Ⅳ 「刃風」の霊狼

SIGN28 白き少女の降臨

 カナダ極北、三月。


 この地を襲った「太陽光消失サンライト・ロスト」発生の日から、約七ヶ月。

 空はいまだ「闇のオーロラ」に覆われ、終わりの来ない極夜きょくやが延々と続いている。陰鬱いんうつな空気と、日に日に勢いを増していく吹雪の猛威が、人々の心をも重く深く覆い尽くしている。


 日本の少年・森見もりみ蒼仁あおとに特殊能力が発現するのは四月のこと。

 その前月、ユーコン準州にて。


 日本の学生・折賀おりが美仁よしひとは、狼犬おおかみいぬのゲイルとブレイズを連れて、無謀にも吹雪の針葉樹林タイガの中を歩いていた。積もったばかりの柔らかな雪が、靴底五センチのスノーブーツに容赦なく食い込んでいく。


 折賀も、ゲイルとブレイズも、一秒ごとに全身が真っ白に覆われ、雪景色に同化していく。

 そこにもうひとつ、もそもそふらふら~と近づいていく固まりがあった。


「ま、待て、オリガ」


 カナダ・ナショナル・ポスト紙の記者、キンバリーだ。

 すっかり雪男と化した折賀を、もう一体の雪男がよろよろと追いかけていく図は、吹雪の中でも平然と歩を進める二頭の獣に笑われているようで、少し滑稽こっけいに見えた。


「いつまでこんなことやってんだ。自殺行為だぞ」


「ついてこなくてもいいです。キンバリーさんは町で目撃情報を集めておいてくれませんか」


 互いのネックガードに覆われた口元から、まつげの先にいたるまで、会話の内容に関わらずすべてが雪の風にさえぎられそうになる。


 折賀は、キンバリーに教えられた「白の獣と黒の獣」の姿を追い求めていた。


 白の獣と黒の獣――

 長く異常気象に支配されたこの地で、ときおり人の前に現れる二頭の狼の姿は、まるで神の使いであるかのような神秘性を感じさせるという。


 まだ若いが、固く引き締まった体躯たいくの黒狼。それより一回り小さな、美しい毛並みを持つほっそりとした白狼。

 連れだって森を移動する二頭は、冬の獣たちの例に漏れず、常に餌を探し求めているのだろう。


 雪の中、ときに遊ぶように絡み合ったかと思うと、風のようにあっという間に駆け抜ける。

 白の毛玉と黒の毛玉が絡んではほぐれ、走っては遊ぶ。

 仲睦まじく肩を並べる様子は、目撃者達の間でちょっとした語り草になっていた。


 白い獣が『シェディス』、黒い獣が『風の光ウィンズレイ』と呼ばれるようになったのも、くるくると入れ替わり立ち替わる二頭の姿を反映してのことだろう。


 折賀が二頭を捜しているのは、ゲイルとブレイズがしきりにそううながしている――と、「ある知り合い」に言われたからだった。


「そうは言ってもな、将来性のある若者に目の前で死なれたら、おじさん的に立場がないっつうか……せめて俺の情報が原因で死ぬのはやめてほしいっつうか……」


 まだブツブツ言ってるキンバリーはほっといて、折賀はずんずん進んでいく。

 

 やがて針葉樹林タイガが開けると、目の前に広大な雪原が現れた。


 吹雪で刻一刻と姿を変えていく地形。

 その中の一点を、折賀の鋭い眼光が逃さず捕らえた。


「なんだ?」


「そこに、いる」


 吹雪の向こう、かすかに動く物体を、折賀とゲイル・ブレイズが凝視ぎょうしする。

 他の動物を見つけた時とは緊張度合いが違う。

 ついに、目的の狼たちを見つけたのか。キンバリーの心臓が高鳴った。


 折賀は獲物に迫る猟犬のように、視線で対象をとらえながら静かに移動する。ゲイルとブレイスが、心得たように獲物の退路をふさぐ。


 ここまで近づけば、もう捕らえたも同然。

 最後の瞬間まで油断することなく、折賀は対象に近づき、身をかがめ、手を伸ばし――


 雪の中から、拾い上げた。

 カビた大福もちのような固まりを。


「やあ、お久しぶりです、美仁くん!」


 ハムが元気に手(前足)を上げた。



  ◇ ◇ ◇



「…………」


「やだなあ、わかりませんか? 僕ですよぅ僕! イルハムですぅー」


「……イルハム?」


 これが折賀にとって、ハムスターなハムとの初対面であった。その衝撃は想像にかたくないだろう。


 事前に、タブレット越しの甲斐かいから『ハムがハムスターになったー!』と聞いてはいたが、正直何を言ってるのかわからなかった。こうして実際に見ても、信じていいのかどうかわからない。


 思わず手の上で大福もちをコロコロ転がすと、


「ああぁんっ! いやぁんやめてぇ~♡」


 と、絶対に聞きたくないおっさんの嬌声きょうせいが吹雪に負けずに響き渡る。近づいてきたキンバリーがぎょっと飛び上がった。


「えっ、ど、どしたっ!?」


「なんでもありません」


「でっ、でも今っ……」


「きゃうぅん♡」


「空耳です」


 折賀は防寒着のポケットにブツをズボッと突っ込んだ。



  ◇ ◇ ◇



 キンバリーにはなんとかお帰りいただき、折賀はハムの案内でさらに先へと進んだ。

 ゲイルとブレイズも付き従っているが、その表情は微妙である。


「美仁くぅん、あのぅさっきのコロコロ……ワンちゃんたちでもいいんですけどぅ……」


「二度とやらん」「ぎゃふん!」


 ゲイルの背中でひっくり返ったハムは、それでも気を取り直して顔を上げた。


白い獣シェディスがこの先にいるみたいなんです。どうも、黒い獣ウィンズレイの方は最近いなくなってしまったようで」


「その前にひとついいか」「なんでしょう?」


「昨年話した時、そういえばずっとタブレット越しだったな。画面で代わりに変な中東人が喋ってたが。あの時すでにその姿ハムスターだったのか」


「えへへ、だって、まだハムスターなりたてで、見られちゃうの恥ずかしかったんですもん……」


 ゲイルとブレイズが『白い獣シェディス』を捜すように言っている、と折賀に伝えたのはハムだった。

 折賀は叔父である折賀おりが樹二みきじ理事長からその情報を受け取り、カナダの現状を知る手掛かりとして、現地調査のために昨年十二月にカナダに入ったのだった。


 この先に。『白い獣シェディス』に、何か秘密があるのだろうか。


 ハムに導かれた先に、確かに白い狼がいた。正確には狼犬だ。


 まだ一歳にも満たない小さな体。飢えでやせてしまった体。それでも夜空を映したような瞳と、雪の結晶をまとっているような白い毛並みは美しかった。


 は折賀たちよりも高い位置の、岩場の上に立っていた。

 折賀たちを見下ろした後、鼻先を空に向けて吠えた。

 強くはなく、高く澄んだような声で。


 初めは短かった遠吠えが、徐々に長く伸びていく。


 その声に合わせるように。まるで遠吠えをBGMにしたかのように、空が、世界がきらめき始めた。


「ふおぉぉ……」


 ハムが感嘆の声を漏らす。

「闇のオーロラ」にふさがれていたはずの空から、一筋の光が降りてきたかと思うと、そのまま傘のようにぱあっと広がったのだ。


 折賀も息をのんだ。初めて見るオーロラが、初めて見る天空の奇跡、壮大なブレイクアップだった。


 その色は、彼女の色を象徴するかのような、濃紺に縁どられた白。

 白と紺の饗宴が、天空いっぱいを華やかな神秘のステージへと変える。


 息をのむ光景は、それだけではなかった。

 光の洪水が、まっすぐに彼女に落ちてくる。

 全身に光を浴びた白い獣が、次第に狼とは違うフォルムに変化し、獣とは違う動きを見せ始めた。


 そのシーンに覚えがあるハムが叫んだ。


「僕と同じ! 変化トランスフォーメーションです! 彼女は、大精霊の意志を受け取ったのですッ!」


 人間だったイルハムは、ハムスターのハムへ。


 狼犬だったシェディスは、人間の少女へ――


 あまりのまぶしさに、折賀も目を細めた。

 そのさなか、ハムの切羽詰まった声が響き渡った。


「早く! 何か着るものを用意してあげてぇー!!」


 獣が人へと変化する際の、宿命である。

 

 光が消えた時、そこにうずくまっていたのは、一糸まとわぬ白い髪の少女だった。

 周囲にきらめく雪の結晶が、消えてしまう前に。折賀は背追っていたザックから、急いで予備の上着を取り出した。

 自分の服を脱いで渡してやれば格好いいのかもしれないが、あいにくここでそんなことをしたら自分が凍死してしまう。


 ゲイルとブレイズにもふもふっと温めてもらいながら、慣れない手つきでやっと上着に袖を通した少女は、開口一番「お腹すいた……」とつぶやいた。


 ――これが、シェディスの人化の瞬間に立ち会った、ハムと折賀とゲイルとブレイズの記録。




白い獣シェディス』は見つけた。

 次は『黒い獣ウィンズレイ』だ。


 野生の黒い風を追いかけて、今、彼らの旅は新たなステージへと向かう。

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