第51話 白き炎

 悲鳴が上がる。鮮血が舞う。

「クソ野郎! どっかに行きやがれ!!」

 へカルトは農家が使う鍬を手にへっぴり腰で振るう。

 押し寄せた怪物が窓を破って入って来た。入り口の扉も壊された。そこかしこから助けを求める声が聞こえてくる。悲鳴も鳴りやまない。

 でもへカルトはその場から動けない。

 後ろは食糧庫で入り口に立つ自分がいなくなれば、そこに逃げ込んだ親子や幼子たちがあっという間に八つ裂きにされてしまう。

 へカルトは泣きながら鍬を振り回す。

 体中が傷だらけで、でも深い傷が無いのは怪物がわざと嬲って遊んでいるからだと分かっている。

 この行動もまったく無駄なもので、結局は食べられてしまうのだと理解しているのだ。

 でも止められない。止まるわけにはいかないのだ。

 影が壊れたのは雪崩れ込む怪物たちを見て理解したが、壁が破られたからといって冒険者たちが倒されたとは限らない。

 もしかしたら今もなお戦い続けて、もう少しで怪物たちを生み出している親玉などを倒すところかもしれないのだから。

 そんな幻想に縋りつきへカルトは鍬を振った。

 鍬はそれまでと同じように軽々と嘲笑の声を上げる怪物たちに避けられる。

 そして空気の読めない一匹が現れ、その鍬を軽々とへし折ってしまった。

 木片が宙を舞い、へカルトの天地が逆転する。

 強かに床へ叩きつけられて、頭から血を流した。直ぐに立ち上がろうとしたが、何かが背中に落ちてきて邪魔をする。

 それは怪物の足で、込められた力に肺の空気が絞り出され苦しくなっていく。酸欠により次第に世界は色あせていく中、すぐ目の前で戦う力の無い怯える者たちへ怪物が迫っていた。

「や――お――――っ!!!!」

 声が出ない。もう肺の中に空気が残っていない。

 その残虐な爪が振り上げられる。

 赤ん坊が泣き叫び、その子を守ろうと母親が抱えるような姿勢で怪物に背を向けた。

 爪が振り下ろされる光景は嫌にゆっくり見えて、なんて世界は悪趣味なのだと心の底から怒りが込み上げてくる。

 もうどうしようもない。

 世界が真っ赤に染まる術をただの人間である自分は止められない。

 涙か、或いは血が頬を伝った。


 そして世界は白き光に包まれた。


 悲鳴が上がる。

 夥しい数の悲鳴が轟々と吹き荒れる嵐のように全てを飲み込むように鳴り響く。

 ハッとへカルトは体が軽くなったのを感じた。

 でも死んだわけではなく、体に痛みの感覚が残っている。

 見回せば真っ白な炎が七色の陽炎を作りながら全てを覆っていた。

 怪物たちは炎から逃げ回り、間もなく息絶えて黒い液体となるが炎はそれすらも跡形もなく焼き尽くしていく。

 唖然とそれを見ていたが、呻く声を聞いて我に返ってそちらを向く。

「え?」

 思わず間抜けな声が口から洩れた。

 今、目の前で立ち上がろうとしているのは怪物たちに文字通り“八つ裂き”にされた筈の男である。にも拘らず、彼は立ち上がったのだ。

 その体では舐めるように白き炎が燃え盛り、通った後には無数にあった傷が“消えて”いる。

 まるで怪我そのものを焼いているようだ。

「いったい何が起きてるんだ?」

 次々に立ち上がり不思議そうに自分の体と周囲を見回す者たちを眺めながら、へカルトはその場にへたり込む。

 キャッキャとご機嫌に笑う赤ん坊の声が、これは夢でないと言っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る