第6話 ワンアウト取ろう!

「ゆうさん、あなたが点を取られたとしても、俺が絶対に取り返します」


「あと、2つ四球出した時にマウンドに駆けつけずに、ゆうさんのことをほったらかしにしてすみませんでした」


と若本は深々と謝ってきた。


意外だった。四球出しまくってる私に対して文句言うと思ったから。自分の不甲斐なさに対して責めてくると思ったから。


梨田はポカーンとしていたが、状況を理解したからか即座にハッとして


「いやいや、頭なんか下げないでよ。悪いのはどう考えても私でしょ」


「ワカタクくんは捕手経験ないのに頑張って……こんな私の荒れた球を、嫌な顔ひとつせず受け止めてくれて……感謝しかないよ」


「だからそんなに深刻そうな顔をしないで!」


「それより、私の方こそごめん。まったくストライクが入らないくて……」


と梨田はユニフォームの袖をギュッと触りながら申し訳なさそうに言った。


若本は頭を上げる梨田が深刻そうな顔をしていたので


「大丈夫ですよ! そんな深刻そうな顔しないでください!……って俺もそうだったか………」

とフォローした。加えて


「あとさっき言った通り、打たれたり、押し出したりして3点、4点と取られたとしても、それ以上に点を取って取り返していけばいいんですって」

そう言うと、少し間を置いて、


「だから……打たれたらどうしようとか、コントロール悪くて迷惑かけたらどうしようとか……そんなこと思わずに、堂々と、自信もって投げてください!」


「だって、ゆうさんはとてもいい投手ピッチャーなんですから!」

と若本は梨田の肩をグローブでポンと叩いた。


「まぁ、今ノーアウト満塁の大ピンチ抱えてますけど……だけど、変化球はめっちゃキレッキレだし、ストレートの質は良いし……ストライクゾーンに入ってくるようになると、相手チームは手も足も出ないだろうね!」


と若本は自分の考えをしっかり伝えた後、


「どんなに四球死球出したって、抑えれば結果オーライぐらいの軽い気持ちでいいんですって。ヒット3本打っても0点。四球3個でも0点、だけどノーヒット四球ゼロでも1点取られることがある。それが野球の面白いところなんですから!」

と若本は梨田の目を見て、笑顔でそう言った。


「だから、この場面2人で乗り切って、生きて帰りましょう!」

と若本はキリっとした表情をして言い、梨田は小さい声で「うん」と言い頷いた。


若本は定位置へと戻っていく。


「『何点取られてもいい……打たれても俺が絶対に取り返す。だから自信持って投げてこい』……か……」

定位置へと戻っていく彼の背中を見てそう梨田は呟くと、


「ワカタク……ありがとう……ちょっと気が楽になったよ」


と目を閉じて、大きく深呼吸した。


「私、このピンチ、絶対に乗り越えて見せるから」


柴田は決意すると、グローブを胸に当てて

「よし! 目の前のバッターに集中!」

と呟き、次の打者の方を見た。


若本は審判とバッターボックスに立っている板野に対して、待たせたことについて謝ると、すぐさまキャッチャーミットを構える。


俺がなぜああ言ったのか……


もちろん、栃木小山シニアの「点を取られても取り返せるチーム」という、点を取られてもみんなでカバーしていこうというチーム方針があったことが1番で、俺はそのチーム方針に則ってああいった発言をしたんだけど、


何より、ゆうさんの試合前の投球と、試合中の投球とで、投球内容のクオリティの差が大きく、違和感があったからである。


試合前のゆうさんのピッチングはデータで見て感じた以上にコントロールが良く、コントロールが比較的悪いと感じたことはなかった……極端にノーコンというわけではない……ということだ。


このピッチングなら、あとは俺がしっかり捕手としての役目を務めれば勝てる……

そう思っていた。


しかし、試合中になると、死球、暴投、四球と試合前のピッチングと比較してもコントロールが格段に落ち、ストライクが一球も入らないという事態に陥っていた。


ストライクゾーンを責めたボールならまだしも、ストライクゾーンから大きく外した明らかなボール球が目立っていた。


そういった状況となり、俺はある仮説を立てた。


それは、「ゆうさんが打たれるのを恐れているのではないか」


ということである。


打たれるのを恐れているからこそ、バッターとの勝負を避けるようになり、ボール球が目立ち、ストライクが入らない……いや、ストライクを入れるのが「怖い」が正しいな。


試合前は調子いいのに試合になるとダメ……という事例は栃木小山シニアの中でも実際に起きていることだった。


先ほど頭の中でよぎった宇都宮西との練習試合でも、北は試合前は調子が良かったのに、試合中は制球に苦しんでいた。


試合後、若本は北に試合前と比べて制球が乱れていたけど、何があったのか聞いてみると


「1回に相手投手のピッチングを見たときに、これ自分のチームが得点取るの難しそうだなって思いまして……だからこそ、俺がなんとか投手戦に持ち込んでロースコアで勝利するのが理想かな……って思いまして……で、打たれちゃダメだ打たれちゃダメだ……ゼロで抑えないと……ってずっと思ってて……それで制球定まらなくて……ってそんな感じでプレッシャーになってしまって、4回に崩れてしまったって感じでしたね……」


と北がそう言ったのである。だから、北の経験、そして栃木小山シニアのチーム方針を教訓にして、投手を気負わせず、少しでも気持ちをリラックスさせようと思って、ゆうさんに対して、ああいった発言を行ったのである。


あの発言で、少しでもゆうさんの気持ちが落ち着き、ストライクが入るようになればいいのだが……


若本はそう考えていた。


プレイ再開。

ノーアウトランナー満塁というピンチの状況。打者は板野。梨田が1塁ランナーと3塁ランナーをチラッと確認する。そして、セットポジションから投球動作へと移り、左のサイドスローから勢いのあるボールが放たれる。梨田が投げた初球はストレートのボールとなった。

しかし、アウトコースのストライクゾーンのギリギリの惜しいボールだった。審判次第ではストライクだ。

「ボール走ってる!走ってる!」

と若本は定位置から梨田に声をかける。


次の球は真ん中低めのチェンジアップのボール。これもコースギリギリ。なぜストライク取らないんだこの審判。ストライクだろ今の球。審判に不満を持ちつつも、再度若本は梨田に「ナイスボール!」と声をかける。


大丈夫だ。どんなに打たれたって取り返せばいいんだ。だから自信を持って思いっきり投げろ! ゆうさん。


次の球はスライダーがすっぽ抜け、若本は梨田のすっぽ抜けたスライダーを体で受け止めた。もちろん外角低めに大きく外れたボールである。あぶねぇ……俺が逸らしてしまわないかとかなりヒヤッとした。梨田はホッとした表情をしていた。

「リラックス! リラックス! 肩の力を抜いて! 深呼吸!」と若本は再度梨田に声をかける。

これでスリーボール。梨田は大きく深呼吸する。次、ボールなら押し出しで1点入る。


しかし……ストライクゾーンギリギリのボールもあったのに、ここまで1回も打者が振ってこないな。振ってもおかしくない球もあったのに。もしかして、選球眼良い方なのか……いや、選球眼がいいというより、ゆうさんの自滅待ちの可能性の方が高いかもな。


……ってか、そうだよな……ゆうさんはめちゃくちゃコントロール悪くて荒れているわけだし、振って凡退になるより、ゆうさんの自滅を待った方が得策だよな。


ともかく、次の球で何とかストライクを取りたい。ゆうさんが今陥っている「ストライクが入らない」という悪循環を止めたい。

若本はそう思い、ど真ん中にキャッチャーミットを構える。正直言うと、ボールになった前の3球は、すべてど真ん中に構えていた。下手に四隅のコーナーに構えるより、ど真ん中に構えてた方が、コントロールを意識しすぎて、ゆうさんのプレッシャーにならないだろうと考えたからである。


すると、ノーアウト満塁ノーストライクスリーボールという状況から梨田が投げたストレートがど真ん中にズバッと刺さった。梨田の球を見た審判が「ストライク!」とコールする。


よっしゃ! ストライク入った!!

ストライクコールが響いたとき、若本は右手をグッと握りしめて嬉しさを噛みしめていた。


梨田の表情は、ストライクが取れないという悪循環から解放されたからか、ホッとした表情をしていた。


そして、若本は「ナイスボール!」と笑顔で梨田に声をかけた。



そうだよな。ここまでずっとボールだったもんな。ゆうさんのホッとした表情をするのもよくわかる。ストライクゾーンに苦しめられたからこそ、このストライクにはいつもコールされるストライクの何倍もの価値があるんだと思う……若本はそう感じていた。



しかし、梨田はすぐさま険しい表情をした。彼女の表情の変わりように、若本はハッとした。そうだ、嬉しがっている場合じゃない。ワンストライクスリーボールだ。次、ボールなら押し出し1点になる。


若本はキャッチャーミットを叩く。


勝負の5球目、ストライクゾーンに入った外角低めのスライダーを見逃し。これでツーストライク。


よっしゃ! ツーストライクに追い込んだ! 

今までストライクが入らなかった投手が、ここにきて2球続けてストライクでフルカウントまで持っていった。1球ストライクが入ったことでゆうさん、気持ちが楽になったのかな……


しかし、ツーストライクまで追い込んだとはいえ、ノーアウト満塁ツーストライクスリーボールという状況である。


梨田はユニフォームの袖で汗を拭う。そして、マウンドに置いてあるロージンを触り、大きく深呼吸してセットポジションを構える。


若本はサインを出す。内角高めのストレート。今までど真ん中に構えてたけど、2球続けてストライクを入れてきたんだ。ワンチャン、ここにズバッと投げれるか。若本は賭けてきた。梨田は若本のサインに頷いた。


運命の第6球目。梨田の渾身の内角高めのストレートを相手打者である板野が打った。


ここでバッターが振ってきた! 今まで振ってこなかったバッターが、ここで!

ノーアウト満塁からの見逃し三振はまずいと思ったのか! 振ってきたぞ!


若本は振ってきたバッターに驚くも、打球の行方をみる。


ボールは、高くフラフラと打ち上がっていた。フラフラと上がった打球は、チームワカモトのベンチの近くに落下しそうだ。


これはファールフライになりそうだ。


板野は悔しそうな表情を浮かべていた。


「ゆうさん、ホームベースのカバー頼む」と

若本は梨田にそう伝え、キャッチャーマスクを外して急いで打球を追いかける。、そして、若本と同じく打球を追いかけてるクローンのファーストに対して「俺が取る!」と叫んだ。


この打球は絶対取る。絶対取る。


まだノーアウトなんだ。ここでアウトを1つ取って、ゆうさんの気持ちを少しでも楽にさせたい……ノーアウト満塁とワンアウト満塁じゃ、投手にかかるプレッシャーは全然違うんだ。


そして、何より、ゆうさんがあんなに良いピッチングをしてるんだ。ストライクも入れてきたんだ。頑張ってるんだ。俺がそれに応えなくてどうする。


取れるか微妙なラインだ。……いや、取れるか微妙だから何だ。取りたいんじゃない……取るんだ。


「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


若本は滑り込んで自チームのベンチ近くに落ちそうだったファールフライをキャッチした。しかし、ファールフライを取った若本は、勢い余って自チームベンチのラバーフェンスに激突した。


思いっきり激突した若本が心配になり、梨田は「ワカタクくん!」と叫んだ。


そして、若本はボールを掴んでいるキャッチャーミットを上にかざした。審判が急いで若本の元へと駆けつける。若本がボールをキャッチしてることを確認すると、審判は「アウト!」とコールした。


これでワンアウトだ。若本はやっと一つアウトが取れたことにホッとし、急いでホームベースへと戻っていく。ホームベースへと戻ってくると、梨田が待っていた。

自チームのベンチのラバーフェンスに激突した若本のことが心配で、マウンドに戻らず、ホームベース上で待っていたのだ。


「大丈夫? 激突してたけど怪我してない?」

「大丈夫ですよ」

と若本は自分の体が大丈夫であることを伝えると、

「あと2つアウト、丁寧に取っていきましょう!」

と笑顔で梨田に言った。梨田は若本が大丈夫そうなのを確認すると、


「そうだね……あと2つね! よし! 私も頑張るよ!」


とキリっとした表情で若本にそう返した後、急いでマウンドへと戻っていった。


さぁ、あとアウト2つだ。このピンチ、絶対に乗り越えてみせる!

若本と梨田、2人はそう決心していた。

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