25
次の日の朝、気だるいと思えば熱があった。川に落ちて体が冷えたことが原因だろうと、わざわざ診察に来てくれたノーゼン医師があきれたように言った。
「しかしなんでティーゼ嬢ちゃんがここにおるんじゃ」
呼びだされてサーヴァン男爵家へ行けば、ノーティック公爵家に嫁いだティーゼがいたのだからそれは驚くだろう。
さすがに仕事中だとは言えず、ティーゼが曖昧に笑って胡麻化すと、ノーゼン医師は深くは訊ねないほうがいいことだと判断したのか、処方した薬をおいて去っていく。
ノーゼン医師が帰ると、入れ替わりでサーヴァン男爵が部屋に入ってきた。
ティーゼが川に落ちたときに赤面症の症状が改善したかに思えた男爵だったが、それは一時的なことで、その日にはまた顔が赤くなっていた。
ベッドの中から男爵の顔を見上げれば、赤い顔の男爵が心配そうにこちらを見つめている。視線をあわせるのも恥ずかしがっていた最初のころとは違って、彼はきちんとティーゼの目を見つめていた。
「大丈夫か?」
サーヴァン男爵はさっきまでノーゼン医師が座っていたベッドサイドの椅子に腰を下ろした。ティーゼが上体を起こそうとすると止められて、ずれ落ちかけて額の濡れタオルを直してくれる。
熱が出たと言っても高熱ではないのだが、今日は一日安静にしておくようにと言われたのでお言葉に甘えることにした。
「男爵様、お仕事は……?」
いつもなら城へ出かけている時間だ。ティーゼが訊ねると、サーヴァン男爵がノーゼン医師のおいて行った薬の中身を確かめながらなんてこともないように答える。
「休んだ。君が熱を出しているのに仕事になんて行っていられない」
「大丈夫なんですか?」
一か月ばかり雇っただけの人間が熱を出しただけで、大事な仕事を休んでいいのだろうか?
「問題ない。今日は急ぎの書類も、会議の予定もないからな」
「書類……?」
騎士団長にも事務仕事があるのだろうか。騎士と言えば年中訓練漬けのイメージだったが、想像と違って文官的な仕事もあるようだ。
「この解熱剤は食後に飲む薬だな。まだ何も食べていないだろう? 食べやすいものを持ってこさせよう。何がいい?」
「じゃあ……パン粥がいいです。蜂蜜入りの甘いやつ」
幼いころ、風邪を引くと用意された蜂蜜の入ったパン粥を思い出した。あの頃は特別裕福ではなかったけれど貧乏でもなかったので、パン粥にも高価な蜂蜜がたっぷりと使ってあって、密かなティーゼの好物だったのだ。熱を出せば両親が甘やかしてくれることもあり、頻繁に風邪を引いていた弟が少し羨ましかったのを覚えている。
サーヴァン男爵はくすりと笑って、メイドを呼びつけるとティーゼの要望通り、蜂蜜たっぷりのパン粥を用意するように告げる。
「ほかにほしいものは?」
雇い主のくせに、ティーゼを甘やかそうとする男爵がちょっとだけおかしかった。ずいぶんと優しい騎士団長様だ。
「飴が……」
せっかくなので甘えておこうと飴がほしいとねだれば、メイドを呼びつけた男爵が籠いっぱいの飴を差し出してくれる。さすがにこれは多すぎると思いながら、リンゴ味の飴を一つもらって口の中で転がした。
甲斐甲斐しく男爵に世話を焼かれている間にパン粥が出来上がったようで、ミルクと蜂蜜の香りのする皿をメイドが部屋まで運んできた。
食べるために体を起こそうとすると、サーヴァン男爵がソファの上から何個もクッションを持ってきて背中のうしろにおいてくれる。
親でもここまで甘やかさないだろうに、男爵は本当に心配症だ。
「熱いからゆっくり食べるように」
メイドから皿を受け取った男爵が、スプーンにすくったパン粥に息を吹きかけて冷ました後で、ティーゼの口元に持ってくる。普段あれだけ恥ずかしがるくせに「あーん」をしてくれるらしい。
パン粥は記憶にある実家のものよりも美味しく感じられた。実際、使っている材料が違うのだろう。甘いのに食べやすい。ティーゼがぺろりと完食すると、男爵が水と薬を差し出してくる。
(あー……先生の薬、苦いのよね)
ティーゼが眉を寄せたのがわかったのか、男爵が笑った。
「飲み終わったら、また飴でも舐めるといい」
「そうさせてもらいます……」
ティーゼは覚悟を決めて薬を飲むと、男爵が差し出した飴をすかさず口の中に放り込む。口の中に残る苦みを飴で中和しながら横になると、男爵にぽんと頭を撫でられた。
「少し眠るといいよ。またあとで様子を見に来る」
ティーゼはこくんと頷いて目を閉じる。
熱があるせいか、ティーゼはそのまま、引きずり込まれるように夢の世界に落ちた。
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