまったく似ていないのに、彼女にはそのひとを思わせる雰囲気があった。


「周りが、何をしていても、私はこれをする。そういう想いを強く持ち続けること、ってすごく格好いいことなんだよ」


 そのひとは、私より年上の、近所に住むお姉さんで、鞠亜まりあさん、という名前だった。背が高くて、とても綺麗だった鞠亜さんは、チープな表現だと分かってはいても、モデルのような、とそんな表現が似合うひとだった。その美しさにも憧れたが、何よりも私の心を惹いたのは、その懐の大きさだったように思う。


 小学生の頃から、私は、ホラー映画が大好きだった。父が映画好きで、レンタルビデオ店から借りてきたビデオテープやDVDを、よく一緒に観る中で、私の心を掴んだのが、とあるホラーだ。タイトルはまったく覚えていないのだが、映像の先で舞う血飛沫はいまも脳裡に焼きついて離れない。恐ろしくも、魅力的だったのだ。父に面白かったことを告げると、それからは毎回一本、ホラー映画が混じるようになった。『13日の金曜日』や『チャイルド・プレイ』、『悪魔のいけにえ』や『遊星からの物体X』そんな物語を、怯えながら、楽しむ小学生だった。物語の内容そのものより、映像のインパクトを面白がっていた覚えがある。もしかしたら母はあまり好ましく思っていなかったかもしれない。だけど好きになってしまったものは仕方がない。


 同じ趣味を持つクラスメートなんていなかった。だから私は家でこっそりと楽しむ趣味のことを、誰にも言わないようにしていた。もしかしたら私と同じように、自身の趣味を隠していた周りの子だっていたかもしれない。でも同好の士と出会うことができなかった以上、それは、いなかった、と同じなのだ。


 そんな中で、唯一私の趣味を知った家族以外の他人がいる。


 鞠亜さん、だった。


 母が悪気もなく、鞠亜さんに言ってしまったのだ。クラスメートになら、母だって言わなかったはずだが、私にとっては年上の幼馴染みたいな存在の鞠亜さんなら、大丈夫だろう、と思ったのかもしれない。


 だけど私はこの一件で家出しかねないくらいの喧嘩を母とした。いまだってそうだけど、幼い頃の私にとって、周りから浮いて、悪目立ちすることは、何よりも怖かった。鞠亜さんが他のひとに言いふらしたらどうしよう、とか、馬鹿にしたような目で見られたらどうしよう、とか、鞠亜さんがそんなひとではない、と知っていても、不安な心を抑えるのは難しかった。


 だけど、鞠亜さんは嬉しそうに、すごく格好いい、と言ってくれた。

 きっとこの言葉がなかったとしたら、いまの小説を書く私は、存在していなかっただろう。


 彼女は鞠亜さんと違って、私が小説を書いていることをいつも馬鹿にする。だけど本心から貶しているわけではないことも知っている。彼女は、繊細だ。彼女の言葉を、そのままに受け取ってはいけないのだ。彼女と鞠亜さんが重なるのは、その繊細さゆえ、なのかもしれない。硝子細工のようなそれを、良いもの、と呼んでしまう気はない。だってそんな性格でさえなかったら、彼女たちはいまも生きていただろうから。


「死んじゃえばいいのに」


 高校二年の時だ。降りかかるように、突然その言葉を聞いた時の私は、すでに絶望の淵にいるような状態で、追い打ちをかけられた気持ちになった。母から、鞠亜ちゃんが死んだ、と寝起きとともに聞かされて、学校に向かっている時の記憶はまったくない。あとから学校を休めば良かった、とも思ったが、もしかしたら私は無意識のうちに、驚きに対して無理に冷静であろうとしていたのかもしれない。


 その日の放課後だ。


 クラスメートの女の子、朔良さくらさん、に呼び止められた。朔良さんと私は中学の時から、同じ仲の良いグループに所属していた。曖昧な言い方をしている自覚はある。仲の良いグループに属しているならば、友達、と呼んでしまえばいいじゃないか、という気持ちもあるが、そう断言できないような距離感が、私と朔良さんにはあったのだ。いや正しくは、あった、というより、私がそう感じていた、だろうか。嫌いではないけれど、好きとは言い切れない。朔良さんも、私が小説を書いていることを知っていた。ただ口が軽いので、言ってしまった、とその時には後悔した覚えがある。


 だから、

「私なんだ。あなたが小説を書いていること、彼女に伝えたの」

 と、朔良さんが言ったことに対する驚きはそれほどなかった。私が小説を書いている、とばらしてしまった、としても、そんなにびっくりはしない。だけど困惑はあった。朔良さんが彼女と仲が良かったことに、そして怒りのまなざしを隠すこともなく私に向けていることに。


 彼女のことが好きな女の子はそこら中にいる。だけど私の身近にいるひとは、彼女へのそういう感情とは無縁だ、と心のどこかで弾いていたのかもしれない。特に理由はない。なんとなく、だ。だから朔良さんが語りはじめた彼女に対する想いは、うまく耳に馴染んではこなかった。


「あなたのことなんて、なにげなく言っただけなのに、ね。なんであんなに興味、持っちゃうんだろうね」

「私に、言われても……」

「困るよね。分かる。でも分かってはいても抑えられない気持ち、って、やっぱりあるんだ」

「ごめん……」


 朔良さんは、ひとつ息を吐いた。そして、

「死んじゃえばいいのに」

 と、言葉の強さには似合わないほど、穏やかな声音だった。


 それ以降、私は朔良さんと話したことは一度もない。時が経てば、そんなこともあったね、と笑って話せる日が来るだろうか。それは分からない。すくなくとも、いまはまだ無理だ。私も、たぶん朔良さんも。


 鞠亜さんの通夜と告別式に参加した時の、周囲のすすり泣く声を聞きながら、私が同じような死を迎えた時、こんなにも泣いてくれるひとはいるだろうか、と思った。鞠亜さんはそれだけ愛されていたのだ。だけど羨ましい、とは思わなかった。生きている時は、あんなにその存在すべてが羨ましくて仕方がなかったのに。あとは焼かれて骨になるだけなんだ、とぼんやり考えながら、ただ虚しくなった。


 だから、なのかは分からないが、私は鞠亜さんの遺体を見ても、泣くことができなかった。

 私が泣いたのは、もっと後だ。


 数日後、私は彼女の部屋を訪れていた。彼女の両親は、遅い時間まで働いているので、私たちふたりきりだった。私のその時の気分を表すように、降ったり止んだり、とまばらな雨が、ときおり窓越しに音を鳴らしていた。


「で、どうしたの?」


 彼女は鞠亜さんのことを知らないし、身の回りで死の報せがあったことを、私は彼女には伝えていなかった。ただ最近の私に元気がない、というのは感じ取っていたのだろう。いつも通りの口調だったが、心配してくれているのだ、とは気付いていた。


「たいしたことじゃないよ」

「何もなかった、とは言わないんだね」

「そうだね。何かはあったよ」

「聞いたほうがいい?」

「聞かないで」

「そっか。ちなみにそうやって泣かれても、私には慰めかたなんて分からないよ」


 慌てて私は、指で自分の目じりを触った。そこでようやく自分が泣いていることに気付いて、驚くよりも前に、ほっとしたのを覚えている。私にもまだ、鞠亜さんの死に涙を流す感情が残っているのだ、と。


「憧れのひとがいたんだ……」

「あれ、聞かないで、って言ってなかった」

 彼女が、からかうように笑った。言葉をふさぐように私を抱きしめ、そして彼女の胸もとに私の顔が当たる。その瞬間にまず私が考えたのは、涙がシャツに滲んじゃうな、なんてそれほど重要でもないことだった。


「ごめんね」

「なんで謝るの?」

「いや、なんとなく」

「そう?」

「あなたは、いなくならないよ、ね?」


 その問い掛けに対する、彼女からの答えはなかった。私の言葉に、彼女が何を思ったかは知らない。彼女にどう答えて欲しかったのか、私自身よく分かっていない。


 彼女は、私の前からいなくなった。

 それはもっとあとのことだ。


 この時から、そう決めていたのかは知らない。

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