第50話 夢に見た空

 頭上は青く、そして眼下は赤い空の中。

 リオンは逆に流れゆく上下の雲を見ながら、自分は死んだのだと思った。

 あれだけの無茶をしたのだから、そうなってしまうのも納得がいく。

『いいや友よ、お前は死んでなどいない』

 声が聞こえた。

 とても荘厳で、それでいてとても優しい響きの声が。

『いいや、死なせるはずがないと言った方が正しいか』

 リオンは振り返る。

「あなたは――」

 唖然と言葉が消えてしまう。

 それは一匹のドラゴンだ。

 あまりにも巨大な肉体は山のようで、リオンの身長は爪の先にすら届かない。

 全身を覆う鱗は七色に輝き、まるで虹を纏っているかのようだ。

 リオンは彼を知っている。

 自分の記憶にいる者とは大きさも色も違うが、確かに目の前のドラゴンは彼だ。

『おはよう、友よ。今日を迎えたお前に祝福の言葉を送ろう』

「これは、いったい……え、どうして?」

『ふむ、混乱しているようだな。だが事の説明の前に我はお前に一つ言っておかなければいけない事がある。……ああ、そんなに畏まる必要はない。我はこう言いたいのだ。“ありがとう”と』

 ドラゴンは瞳を閉じ頭を下げた。

『愚かな我と、哀れな竜をよくぞ救ってくれた』

 リオンは慌ててドラゴンに頭を上げるように言った。

 そして頭を上げたドラゴンに、リオンは緊張しながら尋ねる。 

「あの、ここは何処なのですか」

『ここは境界の空。竜の空とお前たちの世界の空を分かつ場所であり、我が己の全てを代償にしてもなお辿り着くことの出来なかった場所だ』

「どうして私がそんな場所に?」

『お前の肉体は目覚めた山の息吹により燃え尽きた。故に我はその残滓を集め、世界の法則に縛られぬこの場所でもって友を再構築した』

「目覚めた……かのドラゴンは無事なのですか!」

 リオンは慌てた様子で尋ねる。

 話を聞く限り山は噴火した事が分かる。であれば、その場にいたドラゴンもその熱に飲み込まれているはずだ。

 そんな心配をして顔を青くする私を、目の前の巨大なドラゴンは可笑しそうに見た。

『当然、無事だとも。そもそも古き血を持つ竜は熱により身を傷つけられることはない。あの哀れな竜は特異存在ではあるが古き血を持つことに変わりはなく、あの程度の熱ならば水浴びの代わり程度にしかならんだろう』

「そうですか」

 リオンはホッと胸をなでおろす。

『さて友よ。我はお前に感謝してもしきれない恩を受けてしまった。故に我に出来る限りその恩を返させてはくれないか?』

「と言いますと?」

『いくつか願いを言ってみろ。今の我ならば大概の事はかのうだぞ?』

 巨大にして荘厳な姿とは対照的に、その口調はこれから悪戯をする子供のように無邪気だ。

 リオンはその落差に苦笑いを浮かべつつ考える。

 恩と言っても生き返らせてもらった時点で十分返されている気がするのだが。

『迷っているな? では我から一つ提案しよう』

 ドラゴンはそこで一度切り、重々しい口調で続けた。

『お前の友人たちを救ってやろう』

 その言葉のさす意味をリオンは直ぐに理解する。

 救ってやる、つまり救う必要のある状態であるという事だ。

 リオンは一も二も無く頷き答えた。

「お願いします!」


 吹き上げた溶岩の全てが一瞬にして消失した。

 巨大なドラゴンが翼を広げ、そしてその膨大な熱と共に空へ舞い上がり閃光となって消えた。

 一匹の小さな竜はそれを見上げてほほ笑んだ。

 父は偉大な竜であり、永遠に憧れのままその姿を消したのだから。

 もはや思い残すことはない。

 ガランと開いた眼下の大空洞。登て来た溶岩の道は黒き名残を残すだけ。かつて存在していた都は消え失せた。

 あの人間も同様だ。

 もはや影も形も見つけることはできない。

 その事が分かるとぽっかり胸に穴が開いたようで悲しく、苦しい。

 利用して、命を奪って、自分だけ願いを叶えてしまった事が辛かった。

 ただ空の中に留まり、沈みゆく日を浴びる。

 その時だ。

 空の端、彼方の境界より一つの虹が現れた。

 虹は尾を引きそして飛んでくる。

 驚愕した。あんぐりと口を開けて、目はこれ以上ないくらいに大きく開かれ、おおよそ竜らしからぬ阿呆な表情を浮かべていた事だろう。

『まさか、そんな……あれは――』

 見間違えない。見間違えよう筈も無い。

 例え姿形が変わっていようと、己の中にある炎が教えてくれる。

『父上?!』

『カカカ、酷い顔だなミュールよ!』

『父上こそ、どうしてこのような場所に? 旅立たれたはずでは……』

『何、恩を受けるだけ受けて立ち去るなど竜にあるまじき行いであるが故にな、友の頼みを受けて戻ってきた次第よ』

『友?』

「えっと、さっきぶりで良いんですかね?」

 再び私は阿呆面を作った。

 今、父の頭にあの人間が乗っている。

 角にしがみつきながら、その影よりおずおずと姿を出して気まずそうに頭を掻いている。

『貴様っ! 我が父の頭に乗るなど恐れ多いぞ!』

「いやそう言われても背中ではしがみつける場所もなくて……」

『手で良いだろう手で! どうしてそこで頭を選ぶのだ!』

 ぐちゃぐちゃな感情、それを誤魔化すように私は人間を責める。

 人間はそれに困った様子で返し、そんな私たちのやり取りに父は機嫌良さそうに笑った。

『さて、感動の再開も果たした。……では行くか! ついてこい!!』

 今までに見た事のないくらい上機嫌で楽しそうな父の姿に私は肩の力が抜ける。

 おのはしゃぎ様、まるで子供ではないか。

 そう思う私も嬉しさに尻尾が動いてしまっているのだが。

 バサリと力強く羽ばたく七色の竜と共に、赤き小さな竜は空を翔ける。

 懐かしきあの日のように、再び共に空を翔ける。

 向かう先はさほどの距離ではないが、それでも赤き竜は嬉しさに涙を零すのだ。

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