夢の出来事

桝克人

第1話 腕

いつもの朝ごはん、左にごはんをこんもりよそった茶碗、右はインスタントの味噌汁、そして中央に目玉焼き。誰も居ない部屋で「いただきます」と律儀に呟いてから、もくもくと箸を進める。レンジ台の上のでかいのに画面が小さい立方体の黒いテレビに目をやると、やかましい声こリポーターが大袈裟な身振りで人物を紹介していた。白い細かい射線が走っており目を凝らさないと何が映っているのかはっきりしなかった。特に興味もないので画質の悪さは気にならない。ぼんやり眺めて機械的にご飯を食べる、それだけだ。

カメラが少しぶれた後に急にズームをする。ピントを合わせるように画面が二三度前後したかと思うともう一度ズームをした。何が映っているのか気になって箸を止めて目を凝らした。ポンチョを着たおかっぱ頭の幼女が、向けられたカメラにあどけない笑顔を見せている。少女の肩を持ってしゃがみ込み一緒に映っているのは恐らく彼女の母親だろう。リポーターが何か尋ねて母親が何かを答えている様子だが、ざざざと音をたてたノイズに紛れてしまっている。普段煩い割りに肝心なところが聞き取れず僕は苛立ち顔を顰めた。リモコンで音量を上げれば済むことでも、そのリモコンが見当たらず、わざわざ立ち上がってテレビについてるスイッチを押すのは面倒臭い。耳をテレビへと集中させてみる。

「〇〇ちゃん(よく聞こえない)は元気になったら何をしたい」

「キャッチボール!」

僕は首を捻る。どうみても元気のいい普通の女の子だ。血色も良くもち肌の頬っぺたは薄ピンク色に染まっている。VTRでも元気よく走り回っておりどうみても健康そのものである。暫くは子供の目線であれこれ聞いては「良い子ですね」とか「頑張ってますね」など当たり障りのないやり取りが続き、僕はテレビへの興味をすぐに無くした。

「じゃあ、テレビの前の皆さんに見せてあげてくれるかな」

まるで太鼓やシンバルの音と共に手品師がクロスを引っぺがすように母親がポンチョを脱がせた。僕はぎょっとした。普通の女の子には違いないだろうが、多くの人が持つ腕がないのである。それも両腕だった。二の腕の先が丸くなった手を一生懸命笑顔で振っている健気な幼女から目が離せなかった。リポーターの中継を終える言葉と共にBGMが流れた。右上のテロップには「CMの後は」と書かれ続きに何かしら文字が書かれているが何かわからない。手元の一向に減らない朝食に意識を戻した。白米は冷たく固い。噛んでも噛んでも味なんかひとつもしなかった。


公園つくと男がこちらをじろりと睨みつけて「遅い。待ち合わせてるんだから時間くらい守れ」と文句をぶつけられる。時間なんて覚えてないし、そもそも待ち合わせしていたかどうかなんて知らない。適当に歩いて着いたところがたまたま公園なだけである。

「ごめん」

それでもなんだか謝らないといけない気がして思っても居ない謝罪を返した。男は変らずしかめっ面だがそれ以上に文句は言わなかった。

「こいつもわざわざ来てくれたんだぜ」

男が下した目線を辿ると車椅子に誰かが項垂れ座っていた。こちらを振り返る様子もないので、こちらから覗き込むようにその人の前に移動する。

「こんにちは」

恐る恐る声をかけると短髪の男は優しい眼差しをこちらに向けて「こんにちは」と返してくれた。やせ細り弱々しく見える。風がふけばきっと空高く舞い上がり飛んでいくのだろう。車椅子の男はそれ以上は何も言わなかった。ただほほ笑んでいるだけだった。

「全く、もうすぐ死ぬと言っても酷い話だぜ」

僕を睨んだ男は車椅子を押してどことなく歩きだした。僕はどこに行くのか訊ねることもなく横に並んで一緒に歩いた。

「未来がないからって奪えるものは奪い取るなんて外道じゃねえか。おまえもそう思うだろう?」

男が何を言わんとしているのかわからなかった。恐らく死ぬ人間はその車椅子の人だろう。車椅子の人はこれから財産か何かを差し出すのだろうか。僕はなんとなく車椅子の人に答えを聞かれたくなくて小さく頷いた。

「私は構わないけどなあ。こんな身でも役にたてるなら光栄だよ」

斜め後ろから車椅子の人を見た。彼は顔をあげてにこやかに笑っていた。陽の光に当たると透けてしまいそうな程白い肌が少しだけ紅潮したように見えた。

「何も役に立たないまま死ぬよりか、死んでからでも人様のお役にたてるならいくらでも使ってもらっていいよ」

「役にたたない人間なんていないだろう」男は苛立ちを隠さず叩きつけるように怒鳴る。僕はその声にびくっと身体を震わせた。一方車椅子の人は狼狽える様子はない。くるりとこちらを向いた。変わらず笑みを讃えている。

「ベッドに括りつけられる人生が役にたつなんて本当は微塵も思っていないでしょう。私が死ねば君は介護から解放されるんだから」

それは男に向かって言った言葉だ。でも車椅子の人は僕に向かって言った。

「君もそう思うでしょう」

首が硬直し縦にも横にも振ることは叶わなかった。それどころか一歩もそこから動けない。

「ああ、せいせいするね。でも棺桶に入ったてめえに腕がないのはいただけない。死んだままいれてやりてえんだ」

「腕?」喉にひっかかった言葉を捻りだすように声にした。消え入るほど小さな声だった。

男は車椅子の人を僕の方へ見せるように回した。さっきは気付かなかったが細い体には似合わない筋肉質のすらっとした腕が伸びている。指も細く形の整った美しい手をしていた。

「死んだらこいつの腕は切断されて移植されるんだ」

朝食時のテレビを思い出した。あの女の子にも誰かの腕が移植されるんだ。すぐに善悪が結びつかなかったが、僕はそんなに技術が進歩しているのかとぼんやりとただ感心していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る