自分とは何だろう?コンプレックスとの向き合い方

すでおに

自分とは何だろう?コンプレックスとの向き合い方

「私は他人に誤解されやすい」という人がいます。自分が描く自分像と他人からの評価が乖離している自覚があるようです。


 本当に誤解でしょうか?


 人は誰も自分で自分を見ることはできません。鏡に映る顔は左右逆さまですし、撮影された姿は平面で、等身大でもありません。自分の耳と他人の耳では聴こえる声まで違います。体臭口臭は自分では気づきにくいもの。


 誰かを思い浮かべる時、顔であったり全身であったりが浮かぶでしょうが、その人自身はあなたが描く姿を見たことはありません。同様にあなた自身もあなたを見ることはできない。


 自分の思う自分と他人から見た自分の不一致は当然と言えます。ではどちらが本当の自分でしょう?自分のことは自分が一番よくわかっている。のでしょうか?


 自分を客観視することは不可能ですから、自分を一番理解していないのは自分自身かもしれません。社会的な存在としての自分は他人の目の中にいて、他人の目に映るのが本当の自分とも言えるわけです。



 以前働いていた職場にいた女性、二十代前半でしたが、その子はいつも束ねた前髪を左右に2本垂らしていました。『触覚』というやつです。常にその髪形で、身体を動かす作業をしたあとは、刀を鞘に収めるように真っ先に触覚をもとの位置に戻していました。


 なんとなく引っかかっていたその仕草、ある日その理由を知りました。たまたま事務所の机にその子の通行証が置いてあって、添付された写真、証明写真ですから顔がはっきり写っていた、そこには触覚がありませんでした。


 はじめて見る触覚なしの顔はエラが張っていた。


 これを隠していたのかと。彼女は輪郭にコンプレックスを持っているのだと気づきました。触覚を作るのは同様の理由が多いと知りました。


 ずっと気にして生きてきたのかもしれない。手鏡を覗いてはそこに触れ、ため息をつく幼い日が見えるようでした。


 程度の差はあれどほとんどの人がコンプレックスを抱えているそうです。最近はその解消のために整形手術をする人も多いようで、ずっと悩んでいたコンプレックスが解消されるならそれも選択肢の一つでしょう。ですが思うこともあります。


 そのコンプレックス、虫眼鏡で見ていませんか?


 手鏡を覗き込む。その距離およそ20センチ。鏡の向こうとしても半メートルも離れていません。日常生活でその距離で他人に顔を見られることはそうそうありません。会話でもこれほど顔を近づけることはそうはないですし、あったとして凝視してくる人はまずいない。


 自分ほど自分の顔をまじまじと観察している人間はいないのです。


 以前子供向けの学習帳の表紙が話題になりました。大写しされた昆虫は気持ち悪いという話で、表紙の変更云々はさておき、昆虫のドアップはたしかにグロテスクです。


 拡大して美しいものは雪の結晶ぐらいで、美男美女の芸能人でも、修正された写真はともかく、テレビでドアップで見るとアレ?と、今まで見ていた顔と違う印象を受けることがあります。


 世界に名だたる観光地が実際行くとがっかりスポットであるのはままあることで、麗しの富士山もゴミに汚染されているのはご承知の通りです。


 何事も遠目には美しくとも、近づくほどに粗が見えるものなのです。


 あなたは他の誰よりもあなたの顔を至近距離で観察しています。そのぶん粗が目につきますが、長い年月を経て熟成されたコンプレックスは、虫眼鏡で見た虚像とも言えるわけです。


 一度虫眼鏡を捨ててみたら、新しい自分と出会えるかもしれません。

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