Phase.9 晩餐の後




     9




 晩餐ではこれまでに見たことも聞いたこともないような豪華な食事が並んだ。

 海亀のスープに竜獣ドラギノの最高級ロース、鶏の生クリーム仕立てシュプレームのトリュフ添え、ロブスターと舌ビラメのオレンジソース、鴨のワイン煮込みサルミ、シャケのムニエル、エスカルゴ、獲れたて新鮮の猟鳥獣ゲイムミートのパイ……などなど。

 基本的に英国の料理は味が薄くて調理法も単純なものが多いが、目の前に並ぶのは素材も色合いも様々なフランス流の食事だ。

 あまりに勝手が違う上流階級の料理を前にして、リジルは当初どのように食べればいいのかわからず、少しもたついていたが、バーバラがさりげなく世話を焼いてくれたため、見よう見まねでなんとか食べることができた。

 おいしそうに目を輝かせて料理を頬張る少女は微笑ましいが、社交界は油断ならない戦場だ。

 カネトリはマキシム卿との会話に興じつつ、常に横目で注意を払った。


「君、リュミエール・カンパニーの新作は観たかね?」

「いえ、まだですが記事で読みました。確か『ラ・シオタ駅への列車の到着』でしたっけ?」

「うむ。専用の立体眼鏡ステレオスコピィを用いた世界初の立体映画・・・・だ。なんでも機関車の迫力がすごいらしい。映画を見慣れてない田舎者などは怖がって部屋の外まで飛び出してしまった、なんて話もあるぐらいだ」

「それは楽しみです。映画シネマトグラフは階級を問わず大人気ですから、キノトロープ屋も商売あがったりでしょうね」

「シネマトグラフとは! この数十年で時代は大きく変わるものだ。私などはキノトロープが登場した頃には文明はここまできたかと思ったものだが……いずれ、映画館がキノトロープ・ショーに取って代わる日も近いかもしれんな」


 その言葉に同意し、マキシム卿の向かい席のアンダーシャフト卿が飄々とグラスを掲げる。


「戦争もそうだ。歴史を変えた偉大な偉人に敬意を表そう、マキシム卿」

「たまたま歴史に選ばれたのが私だった、それだけのことさ。私が造らずとも自動式機関銃はいずれ誰かが発明していた。ジョン・ブラウニングなんかがね」

「確かに。あの銃技師ガンスミスも天才に違いない。しかし、発明したのはあなたなのだ。さあ、偉大な発明品に、そしてそれがもたらす大量殺戮に乾杯しようではないか」

「……っ」


 その皮肉とも挑発とも取れる言葉に、マキシム卿はぴくりと顔を引きつらせるが、目の前の男がどういう人物であるかを思い出して、冷静に苦笑いを浮かべてグラスをチンと合わせた。

 晩餐もすでに後半に差し掛かり、テーブルの後ろに控えていた使用人たちがデザートの皿を運んできた。

 屋敷の主はプディングとヴォローヴァンを皿に切り分けながら、少しばかり男に反論してやろうと続ける。


「しかしね、私は少しも恥じていないよ、アンダーシャフト卿」

「ほう、奇遇ですな。『恥じることなかれ』は、私のモットーなのだ。……なあ、そうだろう、ワイゲルト?」

「え、ええ……」


 急に自分に振られて、カネトリはハラハラしながら頷いた。


「ああ、話の腰を折ってすまないな、マキシム卿」

「いやいや、構わんよ」


 マキシム卿は微笑んで手を振り、一拍置いて続ける。


「恥じる必要はない。……なぜなら、私はマキシム銃を売った金で人類に翼を授けることができたからです。これまでの飛行船に代わり、より小型でより早い……新世紀の乗り物なんだ。いずれはケイヴァーライト機関も安価なものとなり、誰でも空の旅が楽しめるようになる」

「なるほど。あなたは戦場の征服者であると同時に、大空の征服者でもある、と。……いや、さすがは『飛行王』だ。感服した。まさかそんな崇高な理念をお持ちとは」

「ありがとう」


 照れたように頭を掻くマキシム卿に、アンダーシャフトはパチパチと軽く拍手を送る。


「征服した大空が、次の戦場マーケットとなる。……やはり、あなたはもっぱらの戦争商売人に違いない」

「…………」

「お気づきでしょう、マキシム卿。あなたの開発した〈M1フライング・マシーン〉……例のプロペラ機は、いずれ、あなたの製品で武装することになる。自らの製品の受容を自らで生むのですから……笑わずにはいられないでしょうね、マキシム卿。心躍る未来を想像してみてください。あなたの製品で武装したあなたの軍隊だ。血みどろになった空には互いを打ち落とさんとする戦闘飛行機の群れ。焼夷弾をその腹いっぱいに抱え、敵国の首都を爆撃する飛行船団……そして、しまいには鋼鉄の飛行艦隊だ! 〈ドレットノート〉、例の……」


 白熱したアンダーシャフトが今にも立ち上がらんとしたその時、隣のテーブルに座っていたマキシム夫人がチンチンとワイングラスをスプーンで叩いた。



「――みなさん、別室の用意ができたそうです!」



 談笑がピタリと止み、その場の全員の視線が彼女に向く。


「たばこを吸いたくてたまらない、という紳士もおられるでしょう。そろそろ私たちは別室に引き上げようと思います。後は殿方どうしで」


 その言葉に応じて、婦人たちが立ち上がってマキシム夫人の後に続く。バーバラもリジルの手を引いて立ち上がった。


「リジルちゃん、行きましょ」

「でも……」

「ダメよ。あたしたちは、こっち。ここから先は男の世界なの。一緒にきて。さっきのセーラとベッキーを紹介してあげるわ」

「行ってこい、リジル」

「わかった……」


 カネトリに言われ、リジルは釈然としないながらも頷いた。

 もはやその衣服の一部と化している白カラスを胸にぎゅっと抱き締め、バーバラの後に続いて部屋を出ていく。

 使用人の片づけが始まる中、周囲の招待客も続々と喫煙室に向かう。これを好機と見たのか、マキシム卿は「少し失礼する」と断りを入れて席を立った。


「……あれは少しいじわるでしたよ、アンダーシャフトさん」

「なに、ちょっと彼が羨ましくな。彼は自分がどれだけのものを手にしているかよくわかっていないのだ」


 アンダーシャフトは「少し付き合いたまえ」と言って席を立った。カネトリも後に続いて、人の少ない応接間へ向かう。


「私は今日、とくに機嫌がいい。なぜかわかるかね?」

「さあ。なにかいいことでも?」

「うむ。今朝の大砲実験でだな、新しく特許を取った新型の榴弾で二七人の兵士の標的人形を吹き飛ばしたのだ。以前はたったの一三人しか破壊できなかったからな、これは大きな進歩と言っていい」

「それは……おめでとうございます」

「うむ。それもこれも新式火薬のおかげだ。高性能爆薬のおかげでこれからの戦場はどんどん破滅的になる。そして、破滅的になればなるほど、我々はその魅力に気づくのだ」

「…………」


 楽しげに言うアンダーシャフトに、カネトリは居住まいを正して訊いた。


「戦場と言えば……東部戦線の様子はどうです? なにか新しい情報でもありましたか?」

「君はどの新聞を読んでいるのかね?」

「この戦争に関して言えば、イブニング・スタンダード紙ですかね」

「うむ。妥当な選択だな。やはり戦争報道はイブニング・スタンダードに限る……が、すでに公になった情報では儲けに繋がらないのが痛いところだ。戦場は生ものだからな、新鮮な内に武器を届けなければ火薬が湿気ってしまう」


 アンダーシャフトは革張りのソファーに腰かけ、手を組んでじっとカネトリを見る。


「じつは我が社でも特派員を送っていてね。先ほど届いた定時連絡によると、すでに北軍の一部は軍事境界線バージニア・ベルトを超えて、フレデリックスバーグの近郊まで迫っているらしい。対する南軍は後退しつつ部隊を再編中だ。ジョン・カーター大佐率いる神出鬼没の騎兵部隊が北軍の補給線を分断して行軍を遅らせているらしい」

「ジョン・カーター大佐……。先の南部の英雄、ですか」

「うむ。乗馬と剣の達人だよ。……が、すでに剣の時代は遠く過ぎ去った。今は機関銃マキシムの時代だ。さすがの北軍でもあの街の機関銃陣地を突破するには時間がかかるだろう。先のフレデリックスバーグの戦いでは痛い目を見たからな、北軍も慎重なのだ」

「海上戦はどうです? チェサピーク湾での戦闘行為を禁止した先の停戦協定は……」

「守られているよ。今のところ、派手な海戦は皆無だ。どちらの海軍も境界線上で睨み合いを続けている。ただ、あの海域は機雷だらけだからな。まともに動けないと言ったほうが正しいかもしれん」

「だとすれば……しばらくは海上封鎖の心配はなさそうですね」

「そうとも限らんぞ。海軍力の差は明白だ。デルマーバ半島を迂回して、南軍艦隊を撃退し、逆に湾内に抑え込むかもしれん。やろうと思えば可能だろう。まあ、マッキンリーに英国を刺激する度胸があれば、の話だが」


 もし英国が参戦を表明すれば、北部合衆国はカナダと南部の二正面作戦を強いられることになる。合衆国にとっては孤立無援の絶望的な戦いだ。

 しかし、幸いなことに英国議会は今回の戦争に対して意見が真っ二つに割れている。

 その理由が『綿花王国コットン・キングダム』としての南部の地位の低下だ。

 要するに、戦争してまでディキシーランドを守る価値があるのか、というその一点だ。

 中にはモンロー主義を尊重した南部返還論に基づいて、南部連合国から手を引くべきだと主張する者もいるが、北部合衆国が海上封鎖を強行すれば、英国は一転して強硬策に出るだろう。


「英国は参戦しますかね?」

「議会の方針は同じだ。『分割して統治せよディヴィデ・エト・インペラ』。北と南が適当に殴り合ったところで折を見て停戦に持ち込むつもりだろう……。そう簡単にことが運ぶかはさておき、北軍にリッチモンド要塞は落とせまい。何を隠そう、あの大要塞を設計したのは私の師である先代のアンドリュー・アンダーシャフトなのだから」

「〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉の創設者である、六代目アンドリュー・アンダーシャフト。モットーは、確か『人々が互いに殺し合う覚悟をしなければ、この世に何かがなされることはない』……でしたっけ?」

「そうだ。よく覚えているな」


 七代目アンドリュー・アンダーシャフトはそう言って、八代目となるであろう青年をじっと見つめた。


「次は君の番だ。アンダーシャフトの名を継ぐ決心はできたかね?」

「…………」


 カネトリは口を閉ざし、小さく俯いて沈黙した。

 短い静寂の後、顔を上げて恩人を見返す。口を開き、震える声で告げる。


「はっきり言います、アンダーシャフトさん。……俺は、アンドリュー・アンダーシャフトにはなりません」

「ほう」


 アンダーシャフトは微笑を浮かべ、ゆったりとソファーから立ち上がる。


「てっきり、また『考えさせてください』と言ってだんまりかと思ったぞ。数年前と同じようにな。そこだけは成長したな、ワイゲルト」

「ええ。まあ……」

「……が、それは私の聞きたい回答ではないな」


 突然、アンダーシャフトが仕込み杖の鞘を抜き、その眼前に切っ先を突きつけた。

 黒塗りの刃が眉間すれすれにピタリと静止し、カネトリは冷や汗を流す。まったく反応することもできなかった。


「……言葉を返すようですまないが、改めてはっきり言おう、我が弟子よ。君がアンダーシャフトの運命から逃れることはできない。アンドリュー・アンダーシャフトという名の『力』は、君にとっての呪いであり、同時に救済なのだ」

「で、ですが……」

 


「――ナンセンス!」

 


 アンダーシャフトはぴしゃりとカネトリの言葉を封じ、にやりと笑って杖を下ろした。


「……と、バーバラやビディ(ブリトマート夫人の愛称)なら、こう言うだろうな。バーバラとの結婚はどうする? 私はビディともそのつもりで準備を進めているのだが」

「それに関しても、今はまだ……。もちろん、彼女やブリトマート夫人がそれを望んでいることは知っています。俺を愛していることも。……ですが、バーバラは幼馴染で、俺にとっては妹のような存在なんです。結婚なんて、とても……」

「それは、君が毛だらけ男ファーリー・ジェントルマンであることも関係しているのかね?」

「……っ!」


 図星だった。ビクッと硬直し、周りに聞き耳を立てている者がいないかと見回すカネトリに、アンダーシャフトはため息交じりに肩を竦める。


「それをどこで、というような顔だな、この馬鹿者が。〈マスター〉からの報告に決まっているだろう。……まあ、それはずっと前から知っていたことだが」

「えっ、そうなんですか!?」

「我が弟子ながら呆れたものだぞ、ワイゲルト……。むしろ、それで性癖を隠しているつもりだったのかね? だだ洩れだよ。屋敷の獣人メイドをすべて解雇したのも、それが理由だ」

「そ、そうだったのですか」


 今さら知ることになった衝撃の事実に、カネトリはガクリとうなだれた。


「別に亜人を抱くことが悪いとは思わん。だが、我々の大砲ビジネスに差し支えるのはいただけない。信用はどの世界でも大事だからな。君の同僚のロキア・アレクサンダー・グラバーのように、亜人好きが理に適ったものであるならまだしも」

「ロキアをご存知なのですか?」

「狭い世界だからな。まあ、好きなら引け目を感じてこそこそせず、〈ワルキューレ〉のように亜人だらけの私兵部隊を持つとか、そのぐらいはっきりやってしまえ、ということだよ。彼の真似して獣人だらけのハーレムを連れて歩けばよかろう」

「!」


 師匠からの思わぬ提案に、カネトリは一瞬本気で獣人ハーレムを検討してみるが、ギルドの給与と費用対効果とを比較して、落胆したまま首を振った。


「商売にならない。それと、そんなにもふもふでは毛皮に溺れてしまいます。それに……俺にそんな勇気はありません。ハーレムなんて、そんなもの……」

「賢明な判断だ」


 アンダーシャフトは皮肉交じりに言って、仕込み杖の黒刃を柄に戻した。


「あの娘かね。君がバーバラとの結婚を拒む理由は……」

「リジルのことですか……。いや、彼女とはただの成り行きですよ。結婚なんて、とんでもない。ただ単に、俺はまだ現場にいたいだけです。そのためには、独身でいるほうが都合がいいので」

「ふむ。その気持ちはわからないではないが」


 アンダーシャフトは深く考え込むように後ろ手に腕を組み、応接間の棚の上に飾られている黄金のマキシム銃が象られたトロフィーを眺めた。


「ワイゲルト、君は私に莫大な借りがあるはずだな?」

「ええ。それはもちろん。イースト・エンドのゴミ溜めからドイツ移民の孤児を救い出して、ここまで育ててくれたのは、紛れもないあなたですから」

「ではなぜ、私が望むようにアンダーシャフトを継がない?」

「うっ……。それとこれとは、その、話が別ですから」

「話が別、か」


 アンダーシャフトはくるりと踵を返し、カネトリに向き直る。その翡翠の瞳に微かな悪意を滲ませながら、低い声で続ける。


「アンドリュー・アンダーシャフトの力を持ってすれば、君をギルドから追放するのはたやすい。私は筆頭株主だし、〈マスター〉も我々の決定には逆らえない。そして、君をソドミー法違反の咎で社会的に抹殺するのは言わずもがな、明日には入水自殺の死体としてテムズ川に浮かべることすら、銃の引き金を引くようにたやすい」

「そ、それは脅しですか?」

「脅しではない。私にとっては選択肢の一つに過ぎん。……理解したまえよ。君の立場は吹けば消えるような、風前の灯火なんだよ」

「は、はい……」

「……だが、できれば私も可愛い後継者にそんなことはしたくない」


 カネトリはほっと安堵のため息をついた。それを見て、アンダーシャフトは不敵に口もとを歪めて、「そこで」と続ける。


「賭けをしないか、ワイゲルト」

「え」


 またこのパターンか、とカネトリは思った。




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