第56話 懐事情と懐かしい顔

「うーん」

「どうしたの?」

 積み荷と共に馬車で揺られながら、前方を警戒するように見ているフィリアンを見てリオンは唸りながら首をかしげる。

「いや、何処かであったことがあるような気がして」

「おやおや、出会ったばかりの女性を口説くとは、お兄さん草食系に見えて実はやり手です?」

「いや、そうじゃなくて本当に何処かで見た気がするんですよ」

 はたして何処だったか。

 雇う事が決まった瞬間にはもう口調の砕けていたフィリアンの横顔から視線を空に向ける。

 親しい相手の顔は忘れない筈なので、少し会話をしたことがある程度の関係でしかない可能性が高いだろう。そうなると該当する人物は山ほど出て来るので、これは考えるだけ無駄かもしれない。

 ふんふんと上機嫌に尻尾を揺らすフィリアン。

 雇うとは言っても今は様子見であり、雇用価格もかなり割り引いたもの――とオーリアが言ってた――なのだが、よほど前の雇い主が嫌だったのだろう。

 その雇用主とばったり会ったら、いったいどうなるのだろうか。

 多少の不安はあるが、正直に人違いで襲われた事を素直に話せば大事にはならなそうな気もする。

「まあ、なるようにしかならないか」

 そうポツリと呟いたところでフィリアンが町が見えてきたことを告げた。

 ルヴィスタは商業が盛んな都市であり、執政官よりも商会などのほうが実質的な力は上とまで言われているほどに商人たちが絶大な力を持っている。

 その影響か商売における競争は苛烈で、日夜泣く者と笑う者がコロコロ立場を逆転させており良くも悪くも賑やかなことこの上ない。商品の流通も当然ながら盛んであり、珍しい品々の中には国王への献上品でしか見られないようなお高いものも数多ある。

 それだけの品物が並べば当然ながらそれらを目的に訪れる人流もすさまじく、右を見ても左を見ても溢れるように行き交う人々の数は、店頭に並ぶ商品群を軽く超えるのではないかと思わせ溢れる熱気は額に汗を浮かべさせるほどだ。

 また町全体の特徴として、店の種類は町の各所で明確に区分けされている。

 つまり同じような商品を売る店は固まっているという事だ。これは商品の種類だけではなく価格の方でも同様の傾向がみられる。例えば町の中央に行くほどに高価な嗜好品の並ぶ店が増え、逆に外へ行くほど庶民向けの雑貨などが多くなっていく。

 町をぐるりと取り囲む市壁の出入り口も訪れる者によって分けられており、商人用、金持ちや貴族用、一般人用の三種類があった。

 オーリアが手伝いだと言ってくれたおかげでリオンたちは商人用の入り口より中へ入る事ができ、おかげで長々と市壁の外に続く行列に並ばずに済んだ。

 話によると一般人用の出入り口は今の季節なら入るまで早くても半日。これはまだ短い方で、催し物などがあると数日間も外で我慢しなければいけない日もあるらしい。

「さて、まずは何処に行く?」

 前を歩いていたフィリアンが振り返りながら切り出す。

 今はこの場にいるのは二人と一匹で、オーリアとは積み荷を届けなければいけないからと別れた後だ。

 質問に対してリオンは肩をすくめて答える。

「この町の事はよく知らないので、何処と言われても困ってしまいますね」

「おやおや、そいつは珍しい。ルヴィスタと言えば王国における一度は訪れてお買い物したい都市人気一位の座を独占し続けてるとこなのに」

「そういうのとは無縁な一介の研究者ですから」

「なるほど、研究一筋なら仕方ないか~。あ、じゃあそれに使えそうなお見せとか立ち寄るのはどう? お金があればだけど」

「懐具合は今はあまり良くないですね。全部燃えてしまいましたし」

 唯一残ったのは首から下げていた笛で今は上着の下に隠れている。

 これは幸運な事にリオンと共にあったので体や衣服と一緒にアルバシーヴァが復元していた。

「まあ全てを持ち歩いていたわけではないので、連絡が取れれば引き出せると思いますけど」

「なるほどなるほど。じゃあまずは資金調達のために銀行に行こうか」

「あるんですか?」

「そりゃもう、こんな町だからね。王国首都に負けないクラスの巨大なのがあるよ。便利な魔法で情報共有も完璧と来たもんだ。便利な世の中になったね~」

 そう言って早速歩き出すフィリアン。

 クリフから貸して貰っているお金はあるが、フィリアンへの給金を考えて切り詰める算段を色々と考えていたのだが、どうやら心配はいらなくなったようだ。

 しかし、と幾分か気の軽くなったリオンは周囲を見回しながら思う。

 道行く人々は何だか忙しなく楽しんでいるというよりも義務感に表情が硬い。

 一度しか見ていないが、魔法学院のある町では皆楽しそうに笑って往来を行き交うものが多かったように思う。この二つの差は一体どこから来るのだろうか。

 考えてみても商人でもなければ、彼らのように忙しく買い物に回るわけでもないリオンは分からない。

 ただ生き急いでいるように見えるという事しか分からなかった。

 そんな無意味な考え事で時間を潰せば、気がつくと目的の建物の前である。

「それじゃいってらっしゃ~い」

 一人送り出され、開かれた物々しい柵の門をくぐって敷地へと入る。

 一面の緑を割るように敷かれた直線の石畳、その先にあるのは神殿を連想させる巨大にして凝った装飾に溢れる建物。

『なんだ、神殿にしては随分と小さいな』

 そうミュールは評価する。確かに山の上で見たあの神殿と比べたら一軒家と犬小屋くらいの差はあるだろう。しかし目の前にあるのは神殿ではないし、そもそもアチラが大きすぎただけで建物は領主の館に匹敵するであろう大きさを持っている。

 つまりミュールの感覚が少しおかしいのだ。

 入り口の扉を潜ると、魔法の明かりによりあまねく照らされたロビーに入る。

 正面には一列に並んだ受付け台があり、明確に客と職員の行き交う空間を切り分けており、的確な事務作業により迅速に金の受け渡しが行われ並ぶ人の流れが滞る事はない。入り口側の壁際には休憩などのために置かれていると思われる長椅子もあるが、これを利用している者は殆どいないようだ。誰も彼もが手続きを終えると慌ただしく外へと出ていく。

 リオンは端の一番人の少なそうな列に並んだ。

 待っている間、ふと気になって見上げる程高い天井と、そこから釣り上がる魔法の明かりを見上げては首をかしげる。

 何故だか見える光が少し歪んでいるように感じ気持ち悪い。

 見たところ不備がるとか故障をしているようには感じられないのだが、果たして何が原因なのだろうか。

「次の方」

 呼ばれて慌てて受付けの方へ行く。

「ご用件は?」

「預けてあるお金の引き出しをお願いします」

「では預け先と名義、身分証、引き出し金額の方をお願いします」

「えっと、預け先はリベリオ王立魔法学院資産預かり所、名義はリオン精霊魔法研究室、身分証は……」

 そこで致命的な問題に当たった。

 身分証は山にいた時には荷物の中に入れていたので恐らく燃え尽きている。

 つまりは、この場でリオンの身分を証明するものは何も無いのだ。

「身分証は?」

「えっと、多分再発行して頂かないといけない、と思います……」

 非常にバツの悪そうな顔で言ったリオンに受付けは容赦なく「では引き出しはできません」と切り捨てた。

 まあ、そうであろうなと納得せざるを得ない。

「ん? そこにいるのはリオンさん?」

「はい、そうですが――」

 受付けの奥より、若い男がコチラへ向けて歩いてくる。

 その顔を見てリオンの目は驚きに開かれた。

「ああ、本当にリオンさんだ。お久しぶりです!」

 長身、整った男前な顔立ち、金色の髪は短く切りそろえられ、青い瞳は今嬉しそうに細められている。

「君は確か、……レクシロン君?」

「覚えていてくださったんですね」

「あの、お二人はどのようなご関係で?」

「この人は私の学生時代の“先生”だよ。今の話、身分証を紛失したんでしたっけ? なら私がこの人の身分を証明しましょう」

「そんな、無茶を言わないでください! これでもし偽物だったら――」

「大丈夫さ、確かに少し変わっているところはあるけど私が先生を見間違えるはずがない。もしも責任問題になったなら、その時は全ては私が引き受けよう。……ダメかい?」

 そう尋ねるレクシロンの囁きに受付の女性はポッと頬を赤くし俯く。

 果たしてどうなるかと見守っていると、間もなく溜息と共に女性は顔を上げた。

「……分かりました。今回はレクシロン様のお顔を立てて特例処理とします。でも上にはしっかり報告しますので、ちゃんと言い訳を考えておいてくださいね?」

「大丈夫だよ。明日には正規の身分証を取り寄せるから」

 ね、先生? とさわやかな笑顔。

 リオンは記憶にあるものと変わらない姿に苦笑いを浮かべる。

 相も変わらずこの元教え子は独断で突き進み周囲を困らせるし、女性に人気なのだなぁと。

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