アノーソクレス

ミコシバアキラ

第1話

 男はぼんやりとした目で独房の中を見渡した。

 そして視線を下にやって、その腕にはめられている手枷を無感情に眺めた。

 男の名はイネス・デマントイド。

 身長は少し低く、黒髪はボサボサになっていて、首の左側に文字の様なものが刻まれていた。印象的な夕日のようなオレンジの瞳はじっとりと手枷を見つめている。

 冷える独房の中、裸足で石造りの床を踏みしめると、座っていたベッドから立ち上がった。ベッドと言っても板に毛布をかぶせただけの粗雑な物だ。

 身長の少し低い男、イネスはぼんやりとした目でこれまでの事を思い出していた。


 先の大戦で一度滅んだ世界は、かろうじて生き残った人々により中世代まで文明レベルが下がってしまったが、なんとか機能していた。

 兵器の影響により平均気温が大幅に下がったこの世界で、人々は馬車に乗り、国には騎士団や、禁術として密かに伝わっていた魔術がテクノロジーの代わりに広まり魔術師団が置かれ、国や街の城壁の中で静かに暮らしていた。

 そうして大戦集結から約二百年経った現在。

 統一歴二百三十五年、十五月の頃。

 イネスは冒険者であり傭兵だ。

 冒険者からの依頼や裕福な者達からの依頼で護衛の任務をしている。

 先の大戦で生み出された副産物である、無限に増殖する魔獣を狩り、時には盗賊やらから冒険者や依頼主の命を守る。

 そんな折、冒険者達からの依頼である先の大戦以前に作られた物、ロストテクノロジー発掘の為のダンジョン攻略の護衛を終えてパーティを解散した後、どんよりとした分厚い雲が空を覆う、ひどく冷える日粉雪の舞う中一人ぼんやりとした目でザイベリー国の、大戦で使われたという茶色く朽ちていく兵器の残骸を雪よけにして焚き火で暖をとりながら食事にしようとした時の事だ。

 『神』が現れた。

 『神』とは、先の大戦の直後に現れた謎の存在。

 人の姿をしているが背中に翼を生やし、頭に角が生えていたり、皮膚が人間のそれと違っていたりする異形の者達だ。空を舞い破壊を楽しむ者が多い。

 地方によっては『超越者』や『鬼』と呼ぶところもある。

 一般的に使われている魔法術『アンドラダイト式魔術』は大気中に含まれる魔術の根源たるマナをその体に溜め込み、練り上げて魔術として発動させる。使う者には素質が必要で、魔術を使う者、魔道士はそれほど多くは居ない。

 だが神はこの『アンドラダイト式魔術』ではなく、より威力の高い魔術を使う。

 それ故に、その強さは、一騎当千。

 ヘルツェンベルグ統治機構により観測されている『神』は七柱。名前の判明している神は四柱。

 そうしてイネスは突如として現れた『神』、ヘルツェンベルグ統治機構の観測している名前の判明している神『ペントランド神』と対峙し、話をしていたがトラブルになり、突如として戦闘へと突入した。

 そして、長い激闘の末イネスは、神を殺したのだった。

 誰もが倒せる筈のない神を殺害するに至ったのだ。

 ザイベリー国の衛兵達が騒ぎを聞きつけてやって来た時には全て終わっていて、翼をもがれ地に伏した『神』を見るやいなや衛兵たちはイネスを捕縛した。ザイベリーでは『神』を信仰対象とする『ユージアル教』を国教としていて、神は信仰対象兼保護対象とされており、傷付ける事すら許されないのだ。

 そうしてイネスは冷たい独房に手枷をはめられて入れられたのだった。


 コツコツと廊下を複数の人間の靴音が聞こえてきた。

「……もう、か」

 イネスはぼんやりとした目のまま、恐怖どころか何の感情も無くただぼんやりと小さな窓を見つめるだけだった。。

「……出ろ」

 兵士達が牢の前へやって来ると、静かにそう告げて牢が開く。イネスはベッドから立ち上がったまま小さな窓を見つめていたが、兵士達に従って牢の扉を潜って外に出た。手枷に鎖を付けられ裸足のまま冷たい石畳の廊下を歩く。そうして連れてこられたのは外、ギロチンの鎮座する処刑場だった。

 珍しく晴れた今日の空は夕闇に染まりつつあり橙と紫が入り交じりあい、久々の空を見上げながらイネスは、はぁとため息を吐いた。感覚の麻痺した体で、その息は白く吐き出されいたく冷える日であるのが伺えた。

 兵士たちに鎖を引かれ、そびえ立つギロチンの前まで連れてこられた。そうしてうつ伏せにされ頭を固定されると、準備が整ったらしく、

「これより二百五番の刑を執行する」

 そう兵士が声を上げると、ギロチンに繋がれた縄を切る為に斧が振りかぶられる。

 イネスは下を見つめたまま、何の感慨も無く目を閉じた。

 不思議と恐怖は無かった。

 鋭い一閃が己の首を切り落とすのを待っていたが、一向にそれはやって来ない。

 ふと目を開いて顔を上げると兵士たちが、慌ててやって来たらしい役職の高い服装をした男が、

「中止だ!中止!処刑中止!殺すな!」

 と大声を上げていた。

 斧を振りかぶっていた兵士はそれを振り下ろさずに気分を害した様に地面に放り投げた。

 コツコツと軍靴の音を響かせながら、分厚いコートの下に紺色のパンツスーツを着、腰にサーベルを差して、炎のように赤い長髪をポニーテールに結い上げ、鋭いアイスブルーの瞳を持つ一人の背の高い女性が悠然と処刑場へ姿を表した。

「どういうことですか!?」

 そう声を上げる兵士たちに、女性は、

「処刑は中止だ、この神殺し大罪人はクロシドライト国でその身を預かることになった。早くその身を釈放しろ」

 朗々と響く声には意志の強さが感じ取られ、堂々とした立ち振舞いは見る者を圧倒させた。

「何故そんな急に!?」

「決まった事だ、大国クロシドライト相手に逆らえると思うか!」

 兵士達は役職の高い男を取り囲んで、どういうことかと説明を求めた。

 そうして全く納得いっていない様子だが、イネスの身をギロチンから外し始めた。

 イネスがギロチンからその首を外されると同時に手枷も外され自由の身となった。そうしてその女性の前へと突き出されると、女性は、

「貴方が神殺しか。私はクロシドライト国王女兼外務大臣、シャーレンブレンド・エメリー・レビ・クロシドライト。貴方の身ははこちらで預からせて貰う、これは命令だ、嫌がったところで無理矢理にでも連れていくつもりだから覚悟しておいて欲しい」

 イネスはただぼんやりとした目でクロシドライト国の王女と名乗った女性を見つめるばかりで、何もできないでいた。

 その夕日に映える赤毛と氷の様な瞳の美しさに見惚れてしまったからだった。

「返事もなしか?口は聞けるんだろう?名前はなんだ?」

「……あの、イネス・デマントイドと申します。貴女は……その、命の恩人……ですか」

 イネスは顔が熱くなっているのを感じながら、ぼんやりとした、夕焼けと同じ色の瞳で女性を見つめそう呟く。すると女性は、

「ああ、そうなるな。もう一歩遅ければ手遅れだったが、ギリギリになって申し訳ない、色々と手続きに時間がかかってしまってね。これからよろしく頼むよイネス」

「…………あ、ありがとうございます」

「まぁ、こちらが引き取る理由も知りたいだろう、一緒に来てくれ」

 そう言って女性はバサリとコートを翻して軍靴を鳴らして処刑場を出ていく。イネスはその凛々しい後ろ姿に見惚れてしまいぼーっとその場に立ったままだった。

「何をしている、付いて来て欲しいのだが」

「す、すみません」

 そう言ってイネスはもたつく裸足で女性の後を追いかけるのだった。

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