氷雪よりもあたたかな誰か

蒼樹里緒

 昔々、ある山のふもとに、小さな寒村がありました。

 そこは冬が来ると雪で一面真っ白になり、子どもたちは楽しく雪遊びをしました。

 けれども、何年かに一度、雪崩なだれで家や畑がし潰されてしまうこともありました。

 村では、山の神が怒って雪崩を起こすのだと信じられ、それを鎮める儀式が行われていました。身寄りのない村人を生贄いけにえとして一人選び、雪山の深い谷底に突き落とすのです。

 その年は、雪羽ゆきはという少女が生贄に選ばれました。それを知らされた時も、本人は嫌な顔をしませんでした。

「村が山の神様に守られるなら、私は喜んで神様のもとにいきます」

 その決意は、親代わりに自分を育ててくれた村人たちへの恩返しでもありました。

 儀式の実行が迫ってきたある日、村人の青年が雪羽を森へ呼び出しました。

「おまえがいなくなるなんて嫌だ。一緒に逃げよう」

「どうして?」

「誰かを犠牲にする儀式が続いてるなんておかしい、間違ってる」

「でも、私が神様のもとにいかないと村が――」

「俺は! おまえに生きて欲しいんだよ……!」

 泣き出しそうな幼なじみに抱きしめられ、雪羽は何も言えなくなってしまいました。

 当たり前だと受け止めていたことが、大切な友人を悲しませてしまうなんて。

 そして夜になると、二人はこっそり家を抜け出して早足で歩きました。

 粉雪が降る中、灯りも持たずに固く手をつなぎ、寒さに耐えながら。

「雪羽。前にみんなで遊んだ抜け道、おぼえてるだろ」

「うん」

「あそこから村の外に出る。ほかの村に行けば、助けてもらえるかもしれない」

 そこは、昔のいくさで避難用通路として使われていたようでした。

 一人通るのがやっとの狭い道を、鉄の臭いや梯子はしごの感触を頼りに進みました。

 先に梯子を上り切り、重いふたを開けた雪羽は、外を見上げて固まってしまいました。

 そこには、村の男たちが待ち構えていたのです。

 彼らは雪羽と青年を引きずり上げると、青年を取り囲んで殴ったり蹴ったりし始めました。

「やめて! やめてください! 悪いのは私です、彼にひどいことをしないで!」

 男の一人に担ぎ上げられた雪羽は、泣きながら訴えますが、村へ無理やり連れ帰られてしまいました。

 逃げ出そうとした罰として、村人たちは予定よりも早く、雪羽を深い深い谷底へ突き落としました。

「最期に村の役に立てよ、馬鹿女」

「ちょっとかわいいからって、男に色目使いやがって」

 足が地面から離れる寸前、投げかけられた心無い言葉が、雪羽を切りつけました。


 許さない。

 ゆるさない。

 ユ ル サ ナ イ !


 冷え切った夜風を全身に浴び、長い黒髪を振り乱しながら、雪羽は村人たちを強く強く怨みました。

 やがて夜明け前になると、村はすっかり静かになりました。

 男も女も子どもも、誰も彼もが怯えるような表情で氷漬けになっていました。

 真っ白な着物姿の少女が、抜け道の出口で倒れた青年のそばに屈みました。

 肩に手を置いて名を呼んでも、彼の身体はぴくりとも動きません。

「ごめんね……痛かったよね」

 雪羽には、もう感じられませんでした。降り続ける雪の冷たさや、頬を流れて青年の着物にしたたる涙の温かさすらも。

「助けられなくてごめんね……でも、安心して。村の奴らは、全員殺したから」

 遠くから、何か重たいものが押し寄せてくる音が響いてきました。

「もうすぐ雪崩が来るよ。村の奴らがあなたにひどいことをしたから、きっと神様も怒ったんだね」

 覆いかぶさるように、雪羽は青年を優しく抱きしめました。

「お墓を作る時間もなくてごめんね……せめて、そばにいるから」

 震える声で謝っても、生きていた頃と同じ白い息は出ませんでした。

 山から来た雪崩は、木々や家や凍った村人たちをあっという間に薙ぎ倒し、二人のことも吞み込みました。


 大量の雪や土砂に埋もれ、かつて村だった土地には、誰もいなくなりました。

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