獲物は得物でケダモノを狩る

蒼樹里緒

一匹目

 長いトンネルを抜けると、小型調査艇バスケットの待機地点だった――はずなのに。

「なん、だと……」

 私は、後脚で伸び上がって立ち尽くす。黒い目を細めたのは、強い陽射しのせいだけではない。

 廃墟に囲まれた広い草原には、確かに深紅の調査艇がある。が、どういうわけか光学迷彩が解除されていて、傍目はためにも丸見えだ。

 しかも、機体の表面に群がっているのは――狼に似たロボットたちだった。

「あいつら、どこから湧いてきた!」

 毒づき、私は四足走行する。

〈バスケット〉を破壊されてはたまらない。搭乗中の部下は待機しているはずだが、システムが故障でもしてしまったのだろうか。

 首輪型デバイスのボタンに前脚で触れ、自分の身体にも光学迷彩を展開する。廃墟の中をくぐり抜け、岩陰に隠れながら、〈バスケット〉に近づく。

 黒光りするロボットたちは、さながら食物にたかるアリハエのようだった。

 奴らの足元を素早く駆け抜けようとした――が、一体の頭部が私にぐるりと振り向いた。一八〇度回転したそこには、二つの眼が深緑に光っている。

 熱源感知可能なのか。ならば、光学迷彩もほぼ無意味だろう。

 私を捕らえようと、相手は機械の腕を伸ばしてきた。最小限の動作でかわし、私は首輪型デバイスで通信する。

「私だ。ハッチを開けろ」

『セリフィア大佐ぁー!』

 若い女性通信士オペレーターの、泣きそうな応答が返ってきた。

「情けない声を出すな」

『だってー、急に襲われたんですよー! 通信もつながりませんでしたしー!』

「すまない。下水道やトンネル内では、感度が悪くてな」

『ハッチ開放! 早く帰ってきてくださーい!』

 彼女の言葉通り、機体側面のハッチがゆっくりと開いていくのが見える。

 ロボットたちが、目敏くそこへ迫り始めた。

 侵入など、させるものか。

 私は近くにいた一体の身体を足場にして駆け上り、ロボットの頭から頭へ、軽快に跳び移っていく。

 その反動を利用し、ハッチのふちへと全力で跳躍した。

「搭乗完了」

『了解!』

 私が自身の光学迷彩を解除した直後、ハッチは再び閉じていく。今度は急速に。

 エナジーバリアもようやく展開したのか、ロボットたちが次々と弾き落とされていくのが垣間見えた。

 操縦室コックピットへ入ってまず見えたのは、黒いスラックスと赤い軍靴。そのしなやかな細い足が曲げられ、私はあたたかい手に運ばれた。相手の膝へと。

 本部への自動航行モードへ移行したのか、浮遊感も身体に纏わりついた。

「おかえりなさい、大佐ぁー!」

 私の頭に、ぽたりと滴が降ってきた。やわらかな毛並みが湿る。

「泣くな。私は無傷だ」

 通信士の頬に流れるものを、私は前脚でそっと拭う。

 軍服の一部である、赤い頭巾フードに覆われた彼女の後れ毛が一房、さらりとこぼれた。

「すみません。ご無事でよかったです、ほんとに」

「今回は、無理を言ってすまなかった。どうしても、敵に極力悟られずに確かめたかった……人類の痕跡を」

 首輪型デバイスに触れ、壁に立体映像ホログラムを投影する。

 気が遠くなるほど長いトンネルの先で見てきた、景色の記録だ。

 私の毛並みを撫でていた彼女の手が、こわばる。

「道路や建物も、ほとんど海に沈んじゃってるんですね」

「ああ。この地域にも、狼たちは我が物顔で生息していた。諜報部の情報にもあった、機械化した狼の件も事実だと、これでわかったな」

「ほんとに襲われるとは思いませんでしたけどね……」

「先の襲撃について、本部には報告したのか」

「もちろんです。モニターの記録映像も添えましたよ。貴重なデータですから」

 映像再生が終わると、通信士は私を床に下ろしてくれた。朗らかな笑顔には、もう涙は浮かんでいない。

「では、大佐が記録してくださったデータも、本部へ送信しますね。擬態の解除をお願いします」

「わかった」

 操縦席へ戻る彼女の背中を眺めながら、私は首輪型デバイスを操作し、〈バスケット〉内臓コンピュータへ映像データを転送する。

 そして、擬態の解除コードを入力したが。

「……ん?」

 おかしい。この文字列で合っているはずだ。なぜ、人間の姿に戻らない。

 再度入力しても、エラー音が響いてしまう。

「大佐、データありがとうございます。本部へ送信しまし――た?」

 振り向いた通信士の語尾が、不自然に跳ね上がる。

 きっと彼女の目には、私の滑稽こっけいな姿が映り込んでいるだろう。

 デバイスの操作に悪戦苦闘する、一匹のプレーリードッグが。

「え、あれっ? もしかして、解除できなくなっちゃってます?」

「コードは正しいはずなのだがな……」

「中隊全員の基本情報を全部正確におぼえてらっしゃる大佐が、お忘れになるはずないですもんね……故障でしょうか」

「あとで兵器開発部に見てもらうしかなさそうだな」

 どうにか目的を達成できたと思ったら、とんだ災難だ。動物特有の体臭からも、早く解放されたい。

 嘆息をこぼし、私は操縦席のひとつへ歩く。

 ぴょんと跳ねてシートに座ると、通信士がにやにやしながら見下ろしてきた。

「何だ」

「いえ、ちょっとだけもったいないなーと思いまして」

「は?」

「プレーリードッグの大佐、すっごーくかわいいんですもん。毛だってもふもふですし! いつもは物腰やわらかな美人さんなのに!」

「あのな……」

「擬態する動物の候補もいろいろあったのに、あえてプレドをお選びになった大佐もステキですっ!」

「単に生態に興味があっただけだ」

 プレーリードッグは、オス一匹に対してメス数匹という一夫多妻制の家族を形成していたのだという。キスをしたり、抱き合ったりすることで挨拶あいさつを交わすのも、どこか人間ヒトに似ている。資料でしか見たことはないが、個人的に親近感が湧いたのだった。

 この地球に突如小隕石が落下し、狼以外のほとんどの動物が絶滅したのは、三十年ほど前の話だ。小隕石に付着していたとされる何らかの知的生命体、あるいは未知の細菌ウイルスが、狼のみを突然変異させ、驚異的な進化を遂げさせたのではないかと言われている。根本的な要因は、未だ解明されていないが。

 今回の調査結果も、今後の狼対策に役立てばいい。狼に対抗すべく組織された、人類軍の猟兵――通称〈赤ずきん〉の一員として、私も自分にできることをしたまでだ。

 背もたれに身を預け、束の間の休息を得ようと、私は目を閉じた。


   ◆


 本部基地帰投後、検疫施設のシャワーで軽く身を清め、私は兵器開発部へ向かった。正確には、同行した通信士オペレーターがスポンジで丁寧に洗ってくれたのだが。

 首輪型デバイスには耐水性も備わっていて助かった。擬態を解除しなければ外せない仕組みになっている。

 デバイス開発主任いわく、解除コード認識システムに一時的な不具合が生じているのかもしれない、とのことだった。

 作業台で仰向けに寝かされ、複数の整備士に取り囲まれると、医療手術を受ける患者のような気分にもなってくる。天井の電光が眩しい。

「サディジール大佐。このようなご恰好にさせてしまい、大変申し訳ございません……」

「うら若き女性に触れさせていただくのは心苦しいのですが、我々も仕事ですので……」

「いいえ、お気になさらず。私が日頃前線で戦えるのも、皆さんのご尽力があってこそです。本当に感謝しています」

 本心を穏やかに伝えれば、彼らはほっとしたように微笑んだ。

「お手数をおかけしますが、よろしくお願いしますね」

「はッ。それでは、作業に入らせていただきます」

 デバイスの走査スキャンから始まり、コンピュータで原因を特定した後、整備士たちは工具でデバイスを慎重に分解していく。

 私の身体も押さえてくれているが、その力加減が愛撫に近い。子どもの髪を優しく撫でるかのような。

「ん……ふ……っ」

 くすぐったさもこみ上げてきて、笑いをこらえるのに必死になる。身をよじるわけにもいかず、ふるふると小さく震える。毛並みを通し、その振動が彼らの指にも伝わってしまうだろうか。

「大佐、お身体に痛みなどはありませんか」

「っ、ええ、問題ありません」

 どうにか平静を装うものの、作業が長引けばうっかり笑い出してしまうかもしれない。

 浴用石鹸せっけんの匂いを仄かに漂わせながら、首輪をいじられるプレーリードッグ。何とも奇妙な光景になっていることだろう。

 ――早く終わってくれ……。

 祈りながら、理性をフル稼働させて耐えるしかなかった。


   ◆


 そうして、小一時間ほどで首輪型デバイスは無事に外され、私は人間の姿に戻れた。人前でみっともなく大笑いする醜態しゅうたいを晒さずに済んだ。

 きっと幸せだったのだろう。絶滅した動物たちの一部が、愛玩動物ペットとして家庭で飼育されていた時代は。異種族が日常的に共存し、あたたかな触れ合いができていたのだろうから。

 プレーリードッグも、あんなふうに飼い主や獣医から撫でられていたのかもしれない。

 本部寮の自室で、上官に報告メールを送信した後、廊下へ出た。すれ違う人々と挨拶や会話を交わしつつ、地下通路へ向かう。中庭への最短ルートだ。

 必要最小限の照明しか灯らない地下通路も、私にはいつも長く感じる。昼間の調査中に移動していた、いくつもの下水道やトンネルほどではないが。

「大佐! セリフィア・サディジール大佐!」

 不意に、背後から呼び止められた。

 作業着姿の青年が、小走りで寄ってくる。デバイスの分解作業に関わっていた、整備士の一人だ。

 私は身体ごと向き直り、微笑んで会釈した。

「こんばんは。先程はありがとうございました。何か御用でしょうか」

「いえ、その……自分は墓地に用がありまして。大佐が歩いておられるのを、偶然お見かけしたものですから」

「そうでしたか。せっかくですし、ご一緒しましょう」

「はッ、光栄です!」

 初々しい整備士は、はにかんで敬礼する。おそらく、あの通信士オペレーターと同年代くらいだろう。私より三、四歳は下に見える。

 大佐にもしものことがあっては大変ですから、と彼は隣には並ばずに距離を取った。そのまま、私の後ろに付いて歩き出す。

「デバイスのコード認識システムの不具合は、調整を担当した自分の確認不足が原因です。本当に、重ね重ね申し訳ございませんでした……」

「いいえ。次回以降、気をつけていただければかまいませんよ。あまり、自身を責めないでくださいね」

「恐縮です」

「諜報員が活用している擬態ツールを、私も体感してみたかったですし。良い経験になりました」

「しかし、大佐が直々に実地調査へ向かわれると伺った時は、自分も驚きましたよ」

「何事も、この目と耳で確かめたい性分でして。最初は部下にも止められましたけれどね。それに――」

 薄暗い通路の先を見据えたまま、私は声を半音低くする。

「君たち男性が現地へ向かえば、狼は即座に喰い殺すでしょう。調査ドローンを飛ばしても、奴らは易々と破壊するという報告も聞いていました。子孫繁栄のために奴らが生け捕りにする、私たち女性のほうが、まだ生存確率は高いです」

「……そう、ですね」

「だからこそ、私はこの足で敵の縄張りへ踏み込みました。次の掃討作戦も、必ず成功させるために」

 調査艇を襲ったロボットも含め、狼たちは今も独自の進化を続けている。この星が奴らに支配される前に駆逐し、絶滅へと追い込む。人類には、もはやその道しか残されてはいない。

 会話が途切れ、互いの足音だけが反響する。湿気のこもった通路内は、少しの蒸し暑さも肌に伝えていた。

「大佐も、墓地へはよく行かれるのですか」

 重くなった空気を払うかのように、整備士は話題を変えた。

「ええ。狼との戦闘で、私も多くの部下や同胞をうしないました。墓地で彼らを悼み、彼らの想いを胸に刻むことで、私は今も前を向いていられるのです」

 合同慰霊碑に記された死亡者たちの名も、私は忘れない。忘れることなど、できるはずがない。

 危険は避けられないとはいえ、仲間の命もひとつでも多く護りたかった、救いたかったのに。

 整備士の声が、感極まったような震えを帯びた。

「本当にご立派です。大佐のそういったご姿勢も、自分は心から尊敬しております」

「ありがとうございます」

「それにしても、プレーリードッグになられた大佐のお姿も、失礼ながら本当に違和感がなく……亡き整備長にも、お見せしたかったですよ」

「え、そうですか……?」

「小動物なのに気品が漂っておられたといいますか、目つきも凛々しさを感じましたし」

 意外な感想に、私は思わず微苦笑してしまう。

 整備士は、あわてて付け加えた。

「あ、いえ、もちろん本来のお姿のほうが断然お美しいです!」

「ありがとうございます。調査艇で、部下にも『もったいない』なんて言われてしまいました。そんなにも似合っていたのでしょうか」

「軍内であなたを嫌う人間など、ほぼいないでしょう。自分の周りにも全く見かけませんし、大佐が愛されている証拠だと自分は思います」

「それが事実でしたら、ありがたいことですね」

「それに……人間ヒトとしてのありのままのあなたが、自分は好きです」

 ヒュウ、と生暖かいそよ風が吹いてきた。出口が近い。

「それは、愛の告白ですか」

 冗談めかして、私は尋ねる。

 彼と歩いた数分間、いくつか気づいた点があった。

 一つ目は、彼の足音が徐々に速まっていたこと。

「いえ、とんでもないです。ただ、この欲もそう呼べるのなら――」

 二つ目は、彼の息遣いが獣じみて荒くなってきていたこと。


「自分は、あなたを骨の髄まで愛したい」


 作業靴が床を蹴る音がした。

 それと同時に、振り向きざま、私は拳銃ハンドガン引き金トリガーを引く。

 発砲音が、静かな夜気を裂いた。

 腿を撃ち抜かれたは、体勢を崩す。

 すかさず、逆の腿にも銃弾を撃ち込む。膝と両肩にも一発ずつ。

 狼特有の緑色の血が、床に広がっていく。

 銃も弾も、対狼専用の特別製だ。これで傷を負えば、敵は簡単には再起できない。

 仰向けに倒れた相手の腰に、私はまたがった。

 苦しげに顔を歪ませながらも、整備士だった青年は愉悦の笑みを浮かべている。両目も深緑色の光を放ち、薄く開いた口からは、鋭利な獣の牙が覗いていた。

「……気づいておられたのですね」

「君が私に呼びかけてきた時から、察していました。頭巾フードをかぶったままであるにもかかわらず、君は迷わず私の名を呼びましたね。私と似た背格好の女性は、軍内にも多いのですが」

 気づいた中での最重要事項は、それだった。

 首の後ろでひとまとめに結っている長い金髪は、頭巾をかぶる際には、軍服の内側へ差し込んでいる。背後から見えることはまずない。

「後ろ姿のみで、私を他者と明確に区別、特定したのであれば――その要素は歩き方や足音、呼吸音、そして体臭でしょう。狼は、聴覚や嗅覚も優れていますからね」

「ご明察……です」

「知っていますか? プレーリードッグは、縄張り争いで敵対するオスを、地中に生き埋めにすることもあったそうですよ」

 返答を待たずに、私は青年の眉間を撃った。

 歪んだ笑みのまま、相手は絶命する。

 生かしてはおかない。同胞たちの魂が眠る墓地へ埋めもしない。

 我々が滅ぼすべき敵なのだから。

 軍服の襟元に付いたデバイスで、司令部の通信士へ通信する。

「狩猟報告。こちら、鋼機猟兵スカーレット中隊長、セリフィア・サディジール大佐」

『こちら、司令部。詳細情報を報告してください』

「人型の狼が一匹紛れ込んでいたため、射殺した。生物研究部への遺体搬送を要請する」

 発信者の位置情報も同時送信される仕組みだ。諜報部の遺体処理班が、速やかに駆けつけるだろう。

 人間が動物へ擬態すれば、狼もまた人間の姿で動く。奴らが人間の女性とも交配し、進化を繰り返してきた結果だと思うと、虫唾むしずが走る。

 息絶えたこの雄にとっても、私は好都合なだったのだろう。狼たちが喰い尽くした、プレーリードッグなどの小動物と同等の。一対一で勝てると思われていたのならば、随分と見くびられたものだ。

 軍服のトラウザーに、緑色の血が染み込んでいく。汚らわしい。またシャワーを浴び、洗濯もしなければ。

 結局、中庭へ出ることはないまま、私は立ち上がって同胞の到着を待った。

 もう動かない狼を、冷たく見下ろして。


「君のが受け取れず、残念です」


 育ての親だった男性の命をも、狼は奪っていった。

 奴らを私は[[rb:赦>ゆる]]さない――絶対に。

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