31

 どこへ帰ろうかと考えて、ティーゼはサーヴァン男爵家を選んだ。


 ノーティック公爵家には帰りにくいし、実家にも帰りたくない。三つある選択肢の中で、サーヴァン男爵家が一番ましだった。


 イアンは事前にサーヴァン男爵家の人たちにはティーゼが外泊するとでも伝えていたのか、昼前にティーゼが帰って来ても、特に何も言われなかった。


 イアンは仕事で登城しているらしい。帰宅早々鉢合わせなかったことにホッとしつつも、イアンの帰宅時間が迫るにつれて緊張して、落ち着かなくなったティーゼはぐるぐると意味もなく部屋の中を歩き回った。


 会ったらまず何から話そう。突然家を飛び出したことを詫びるべきだろうか。いや、ティーゼは騙されていたのだ。謝る必要はない。……でも、やっぱりあれは無作法だっただろうか。


 昨日は、気を利かせたトーマスがノーティック公爵家とアリスト伯爵家に、一日ティーゼを預かると伝えてくれたそうで、おかげで大ごとにはならなかったらしいが、下手をしたら公爵権限で兵士まで駆り出しての大捜索になりかけていたそうだ。結果的に大ごとにならなくて済んだけれど、それを考えると、後先考えずに飛び出したティーゼにも非があるように思う。


 ティーゼは歩き回るのをやめて、ぼすんと背中からベッドにダイブした。


 よくよく思い出してみれば、サーヴァン男爵家ですごしたこの二週間、不審な点はいくつもあったのだ。


 まずこの部屋。いくら何でも、ひと月だけ雇った使用人を住まわす部屋にしては豪華すぎる。ましてや必要なものは何でも用意しるなど大盤振る舞いもいいところだ。


(……こうして見ると、お姫様みたいな部屋よね)


 続き部屋に浴室まである可愛らしい家具に囲まれた部屋。棚には数種類の高そうな茶葉が並び、浴室に並ぶシャボンもマッサージオイルも、明らかに高そうなものばかり。


 食事は毎日、邸の主人とともにして、仕事も彼が家にいるときの話し相手だけ。


 そして、騎士団長らしくないすらりとした体つきをした、『サーヴァン男爵』。


 ヒントはいくつでもあったのに、生まれてはじめての仕事に舞い上がっていたティーゼは、その違和感に気がつかなかった。


 イアンにしたら、年の離れた妻のおままごとにつき合ったつもりだったのだろうか。仕事をしているつもりでいたティーゼは、何の仕事もしていなかった。


「はー……、ハーノルドが考えなしって言う理由が身に染みるわ」


 ティーゼは昔からそうだ。昔から空回りばっかり。何もできない。アリスト伯爵家が大変な時も、父の手助けをしたかったのに、何の役にも立たなかった。せいぜいティーゼにできたことは、母の機織りの内職を手伝うことくらいだった。


 だから、結婚話が出たときは、自分にできることはそのくらいしかないと、父の勧めのままに嫁ぐことを選んだ。そのくせ、五年放置されて離婚すると騒ぐのだから、やっぱり考えなしなのかもしれない。


 ハーノルドの言う通り、借金を肩代わりしてくれたのみならず、領地経営の面倒まで見てくれているイアンに離婚を突きつけるなど、恩をあだで返すようなことだろうか。でも、五年も放置したイアンも悪い。トーマスは離婚を選択する前に話をしてみろと言ったけれど、考えれば考えるほど、ティーゼは何が正解なのかがわからなくなる。


 貴族の結婚など所詮は家と家とのつながりだ。父が満足しているのだから、貴族令嬢としてのティーゼの正解は、このまま何もかもを我慢して現状維持を続けることなのだろう。だけど、ティーゼだって、少しくらいは夢を見たい。せっかく結婚したのだから、恋愛感情はないにしても、きちんと向き合いたかったと思うのは間違っているだろうか。


(あーもうっ、わかんない!)


 離婚したい。離婚したかった。でも、「正解」が何なのかはわからない。


 イアンが何を考えているのかもわからない。


 ティーゼがごろんとベッドの上で横に一回転した時だった。


「ティーゼ、私だ」


 いつの間にかイアンが帰って来ていたらしい。


 扉越しにイアンの声を聞いたティーゼは、思わずびくりと肩を揺らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る