SIGN18 海風に記憶を乗せて

 全員にとってありがたいことに、その日は快晴だった。


 この高台からは、どこまでも広がる青く静かな海も、何重もの音を響かせて砂浜に押し寄せる白い波も、圧倒的な力強い音を立てて岩に砕け散る高い波も、一度に見渡すことができる。


 自然物と人工物が混ざり合い、所狭しと視界を埋め尽くす、潮風の香りに包まれた一大パノラマ。ざっと見渡しただけでも、海岸沿いに停泊する漁船の数の多さ、魚市場や物流倉庫といった建物・駐車場の広大さには目を奪われる。かと思えば、少し離れた場所には華やかなのぼりや看板を立てた土産物店が並び、豆粒のような観光客が行き交う様までよく見える。


 高台を降りて、繁華街へと向かう。彼らの目的地は、繁華街の隅にあった。お昼どきということもあって、人の出入りは活発なようだ。

 昔ながらの古びた建物の中に、大きめの文字で書かれたわかりやすいメニューやカラフルな立て看板など、観光客の目を引くための工夫を凝らした定食屋。メニューには美味しそうな海の幸が写真付きでずらりと並んでいる。値段も観光地にしてはお手頃価格。タウン誌で紹介されたこともあるらしく、店内はほぼ満席のようだ。


「忙しそうですね」胸ポケットの中の小動物が言う。

「そやな、昼どきやしな」ラフなジャージ姿の、金髪の青年が応える。

「すごくよさそうな店だね」人懐っこそうな茶髪の青年が言う。

「これ、お魚焼いてるにおい?」雪白の髪のスレンダー美少女が尋ねる。

「パーシャはこういう店来たことある?」「ううん、初めて」小学生くらいの男子と金髪女子が仲良さそうに並んでいる。


「だーっもう、なんなんやこいつらは!」


 突然、金髪青年が吠えた。


「なんでぞろぞろついてくんねん! 観光に来たんやないんやで! あ、シェディスさんはかまわんよ、ワイがなんでもおごったるさかい。生魚と焼き魚どっちがええ?」


「ごめんごめん、俺たちも達月たつきさんの故郷を見たかったんだよ。関西の方なのかと思ったら、車で一時間くらいのところだったからさ」


 甲斐かいがすまなさそうに笑う。


「甲斐さんはここまで車出してくれたさかい、別にええわ。せっかく来たんやし、ハムも小学生も好きに観光したらええ。けどワイの実家までわざわざついて来ることないやろ? 来たって何もあらへんよ」


「あ、お弁当も売ってるみたいですよ~。じゃあ僕たち、好きにお弁当買ってあっちの公園で好きに食べちゃいましょうか~」

「いいんじゃない?」


 ハムはパーシャに連れられて遠慮なく「達月の実家」へ向かってしまった。観光客にまぎれて、早速窓の貼り紙で弁当を選んでいる。

 頭をかきながらため息をつく達月に向かって、シェディスが今さらのように「私、どっちでもいいよ!」と回答した。「生魚と焼き魚」の件である。


「達月さん。本当に会わなくていいの?」


 達月を気遣うようにかけた蒼仁あおとの言葉に、「ええんや」と、あっさりとした返事。

 ぶっきらぼうに見える達月の態度の奥に、どんな本心が隠されているのだろう。今の蒼仁には、すべてを理解することはできない。


「まだ完全には思い出していない」という達月の記憶の範囲では、三年ほど前まではこの町に、この実家にいたという。


 空白の三年間。達月には少しずつ戻ってきている三年間が、達月の家族にはない。


 顔も見せず、何も告げずに国を出ようとしている。達月の決断を尊重すると決めたものの、胸の隅にほろ苦い思いが残るのは止めようがない。

 大精霊によって決められたこととはいえ、カナダ行きを達月に直接頼んだのは蒼仁なのだ。


 年上で頼りになる面もあるけれど、まだどこかに危うい部分も抱え込んでいる、達月という青年。


 このまま、家族を失ったままでいいわけがない。

 必ずこの実家へ。家族のもとへ、返さなければ。



  ◇ ◇ ◇



「店員さん、みんな明るくて元気な人たちだった。いい店だったよ」


「お客さんもたくさんいたし、どの食事も美味しそうだったわ。店内もきれいだった」


 海沿いが一望できる公園で、仲良く弁当を広げる五人と一匹。

 全員分を買ってきた甲斐とパーシャが、ごく簡単に店の感想を述べた。


 達月を少しでも安心させるために。

 店員についてそれ以上詳しく語らないのは、達月の決断に余計な未練を覆いかぶせないために。


 弁当は、マグロ丼にシラス丼、アジフライ弁当に鯖寿司。どれも新鮮でぷりぷりと食べ応えがある。評判に間違いはないようだ。


「ワイの訛りは、あちこちふらふらしとったからやと思っとったんやけどな。オフクロが関西の出で、ばあちゃんも呼んで一緒に住んどったからやった。やかましい関西女二人に育てられりゃ、そりゃ訛るわ」


 そう言いながら、弁当を味わう達月は、普段よりも優しい顔に見えた。


「料理は、家継ぐって決めたわけやないから特に習いもせんかったけど、知らんうちに沁みついとったんやなあ」


「達月くんの、お料理する時の繊細な手つきや、素材にこだわる姿勢に納得できた気がしますよ」


 一人前の弁当を見事にたいらげたハムも、しみじみと語っている。

 今まで何度も味わってきた、達月の味のルーツに触れることができたのだ。感慨かんがいひとしおである。


「ワイの記憶の能力、やけどな」


 達月の声に、さらに重みが加わった。


「たぶんまだ、あやふやなんや。全員に均等に作用するわけやあらへん。もともと記憶ってそんなもんやしな。家族の中にも、ワイの一生分の記憶全部をきれいに自分の中から消し去ったもんもおれば、ちょびっと違和感や既視感みたいに残ってたり、夢で見たりしてなんとなくかけらを残してるもんもおるかもしれん。せやから、今ワイが顔合わせたら、ワイのことを思い出す家族と思い出せない家族に分かれて、大混乱になるかもしれんやろ。そんな状態でカナダへ行く言うたら、さらにとんでもない非常事態になるやろ。今ワイが会いに行かんのはそういう理由なんや。ええと……」


 達月はぐるっと「チーム・蒼仁」の仲間たちの顔を見回した。


「心配してここまでついてきてくれて、おおきにな」


 ついさっきまで「ついてくるな」という態度だったのは、彼なりの照れ隠しなのかもしれない。


「会わない理由」は今語った通りなのだろう。では、「ここまで来た理由」とは。

 達月なりに、カナダへ行くことに対して覚悟を決めたということだ。


 彼の大切な決断を固めるこのときに、チームのみんなの存在を心強く思ってくれたのだろうか。

 同じ目的を共有する仲間たち。達月を見つめる蒼仁の中にも、みんなに対する温かな、強固な信頼が生まれ始めているのを感じていた。


「チーム・蒼仁」。ネーミングはともかく、いいチームだと思う。


「一緒についてくるしかなかったんだから、仕方ないじゃない」


 パーシャの言葉が、「ちょっといい気分」に浸っていた達月と蒼仁の思考を止めた。


「動物霊たちが、蒼仁だけでなくあなたも狙ってくることは、クーガーの件でわかったでしょ。シェディスは蒼仁がいなくても棒状の物が一本あれば戦えるけど、あなたは蒼仁がいないと何もできないじゃない」


「た、確かに!」


 今さらのようにショックを受ける達月。追い打ちをかけるように、容赦ない小動物のセリフが続く。


「達月くん、ヤンキーだけどケンカとかは弱そうですもんね~」


「しゃーないやんけ! ワイは穏やかなヤンキーなんや!」


「『穏やかなヤンキー』って、ヤンキー名乗る意味があるんでしょうか……。達月くん、あの光球たまがないと戦えませんしね。蒼仁くんがいないと、本当にただのテンプレ寝ぐせヤンキーですよね」


「ね、寝ぐせ! もっとはよ教えんかい! シェディスさんが見とるやんけ!」


 シュババッと神速で寝ぐせ直しを始めた達月の横で、シェディスは満腹感でにこにこしながらくつろぐのだった。




 カナダでは、「闇のオーロラ」の勢力圏が拡大しつつあった。

 より多くの動物霊を取り込んで、より厚いオーロラが北へ南へと版図を伸ばしてゆく。


 すべての生き物たちを凍りつかようと吹き荒れるブリザードの中、

 まだ消えぬ命の炎が、身を伏せて反撃の時を待つ。


 その力、『双焔そうえん』。

 空をも焦がす炎は、吹雪を溶かす力となるか。






 Ⅱ 「光架」の霊狼 <了>

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