Ⅳ 「刃風」の霊狼
SIGN28 白き少女の降臨
カナダ極北、三月。
この地を襲った「
空はいまだ「闇のオーロラ」に覆われ、終わりの来ない
日本の少年・
その前月、ユーコン準州にて。
日本の学生・
折賀も、ゲイルとブレイズも、一秒ごとに全身が真っ白に覆われ、雪景色に同化していく。
そこにもうひとつ、もそもそふらふら~と近づいていく固まりがあった。
「ま、待て、オリガ」
カナダ・ナショナル・ポスト紙の記者、キンバリーだ。
すっかり雪男と化した折賀を、もう一体の雪男がよろよろと追いかけていく図は、吹雪の中でも平然と歩を進める二頭の獣に笑われているようで、少し
「いつまでこんなことやってんだ。自殺行為だぞ」
「ついてこなくてもいいです。キンバリーさんは町で目撃情報を集めておいてくれませんか」
互いのネックガードに覆われた口元から、まつげの先にいたるまで、会話の内容に関わらずすべてが雪の風に
折賀は、キンバリーに教えられた「白の獣と黒の獣」の姿を追い求めていた。
白の獣と黒の獣――
長く異常気象に支配されたこの地で、ときおり人の前に現れる二頭の狼の姿は、まるで神の使いであるかのような神秘性を感じさせるという。
まだ若いが、固く引き締まった
連れだって森を移動する二頭は、冬の獣たちの例に漏れず、常に餌を探し求めているのだろう。
雪の中、ときに遊ぶように絡み合ったかと思うと、風のようにあっという間に駆け抜ける。
白の毛玉と黒の毛玉が絡んではほぐれ、走っては遊ぶ。
仲睦まじく肩を並べる様子は、目撃者達の間でちょっとした語り草になっていた。
白い獣が『
折賀が二頭を捜しているのは、ゲイルとブレイズがしきりにそう
「そうは言ってもな、将来性のある若者に目の前で死なれたら、おじさん的に立場がないっつうか……せめて俺の情報が原因で死ぬのはやめてほしいっつうか……」
まだブツブツ言ってるキンバリーはほっといて、折賀はずんずん進んでいく。
やがて
吹雪で刻一刻と姿を変えていく地形。
その中の一点を、折賀の鋭い眼光が逃さず捕らえた。
「なんだ?」
「そこに、いる」
吹雪の向こう、かすかに動く物体を、折賀とゲイル・ブレイズが
他の動物を見つけた時とは緊張度合いが違う。
ついに、目的の狼たちを見つけたのか。キンバリーの心臓が高鳴った。
折賀は獲物に迫る猟犬のように、視線で対象をとらえながら静かに移動する。ゲイルとブレイスが、心得たように獲物の退路をふさぐ。
ここまで近づけば、もう捕らえたも同然。
最後の瞬間まで油断することなく、折賀は対象に近づき、身をかがめ、手を伸ばし――
雪の中から、拾い上げた。
カビた大福もちのような固まりを。
「やあ、お久しぶりです、美仁くん!」
ハムが元気に手(前足)を上げた。
◇ ◇ ◇
「…………」
「やだなあ、わかりませんか? 僕ですよぅ僕! イルハムですぅー」
「……イルハム?」
これが折賀にとって、ハムスターなハムとの初対面であった。その衝撃は想像に
事前に、タブレット越しの
思わず手の上で大福もちをコロコロ転がすと、
「ああぁんっ! いやぁんやめてぇ~♡」
と、絶対に聞きたくないおっさんの
「えっ、ど、どしたっ!?」
「なんでもありません」
「でっ、でも今っ……」
「きゃうぅん♡」
「空耳です」
折賀は防寒着のポケットにブツをズボッと突っ込んだ。
◇ ◇ ◇
キンバリーにはなんとかお帰りいただき、折賀はハムの案内でさらに先へと進んだ。
ゲイルとブレイズも付き従っているが、その表情は微妙である。
「美仁くぅん、あのぅさっきのコロコロ……ワンちゃんたちでもいいんですけどぅ……」
「二度とやらん」「ぎゃふん!」
ゲイルの背中でひっくり返ったハムは、それでも気を取り直して顔を上げた。
「
「その前にひとついいか」「なんでしょう?」
「昨年話した時、そういえばずっとタブレット越しだったな。画面で代わりに変な中東人が喋ってたが。あの時すでに
「えへへ、だって、まだハムスターなりたてで、見られちゃうの恥ずかしかったんですもん……」
ゲイルとブレイズが『
折賀は叔父である
この先に。『
ハムに導かれた先に、確かに白い狼がいた。正確には狼犬だ。
まだ一歳にも満たない小さな体。飢えでやせてしまった体。それでも夜空を映したような瞳と、雪の結晶をまとっているような白い毛並みは美しかった。
彼女は折賀たちよりも高い位置の、岩場の上に立っていた。
折賀たちを見下ろした後、鼻先を空に向けて吠えた。
強くはなく、高く澄んだような声で。
初めは短かった遠吠えが、徐々に長く伸びていく。
その声に合わせるように。まるで遠吠えをBGMにしたかのように、空が、世界が
「ふおぉぉ……」
ハムが感嘆の声を漏らす。
「闇のオーロラ」にふさがれていたはずの空から、一筋の光が降りてきたかと思うと、そのまま傘のようにぱあっと広がったのだ。
折賀も息をのんだ。初めて見るオーロラが、初めて見る天空の奇跡、壮大なブレイクアップだった。
その色は、彼女の色を象徴するかのような、濃紺に縁どられた白。
白と紺の饗宴が、天空いっぱいを華やかな神秘のステージへと変える。
息をのむ光景は、それだけではなかった。
光の洪水が、まっすぐに彼女に落ちてくる。
全身に光を浴びた白い獣が、次第に狼とは違うフォルムに変化し、獣とは違う動きを見せ始めた。
そのシーンに覚えがあるハムが叫んだ。
「僕と同じ!
人間だったイルハムは、ハムスターのハムへ。
狼犬だったシェディスは、人間の少女へ――
あまりのまぶしさに、折賀も目を細めた。
そのさなか、ハムの切羽詰まった声が響き渡った。
「早く! 何か着るものを用意してあげてぇー!!」
獣が人へと変化する際の、宿命である。
光が消えた時、そこにうずくまっていたのは、一糸まとわぬ白い髪の少女だった。
周囲に
自分の上着を脱いで渡してやれば格好いいのかもしれないが、あいにくここでそんなことをしたら自分が凍死してしまう。
ゲイルとブレイズにもふもふっと温めてもらいながら、慣れない手つきでやっと上着に袖を通した少女は、開口一番「お腹すいた……」とつぶやいた。
――これが、シェディスの人化の瞬間に立ち会った、ハムと折賀とゲイルとブレイズの記録。
『
次は『
野生の黒い風を追いかけて、今、彼らの旅は新たなステージへと向かう。
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